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しろとくろ

♨付き合うって?

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 れみと紫藤との異様な関係を知って、ソラは、今まで悩んでいた自分がバカバカしくなった。けれど、ほっと肩を撫で下ろす面も確かにあった。
 その最たるものが――れみに遠慮することなく……紫藤とラブラブ出来ること。
 そのことがソラの頭の大部分を占めていたけれど、紫藤を前にするとどうしても、自分の気持ちが紫藤のまっしぐら、というのは何だか気恥ずかしくて言えないでいる。
 紫藤が猛虎のように、好き好きと言ってくるから、その間隙を縫って自分の気持ちを伝えるのは結構困難で、それに、今更、「先輩が好きです」と告白しても、紫藤にはからかわれるだけのような気がしてならない。
 そんなこんなで、自分が紫藤をどう思うのかなんて、伝える必要なんかないように思えてくるのだ。そんな曖昧な気持ちは、ある日の昼休みに、秋本に直撃されてしまった。


「――で、お前って結局さ、先輩と付き合ってんの?」
 好物のクリーム・スパイシー・カレーパンを口に銜え、シャーペンを片手に持って、まるで新聞記者か何かのように、秋本はソラを対面している。今日は夏彦が珍しくやって来なかったので、安穏の昼食になると思いきや、秋本の正鵠を射た質問に、ソラは飲んでいたパックのミルクを噴き出してしまう。
「うわっ、きったねぇなっ。ちゃんと拭いとけよ」
 秋本はガタンと椅子をずらして仰け反る。
「あ、秋本が突然変なこと聞いてくるからだろっ」
 ソラは悪態をつきつつ、ティッシュで机や口もとを拭いた。

「変なことじゃねえよ。クラスの皆が思ってることをオレは代表して聞いてるんだよ」
「誰もそんなことに関心ないと思うけど……」
「いーや、違うな……」
 秋本の目がちろりと知的に光る。ソラは背中がしゅんっと寒くなる。
「最近、先輩の黒板への書き込みの様子が変化していることに、気づかない奴はだーれもいない」
「た、例えば、どの辺が変わったって言うんだよっ?」
「例えば、書き込みの隅の方に、《一緒に帰ろうな、実技棟で待ってる》という意味深且つ、いかがわしい言葉が添えられるようになったりだとか。後は、描かれているソラの表情が今までのものよりも格段に艶っぽくなってきたこととか。更には――」
「もう良いよっ。べ、別に、黒板の書き込みは、先輩が勝手にやってることだしっ、おれは関係ないよ」
 昨日もまた、一緒に帰ろうと書いてあって、美術部の活動のあとに一も二もなく、紫藤のところへ駆けつけたのは内緒だ。
「まあ、その真偽はともかくさ、オレが聞きたいのは、ソラと紫藤先輩が付き合ってるのかってこと。ほら、友達としてはその辺を聞いておかないといけないと思ったんだ。入学式で初めて話した仲だし、オレにだけは話してくれるだろ?オレだって、お前のことは色々心配してるんだよ……。だから、話して?」
「……秋本、それでおれが納得してペラペラと話すとでも思うの?」
「だめ?」
「だめ」
「けち」
 秋本はぷーいっとそっぽを向いて、手に持っていたシャーペンを机に放り投げてしまう。

「何とでも言えば良いんだ。それより秋本はひとの心配より自分の心配すれば?まだ、彼女出来てないんでしょ?折角水泳部入ったのに」
 ソラがわざと意地悪く言うと、秋本はがばっと襲い掛かってきて、ソラの肩をガクガクと揺する。
「それを言うなぁっ!まだまだ時期尚早なんだよぉ!」
「わ、あ、秋本っ?」
 鬼気迫った顔で、そうマシンガンのように言い、秋本はぐったりと椅子に雪崩込む。
「ご、ごめん……。ね、秋本、生きてる?」
 つんつんとソラが突いても、秋本はピクリとも動かない。
「不公平だ……。お前は先輩のみならず鱒宮にまでモテるくせに、何でオレは……こんなに孤独なんだっ。可愛い子はいっぱい居るのに、殆どが彼氏持ちなんて……詐欺だ!」
 うつむいたままぶちぶちと秋本は言う。
「あ、秋本……は、先輩とか夏彦にモテたかったの?」
「そういうことじゃねぇっ。お前で言うところの先輩や鱒宮の位置が、オレにとっては可愛い女の子なんだよ……っ」
「何それ……」
「……」
 秋本は首を垂れたまま微動だにしない
「えーと……。秋本はかっこいいし、すぐにでも彼女出来るよ。おれはそう思う。だから、元気出して?」
「……本当か?」
「うん」
「じゃあ賭けしようぜ?」
「賭け……?」
「そうだ。オレに一カ月以内に彼女が出来なかったら……」
 秋本はむくりと起き上がると、ソラの目を真っすぐ見る。ソラは怯んでしまう。
「で、出来なかったら?」
「天晴がオレの欲求不満の処理を手伝ってくれよ」
「やだよ。どうしておれが……?」
「友達だろ?」
 縋るような期待に満ちたキラキラした目で秋本は言う。そんな目を向けられたって、ソラにはどうすることも出来ない。

「友達は、ぜぇったいそんなことはしないっ」
「いーじゃん、オレと一回くらい。どーせ先輩とはエッチなこと山ほどしてるんだろ?」
「し……、してないよっ。秋本の阿呆!」
「やった。これでオレも日照り期間から脱出出来る」
「なっ、誰もオーケーしてないだろっ!話を聞けよっ」
「楽しみにしてるからな!」
 極上の笑顔っていうのはこういうものなんだ、とソラは頭の片隅で思った。
「は、はあ?」
「さーてと、スッキリしたところでさっさと飯食ってバスケしに行こうぜ」
「おれはちっともスッキリしてないんですけど……」
「まあまあ、細かいことは良いから。たまには天晴も運動した方が良いって。じゃないと太るぜ?バリバリの文化部だし」
(悪かったなぁ……どうせ、中学のとき太ってたよ……)
「ほらほら天晴、そのパン、ガバッと一気に食っちゃって、早く外行こうぜ」
「判ったよ、もう……」

 ソラは不承不承、袋に残っていたカレーパンの残りの一切れを口にして、ミルクで流し込んだ。秋本は変なところが鋭くて困ってしまう。
 付き合う、付き合わない、そのことをソラはこの頃良く考えている。
 紫藤との関係は一向変わる様子もなくて、少し変わったといえば、紫藤が美術部の活動に頻繁に出没するようになって、ソラにセクハラをしていくことくらい。
 それがまた、部員の目を盗んだギリギリのことばかり――ソラの腿の内側と撫ぜたり、耳を噛んだり――をするので、ソラは活動の度に精神をすり減らしている。だけど、そういう迷惑な悪戯もなければないで寂しい感じもする、とソラはすっかり紫藤に傾倒しているのだ。
 多分普通は、そのくらい相手に好意を持っていれば、付き合う、というのは自然のことなんだろう、とソラは思う。だけどソラは、中学まで恋愛のれの字すら触れたことはなかったし、妄想はしたけど想像はしたことがなかったから、いざ自分がそいう場面に直面して、どうしたらいいのか判らないのだ。

「先輩、おれと付き合って」とでも言えればいいけれど、ソラにはそーんな偉大な自信はどこにもない。
 それにどちらかというと、今のままの、家族ぐるみの親密さというのも、ソラとしては気に入っているのだ。
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