純情なる恋愛を興ずるには

有乃仙

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未発達なボクらの恋

三 変わりゆく中で ~日常の中で

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「…………」
 上半身を起こしていた純は複雑そうな表情をしていた。
 自分は一体なんのか。
 バカだからか。影響しやすいからか。
 はっきりいって良い夢だった。羨ましくなるくらい良い夢だった。そして、生身に影響を残してくれた。
 見てしまったのだ。興と体を重ねる夢を。
 寝る前に思ったことが叶ったと言えるが、どうせなら、現実で叶えさせてくれればいいのに。
 そう思いつつも、夢だけはあっさりと見てしまったことには複雑を感じずにはいられない。
 そこへ、ドアの開閉する音がした。
「あ、純。おはよう」
 廊下側を見てみれば良智が現れた。タオルを持っており、顔を洗いにでも行っていたのだろう。
「おはよう」
 上がらないテンションのまま返すと、純はベッドから下りた。とりあえず、やることがある。
「俺、しばらく出てこないから」
 歩き出しながらそう伝える。どんなに性的な夢を見ようと、体に影響がこようと、さすがに同室者の前を避けるだけの常識はある。
「え?」
 けど、事情を知らない良智は、言っている意味が全く伝わっていなかった。それに構わず目的地へと歩んで行く純を良智が振り返る。
 そして、目的地であるトイレのドアを開けると、純は中へと入っていった。


今日も元気なんだな」
 そう言う景一は、突っ込む気力すらなくなっているのだろう。微笑みと比喩をもって全てを片付けてしまった。
「…………」
 が、純にしてみれば、いっそ、子供の元気な姿に微笑ましいものを見る親のような顔をされても複雑が舞い戻ってくるだけである。
「複雑なんだけど」
 頬杖を突いて複雑な表情をしていた純は、言葉にも出して訴えた。
「この手の話には抵抗ないんだろ?」
 その時には、景一の表情と口調は元に戻っている。だが、純に戻ってきた複雑はそう簡単に抜けるものではない。ならば、初めから言わなければいいものをとも思うが、純も教えようと思って教えたわけではないのである。
 純がトイレに籠もっている間に先に来た良智が、バラしてしまったのだ。そうしてトイレから出てきた純も食堂へれば、微笑ましく見る親の顔をされたのである。
「今日は別」
「んなの、初めに言わなきゃ分かんないっての」
 常に通じるものではないことを言えば、当然の指摘が返ってくる。
「でも、朝からそんなことするってことは、でも見たってことか?」
 そう尋ねる景一は、完全に友人の面持ちにまで戻っていた。
「……………………まあ」
 確かにいい夢だった。羨ましく思うほどに。複雑になるほどに。
 そのため、二つの思いを抱えていることで頷きにくくなっていた純の肯定は、少々時間を要した。
「沈黙長いって、本当にいい夢だったのか?」
「良すぎて逆に複雑」
 疑う景一に、純も簡略化した事実で言って返した。
「そういうこともあるのか」
 表情からしてずっと複雑そうにしていたからか、景一は深入りもなく信じてくれたようだった。
「そうみたいだな」
 純もそう言って、それが本当であることを告げる。それがどこか他人事のようなのは、早くこの話題を終わらせたいからだ。
 その思いの通り、この話題はすぐに終わることになった。純がそのことに気付いたからだ。
 景一を見ることで他にも映る視界の中に、意識が持っていかれる人物が入ったのである。
 興と和也だ。正確にいえば興だけだが、彼らが歩いてくる。
 話していた興もこちらに気付いた。自分たちが座っているのは、食堂に入ってきた生徒がカウンターに向かう通り道にもなっているところで気付きやすくもあるのだ。
 二人がテーブル横まで来ると、自分たちは挨拶をした。彼らも返すが、通り過ぎ際、純は興と目が合った気がした。いや、間違いなく合った。瞬間、心臓がどきりと脈打つ。
 だけれど、一方の興は、視界に入っただけというようにそのまま通り過ぎていってしまう。
「ねえ、純」
 彼らが離れていき、様子を見るような面持ちをしていた良智が声をかけてきた。
「なに?」
「純って、興に気があるの?」
「え?」
 純は驚かされた。確かに心臓が跳ねたが、内面が表面にまでは表れていないはずだったからだ。
「なんでそう思ったんだ?」
 尋ねたのは景一だ。
