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38. お互いの苦悩
シェリルは寮の部屋について、ヘタりと座り込んだ。
こんな状態でこの部屋に返ってくるのはこれで二度目。
一度目はこの国の侯爵であるエヴァン様という方に、初めての舞踏会演習の後腰が抜けてしまったのを抱えてここまで送り届けて貰った。
それに対してまだお礼すらしていないのもとても気にかかっているのだけれど······
今回はこう、もっと······違う。
自分で歩いて帰ってこれたとはいえ、ヒュー様に多大な迷惑をかけてしまったという事実にシェリルは顔を両手で抑えた。
幻滅、されただろうか······?
いや、幻滅されたに違いない。
だって記憶が正しければ、彼に向かって”もっとキスしたい······”なんてせがんでしまったのだから······。
けれど、最悪な事に記憶が曖昧だった。
灯籠を空に放ったあと、彼と初めて口づけを交わして、彼に抱きしめられた。
それで、彼のとっても温かいぬくもりに埋もれてしまいたくなって、自分も彼を抱きしめて······。
それから啄むようなキスを交わし······脳が溶けてしまいそうになって、気付いたらはしたなく彼にオネダリをしながら、脚がガクガクと震えて崩れ落ちたのだっけ······。
そんな目も当てられない状態をヒューに助けてもらい、寮の近くまで送り届けて貰ったのだ。
「ああ、本当に······はしたないです。確実に幻滅されたに違いありません······」
でも······。
「でも······どうなっていたのでしょうか······?」
もし、あのままキスを続けていたら?
あの温かいぬくもりに包まれながら、奥底まで沈んで行ってしまうのだろうか?
その奥底には、自分の知らない何があるのだろう?
「怖い······。怖いけど······知りたい気もする······」
ヒュー様となら、知りたい。
彼に全てを委ねてその先に連れて行ってもらいたい。
それが、学園で教わった貞操概念に触れる行為だとしても······あの脳すらも溶けてしまいそうな感覚を味わいたい······っ。
シェリルは上気した顔を両手で覆った。
「わたし······おかしく······なって、しまった······のでしょうか?」
あの、身体の内側から沸騰するような感覚を忘れられない。
ほんの少しの唇のふれあいも敏感に感じ取って、全身の細胞が喜ぶようで。
「っはぁ······」
思い出すだけで、身体が熱せられて、シェリルはその熱の逃がし方さえも分からず、両腕を組むと皮膚に爪を突き立て、食い込ませた。
「ッああ······、ん!」
自分の爪が肌に食い込んで血が滲み出る。ゾクゾクと肌が粟立ち、シェリルは荒い呼吸を繰り返した。
けれど、すぐに先程のヒューの顔が思い出され、シェリルは自己嫌悪に陥る。
「ヒューさま······、好きって······言ってくださったのに······!なのに、私ったら、こんな!」
彼は気持ちを伝えてくれたのに、自分は好きか分からないなんて、言った挙句、キスを強請るなんて!こんな私のようなキモチワルイ人間に彼に好いて頂く事自体がおこがましいのに!!
