ストーリーテリング

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アンコンシャスバイアス

第16話 アハシュエロス

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 僕らは井ノ瀬一家と別れた次の日、駅前で待ち合わせた。
 特に予定も作らず、僕はまた何か笑顔に関する縁が巡ってくるのではないだろうかと、淡い期待をこめながら2人で街中を散歩していた。
 小一時間ほど歩いてみたけど、まぁ一向にイベントは起きなかった。
 僕らは、一度西の公園で少し休むことにした。

   ◇

 僕らは、ベンチに2人で腰掛けた。

「リコ……井ノ瀬さんたちと出会って君の中で何か変化はありそうだった?」
「……どうだったかな……多分笑えてはいなかったと思うけど」

 リコは、手を口元に動かしマスクの上から唇を指でなぞっているようだ。

「そっか……ただ、僕から見ると会った時と比べて表情は柔らかくなってきてる気がするよ」
「そう……それは嬉しいけど、あなたからみてなのか、自分ではまだあまり感じられていない」
「……そういえば、昨日、井ノ瀬さんたちと別れた後、階段降りたところで、少しリコは泣いていた?」
「泣いてたと思う……涙が出てきてしまったの方が正しいかもしれないけど」

 いい方向か、悪い方向かわからない。けれど、リコに変化が起きてきていることは確かなはずだ。
 何がいいかは結局は結果次第だろう。
 望む結果でなさそうなら、ピボットしていけばいい、行動しなければ、停滞かさらに悪くなっていくだけなのだから。

「涙が出た時は悲しい感じだったの?」
「……ううん、なにか安心したような、ホッとしたような、具体的にはいえないんだけど」
「そっか……手をこうやってたよね?」

 僕は、自分の前に腕で輪っかを作ってみる。
 確かに、なんだろう、少し安心感を覚える気もする。

「……うん、マンタ君とぎゅーした時、少し心が軽くなった気がしたから、もう一度確かめてみようとしてたの」
「ぎゅーが、何かのきっかけになるかも?」
「分からないけど、1人でこう手をやった時も、少し心が軽くなったような。あとは、お父さんにもよく抱きしめてもらってたからか……それを少し思い出して……」

 リコは少し苦しそうな顔をしている。
 お父さんは、リコの笑顔にとって大きな存在なのかもしれない。
 1人で腕で輪っかを作ることによって、自分で自分を抱きしめるような、誰かに抱きしめてもらえているような、そんな幻想を感じているのかもしれない。

「お父さん……リコにとってもギューっと抱きしめてもらえることは、特別なことなんだね」
「そう……いい思い出でもあり、悪い思い出でもあるんだけどね」
「……悪い思い出?」
「……そう……アルト。私を抱きしめてくれない?」
「……そうなんだ……ねにゃ!!?」

 突然のリコの提案に僕は理解にしばらくかかってしまう。
 いや、流れとしてはあり得るんだけど、あり得たいのか、あり得るんだけど。
 
「んぼぉ! 抱きしめるって、さっきみたいに腕をリコに対してこうやるってことだよね? うん、リコがいやじゃなければ……」

 知らずに息をずっと止めていたらしく、言葉じゃない言葉も出てきてしまう。
 僕は、ボディラーゲージも交えて、自分の妄想じゃないか確認してみる。
 顔が一気に熱くなるのを感じる。

「……アルトなら私は大丈夫だよ」

 リコと目が合う。
 確かに、リコの目はとても綺麗だ。一点の曇りもなく、僕を見つめ、僕なら大丈夫と言ってくれている。
 なら僕も応えないといけない。今は邪魔に見えるこの気持ちも一旦は横に置いておいて。

「ん……じゃあ……抱きしめるよ? 今はたまたま人もいなさそうだし」

 ここの西の公園は忘れ去られたような、団地の間に挟まり、錆びた遊具と共に、ひっそりといてくれている。
 奥のベンチに座っていた僕らは、2人で立ち上がって向かい合った。
 僕の手が震え、手汗が滲むのを感じる。
 僕は冬であることに感謝した。
 節東風が心地よくリコの鈴を奏でてくれる。

「……うん、いいよ」

 リコは少し下を向いている。
 僕は、リコの肩の上から、腕を回し手を広げないようにしながら抱きしめた。
 リコも、それに合わせて、僕の脇の下から腕を巻き、僕は、リコは、体を引き寄せた。
 少し上を向くと、リコの頭は僕の顎の下にすっぽりと収まる。リコは、僕の胸に顔を埋めている。
 きっと、リコには聞こえてる、伝わってる。
 リコの鈴が震えるのが見えるが、僕にその音は届かない、自分の音しか聞こえない。

