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青嵐
五 元治元年十二月
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「近藤さんも山南さんもお留守のときに来てしまって、申し訳ありません」
屯所を訪れた会津藩士の秋月登之助は、そう言うと、きりりと精悍な眉を少し下げる。
秋月は沖田や斎藤よりも歳下だが、藩主である松平容保と共に京へと上り、今はその護衛を務めているだけのことはあり、会津武士の豪胆さと誠実さを備えた青年だった。同じ年頃の剣客が集まる新選組に親しみを抱いているらしく、こうしてふらりと屯所を訪ねてきては、隊士たちと手合わせをしたり、近藤や山南と話をしていったりすることもあり、土方も彼には好感を抱いている。
「聞けば、近藤さんは本日、我ら会津のために金策へ行っているとか。そんなときに会津藩士である私が何食わぬ顔でこちらを訪れるなど、本来、あってはならないことかと思いますが……」
「いえ、構いません。それに金策は、我々が勝手にやっていることになっていますから」
財政支援を停止された会津のため、近藤はここのところ頻繁に大坂へと赴き、商家から金を借りている。しかしそれは会津の指示ではなく、新選組の独断という形をとっていた。例え訴えがあったとしても、新選組が勝手なことをしているだけだと会津は言い訳をすることができるからだ。
「……新選組の忠節、我らが本当に感謝をしているということは、覚えておいてください。殿も、同じ思いでおられます」
「会津候と皆様が、それをわかってくださるだけで十分です。近藤にも伝えておきましょう」
土方がそう言うと、秋月は小さく頭を下げた。
「それにしても幕府のこのような仕打ちも……藩の内部の反発も、いつまで続くのでしょう」
「藩の内部、とは」
「……蛤御門の件、長州が朝廷に対して求めていたのが、会津との戦いだったことは知っていますよね。あれをとりあげて、多くの藩はあの件を、長州と会津の戦だったと考えているようなのです。そういう者たちには、公武合体を我々が進めようとしているのも、会津が私戦のために幕府を動かそうとしているように見えていると……このままでは会津は孤立しかねない、もう将軍上洛の申し出をするのはやめよという手紙が国元や江戸の藩邸から山ほど届いていまして」
秋月が溜息を零す。
「しかし、ここで公武合体の推進をやめれば、帝から会津への信頼が揺らぐかもしれません」
「土方さんのおっしゃる通りです。帝が幕府への期待をなくされてしまえば、それこそ我らが京を押さえておくことなど不可能ということが、国元や江戸にいる者たちにはわかっていないようでして」
微妙なすれ違いが、破滅につながるのではないかといった山南の言葉が、土方の脳裏を掠める。
「……せめて国元にも江戸にも、会津候のお言葉が届けば、また違うのでしょうが」
「殿の言葉、ですか」
「意見の違いをまとめる方法は色々とありますが、手っ取り早いのは力を持つ者が、有無を言わさずにまとめることかと思います。村の決まりよりも藩の決まりの方が強いのと同じです。どれだけ意見が割れようと、会津候が選ばれた道が正道から逸れていなければ、皆さまそれについて行かれるかと」
松平容保は春ごろから体調を崩しており、蛤御門のときも御所で伏せっていた。代わって京都守護職を拝命するにあたって新設した会津藩公用方という職に就く者たちが、今は京都守護職の一切を取り仕切っている。江戸や国元が反発しているというのも、京都の動きが会津候の心に沿っているかわからず、公用方の勝手で進んでいるように見えているからだろうと土方は踏んでいた。
「公武合体も、似たようなものです。有力な諸藩がなんと言おうと、一番力を持つ朝廷と幕府が組んでしまえば、みな自然と従うことになる。そうすればこの国は、一丸となって諸外国と向き合えます」
喋りすぎたかと一瞬考えたが、秋月は得心したようにうんうんと頷いている。
「……会津候のお加減はいかがですか」
「少しずつ快方に向かっています。ただ、この騒ぎでまた御心痛が増えてしまっては、治るものも治らなくなりそうで、本当に国元も江戸も何を考えているのか……っと、これは失礼しました。つい、愚痴めいたことを」
「いえ、秋月様の会津候を想うお気持ちを感じました」
「……それにしても」
こほん、と秋月がわざとらしく咳払いをした。