「興を見た時、赤くなったから」
「そうなのか?」
「そうだったか?」
 純だけでなく景一も怪訝にした。同じ疑問を持ったということは、やはり、面には表れていなかったということだ。
「少しだけどね」
「そうなんだ」
 なんてことはなく言ってのけてしまう良智だが、純には驚かされることだ。
「よく見てるな」
 対しての景一は感心している。
 同じ前にいながら片方だけが気付いたのだ。もう片方が気付かないくらいの小さな変化を気づけてしまったのだから、同胞を求めている者の洞察力は凄いようである。
「普段、よく見てないくせして」
 感心した景一だったが、次に続いた台詞は少々きつめだった。
「ひど。俺だってちゃんと見てるっての」
「まあ、見てるけど、必要な時に見なくて、気にしなきゃいけない時に気にしてないこと多いように思えるけどな」
「そんなことないよ!」
 反論に言い返されたことにも否定する良智だが、景一の方に純は同意できた。にしても、恋人相手だというのに景一もよく言う。
「純も言ってやってよ!」
 良智が同意を求めてくるが、振ってくるなという思いの方が出た。純ならば、その思いに何かかしらの反応が出ていたところだろうが、困りが表れることもなく冷静で居続けていた。今の二人の会話を聞き、興を見た時に上がった熱がいっきに冷めたことと、トイレで暫く過ごしたことを話された仕返しをしたい気持ちが込み上がってきたからだ。
「……良智って、恋した時とかどうなるんだ?」
 数秒考えると、純はそんなことを聞いた。
「は?」
「目に見えて分かりやすくなったりすんの?」
「な、なに言ってんの?」
 怪しむというより動揺が見え始めた良智に構わず、しかしその訝しに純は答えた。
「経験者の話、聞いてみたいなって思って」
「けい……なに言ってんだよ! もう!」
 良智の顔が赤くなった。
「そんなに赤くなることじゃないだろ」
 いくらでも逃げようがある段階でそんな反応が表れるなんて。良智もだいぶ純情のようである。ただ、望み通り得ることができた同胞と恋愛話になったらどうするのか。これでは何も話せないだろうに。
 その時、アナウンスが流れた。朝食ができた呼び出しだ。番号が呼ばれ始める。
「あ! ご飯できたよ!」
 十人分くらいまとめて呼ばれた中に、三人でまとめられた自分たちの番号が入っていたらしく、それを聞きとがめた良智が勢いよく立ち上がった。
 仕返しの気持ちがあったとはいっても困らせるほど聞きだそうと思っていたわけではないので、早足で行ってしまう良智を呼び止めることはしない。むしろ、そんな良智には意外を抱いていた。
「効くんだ」
 良智の反応は、はっきりいって予想外の大きさだった。
「あんまやると、あいつでも慣れるからほどほどにな」
 そうアドバイスをしたのは当然、残っている景一だ。
「分かった」
 立ち上がりながらの景一に純も立ち上がりながら了承すると、二人も席を離れた。


                 □□□


「花瓶の大きさとか長さとか意外に揃ってないから、なるべく茎は長くとって切るようにするんだ。元から短いものは根元近くから切っちゃってかまわない」
 説明しながら、興は花の一つを見本として切ってみせた。
「切った花はバケツに入れとく」
 そして、傍らに置いていた、半分より少なめに水を入れたプラスチックのバケツに差し入れる。
「こんな感じだ」
 水平近くに立てた片膝に腕を乗せながら、興はバケツとは逆側にいた純を見上げた。
「まあ、簡単だから大丈夫だとは思うけど」
「ああ。これなら大丈夫だと思う」
 とりあえずは長く切ればいいだけだ。細細こまごました決まりもないし楽なものだろう。膝に手を突いて見ていた純は理解を示した。
 二人は畑にいた。
 今日は校舎に飾ってある花瓶の花の総入れ替えをするということで、新しく飾る花を二人で摘むことになったのだ。残りの者は花瓶の回収と、花を挿すまでの準備作業となっている。
「取る種類は全部。数は適当だけど、あんま偏らないようにな」
「分かった。全部でどのくらいの量とればいい?」
「持ってきたバケツ分だ」
「分かった」
 バケツは計四つある。今それぞれの脇にあるのと畑の横に置いている二つだ。
「じゃあ、向こうから頼む」
「ああ」
 向こうとは逆端のことだ。出された指示に頷くと、自分の分として脇に置いておいたバケツを掴んで純は移動し始めた。興もその場から作業に入る。
 次の日になっても、興に変わりが表れることはなかった。
