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今期、イングランドプレミアリーグは、八月の第二土曜日に開幕した。
新聞や雑誌の紙面は、サッカー記事一色で埋まり、再び始まるボールの祭典に歓喜している。サッカー記者も雑誌編集者もコラムニストも、昨年の罵声を忘れて子供のようにはしゃいでいる。どのチームが優勝するか、開幕前から余念がない。各チームの忠誠心溢れるサポーターたちも冬眠から目覚め、中毒生活の始まりを華やかに告げた。
その日行われたのは八試合で、ノーザンプールは本拠地であるリヴァプールの北、セント・ルイーズ・スタジアムで開幕戦を行った。相手は前期六位で終わったロンドンのクラブ「ユーズ」である。開幕戦ということもあって、絶対に負けられない試合だった。
スタジアムのドレッシングルームで、背広姿のバーン監督は細かいことは言わなかった。
「再びこのスタジアムへ戻ってきた。これからまた長い戦いがはじまる。楽しんでいこうじゃないか」
試合開始時刻になり、ドレッシングルームを出た。ピッチへ入場する専用入り口に、両チームの先発選手が二列に並ぶ。ユーズはアウェー用の白と青の縞模様のユニフォームである。私たちはホームでの試合なので、真っ赤なユニフォームを着用していた。胸には赤い十字と聖女の文様がある。その場にはそれぞれのチームと同じユニフォームを着た地域の子供たちもいて、一人一人と手を繋いだ。
列の先頭には、今日の試合を裁く審判団が並んで立っている。全員、イングランド人だ。
私は気を引き締めた。視界の先には、緑の芝生が広がり、地割れするような大合唱が響いてくる。まだピッチにも立っていないのに、サポーターたちが歌っている。ノーザンプールを讃える歌だ。
手前にいるゲイリーも鼻歌で調子をあわせている。
足元からも、囁くように歌う声が聞こえてきた。私と手を繋いだ背の低い金髪の男の子が、まっすぐに前を見て、小さな唇を動かしている。
「……まえへはしれ、すすむんだ、たとえひとりになったとしても、かならずぼくたちがそばにいる、おまえをゆうきづける、おまえはおうじゃだ、だからすすむんだ……」
私たちはピッチへ出た。
竜巻のような大歓声がスタジアム中に鳴り響く。セント・ルイーズ・スタジアムは、昔クラブの創立にセント・ルイーズ教会が大きく関わっていたため、感謝の気持ちを込めてその名が捧げられたという。古き良き匂いの残る場所だが、数万人規模の観客席があり、ピッチに接するような形で取り囲んでいる。席は傾斜状になっており、下でプレーをする我々を大きく見下ろせるようになっていた。その席は真っ赤な色で染まっている。ノーザンプールの色だ。赤い海は激しい波を起こしている。数万人のサポーターが待っていた。私たちは再び戻ってきたのだ。
先に入場したクラブの旗が左右に分かれ、その手前に十一名の先発選手が横一列に並んだ。監督やコーチたち、そして控えの選手たちは、ピッチの外のベンチで並んで立っている。みんなの顔は真剣そのものだ。
大男揃いの中に交じって、ベンチのはじにいる小柄な姿も見えた。他の控え選手同様、いつ交代を命じられてもいいように、ユニフォームの上にトレーニングウエアを着ている。スタジアムを覆う熱気に、身も心も奪われてしまったのか、惚けたようにずっと顔をあげている。
キャプテンたちが審判団と握手を交わした。私たちもユーズの選手と握手を交わし、自分たちの陣営で円陣を組んだ。ピッチに立っているのは、前期の優勝メンバーとほとんど変わらない顔ぶれである。フォワードは、ゲイリーとレイン。中盤は、トップ下の私に、バートン、右サイドハーフのギル、左サイドハーフのケリー。ディフェンダーは、スターン、ハッセルベイク、エヴァレット、ポーティロ。キーパーはヴァレッティである。
「ヴィクトリー!!!」
「ウィーアーノーザンプール!!!」
お互い肩を組みあい、気合を入れて、それぞれのポジションに散った。