「近藤さんも山南さんもですが、土方さんも、よく情勢が見えていらっしゃる。どこでそのように学ばれたのですか」
「……山南は違いますが、近藤と私は、元は多摩の百姓の出です。実家は裕福で、私には兄と姉が五人もいますが、生活は苦しくありませんでした」
「そうなのですか」
「はい。実家には金があり、私は末っ子故に時間もありました。だから、この国がどう動いているのかを学び、見て、考えることがいくらでもできたのです。私になかったのは、身分と機会だけでした」
土方は努めて穏やかに話す。
「それでも私は幸運でした。我々のような身分の者を使ってでも、様々なことを解決していこうと考える方が増えて、機会を得ることができました。そして、今はこうして秋月様のような方とお話をしております」
「それが、新選組が身分を問わずに隊士を受け入れている理由ですか」
「はい。我らと考えを同じくしながらも、身分と機会によってその志を押し殺している者たちを、この国のために活かしていきたいのです」
「……みなさまを会津が預かるとなったとき、素性の知れぬ者たちを抱えることに藩の中では色々な意見が出ましたが、このような方々とわかったからこそ、殿は皆さまと手を携えていきたいと思われたのですね……改めて、会津と手を携えてくださること、大変心強く思います」
秋月はそう言って、目を輝かせた。
半刻ほど秋月と話をして、彼が満足気に帰っていくのを見送ってから、土方は八木邸の自室へと戻った。
大坂での金策に加わらない代わりに、土方はここのところ、新しい隊の編成を考えている。
秋月が来たことで中断することになった本来の作業に戻って、四半刻ほどしたところで、山崎が訪ねてきた。
「土方先生、少しよろしいでしょうか」
「何かあったか」
「失礼いたします」
山崎が部屋へ入ってくる。
「あまり大きな動きがあったわけではないのですが、ご報告を」
「聞こう」
編成を書いた帳面はそのままにして、土方は山崎へと身体を向けた。
「永倉さんは静かに自室で謹慎なさっていますが、やはり葛山の切腹の件は不満に思っているようです」
京に戻ってきた永倉は今、隊務には加わらず、土方が決めた通りに謹慎している。
「局長への不満というよりも、土方先生への不満という形ですが」
「それならいい」
永倉に葛山の処罰の件の理解を求めるのが難しいのは、土方もわかっていた。組織と人情を天秤にかけたとき、組織を選ぶ人間は、そうはいない。近藤でさえも、葛山の切腹を報告したときには、土方に思わず批難の眼を向けたほどだった。
「それから、町の様子ですが」
山崎が淡々と続ける。
「どうだ」
「相変わらずですね。先日の蛤御門の件で亡くなった長州藩士たちを悼んで、彼らの墓に詣でるのが流行りになっているようです」
「……世も末だな」
「残念さん、などと呼ばれています。長州の方が亡くなったのが、残念だと」
長州藩が京で人気の理由は、昨年、下関で異国と実際に戦をしたというのが大きい。攘夷と口では言っても、どの藩もそれを実行はしていないが、長州はそれを行った、真の武士であるというのが京の民草の考えだった。
「それから、山南先生ですが……ご存知かと思いますが、ここ最近はずっと伊東先生のところに入り浸りです。ときおり町中でお見かけすることもありますが、伊東先生の門人の方とご一緒のことが多く、伊東先生からも門人の方々からも信頼を得ていらっしゃるようです」
「尾形からは何か聞いているか」
「いえ、山南先生は伊東先生たちと共にいるときには俊さんを遠ざけていらっしゃるようで、俊さんも何も知らないようです。土方先生のところに、山南先生からお話はないのですか」
「ないな」
山南が、伊東が自身の代わりになれるかを探り始めてからもうすぐ二月が経つ。
山南はここのところずっと、目に見えて精力的だった。会議にもほとんど顔を出し、部屋の外へ出て隊士たちが剣術の稽古に励む様子を眺めて、助言することもある。食事を自分の部屋でとっていることと、毎夜のように伊東の居室を訪れていることを除けば、昔の山南が戻ってきたといってもいい。
今日も、山南は伊東たちと共に出かけていた。
「……失礼ながら、山南先生はその……伊東先生たちに取り込まれているように見えます」
「それは、伊東たちが怪しい動きをしているということか」
眉をひそめて土方は尋ねる。
「いえ、そんなことは全くありません。ただなんというか、伊東先生たちと一緒におられるときの山南先生は……危ういように見えるのです」