 不安の一つとして持っていた興との距離も広がっていない。三日前の事がなかったかのような変わらなさである。
 その変化のなさに、興は本当になんとも思っていないのだと純は思い始めてもいた。
 いくら興でも、恋をすれば違いぐらい出るだろうからだ。だが、何一つない。声音にも、態度にも、これまでとの違いを見いだすことができない。
 そして、その変わりのなさに落胆するたびに、興も自分を好きだったらいいのにと未練がましく思ってしまう。
 そうすれば、今日も夢で見たことが現実になるのに。
 ――そう、夢で見たことと同じことを――
「…………」
 夢の中身が思い返された途端、純は羞恥が湧き上がってきた。
 初めて見た時は何処かも分からないベッドの上だったが、今日の夢は自分のベッドの上だった。
 最初の夢より現実感のある場所での行為であったことに何故か生々しさを感じ、鼓動まで早くなってきてしまう。それに合わせ、顔も熱くなっていく。
「純?」
 と、興の声が聞こえてきた。
 立ち止まっていた純は、その真っ赤になった顔のまま振り向いた。
 まさか、そんなことになっているとは思わなかっただろう。興は、虚を突かれたような顔になった。が、たった三秒ほどで呆れた眼差しに変わる。
「またなんか思い出したのかよ」
 興にとってはそうなってしまうことなのだろうが、純にはもう謝るしかないことだ。
「ごめん」
 その思いのまま、一言、純は謝った。


 花摘みを終え、温室前に戻るとワゴンが停まっていた。
 先程エンジン音が聞こえたが、このワゴンのものだったようだ。
 島山たちも戻ってきており、花瓶洗いをしている。兼田が洗剤を付けて洗い、島山がホースを使ってそれを流し落とし、佐々木がタオルで拭いている。
 こうして見ると花瓶の量は意外に多く、三十は超えているかもしれない。
 そのせいなのか、島山らは会話もなく黙々と作業をしている。しかし、不良という意識が常にあるからか、そんな彼らが真面目に洗い物をしている光景は見事なまでの違和感がある。
「佐々木」
 興は一人に声をかけた。
「そこの所にあるやつ」
 名を呼んだだけで理解できたらしい。佐々木は用件の一文字も出される前に答えてしまった。
「ん」
 しかも当たっているらしく、返事をした興は、示された場所に置いてある花瓶へと足を向けた。
 そこにバケツを置く。次の作業場所はそこのようだ。この頃には純の羞恥も収まり、顔からもすっかり赤みが引いていた。興の隣にいても大丈夫である。
「次は、花瓶に花を挿してくんだけど、さっきも言ったように花瓶の大きさが違うから、茎を調節しながら花瓶に合わせてくんだ」
「うん」
 返事をするものの、難しそうというのが本音だ。長さが一定だったならばまだやりやすいだろうが、花どころか花瓶のサイズすらみなバラバラだ。なぜ、難易度が高めのうえに面倒臭くなるようなことにしたのだろうか。というか、もうここで挿してしまうのか。
「なんでみんなばらばらなんだ?」
 純は聞いてみた。しかも、こうして見てみると、ガラスや陶器など、種類も様々ある。
「いらない花瓶を集めたからだよ。教師や生徒に言って、集まったらこういうことになった」
「あ、そうなんだ」
 これといって深い意味があったわけではなかったらしい。そりゃ、いろんなところから集まれば、いろんな花瓶が揃うはずだ。
「んじゃ、まず……あー……」
 作業に取りかかることにしたらしく、片膝を突いた興はバケツに手を伸ばすがそこで動きが止まった。花瓶に視線を移し、何かよろしくないものを見てしまった時のような、そんな声を出した。
「どうしたんだ?」
「初めっから分けて取っておけばよかった」
 花のことだろう。この段階になって、効率のいい方法というのが思い付いたらしかった。初めてというわけじゃないだろうが、慣れていない作業なのだろうか。
「まあ、いいや」
 でも、切り替えるのも早かった。
「純は初めてだし、茎の長さで分けちまうか。もう手っ取り早くやりたいけど、地面に置いたりすっと花好きの阿部が嫌がるから、この花瓶使って分けてくぞ」
 はやばやと決められた手順が説明される。言っている意味の半分は分かっていないが、地面に置かない方がいいというのは、なるべく花をいためないようにするためだろう。にしても、花好きの阿部だなんて、どんどん顧問の趣味が確定化していっているような気がする。
「入れてけば、だいたいの長さとそれに合う花瓶の長さとか分かってくるだろうから。入れ終わったら、茎の長さだとか調節して終わり。どうせだったら見栄え良くって言われてるけど、俺もまだ慣れてねえし、そこのところは気にしなくていいから」
