紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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小悪魔の陰謀

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 ハルバン城より南西約二十コーリー(Km)の地点にローホー山と言う小高い山があり、そこには砦がある。
 サイフォンらはその砦に入り、アンラードからの返事と援軍を待っていた。

 しかし二月十六日、アンラードから飛龍フェーロンに乗ってやって来た使者は、無情な言葉をサイフォンに告げた。

「タイピン州で反乱が起き、州都タイピン城が反乱勢力によって奪われてしまった。また、ガルシャワ軍も再びワイシャン城、クージン城を狙って侵攻の構えを見せている。それ故、援軍は送ることはできない。そもそも、七龍将軍チーロンサージュンでありながらマンジュの謀略を見抜けず、こうも簡単に重要拠点であるハルバン城を奪われるとは呆れた失態。責任を取って、自分たちだけでハルバン城を奪還せよ。できなければサイフォン・ラドゥーロフは七龍将軍チーロンサージュンを解任する」

 使者は、サイフォンの前で手紙を読み上げると、

「以上が皇帝陛下エンディービーシャー、及び丞相チェンシャンのお言葉である」

 と付け加えて、手紙をサイフォンに渡した。
 
 サイフォンは呆然としながらその言葉を聴いていたが、手紙を受け取ると、態度に怒りを滲ませた。

此度こたびのこと、確かに私の失態である。しかし、そもそもマンジュに兵を出させると言う戦略を立てたのは丞相ではないか。丞相にも責任の一端があるはず。少しでも兵を送ってくれても良いのではないか?」

 だが、のっぺりとした顔の使者は平然として言った。

「そう言われましても、以上が陛下のご意思でございます」

 サイフォンは使者に詰め寄った。

「陛下? 丞相が決めたことではないのか?」
「将軍、陛下のお言葉に対して無礼ですぞ。陛下は大層お怒りでございます」

 使者が顔を険しくして言うと、サイフォンはそれ以上言葉が出なかった。
 シュエリー・ユーが進み出て来て言った。

「サイフォン様。こうなった以上仕方ないですよ。私たちだけで何とかしましょう」

 そう、励ますように笑顔で言うシュエリーに、使者は「そうそう、忘れておりました」と、言い足した。

「手紙に書き忘れたので口頭で伝えてくれ、と言われていることがあります。ハルバン城奪還が成らなかった場合は、シュエリー・ユー将軍も同罪とし、十四紅将軍シースーホンサージュンを解任した上に一般武官に落とす、とのことです」

 シュエリーの白い笑顔が固まった。


「参ったぜ。どうするかな」

 サイフォンは困り切った顔を指で搔いた。

 その横で、シュエリーは虚空の一点を無言で見つめながら思案に耽っている。

「ま、こうなった以上仕方ねえな。マンジュ騎兵は確かに脅威だが、それでも数は俺達の方が上だ。やってやろうじゃねえか」

 サイフォンは、持前もちまえの明るさを取り戻して笑い、

「シュエリー、早速配下の者どもを集めて軍議だ」

 と、シュエリーに声をかけたが、シュエリーは答えぬまま、ぼーっとした表情であった。

「おい、シュエリー」

 サイフォンがもう一度声をかけると、シュエリーはようやく反応し、サイフォンを見て笑顔を見せた。

「サイフォン様、こうしては如何でしょう? ルード・シェン山に助けを求めるのです」
「はあ? リューシス殿下か?」

 サイフォンは驚くと同時に呆れた。

「馬鹿言うな。リューシス殿下らは今や皇帝陛下と朝廷に背いた逆臣で、元々俺達はその討伐を命じられているんだぞ。それなのにハルバン城奪還の為にリューシス殿下に助けを求めるなどとんでもない。そもそも、リューシス殿下がそんな俺たちに協力するはずがないだろう」

 ところがシュエリーはにっこりと笑って、

「いえいえ。あのお方はローヤンの皇子でありながら、普段はローヤンの政治にはまるで興味を見せません。しかし、本当はローヤンの皇子として誰よりもローヤンのことを想っておられます。ハルバン城を奪われたことはすでに知っているでしょう。今頃は、それは挙兵した自分のせいだと己を責めているはずです。そして、戦場以外ではどこか抜けているところがある上に、生来のお人良しです。私達から"ローヤンの為に"と言う名目で一旦休戦を申し入れた上で、助けを求めて泣きつけば、必ず協力をしてくれるでしょう」

「まあ、殿下がローヤンのことを想っていると言うのはわかる。ルード・シェン山に入った後、丞相に講和を申し入れたのも、理由はローヤンを分裂させたくない、と言うことだったからな」
「ええ」
「だけどな。俺達がハルバン城奪還の為にリューシス殿下に協力を求めたら、その時点で陛下と丞相に罰せられるだろうが」