「どういうことだ」
「なんとも言えません。ただ……何か、迷われているように見えるのです。あの山南先生が」
「……わかった。俺が、一度話をしてみよう」
よろしくお願いします、と山崎は礼儀正しく一礼すると、部屋を出て行った。
土方が山南の部屋を訪れられたのは、山崎と話をした数日後の夜半過ぎだった。山南は夜更けまで伊東たちの部屋にいるか、出かけてばかりいて、捕まらなかったのだ。
「なんの用だ」
振り向きもせず、ただ静かに座って、書に目を通している山南には、いつもと違った様子はなかった。
「たまには話をと思って来ただけだ。相変わらず、宵っ張りのようだな」
山南からの返事はないが、土方は気にせずに畳へ腰を下ろす。
「……征長の総督にはやはり、一橋候を立てるべきだったと思わないか」
蛤御門の件の後、朝廷は御所に向かって弓を引いた長州に対して処分を下すよう、幕府へ申し入れを行っている。
一橋慶喜や京にいる会津、桑名が目指した最上の筋書きはもちろん、将軍である徳川家茂が自ら軍を率いて、長州を処断することだった。それが難しいならば、せめて一橋慶喜がその役目を担うことが、次善の策だ。
しかし幕府の決定はそのいずれでもなかった。
征長軍は大坂へ集められているが、その指揮をとる総督に任じられたのは、先の尾張藩主、徳川慶勝である。彼は松平容保や松平定敬の異母兄ではあるが公武合体を目指しているわけではなく、むしろ江戸の幕閣や諸藩の意向を汲み、会津も桑名も朝廷に寄り添いすぎていると考えている人物だ。薩摩を初めとした有力藩に声をかけ、幕府と諸藩の合議で長州を処分するという方法をとろうとしているようだった。
その先に、公武合体がないのは明白だ。
「……」
「山南、どうした」
土方が山南の顔を覗き込もうとしたところで、ようやく彼は書を閉じて土方を見た。
「土方、帰ってくれ」
「……何があったのか、お前が話せば帰ろう」
迷い、と表現した山崎の言葉が脳裏をよぎる。
「伊東さんと話して、色々な考えに触れていると、考えることがある。公武合体は、本当に最上の道なのかと」
「伊東がそう言ったか」
「違う。ただ、彼と一緒にいて、色々と話をしているうちにそう思ったというだけだ」
「攘夷にしろ開国にしろ、諸外国と渡り合うならば国力を保ったままにすべきだ。そのために、最も力を持つ朝廷と幕府を結びつかせる。俺も近藤さんも、お前も同じように考えた。だからここまで来たんだろう。お前はその考えを、頭から否定する気か」
山南の視線が畳へと落ちていく。
「私の心の底にあるのは、いつだって尊皇攘夷だ。帝の考えだと思えばこそ、公武合体を進めるべきとは思う。しかし、それは本当に帝のためになるのか」
「……何を言っている」
「少なくとも、帝の意を汲む会津をあれだけ押さえつけてくる幕府と組むことが、本当に帝の御為になるとは、私は思えない」
会津への仕打ちを思い出して、土方は溜息を零した。
「お前の言いたいことは、わからんでもない。しかしそれをなんとかするのが、俺たちのすべきことだろう。一橋候も会津候も、尽力されている」
「その尽力が叶うと思うのか」
悲観的なことを口にする山南に、沸々と怒りが沸いてくる。しかしその怒りを、土方はぐっと腹の中へ押し込めた。
「……お前には、幕閣がどう考えるかが見えていただろう。それも、会津を押さえつける前からだ。今のような状況になるかもしれないことも、お前には見えていたはずだ。その上でどうするかを、俺たちは考えてきた。これからも、ともにそれを考えていけばいい」
土方の言葉を、山南が笑った。柔らかな笑みではない。嘲笑うように冷たく、乾いた笑いだった。
「もういい。お前が欲しいのは、私の意見ではなく、お前に賛同する私だということはわかった。私が少し意見を違えただけで、まるで間違いでも犯しているかのように言ってくれる」
「山南……」
「だから、お前にはこれ以上、何も話さない。新選組の考えに反している、それを広めていると言われて、腹を切らされるのは御免だ。私はそんな愚は犯さない」
冷たく拒絶するような山南の言葉に、思わず土方は拳を握りしめる。
葛山を切腹させた日の山南の静かな優しさが、彼自身の手で切り捨てられたようにさえ思えた。何が山南をこう言わせているのかもわからない。
「……本気で言っているのか」
微かに震える声で、土方は確かめる。
「帰れ、土方。もうお前と話すことは何もない」
「見損なったぞ、山南」