アダムス主審が開始の笛を鳴らした。スタジアムが爆発したような大歓声に包まれる。今期プレミアの覇者を決める第一戦が始まった。
ボールを蹴ったのはユーズだった。システムは同じ、四―四―二である。
ユーズの選手はサイドから駆けがって来た。彼らはプレミア特有のロングボールを多用するチームだが、展開は速い。ボールを持たせたら、相手チームのゴールまでハヤブサの如く駆けあがってゆく。だがこの素早さを封じ込めれば、翼をもがれた鳥になる。
サポーターたちのブーイングがうねっていたが、ボールをカットして私たちの攻撃になった途端に、大拍手になった。それに背を押されるように、ケリーから私へボールがパスされた。
私はボールを左右に転がした。我々はパスを多用するチームである。相手の選手が奪いに向かってきた。一度立ち止まって、ボールを右足のつま先で後ろへやり、横に転がした。
相手の目がそちらへ向く。
その一瞬に左足でボールを前へ蹴り、同時に走ってその選手をぬき、またボールを転がす。私はどちらの足でも蹴ることができる。
別の選手が走ってきた。物凄い形相をしている。私は余裕をもって、バレリーナのように左足を持ちあげて、バートンへ繋げた。
バートンは右サイドにいるギルへ、走りながらパスを送った。ギルは向かってきた相手の選手を、まるで鼻先で笑い飛ばすように速攻で抜き去り、相手のゴール前に詰めているゲイリーへ正確なクロスをあげた。
ゲイリーが抜け出す。だが、笛が鳴った。
オニール副審がオフサイドの判定をした。ユーズのディフェンダー陣の連携がうまくいったようである。
ユーズのボールで試合が再開した。右サイドを駆けあがってくる。
ケリーがタックルし、ボールは中盤からあがってきた相手選手に渡る。そこへハッセルベイクとエヴァレットが壁を築き、パスを遮った。そのボールをカットしたのはスターンで、猛然とピッチをあがる。
「ヴィーク!」
スターンが私を呼んでいる。その意味はわかっている。
「スターン! 私へボールを!」
走りながら振り返って叫んだ。スターンはイングランドが誇る優秀な選手だ。私が望む形で、ボールが飛んできた。大幅な狂いもなく、足元に吸い込まれる。
再びボールを蹴った。
奪い取ろうとする相手選手を、膝でボールを蹴りながら交わす。私はドリブルで切り込んでゆくタイプではないが、チャンスがあればいつでもミシェル・プラティニを真似るつもりだ。
ボールを浮かせるように蹴って、また一人交わした。このまま進もうとしたが、相手コーナーのライン際で、二人のディフェンダーが迫ってきた。私は冒険者ではない。視界に入ったギルにボールを流した。
ギルは振り向きざまに受け取った。そのまま動きを止め、ゴール前の状況を一瞬で把握する。ゴール前にはゲイリーとレインがいて、相手チームのディフェンダーも張りついている。
ギルは誰にボールをあわせるのか決めたようだ。
ボールは蹴った本人の性格をあらわすように、クセのある曲がり方をした。レインもゲイリーもボールに触れられない。
ディフェンダー陣の背後から走りこんでヘディングシュートをしたのは、私だった。決まったと思ったが、キーパーが弾いて、ゴールネットの裏にいってしまった。
私はそのままの体勢で、ピッチに倒れこんだ。いいチャンスを決められなかったのが、情けなかった。
「ギルの奴、俺を愛しているとか言っているくせに、肝心のボールをよこさねえ。お前を愛しているとか言いながら、しっかりと裏で生命保険をかけるタイプだな」
ゲイリーがそばにやってきて、文句を言いながら腕を貸してくれた。チャンスはまだある。次は我々のコーナーキックだ。
右側のコーナーには、すでにギルがいたが、私が蹴ることにした。
「今のボールは、私にあわせてくれたんだろう? よく打てると思ったね」
「それは、お前がヴィクトール・ヴュレルだからさ」
ギルはボールと一緒に、いつもの毒舌も寄越してきた。
「なるほどね、君もギルフォード・レイリーだ。舌がいつもどおり曲がっているよ」
