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しかし前半四十分を過ぎて、絶好のチャンスが廻ってきた。相手ディフェンダーが、ペレイラをゴール付近で躓かせ転ばせるというファウルを犯し、我々にフリーキックが与えられたのだ。
ゴール前でハイリーの選手たちが一列に並んで壁をつくった。審判が指示した位置は、文字通りゴールの手前である。フリーキックに集まったのは、私にバートン、ギル、ポーティロだった。
「私が蹴る」
三人に宣言した。みなフリーキックの名手だが、一番成功させているのは私だ。
「大丈夫なのか?」
ギルが首をひねりながら言った。
「なんだか、いつにもまして動きが悪いぜ、ヴィク」
「君が心配することじゃない」
「でもよお」
ポーティロも構えるように腕組みをした。
「お前を疑っているわけじゃないが、最近の試合じゃ、ほとんど決めてないだろう? 不調なのはわかっているぜ、なあ、クリス」
バートンは控えめに同意した。私は歯軋りしたくなる気持ちをなんとか抑えた。この三人は私を信用していない。確かにここ最近の試合では、成功率九十パーセントと言われるフリーキックを悉く外している。だからといって、今日の試合でも失敗すると神が運命の手帳に記したのか?
「君たちの不満はわかった。だが私が蹴る」
反論が返ってくる前に、ボールのそばに立った。誰にも文句は言わせない。
幸い、舌打ちだけが聞こえた。私は三人のことなど忘れて、全力で集中した。ゴールまでは数メートルの飛距離だ。その間にハイリーの選手たちが壁をつくっている。あの邪魔な壁を乗り越えて、ゴールネットを揺さぶり、歓喜の歌声をサポーターに届けなければならない。ベルリンの壁を崩壊させたことに比べたら、よほど簡単だろう。
合図の笛が聞こえた。少し下がり、目の前を睨んだ。もうゴールしか見えない。
駆け出そうとして、背後から強い視線を感じた。まるで背中に刃を突き立てようとする刺客者のような眼差し。
急かされるようにボールを蹴った。その瞬間、方向が狂ったことがわかった。
ボールは大きく軌道を外れ、ゴールポストから相当に離れたラインを越えた。
「なぜだ!」
怒りがみなぎった。サポーターの失望のため息が、首筋の肌にまで感じられる。憤激のあまり、頭が割れそうになった。
チームメイトは口々に残念だと言ったが、フリーキックに集まった三人は無言だった。悔しいが、言い逃れできない。
背中で感じた視線は消えた。アイはフリーキックに失敗した私を避けるように離れていった。
試合が再開される。だがもう時間はない。審判がアディショナルタイムを三分と提示した。
ボールはハイリーのもので、モーリスを中心に我々のゴールを攻めてくる。私も中盤の底まで下がった。アディショナルタイムでの失点など冗談ではない。
だがペナルティエリア付近で、ハッセルベイクのディフェンスを交わしながら、ヴューランジェがモーリスへパスを送った。モーリスはその場でシュートの体勢に入る。そこへ駆け込んでいったのはアイだ。
アイは走りざまに右足を突き出した。ボールを狙っていたと思うのだが、不運にもモーリスの足に当たってしまった。モーリスは石に躓いたように、激しくピッチに転がった。
すぐにスティーブン主審が笛を鳴らして駆けつけ、アイにイエローカードを突きつけた。危険なタックルと見なしたのだ。
「どうしてですか!」
アイが抗議している。私は急いで駆けつけ、アイと審判の間に割って入った。
「静かにしたまえ! レッドカードも頂戴したいのか!」
「そんな!……」
どうやら頭に血がのぼっているらしい。エヴァレットも駆け寄ってきて、アイに注意した。
「落ち着くんだ。そして気持ちを切り替えるんだ」
キャプテンの言葉には素直に従うようだ。うなだれるように頷いて、どういうわけかまた私を睨んできた。さすがに頭にきた。
「どうやら、その癖は直らないようだね」
アイが不味いコーヒーを飲んだような顔をした。
「これは……癖じゃないです」
「そうかい? では、それは君の愛情表現なのかな?」
私はすぐに背を向けた。肌がざわめき、あの夜の感触が甦るが、今はサッカーに集中しなくてはいけない。
アイのファウルは、チームにとって悪夢の展開になった。PKをとられてしまったのだ。
PKはヴァレッティとモーリスの一騎打ちになった。我々は後方に下がって見守った。
スタジアムのサポーターがハイリーに対する野次と嘲笑を繰り広げるなかで、背番号十番のモーリスは落ち着いた様子でゴール前にボールをおくと、少し下がり、弾みをつけてボールを蹴った。
ボールは急なカーブをえがき、左方向へ向かう。ヴァレッティも横に飛んだ。だがボールはグローブの手をすりぬけて、白いネットへと吸い込まれた。
サポーターの悲鳴とため息が巻き起こった。私は顔を両手で覆い、空を仰いだ。なんてことだ。だがすぐにアイが気になった。
アイはゲイリーの隣にいた。無表情でシュートの決まったゴールポストを見つめている。
私は居たたまれない気分になった。何か一言でも声をかけてあげた方がいいだろうか。しかし、先に別のチームメイトがアイの前に立った。
ポーティロだ。
「下手糞が!」
少し離れた私の耳にも、はっきりとその罵声は聞こえた。チームメイトが顔色を変える。いや、アイもだ。
アイは傍目にもわかるほど青ざめると、弾かれたように飛びあがり、ポーティロに掴みかかった。
「俺は下手糞じゃない!!」
「黙れ! まともにシュートも打てない野郎が!!」
我々は慌てて二人を引き離した。ポーティロもアイも我を忘れて取っ組み合いをしている。今が試合中であることも忘れているのか!