吐き捨てるような土方の言葉に、山南からの返事はなかった。
屯所を訪れた会津藩士の秋月登之助は、そう言うと、きりりと精悍な眉を少し下げる。
秋月は沖田や斎藤よりも歳下だが、藩主である松平容保と共に京へと上り、今はその護衛を務めているだけのことはあり、会津武士の豪胆さと誠実さを備えた青年だった。同じ年頃の剣客が集まる新選組に親しみを抱いているらしく、こうしてふらりと屯所を訪ねてきては、隊士たちと手合わせをしたり、近藤や山南と話をしていったりすることもあり、土方も彼には好感を抱いている。
「聞けば、近藤さんは本日、我ら会津のために金策へ行っているとか。そんなときに会津藩士である私が何食わぬ顔でこちらを訪れるなど、本来、あってはならないことかと思いますが……」
「いえ、構いません。それに金策は、我々が勝手にやっていることになっていますから」
財政支援を停止された会津のため、近藤はここのところ頻繁に大坂へと赴き、商家から金を借りている。しかしそれは会津の指示ではなく、新選組の独断という形をとっていた。例え訴えがあったとしても、新選組が勝手なことをしているだけだと会津は言い訳をすることができるからだ。
「……新選組の忠節、我らが本当に感謝をしているということは、覚えておいてください。殿も、同じ思いでおられます」
「会津候と皆様が、それをわかってくださるだけで十分です。近藤にも伝えておきましょう」
土方がそう言うと、秋月は小さく頭を下げた。
「それにしても幕府のこのような仕打ちも……藩の内部の反発も、いつまで続くのでしょう」
「藩の内部、とは」
「……蛤御門の件、長州が朝廷に対して求めていたのが、会津との戦いだったことは知っていますよね。あれをとりあげて、多くの藩はあの件を、長州と会津の戦だったと考えているようなのです。そういう者たちには、公武合体を我々が進めようとしているのも、会津が私戦のために幕府を動かそうとしているように見えていると……このままでは会津は孤立しかねない、もう将軍上洛の申し出をするのはやめよという手紙が国元や江戸の藩邸から山ほど届いていまして」
秋月が溜息を零す。
「しかし、ここで公武合体の推進をやめれば、帝から会津への信頼が揺らぐかもしれません」
「土方さんのおっしゃる通りです。帝が幕府への期待をなくされてしまえば、それこそ我らが京を押さえておくことなど不可能ということが、国元や江戸にいる者たちにはわかっていないようでして」
微妙なすれ違いが、破滅につながるのではないかといった山南の言葉が、土方の脳裏を掠める。
「……せめて国元にも江戸にも、会津候のお言葉が届けば、また違うのでしょうが」
「殿の言葉、ですか」
「意見の違いをまとめる方法は色々とありますが、手っ取り早いのは力を持つ者が、有無を言わさずにまとめることかと思います。村の決まりよりも藩の決まりの方が強いのと同じです。どれだけ意見が割れようと、会津候が選ばれた道が正道から逸れていなければ、皆さまそれについて行かれるかと」
松平容保は春ごろから体調を崩しており、蛤御門のときも御所で伏せっていた。代わって京都守護職を拝命するにあたって新設した会津藩公用方という職に就く者たちが、今は京都守護職の一切を取り仕切っている。江戸や国元が反発しているというのも、京都の動きが会津候の心に沿っているかわからず、公用方の勝手で進んでいるように見えているからだろうと土方は踏んでいた。
「公武合体も、似たようなものです。有力な諸藩がなんと言おうと、一番力を持つ朝廷と幕府が組んでしまえば、みな自然と従うことになる。そうすればこの国は、一丸となって諸外国と向き合えます」
喋りすぎたかと一瞬考えたが、秋月は得心したようにうんうんと頷いている。
「……会津候のお加減はいかがですか」
「少しずつ快方に向かっています。ただ、この騒ぎでまた御心痛が増えてしまっては、治るものも治らなくなりそうで、本当に国元も江戸も何を考えているのか……っと、これは失礼しました。つい、愚痴めいたことを」
「いえ、秋月様の会津候を想うお気持ちを感じました」
「……それにしても」
こほん、と秋月がわざとらしく咳払いをした。
「近藤さんも山南さんもですが、土方さんも、よく情勢が見えていらっしゃる。どこでそのように学ばれたのですか」
「……山南は違いますが、近藤と私は、元は多摩の百姓の出です。実家は裕福で、私には兄と姉が五人もいますが、生活は苦しくありませんでした」
「そうなのですか」