 見栄えまで考えるなんて、そこまでこだわるなら、阿部がやった方がいいんではないだろうか。
「慣れてくれば同時にできてくるけど、一つ一つやってくからな」
「分かった」
 初心者向けに指示を出してくれるが、上手くできるか心配である。拭き終わった花瓶が随時増やされていっているし、どんどん難易度が上がっていっている気がする。
「あとはこれも頼むよ」
 そこへ、新たな声が入ってきた。
 顔を上げてみれば、顧問がすぐ近くにいた。自分たちが摘んだように、花が入っているバケツが置かれる。どこから取ってきたのだろうか。畑の花と種類が違う。
「分かりました」
 興は分かっているのか、質問もなく受け答えた。
「それじゃあ、よろしく」
 そう返すと、まるで、用事だけを済ませに来たとでもいうような早さで顧問は去っていった。教師としての仕事が残っているのだ。でも、生徒たちだけにしておくわけにはいかないということで、温室の中にはいるということである。
「この花は?」
 温室に入って行く顧問の後ろ姿から興を見ると、純は尋ねた。
「――温室に咲いてる花だな」
 興でも見ればすぐに分かるというわけではないらしい。仕分けに入っていた興は、二、三秒ほど観察してから答えた。
「温室のも使っていいんだ」
「そりゃあな」
 顧問の趣味によって作られたものだから、あくまでも個人用だと思っていたがそうでもなかったらしい。
「でも、気に入ってる花もあるから勝手にはいじらない方がいいぞ」
「勝手になんて初めからする気ないよ」
 顧問の趣味と聞いた時点で手を出す気はおきていない。
 言うと、純も作業を始めることにした。
 花を取り、長さが合いそうな花瓶に入れる。
 そうして何個かやったところでだった。
(――あ)
 純はあることに気付いた。取った花が全部、どれも先に花瓶に挿してあったのだ。ざっとだが見てみれば、全種類、一輪ずつは入っているようだった。興が入れたのは明白だ。目安として挿してくれたのだろうか。
 やりやすくはあるが、興の気配りはさりげない。
 そんな、なんてことのない思いは、なぜか興への意識をだんだん強くさせていくことになった。
 そして最後には、〝好きな人がすぐ隣にいる〟という意識へと繋がる。
 しかも、意識したら意識したで、次は緊張ときた。
 今は部活中だ。初めての作業ということもあり、なるべく意識しないようにと思うのだが、気にし始めたら止まらない。
 それでも作業を止めるわけにはいかないので手は止めずにいるが、妙な葛藤が生まれることにもなってしまっていた。
 興を見たい。だけど緊張のため見れない。でも、見たい。
 そんな相反する気持ちがせめぎ合うことになっていたのだ。
 せっかく落ち着いたというのに。いくら恋心ゆえでも、これでは振り回されていた時と同じではないか。
 だが、事はその感情だけでは終わらなかった。
 止めずにいた手をバケツに伸ばした時、ちょうどタイミングが同じだったらしい興の手とぶつかったのだ。気付けば花の数も減っており、取る範囲も狭くなっている。
「あ」
「……っ」
 しかし、その接触が、好きな相手を意識していた純には刺激が強かった。
 興が声を漏らしたのに反し、純は熱せられた物に触れた時のような反射で手を引っ込めている。
「…………」
「あっ、いやっ……これは、そのっ……」
 興が見てきたことで焦りまで出てきてしまう。こんな反応、絶対怪しまれただろうし、嫌がられたと思ったに違いない。
「顔、赤いぞ」
 けれど、一瞬にして沸き上がった不安に対し、興はいたって平静だった。
「へ?」
「今度はなんだ。さっきと同じ理由か?」
 興は呆れを通り超したような感応をしていた。畑で赤面した理由は言っていないが、同じ反応が出たことに、類似したことでも思い出したと思ったのだろう。
「え……あ……」
 けれども、その先程のことを思い出させることを言われたことで、純は夢の内容まで思い出すことになってしまった。
 そんなことを思い出せば、当然、純の熱も上昇するというもの。
 顔がさらに紅潮する。
「まあ、夢ぐらいいいけどさ」
 興は懐の大きさをみせてくれた。口調そのものも、どうでもよさげなものだ。またしても性的な夢に登場させた純としてはありがたい言葉である。
「でも、ほんと、純情だな。二度も見てそんな反応すんなんて」
「だって……!」
 自分が抱く夢だ。しかも、想いを寄せている興が相手。これが欲求だと思うと、もう恥ずかしさが渦巻いてしまう。