スティーブン主審がけたたましく笛を鳴らした。逆上している二人へ、即座にレッドカードを掲げる。同時に、前半終了を告げた。
スタジアム中が稲妻のような大ブーイングに包まれる。一点を先制され、二人の退場者を出してしまった。我々もショックを隠しきれないまま、重い足取りでドレッシングルームへ向かった。
当然だが、ハーフタイムは暗い空気に覆われた。チームメイトもコーチも、誰一人口を聞かない。まるでこれから地獄へにでも堕ちてゆくような陰鬱さが、部屋中を満たしている。だがバーン監督だけは違った。
「済んでしまったことは仕方がない」
遭難寸前の舟を正しい航路へ導くように、九名で戦うことになってしまった後半戦の戦術を細かく説明していった。
「とにかくチャンスを逃がしてはいけない」
監督の言葉を聴きながら、私は部屋の隅に座っているアイが気がかりでならなかった。先程のPKが、彼の精神に何らかの影響を及ぼしているのは間違いない。隣にいるレインが一生懸命話しかけているが、アイはぼんやりと遠くを見つめている。もし私が彼の隣にいたら、その手を握りしめてあげたというのに……
私は自分に絶句した。一体彼に何をしたいのだろう?
「最後まで諦めてはいけない」
監督は最後にそう締めくくった。我々は頷いて立ちあがった。
ドレッシングルームを出ると、ゲイリーに脇を小突かれた。
「お前ちゃんとボールを追っているんだろうな?」
「当たり前だろう」
「そうか? どうもボールじゃなくて、別のものを追っているような気がするぜ」
私は反論できなかった。その代わりに、ドレッシングルームを振り返った。退場者はベンチへも入れない。アイとポーティロは、そこに残る。
私の思いを嗅ぎとったのか、ゲイリーは何でもないように首を振った。
「やりたかったら、やらせりゃいいだろ。今度は誰も邪魔しないさ。サッカーは野蛮人がするスポーツなんだぜ? 俺たちは立派な野蛮人なのさ」
ゴール前でハイリーの選手たちが一列に並んで壁をつくった。審判が指示した位置は、文字通りゴールの手前である。フリーキックに集まったのは、私にバートン、ギル、ポーティロだった。
「私が蹴る」
三人に宣言した。みなフリーキックの名手だが、一番成功させているのは私だ。
「大丈夫なのか?」
ギルが首をひねりながら言った。
「なんだか、いつにもまして動きが悪いぜ、ヴィク」
「君が心配することじゃない」
「でもよお」
ポーティロも構えるように腕組みをした。
「お前を疑っているわけじゃないが、最近の試合じゃ、ほとんど決めてないだろう? 不調なのはわかっているぜ、なあ、クリス」
バートンは控えめに同意した。私は歯軋りしたくなる気持ちをなんとか抑えた。この三人は私を信用していない。確かにここ最近の試合では、成功率九十パーセントと言われるフリーキックを悉く外している。だからといって、今日の試合でも失敗すると神が運命の手帳に記したのか?