「はい。実家には金があり、私は末っ子故に時間もありました。だから、この国がどう動いているのかを学び、見て、考えることがいくらでもできたのです。私になかったのは、身分と機会だけでした」
土方は努めて穏やかに話す。
「それでも私は幸運でした。我々のような身分の者を使ってでも、様々なことを解決していこうと考える方が増えて、機会を得ることができました。そして、今はこうして秋月様のような方とお話をしております」
「それが、新選組が身分を問わずに隊士を受け入れている理由ですか」
「はい。我らと考えを同じくしながらも、身分と機会によってその志を押し殺している者たちを、この国のために活かしていきたいのです」
「……みなさまを会津が預かるとなったとき、素性の知れぬ者たちを抱えることに藩の中では色々な意見が出ましたが、このような方々とわかったからこそ、殿は皆さまと手を携えていきたいと思われたのですね……改めて、会津と手を携えてくださること、大変心強く思います」
秋月はそう言って、目を輝かせた。
半刻ほど秋月と話をして、彼が満足気に帰っていくのを見送ってから、土方は八木邸の自室へと戻った。
大坂での金策に加わらない代わりに、土方はここのところ、新しい隊の編成を考えている。
秋月が来たことで中断することになった本来の作業に戻って、四半刻ほどしたところで、山崎が訪ねてきた。
「土方先生、少しよろしいでしょうか」
「何かあったか」
「失礼いたします」
山崎が部屋へ入ってくる。
「あまり大きな動きがあったわけではないのですが、ご報告を」
「聞こう」
編成を書いた帳面はそのままにして、土方は山崎へと身体を向けた。
「永倉さんは静かに自室で謹慎なさっていますが、やはり葛山の切腹の件は不満に思っているようです」
京に戻ってきた永倉は今、隊務には加わらず、土方が決めた通りに謹慎している。
「局長への不満というよりも、土方先生への不満という形ですが」
「それならいい」
永倉に葛山の処罰の件の理解を求めるのが難しいのは、土方もわかっていた。組織と人情を天秤にかけたとき、組織を選ぶ人間は、そうはいない。近藤でさえも、葛山の切腹を報告したときには、土方に思わず批難の眼を向けたほどだった。
「それから、町の様子ですが」
山崎が淡々と続ける。
「どうだ」
「相変わらずですね。先日の蛤御門の件で亡くなった長州藩士たちを悼んで、彼らの墓に詣でるのが流行りになっているようです」
「……世も末だな」
「残念さん、などと呼ばれています。長州の方が亡くなったのが、残念だと」
長州藩が京で人気の理由は、昨年、下関で異国と実際に戦をしたというのが大きい。攘夷と口では言っても、どの藩もそれを実行はしていないが、長州はそれを行った、真の武士であるというのが京の民草の考えだった。
「それから、山南先生ですが……ご存知かと思いますが、ここ最近はずっと伊東先生のところに入り浸りです。ときおり町中でお見かけすることもありますが、伊東先生の門人の方とご一緒のことが多く、伊東先生からも門人の方々からも信頼を得ていらっしゃるようです」
「尾形からは何か聞いているか」
「いえ、山南先生は伊東先生たちと共にいるときには俊さんを遠ざけていらっしゃるようで、俊さんも何も知らないようです。土方先生のところに、山南先生からお話はないのですか」
「ないな」
山南が、伊東が自身の代わりになれるかを探り始めてからもうすぐ二月が経つ。
山南はここのところずっと、目に見えて精力的だった。会議にもほとんど顔を出し、部屋の外へ出て隊士たちが剣術の稽古に励む様子を眺めて、助言することもある。食事を自分の部屋でとっていることと、毎夜のように伊東の居室を訪れていることを除けば、昔の山南が戻ってきたといってもいい。
今日も、山南は伊東たちと共に出かけていた。
「……失礼ながら、山南先生はその……伊東先生たちに取り込まれているように見えます」
「それは、伊東たちが怪しい動きをしているということか」
眉をひそめて土方は尋ねる。
「いえ、そんなことは全くありません。ただなんというか、伊東先生たちと一緒におられるときの山南先生は……危ういように見えるのです」
「どういうことだ」
「なんとも言えません。ただ……何か、迷われているように見えるのです。あの山南先生が」
「……わかった。俺が、一度話をしてみよう」
よろしくお願いします、と山崎は礼儀正しく一礼すると、部屋を出て行った。