「……大丈夫?」

 僕の声と共に、リコは、少し上を向いて、少し下を向いていた僕と目が合う。
 鼻と鼻がぶつかりそうだ。
 自然と手に力が入ってしまう。
 天の川のように隔たれているマスクに、合流するその感触を覚えた時――

 リコの両目から、涙が溢れて、瞳とマスクの間に二筋の道を作っていく。
 その涙は、とても美しく、綺麗で、そこに引き寄せられていく、そんな――

 リコは、再び下を俯きながら、声を出し泣き始める。
 僕はハッとして、体を少し引き離す。
 手は、離せない、離したくない。ナニカが掴めそうだったのに……
 
「……ご、ごめん、嫌だった?」

 僕は、リコの肩に手を置いた。
 ミサンガが、風で揺らめいている。

「……ううん、私の……方こそごめんなさい。いろんなものが込み上げてきてしまったみたいで」

 僕は、涙を拭っているリコをもう一度引き寄せて、手を離した。
 この寂れた公園は、僕らを僕らと向かい合わせてくれている。
 僕は僕を見つけた、そんな気がした。

   ◇

「どう? 落ち着いた?」

 僕らは、再びベンチに2人で座って、景色を眺めていた。

「……うん。嫌な気持ちにさせてしまっていたらごめんね。でもイヤじゃなかったのは本当なの」
「うん、大丈夫だよ。リコの笑顔も近づいてきてる気もするし」

 僕の問題なのか、リコの問題なのか、リコは表情だけでなく、雰囲気も柔らかくなってきているような気もする。
 もう少しなのではないだろうか。もっと踏み込んでいっていいのだろうか。そうすべきなのか。

「言いたくなかったら大丈夫なんだけど、聞いてもいいのかな? マンタと話してた時、リコもその……飛び降りと似たような後悔というか経験があるって……そこに笑えないナニカ、リコのいう手放せない虚構のようなものがあるのかなって思ったんだけど」

 リコは、強張ったような少し真剣な顔つきになる。

「その時、私は……私も自分の存在価値がわからなくなって……自分の居場所がわからなくなったの……今もまだふわふわしてる……確かに、最後に笑ったのはお父さんが死んだ時だった……それからは笑おうとすると――」

 リコは胸を押さえてマスクをくぼませながら、急に苦しそうにしている。

「ご……ごめん! 苦しかったら大丈夫だよ? 話した方がいいものもあれば、話さない方がいいものもあるだろうし」
「うん……そうなんだけど、今までは諦めてた……見ないようにしてた……感じないようにしてたの……私には、その景色しか見えなかった。死のうと思った時そういう考えをした時も何度もあった、でもそんな勇気も気力さえも私にはなかった……ただ、日々を彷徨うことしかできなかったの」

 リコは、ナニカに怯えるようにしながら少し体を震わせている。
 彷徨う……彷徨っているのは僕もだ……僕も、自分の存在価値はわからない……他人《ヒト》を介して僕はそれを実感している気になっていたんだ。それがどんなに小さなことでも僕はそれにしがみついていた。

「リコは……変わろうとしてるんだ、それはきっと変った方がいいってことなんだよね?」
「私は、誰にも興味を示さなかった……だから、誰からも興味を示されなかった。独りでずっと彷徨ってたの。それは苦しいし安心した。その膠着に縋っていたの……でもそんな時アルトに出会った」
「僕も彷徨ってるよ……僕は他人《ヒト》と関わりを持ちたいがために彷徨ってたんだ」
「うん……でも、アルトと出会って見える世界は、私には暖かく見えた……私はそこに興味を持った、惹かれたの。だから、私も体験したら、同じことをしたら、また笑える日が来るのかなって」
「笑える日は来るよ……約束したじゃないか。リコの笑顔がどんな笑顔だろうが、僕は見つけたいし、助けたい。きっと、そこにあるものが君のこころの表情なんだ」
「うん……プロポーズしてくれたしね……」
「そうか……そういえば、したね、プロポーズ」

 プロポーズの言葉に、また顔が熱くなるのを感じる。僕は自然と笑顔になる。そうか、そうだな……あの時と今ではプロポーズの重みは変わってくる。
 僕もリコを見習わないといけない。他人《ヒト》とばかり向き合わず自分とも向き合わないと。僕はもう自分を見失ったりはしないはずだ。もう僕の中で他人《リコ》はリコになってるんだから――

「お父さんはどこだい? ……あら、あなたたち誰だい?」

 突然お婆ちゃんが話しかけてくる。
 西の公園に人がきたことに全然気づかなかった。
 僕とリコは目を合わす。

「どうかしました、お婆ちゃん?」

 彷徨う人は引かれ合う。
 彷徨わないと出会えないんだ。
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