「君たちの不満はわかった。だが私が蹴る」
反論が返ってくる前に、ボールのそばに立った。誰にも文句は言わせない。
幸い、舌打ちだけが聞こえた。私は三人のことなど忘れて、全力で集中した。ゴールまでは数メートルの飛距離だ。その間にハイリーの選手たちが壁をつくっている。あの邪魔な壁を乗り越えて、ゴールネットを揺さぶり、歓喜の歌声をサポーターに届けなければならない。ベルリンの壁を崩壊させたことに比べたら、よほど簡単だろう。
合図の笛が聞こえた。少し下がり、目の前を睨んだ。もうゴールしか見えない。
駆け出そうとして、背後から強い視線を感じた。まるで背中に刃を突き立てようとする刺客者のような眼差し。
急かされるようにボールを蹴った。その瞬間、方向が狂ったことがわかった。
ボールは大きく軌道を外れ、ゴールポストから相当に離れたラインを越えた。
「なぜだ!」
怒りがみなぎった。サポーターの失望のため息が、首筋の肌にまで感じられる。憤激のあまり、頭が割れそうになった。
チームメイトは口々に残念だと言ったが、フリーキックに集まった三人は無言だった。悔しいが、言い逃れできない。
背中で感じた視線は消えた。アイはフリーキックに失敗した私を避けるように離れていった。
試合が再開される。だがもう時間はない。審判がアディショナルタイムを三分と提示した。
ボールはハイリーのもので、モーリスを中心に我々のゴールを攻めてくる。私も中盤の底まで下がった。アディショナルタイムでの失点など冗談ではない。
だがペナルティエリア付近で、ハッセルベイクのディフェンスを交わしながら、ヴューランジェがモーリスへパスを送った。モーリスはその場でシュートの体勢に入る。そこへ駆け込んでいったのはアイだ。
アイは走りざまに右足を突き出した。ボールを狙っていたと思うのだが、不運にもモーリスの足に当たってしまった。モーリスは石に躓いたように、激しくピッチに転がった。
すぐにスティーブン主審が笛を鳴らして駆けつけ、アイにイエローカードを突きつけた。危険なタックルと見なしたのだ。
「どうしてですか!」
アイが抗議している。私は急いで駆けつけ、アイと審判の間に割って入った。
「静かにしたまえ! レッドカードも頂戴したいのか!」
「そんな!……」
どうやら頭に血がのぼっているらしい。エヴァレットも駆け寄ってきて、アイに注意した。
「落ち着くんだ。そして気持ちを切り替えるんだ」
キャプテンの言葉には素直に従うようだ。うなだれるように頷いて、どういうわけかまた私を睨んできた。さすがに頭にきた。
「どうやら、その癖は直らないようだね」
アイが不味いコーヒーを飲んだような顔をした。
「これは……癖じゃないです」
「そうかい? では、それは君の愛情表現なのかな?」
私はすぐに背を向けた。肌がざわめき、あの夜の感触が甦るが、今はサッカーに集中しなくてはいけない。
アイのファウルは、チームにとって悪夢の展開になった。PKをとられてしまったのだ。
PKはヴァレッティとモーリスの一騎打ちになった。我々は後方に下がって見守った。
スタジアムのサポーターがハイリーに対する野次と嘲笑を繰り広げるなかで、背番号十番のモーリスは落ち着いた様子でゴール前にボールをおくと、少し下がり、弾みをつけてボールを蹴った。
ボールは急なカーブをえがき、左方向へ向かう。ヴァレッティも横に飛んだ。だがボールはグローブの手をすりぬけて、白いネットへと吸い込まれた。
サポーターの悲鳴とため息が巻き起こった。私は顔を両手で覆い、空を仰いだ。なんてことだ。だがすぐにアイが気になった。
アイはゲイリーの隣にいた。無表情でシュートの決まったゴールポストを見つめている。
私は居たたまれない気分になった。何か一言でも声をかけてあげた方がいいだろうか。しかし、先に別のチームメイトがアイの前に立った。
ポーティロだ。
「下手糞が!」
少し離れた私の耳にも、はっきりとその罵声は聞こえた。チームメイトが顔色を変える。いや、アイもだ。
アイは傍目にもわかるほど青ざめると、弾かれたように飛びあがり、ポーティロに掴みかかった。
「俺は下手糞じゃない!!」
「黙れ! まともにシュートも打てない野郎が!!」
我々は慌てて二人を引き離した。ポーティロもアイも我を忘れて取っ組み合いをしている。今が試合中であることも忘れているのか!
スティーブン主審がけたたましく笛を鳴らした。逆上している二人へ、即座にレッドカードを掲げる。同時に、前半終了を告げた。
スタジアム中が稲妻のような大ブーイングに包まれる。一点を先制され、二人の退場者を出してしまった。我々もショックを隠しきれないまま、重い足取りでドレッシングルームへ向かった。
当然だが、ハーフタイムは暗い空気に覆われた。チームメイトもコーチも、誰一人口を聞かない。まるでこれから地獄へにでも堕ちてゆくような陰鬱さが、部屋中を満たしている。だがバーン監督だけは違った。
「済んでしまったことは仕方がない」
遭難寸前の舟を正しい航路へ導くように、九名で戦うことになってしまった後半戦の戦術を細かく説明していった。
「とにかくチャンスを逃がしてはいけない」
監督の言葉を聴きながら、私は部屋の隅に座っているアイが気がかりでならなかった。先程のPKが、彼の精神に何らかの影響を及ぼしているのは間違いない。隣にいるレインが一生懸命話しかけているが、アイはぼんやりと遠くを見つめている。もし私が彼の隣にいたら、その手を握りしめてあげたというのに……
私は自分に絶句した。一体彼に何をしたいのだろう?
「最後まで諦めてはいけない」
監督は最後にそう締めくくった。我々は頷いて立ちあがった。
ドレッシングルームを出ると、ゲイリーに脇を小突かれた。
「お前ちゃんとボールを追っているんだろうな?」
「当たり前だろう」
「そうか? どうもボールじゃなくて、別のものを追っているような気がするぜ」
私は反論できなかった。その代わりに、ドレッシングルームを振り返った。退場者はベンチへも入れない。アイとポーティロは、そこに残る。
私の思いを嗅ぎとったのか、ゲイリーは何でもないように首を振った。
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