ギルは皮肉げな笑いを吐き出していった。
新聞や雑誌の紙面は、サッカー記事一色で埋まり、再び始まるボールの祭典に歓喜している。サッカー記者も雑誌編集者もコラムニストも、昨年の罵声を忘れて子供のようにはしゃいでいる。どのチームが優勝するか、開幕前から余念がない。各チームの忠誠心溢れるサポーターたちも冬眠から目覚め、中毒生活の始まりを華やかに告げた。
その日行われたのは八試合で、ノーザンプールは本拠地であるリヴァプールの北、セント・ルイーズ・スタジアムで開幕戦を行った。相手は前期六位で終わったロンドンのクラブ「ユーズ」である。開幕戦ということもあって、絶対に負けられない試合だった。
スタジアムのドレッシングルームで、背広姿のバーン監督は細かいことは言わなかった。
「再びこのスタジアムへ戻ってきた。これからまた長い戦いがはじまる。楽しんでいこうじゃないか」
試合開始時刻になり、ドレッシングルームを出た。ピッチへ入場する専用入り口に、両チームの先発選手が二列に並ぶ。ユーズはアウェー用の白と青の縞模様のユニフォームである。私たちはホームでの試合なので、真っ赤なユニフォームを着用していた。胸には赤い十字と聖女の文様がある。その場にはそれぞれのチームと同じユニフォームを着た地域の子供たちもいて、一人一人と手を繋いだ。
列の先頭には、今日の試合を裁く審判団が並んで立っている。全員、イングランド人だ。
私は気を引き締めた。視界の先には、緑の芝生が広がり、地割れするような大合唱が響いてくる。まだピッチにも立っていないのに、サポーターたちが歌っている。ノーザンプールを讃える歌だ。
手前にいるゲイリーも鼻歌で調子をあわせている。
足元からも、囁くように歌う声が聞こえてきた。私と手を繋いだ背の低い金髪の男の子が、まっすぐに前を見て、小さな唇を動かしている。
「……まえへはしれ、すすむんだ、たとえひとりになったとしても、かならずぼくたちがそばにいる、おまえをゆうきづける、おまえはおうじゃだ、だからすすむんだ……」
私たちはピッチへ出た。
竜巻のような大歓声がスタジアム中に鳴り響く。セント・ルイーズ・スタジアムは、昔クラブの創立にセント・ルイーズ教会が大きく関わっていたため、感謝の気持ちを込めてその名が捧げられたという。古き良き匂いの残る場所だが、数万人規模の観客席があり、ピッチに接するような形で取り囲んでいる。席は傾斜状になっており、下でプレーをする我々を大きく見下ろせるようになっていた。その席は真っ赤な色で染まっている。ノーザンプールの色だ。赤い海は激しい波を起こしている。数万人のサポーターが待っていた。私たちは再び戻ってきたのだ。
先に入場したクラブの旗が左右に分かれ、その手前に十一名の先発選手が横一列に並んだ。監督やコーチたち、そして控えの選手たちは、ピッチの外のベンチで並んで立っている。みんなの顔は真剣そのものだ。
大男揃いの中に交じって、ベンチのはじにいる小柄な姿も見えた。他の控え選手同様、いつ交代を命じられてもいいように、ユニフォームの上にトレーニングウエアを着ている。スタジアムを覆う熱気に、身も心も奪われてしまったのか、惚けたようにずっと顔をあげている。
キャプテンたちが審判団と握手を交わした。私たちもユーズの選手と握手を交わし、自分たちの陣営で円陣を組んだ。ピッチに立っているのは、前期の優勝メンバーとほとんど変わらない顔ぶれである。フォワードは、ゲイリーとレイン。中盤は、トップ下の私に、バートン、右サイドハーフのギル、左サイドハーフのケリー。ディフェンダーは、スターン、ハッセルベイク、エヴァレット、ポーティロ。キーパーはヴァレッティである。
「ヴィクトリー!!!」
「ウィーアーノーザンプール!!!」
お互い肩を組みあい、気合を入れて、それぞれのポジションに散った。
アダムス主審が開始の笛を鳴らした。スタジアムが爆発したような大歓声に包まれる。今期プレミアの覇者を決める第一戦が始まった。