 が、そんな感情が満ちていても、なんだかんだと興が無反応であることにも気づけており、意見が出てきてもいた。
「っていうか、興こそ恥ずかしがったらどうだよ。そんな夢に出させられてるんだぞ」
 そのことに、興ももっと何か思ってもいいのではないか。
「お前の夢の中の俺なんて知るわけないのに、どう恥ずかしがれってんだよ」
 だけど、前回同様、興は全く意に介していなかった。
「それはそうだけど……」
 同意するが、決して興の言い分が正しいと認めたわけではない。「夢の中の俺なんて知るわけない」というところだけを同意したのだ。
「それに、夢ぐらいいいって言ったろ」
「…………」
 確かに言っていたが、照れや恥ずかしさなど、興には純な部分はないのだろうか。口には出さないがつい思ってしまう。
「ほら、続きやるぞ」
 気にしていないのだから、純の私見も気に留めていないこと。大した事でもなかったとでもいうように興は作業へと戻ってしまう。
「…………」
 けど、純は戻れなかった。思い出された夢による羞恥が大半を占めていたからだ。このままでは集中できやしない。
 三度目ということで純もそれなりに耐性はできたつもりだったが、恋を自覚したうえでの夢もまた、相当な影響がくるようだった。夢の追い出しを優先しなくては、前回の二の舞にすらなりかねない。
 しかしながら、
「駄目だ。全然離れない」
 こびり付いてしまったかのように、思い出された夢がリピートしてしまっていた。さらには、興の喘ぎまでもが甦りそうになる。無論、それでは良くないのでなんとかしなければならない。
 が、意外にも、その方法は外部からやってきた。
「なんとかして冷まさないと」
 そう呟いた直後、勢いよく水がかかったのだ。しかも顔面に。
「…………」
 おかげで、首から上がずぶ濡れになってしまった。
 興にとってもいきなりだったようで、驚いて純を見ている。
 それから、自分たちの正面へ視線を移す。それに続いて純も見てみれば、ホースを片手に持った島山が花瓶の向こうにいた。ホースからは水が出たままになっており、犯人は明白だ。加え、ホースの先を持っていることと今の勢いのよさから、先を潰してかけてきただろうことが窺える。兼田は黙ったままではあるが、何やってんだとでも言いたげな雰囲気が出ている。近くにいる佐々木は見ていなかったらしく、何事が起きたのかいまいち分かっていない顔をしていた。
「島山……何すんだよ」
「冷ましたいんだろ? だからかけてやったんだよ。冷めたか?」
 文句を放つと、島山もどこか不愉快げに言い返してきた。
「…………おかげさまで。驚きと冷たさで冷めたよ」
 感謝などしたくないが、見事に冷ますことができた。いや、吹っ飛んだというべきか。水が当たった瞬間、その衝撃で全ての感情が吹っ飛んでいった。それはもう、何を抱いていたか忘れてしまうほどに。
「そりゃ良かった」
 島山も笑みを浮かべるが、してやったりというか、嫌いな相手にやってやったという顔をされては、社交辞令でも礼を述べる気にはなれない。そもそも、水をかけてきた根底には嫌がらせがあるはずだ。だけれど、島山には関係ないことだ。ここで嫌がらせを受ける意味が分からない。いや、嫌がらせだから行う時は関係ないのか。
「…………」
 言い返す気力もなく、純は前髪を掻き上げた。濡れた髪が落ちてこられても邪魔なだけなので、そのまま頭に撫でつける。
「…………」
「ん?」
 と、興が見ていることに気付いた。なんだかぽかんとしているようにも見えるのは気のせいだろうか。
「なに?」
「あ、いや。水も滴るいい男って感じでいいんじゃないか?」
「へ?」
 一瞬、何を言われたのか分かりかねた。ものの、褒められたのだと気付くのもそう時間はかからなかった。
 冷めた熱が、再び頬を赤に染めていく。
 興の方も、自分で言って恥ずかしくなったらしく、薄紅色に頬を染めて目を逸らした。
 対し、舌打ちをしたのは島山である。
 せっかくの褒め言葉だというのに、高揚した気分が不快に下がってしまうではないか。
「なんだよ」
「別に」
 むっとして問いかけると、島山も島山で気に食わなさそうにすると、居たくもないという感じで去って行ってしまう。
「たくっ、なんなんだよもう」
 だが、気分を下げられた純にとっても島山の態度は気に食わないこと。思わず愚痴が出てしまう。
 そんな傍らで、興がうっすらと頬を染めたままになっていた。
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