 すると、シュエリーは人形のように美しい顔に悪女のような笑みを浮かべた。

「それはありません。殿下が私達の助けに応じてくれると言うことはどういうことですか?」
「あ……」

 その瞬間、サイフォンも即座に理解した。

「そう言うことかよ」
「ええ。ハルバン城奪還に殿下らが協力してくれると言うことは、殿下らがルード・シェン山から出て来ると言うこと。あの山から出てくれるだけで、殿下らを討てる可能性が格段に上がります」

 シュエリーは、黒々とした瞳を光らせて言葉を続けた。

「殿下の協力を得てハルバン城を奪い返したら、殿下らがルード・シェン山に戻る前に殿下を討ってしまうのです。そうすれば、丞相も私達を罪には問わないでしょう。むしろ、大喜びのはずです。もちろん、隙があればハルバン城奪還の前に殿下を討っても良いですし」

 それを聞くと、サイフォンは感嘆したが、同時に呆れたような目でシュエリーを見た。

「殿下の人の良さにつけこんだ上に、皇族であるが故のローヤンを想う気持ちを散々に利用するわけか……お前って奴は子供の頃から変わらないな。そんな顔して相変わらず悪魔ウーモーみたいな事ばかり考えやがる」

 シュエリーは、むっとして頬を膨らませた。

悪魔ウーモーなんて失礼な。せめて小悪魔シャオウーモーぐらいにしてください」
「…………」



 シュエリーの言った通りであった。

 ハルバン城をマンジュ軍に奪われたとの報告を受けた時、バティの狙いを見抜いていたリューシスは、

「サイフォン、何故そこに気付かなかった。シュエリーだっていただろう。何してるんだ」

 と、嘆いたが、その直後には己を責めていた。

「そもそもは俺の挙兵が原因だ。ハルバン城はローヤンの扉。マンジュにこれ以上ローヤン領を侵食される前に、俺達でハルバン城を奪還してマンジュ族を追い返すぞ」

 それから、リューシスは会議室で皆と共に地図を囲んで策を練り始めた。

 しかし――

「駄目だ。兵力が絶対的に足りない」

 リューシスは、会議室の卓上の地図を見ながら頭を抱えた。

 リューシスらがハルバン城を攻めるべく進軍すれば、自分達の騎兵の力に自信を持っているマンジュ軍は必ず打って出て来るであろう。

 一般的に、攻城戦には敵方の十倍の兵力が必要とされる。マンジュ軍約一万人に対して、リューシス軍は約六千人。ルード・シェン山の防衛に少なくとも一千人を残しておく必要がある寡兵かへいのリューシス軍にとっては、野戦に出て来てくれるのはありがたいことである。

 しかし、それでもマンジュ軍の方が二倍の数である。これまで劣勢の戦いを何度も勝って来たリューシスであるが、用兵の基本はやはり敵よりも多くの兵数をそろえて臨むことである。

 しかも、ここからハルバン城までは、まばらに森林地帯が存在するものの、地形自体は単純な平地が続く。

 平地は騎兵の力を最大限に発揮できるが、その騎兵を迎え撃つ側にとっては、地形を活かして戦ったり、罠を仕込んで奇襲をしかけることも難しい。

 強力な騎兵を持つマンジュ軍が圧倒的に有利なのである。

 加えて、リューシスは北方高原にその名を轟かせているマンジュの一角馬イージューバ部隊を見たことがない。作戦を立てにくいだけでなく、総兵力がマンジュより少ないだけに、どんな作戦を考えても不安の方が大きかった。

「やっぱりもっと多くの兵が必要だ。サイフォンらの軍勢にも備えておかないといけないしな……」

 リューシスは、椅子の背もたれに寄りかかって溜息をついた。

 他の者らも皆、険しい顔でそれぞれ考え込んでいる。

 そんな時だった。

 取次の者が駈け付けて来て、サイフォンたちからの使者がやって来たことを告げた。
 
「使者として、シュエリー・ユー将軍が参られており、殿下に会いたいと言われております」
「シュエリー?」

 リューシスは背もたれから身を起こして眉をしかめた。

 リューシスはシュエリーをよく知っていた。
 少年時代、シュエリーの父であるフーチェン・ユーに戦術や軍事学などを学んでいたことがあり、その時にシュエリーとも机を並べたことのある仲であった。
 だが、リューシスはシュエリーと仲が良いわけではなかった。むしろ、年長である上に、どこか掴みどころが無い不思議な性格のシュエリーが苦手であった。

「わざわざ、シュエリー自身が来たのか?」
「はい」
「敵である俺のところに直々に使者として来るなんて、やっぱり何考えてるかわからない奴だ。だからあいつ苦手なんだよな」