ボールを蹴ったのはユーズだった。システムは同じ、四―四―二である。
ユーズの選手はサイドから駆けがって来た。彼らはプレミア特有のロングボールを多用するチームだが、展開は速い。ボールを持たせたら、相手チームのゴールまでハヤブサの如く駆けあがってゆく。だがこの素早さを封じ込めれば、翼をもがれた鳥になる。
サポーターたちのブーイングがうねっていたが、ボールをカットして私たちの攻撃になった途端に、大拍手になった。それに背を押されるように、ケリーから私へボールがパスされた。
私はボールを左右に転がした。我々はパスを多用するチームである。相手の選手が奪いに向かってきた。一度立ち止まって、ボールを右足のつま先で後ろへやり、横に転がした。
相手の目がそちらへ向く。
その一瞬に左足でボールを前へ蹴り、同時に走ってその選手をぬき、またボールを転がす。私はどちらの足でも蹴ることができる。
別の選手が走ってきた。物凄い形相をしている。私は余裕をもって、バレリーナのように左足を持ちあげて、バートンへ繋げた。
バートンは右サイドにいるギルへ、走りながらパスを送った。ギルは向かってきた相手の選手を、まるで鼻先で笑い飛ばすように速攻で抜き去り、相手のゴール前に詰めているゲイリーへ正確なクロスをあげた。
ゲイリーが抜け出す。だが、笛が鳴った。
オニール副審がオフサイドの判定をした。ユーズのディフェンダー陣の連携がうまくいったようである。
ユーズのボールで試合が再開した。右サイドを駆けあがってくる。
ケリーがタックルし、ボールは中盤からあがってきた相手選手に渡る。そこへハッセルベイクとエヴァレットが壁を築き、パスを遮った。そのボールをカットしたのはスターンで、猛然とピッチをあがる。
「ヴィーク!」
スターンが私を呼んでいる。その意味はわかっている。
「スターン! 私へボールを!」
走りながら振り返って叫んだ。スターンはイングランドが誇る優秀な選手だ。私が望む形で、ボールが飛んできた。大幅な狂いもなく、足元に吸い込まれる。
再びボールを蹴った。
奪い取ろうとする相手選手を、膝でボールを蹴りながら交わす。私はドリブルで切り込んでゆくタイプではないが、チャンスがあればいつでもミシェル・プラティニを真似るつもりだ。
ボールを浮かせるように蹴って、また一人交わした。このまま進もうとしたが、相手コーナーのライン際で、二人のディフェンダーが迫ってきた。私は冒険者ではない。視界に入ったギルにボールを流した。
ギルは振り向きざまに受け取った。そのまま動きを止め、ゴール前の状況を一瞬で把握する。ゴール前にはゲイリーとレインがいて、相手チームのディフェンダーも張りついている。
ギルは誰にボールをあわせるのか決めたようだ。
ボールは蹴った本人の性格をあらわすように、クセのある曲がり方をした。レインもゲイリーもボールに触れられない。
ディフェンダー陣の背後から走りこんでヘディングシュートをしたのは、私だった。決まったと思ったが、キーパーが弾いて、ゴールネットの裏にいってしまった。
私はそのままの体勢で、ピッチに倒れこんだ。いいチャンスを決められなかったのが、情けなかった。
「ギルの奴、俺を愛しているとか言っているくせに、肝心のボールをよこさねえ。お前を愛しているとか言いながら、しっかりと裏で生命保険をかけるタイプだな」
ゲイリーがそばにやってきて、文句を言いながら腕を貸してくれた。チャンスはまだある。次は我々のコーナーキックだ。
右側のコーナーには、すでにギルがいたが、私が蹴ることにした。
「今のボールは、私にあわせてくれたんだろう? よく打てると思ったね」
「それは、お前がヴィクトール・ヴュレルだからさ」
ギルはボールと一緒に、いつもの毒舌も寄越してきた。
「なるほどね、君もギルフォード・レイリーだ。舌がいつもどおり曲がっているよ」
ギルは皮肉げな笑いを吐き出していった。
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