「最低ですね······でも、きっと、この感情が······」
シェリルは両手を広げて先程までぬくもりのあった手を見つめる。そして握りしめた。
「好き······という感情······なのかもしれません」
でも、分からない。
自分が、この世界で恋愛をしてもいいのか。
自分は友人の為に友人の世界に存在しているだけなのに、踏み台の自分が、彼と恋愛をしていいのか分からない······。
「もし、彼が······」
そこまで口に出したシェリルは、その後に続く言葉を飲み込んだ。
「憶測で考えるのはやめましょう。私の悪い癖ですね······」
◆
シェリルを寮の前まで送り届けたヒューベルは、シェリルが安全に校門をくぐった事を確認した後、壁に凭れ掛かるようにしゃがみ込んだ。
「っ······あれ、は······」
「アルジッ!······大丈夫?」
リルが直ぐに目の前に近寄り、身体を擦り付ける。
身体の火照りが引いていくのを感じて、ヒューベルはリルを撫でた。
「助かった、リル······ありがとう······」
「······なんか、そんな素直に言われると気持ち悪いんだけど······でもとりあえず、転移しておこうよ、あのオッサンの店でいい?」
ヒューベルがコクリと頷いて、二人は魔法の光に包まれた。
リルと契約しているヒューベルは以前行った事のある場所であれば転移が可能だ。
けれど、それは自室と執務室、彼専用の庭園を除く。
その三つには結界が張り巡らされていて、ヒューベルにも簡単に転移できないようになっていた。
そこに転移できるのは実質二箇所のみ。
一つはリルを抱えた状態で転移陣に乗る事で発動する仕掛けが組み込まれた学園内の庭園。
そしてもう一つが、この路地裏にある店だ。
「おお、お帰り。って······大丈夫か?!」
「ライザル······」
「何があった、誰だ?!誰にやられた?!!」
彼は直ぐにヒューベルの傍にくるとしゃがみこむ。
そして慣れた様子で脈を測り始めた。
「いや、ライザル······大丈夫だ。これは違うから」
「何が、違うんだ。これは······薬を盛られたのか。それも媚薬か?」
「見ただけで分かるんだから。本当に、英雄様は凄いねえ」
「元、だ」
そう、この店の店主である彼は元この国の英雄と呼ばれていた男。
彼は国王である兄に仕えていた一人で、成人した息子がいる。もう歳だから、と引退しこの小さな酒場を経営していた。
とはいえ、ここは知る人ぞ知る店。ヒューベルとその周りの人間しか使っていないような場所なのだ。
「ライザル······やはり戻らないか?」
「え?いや······。もう俺は歳で引退した身だ。それに······もう争いはごめんなんだ。それで大切な人を亡くしたくはない」
彼は以前、隣国の暗殺者に目を付けられ、不在中に家族を狙われ妻を失っている。
それもこれも英雄、になったからだ、と今も自分を責めていた。
「ほら、これ、飲め。とっておいて良かった」
ははっと乾いた笑いを零し、ライザルから渡されたポーションを一気に飲み干したヒューベルは壁に凭れ掛かる。
「ありがとう······」
辛そうな表情をするヒューベルを見て、ライザルは少し考え込むような仕草をした。
「それで······あの子か。悪い感じの女性には見えなかったが······そうか······」
「いや、違うんだ。彼女は悪くない······」
ヒューベルが焦ってそう言った後、すぐに顔を俯けて、ライザルは黙った。
きっとまだ話せない事なのだろう、と察して。
ヒューベルはシェリルに対する想いをもてあましていた。
ずっと好きだった彼女を漸く自分の婚約者にできるのに。
ここで焦るべきではない、そう分かってはいるけれど、先程感じた媚薬······あれはきっと、彼女が与えられたと言っていた”世渡り人”の能力の一つだろう。
もし、あれを他の男に使われたら?
もし、あの彼女の持つ強力な媚薬が唾液に入っていると仮定して、他の男が彼女にキスをしたら?
そう考えれば突如、殺気と魔力がヒューベルから漏れ出して、ライザルはぐったりとした様子のリルを抱えて、ヒューベルの肩を掴んだ。
「ヒュー!抑えろ、ここで呑まれるな!お前の猫がキツそうだ!」
「っ······す、すま······ない」
ヒューベルはライザルとリルを視界に捉え、直ぐに魔力を仕舞うと、髪をぐしゃぐしゃと掻きむしる。
「彼女が、他の男に奪われるかと思うと······どうにかなりそうなんだ······」
「けど······あれは、バルモント公爵令嬢じゃないのか······?俺はそんなに詳しくないが、あの見目」
じっと黙っていたヒューはコクリと頷いた。
「もうすぐなんだ······。もうすぐ、僕の婚約者になる」
ライザルはその言葉に目を見開く。
彼女はアロライン王太子の婚約者であった筈だが······。
婚約者になるとは······どういう事なのか?
もしや、大事になってしまうのではないか?
そう心配したライザルだが、辛そうな表情を浮かべるヒューベルを黙って見ている事しか出来なかった。
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