土方が山南の部屋を訪れられたのは、山崎と話をした数日後の夜半過ぎだった。山南は夜更けまで伊東たちの部屋にいるか、出かけてばかりいて、捕まらなかったのだ。
「なんの用だ」
振り向きもせず、ただ静かに座って、書に目を通している山南には、いつもと違った様子はなかった。
「たまには話をと思って来ただけだ。相変わらず、宵っ張りのようだな」
山南からの返事はないが、土方は気にせずに畳へ腰を下ろす。
「……征長の総督にはやはり、一橋候を立てるべきだったと思わないか」
蛤御門の件の後、朝廷は御所に向かって弓を引いた長州に対して処分を下すよう、幕府へ申し入れを行っている。
一橋慶喜や京にいる会津、桑名が目指した最上の筋書きはもちろん、将軍である徳川家茂が自ら軍を率いて、長州を処断することだった。それが難しいならば、せめて一橋慶喜がその役目を担うことが、次善の策だ。
しかし幕府の決定はそのいずれでもなかった。
征長軍は大坂へ集められているが、その指揮をとる総督に任じられたのは、先の尾張藩主、徳川慶勝である。彼は松平容保や松平定敬の異母兄ではあるが公武合体を目指しているわけではなく、むしろ江戸の幕閣や諸藩の意向を汲み、会津も桑名も朝廷に寄り添いすぎていると考えている人物だ。薩摩を初めとした有力藩に声をかけ、幕府と諸藩の合議で長州を処分するという方法をとろうとしているようだった。
その先に、公武合体がないのは明白だ。
「……」
「山南、どうした」
土方が山南の顔を覗き込もうとしたところで、ようやく彼は書を閉じて土方を見た。
「土方、帰ってくれ」
「……何があったのか、お前が話せば帰ろう」
迷い、と表現した山崎の言葉が脳裏をよぎる。
「伊東さんと話して、色々な考えに触れていると、考えることがある。公武合体は、本当に最上の道なのかと」
「伊東がそう言ったか」
「違う。ただ、彼と一緒にいて、色々と話をしているうちにそう思ったというだけだ」
「攘夷にしろ開国にしろ、諸外国と渡り合うならば国力を保ったままにすべきだ。そのために、最も力を持つ朝廷と幕府を結びつかせる。俺も近藤さんも、お前も同じように考えた。だからここまで来たんだろう。お前はその考えを、頭から否定する気か」
山南の視線が畳へと落ちていく。
「私の心の底にあるのは、いつだって尊皇攘夷だ。帝の考えだと思えばこそ、公武合体を進めるべきとは思う。しかし、それは本当に帝のためになるのか」
「……何を言っている」
「少なくとも、帝の意を汲む会津をあれだけ押さえつけてくる幕府と組むことが、本当に帝の御為になるとは、私は思えない」
会津への仕打ちを思い出して、土方は溜息を零した。
「お前の言いたいことは、わからんでもない。しかしそれをなんとかするのが、俺たちのすべきことだろう。一橋候も会津候も、尽力されている」
「その尽力が叶うと思うのか」
悲観的なことを口にする山南に、沸々と怒りが沸いてくる。しかしその怒りを、土方はぐっと腹の中へ押し込めた。
「……お前には、幕閣がどう考えるかが見えていただろう。それも、会津を押さえつける前からだ。今のような状況になるかもしれないことも、お前には見えていたはずだ。その上でどうするかを、俺たちは考えてきた。これからも、ともにそれを考えていけばいい」
土方の言葉を、山南が笑った。柔らかな笑みではない。嘲笑うように冷たく、乾いた笑いだった。
「もういい。お前が欲しいのは、私の意見ではなく、お前に賛同する私だということはわかった。私が少し意見を違えただけで、まるで間違いでも犯しているかのように言ってくれる」
「山南……」
「だから、お前にはこれ以上、何も話さない。新選組の考えに反している、それを広めていると言われて、腹を切らされるのは御免だ。私はそんな愚は犯さない」
冷たく拒絶するような山南の言葉に、思わず土方は拳を握りしめる。
葛山を切腹させた日の山南の静かな優しさが、彼自身の手で切り捨てられたようにさえ思えた。何が山南をこう言わせているのかもわからない。
「……本気で言っているのか」
微かに震える声で、土方は確かめる。
「帰れ、土方。もうお前と話すことは何もない」
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歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
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