 リューシスは卓上に頬杖をついて言ったが、

「まあ、あいつが来たなら、何か重要な話なんだろうが……シュエリーは今どこにいる?」

 と、立ち上がった。

「下の番所に一人でおられます」
「番所か……待て、一人だと? 護衛兵はいないのか?」
「はい。我々も驚きましたが、お供の方は誰も連れておらず、たった一人で参っております」

 リューシスは唖然とした。

「本当に何考えてるかわからない奴だ……まあいい、一人ならとにかく会ってみよう」



 リューシスは、バーレンとヴァレリー、その他数十人の龍士ロンドたちを連れて山から飛び、下の番所へ向かった。
 
 シュエリーは、確かに一人で来ていた。
 しかも甲冑姿ではなく平服であった。
 ハンウェイ人伝統のゆったりした上下あわせの上に、花柄の刺繍が入った桃色の絹の羽織をまとい、艶やかな黒髪は頭頂で結い上げて銀のかんざしを刺している。
 そんな、どこぞの姫のような優雅な姿で敵地に来たシュエリーの大胆さにリューシスは驚いたが、同時に警戒もした。

「たった一人で、しかもそんな姿で来るとは何考えてるんだ?」

 リューシスが眉をしかめながら言うと、シュエリーはにこにこと笑って、

「だって、兵士や伴を連れて来ていたら、殿下は警戒して敵である私には絶対に会ってくれないでしょう?」

 リューシスは、しかめた眉をぴくりと動かした。

「そんなことねえよ」
「あら、そうでしたか」
「で、お前がわざわざ来たのは何の用件だ?」

 シュエリーはにこやかな笑みのまま、

「実は、手を組んでいたマンジュ族に裏切られ、ハルバン城を奪われてしまったのです」
「知ってるよ。サイフォンだけじゃなく、お前までいるのに何でマンジュの狙いに気付かなかったんだ?」
「実は私、マンジュの方からもらった馬乳酒マールージュとチーズが合わなくて、一週間ほど寝込んでいたんです。うふふ」

 シュエリーは、またも他人事のようにおかしそうに笑った。

「うふふ、じゃねえよ、何やってるんだ、情けない」
「でも、良く考えると殿下にも責任があるんじゃありませんか?」

 シュエリーは笑みを絶やさぬまま、黒目がちの瞳で真っ直ぐにリューシスを見た。

「わかってるよ。嫌なこと言うな、お前」
「ふふふ。そこで、殿下に一つお願いがあって参りました」
「何だ?」
「私たちは同じローヤン国民であり、殿下に至ってはローヤンの皇族です。このローヤンの危機の為に一旦休戦し、ハルバン城奪還に協力してくれませんか?」
「なるほどな。そんなところかと思ったぜ。実は俺たちも、自分たちだけでハルバン城奪還の作戦を立てているところだった。でも、何で敵である俺達に協力を求める? アンラードに頼めばいいだろう?」
「それが……」

 シュエリーは秀麗な顔を曇らせると、宰相マクシムから叱責しっせきを受けた上、タイピン州で起きたアーシンの反乱鎮圧に兵を向かわせねばならない為、こちらへの援軍を断られたことを話した。

「何? 今、何と言った?」

 リューシスは驚き、我が耳を疑った。

「援軍を断られたのです」
「それじゃない。その、反乱を起こした人間の名前だ」
「ああ。アーシン・トゥオーバーと言う人です。ビルサ帝国トゥオーバー一族の末裔だそうです」
「アーシン・トゥオーバー? あのアーシンか!」

 リューシスは愕然とした。
 南方タイピン州で反乱が起きたらしいと言う知らせは届いていたが、その反乱軍の首領が誰か、と言うことまではまだ伝わっていなかったのである。

「あいつ……とうとうやりやがったな」

 リューシスは、鋭い目つきで南方の空を見上げた。

「ご存知の方なのですか?」

 シュエリーは意外そうな顔でリューシスを見た。

「ああ。クージンにいた時にちょっとな」

 リューシスは、曇りがちな空から視線を下ろすと、溜息をついて腕を組んだ。
 そんなリューシスを見て、シュエリーは黒い瞳を光らせた。

「これも殿下のせいではありませんか?」

 リューシスは、じろりとシュエリーを見た。
 そのまま一歩寄り、更に視線をシュエリーの瞳に注ぎ、じっと見つめた。

「な、何か?」

 シュエリーは思わず一歩後ずさった。

「…………」

 リューシスはシュエリーの瞳を覗き込むように見つめたまま何も言わないでいたが、やがて表情を変えぬままに言った。

「わかった。俺達は同じローヤン人だ。ここは一旦休戦して、共にマンジュからハルバン城を奪い返そうか」
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