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しろとくろ

♨忘れた頃に、口付け

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 その日の黒板にも、部活が終わったら、実技棟に来いよ、と紫藤からの書き込みがあった。この頃紫藤は、前にも増して創作に頑張っている。
 大学の方である新入生歓迎会に冷やかし程度の絵を描いてみるか、と紫藤は言い始めて、おじいさんとの約束の作品の傍ら、別の作品を作り始めていた。それはポップな色使いで、妖精がピョンピョン跳ね回っている可愛い絵だった。
 今日当たり完成だな、と紫藤は言っていたから、ソラはそれを見るのを楽しみにしていた。それに、出品する用の絵も、愈々その形が明らかになって来た、と紫藤は言ていたし、順調に作品の完成を迎えられそうな予感がある。そういう紫藤を見て、ソラもワクワクしていた。
 作品の搬入期限はあと約一ヶ月。順調に波に乗れれば二週間で完成できる予定らしいから、期限までには余裕で完成出来そうだ。
 そうして入賞できれば、紫藤は家を出ることが出来る。
 家を出ることが紫藤にとって、本当に良いことなのか、ソラには判らないけれど、家の事情を考えれば、それも仕方ないのかもしれない、とソラは思う。



 放課のあとソラが荷物をまとめていると、クラスメイトに呼ばれた。どうやら廊下でソラを待っているひとがいるらしい。
(誰だろう……先輩かな?)
 でも相手が紫藤のときには、クラスメイトに十中八九、
「ダーリンのお迎えだぞ~」とからかわれるのが常なのに。それにソラを呼んだクラスメイトは、ソラを呼んでいるっぽい奴が居る、という曖昧な言い方をしていた。ソラは釈然としないまま、カバンを持って廊下へ出た。
「ハロー」
 愛想なく手をひらひらとさせて、その人物は寄りかかっていた壁から、体を起こす。
「げ……」
 ソラは隠すことなく、感情をそのまま口にしてしまい、慌てて口を抑える。
「別に良いよ。歓迎されようなんて思ってないし、アンタに歓迎されても気味悪いだけだしね」
 天災とシオウは忘れたころにやって来る。とソラは心の中で皮肉を言った。
(やっぱ、感じ悪……。だけど――)

 倒れたときの紫藤のように、今のシオウもまた顔色が芳しくないのが気にかかった。紫藤と似た端正でどことなく華やかな容貌には、精気が乏しい。
「どこか、具合悪いの?」
 思わず尋ねてから、薮蛇だったとソラは後悔した。
「何言ってんの?頭、とうとう沸騰しちゃった?」
 けらけら意地悪く笑い、ソラを嬲るのは前と全く変わりない。シオウを少し理解できた、だなんて単なる思い込みだったんだ、とソラは思う。気にかかった事実をソラは脳内から削除することにした。
「オレがここ来たわけ判る?」
「先輩を、家に連れ戻すため、だろ。もう聞き飽きたよ」
「ふーん。カンに触るけどまあ良い。その通りだよ」
「それで、おれのクラスをわざわざ尋ねて、おれに何の用?これから部活に行かなくちゃいけないんだ。早くしてくれる?」
「早く出来るかは、アンタ次第かな」
 シオウはじっとソラを凝視する。
「……こんな奴のどこにウェヌスが居るって言うんだか……。つまらないどこにでも居るガキじゃん」
「ガキは――(あんたも同じだろ)」
「でも、もしも一億分の一位の確率でアンタの中にウェヌスがいたとしてさ……」
 シオウはソラの右肩に右手を添え、時を移す間もなく、すうっと顔を寄せて来る。奥の見えない目でシオウはソラを見つめて来る。
「な、なに……」
「そのウェヌスが、自分以外の男に穢されても、兄貴は今までのようにアンタを求めると思う?」
「言ってることが判らない……」
「オレは、ノーだと思うよ」
「え?」
 冷めた表情のまま、シオウは強引にソラの肩を引っ張り――――
 口づけをする。
 唇に湿った温もりが触れて、ソラはハッと気づいた。
(いやだっ……)
 どんどん、とソラはシオウの胸を叩く。シオウはそんなものものともせず、ソラの口唇の隙間をぬって、舌を差し込んで来る。ぬるっといやな感覚がソラの舌へ触れる。ぞぞっと背中に電気が走った。嫌悪感と……認めたくないけれど快感が糾って背中を駆け登ったのだ。

「んん……っ!」
 こんなクラスの前で、誰が出て来るとも判らないのに、どうしてシオウはこんなことをするんだろう。それに、何で突然。
ソラは抵抗を繰り返しながら、始終そんなことを頭に巡らせていた。ソラが息を切らせる頃になって、シオウは漸く唇を離した。
 離れたシオウの唇はほんのり赤く染まっていて、ソラは思わず目を背ける。
「な、何でこんなこと……!」
「こんなことって、単なるキスじゃん。何、感じちゃってんの?」 
 そういうシオウの頬も赤く染まっているのだが、ソラはそんなことに目を向けている余裕はなかった。
 ソラはぐしぐしと唇を拭うと、踵を返す。
「待てよ。誰が行って良いって言った?」
 二の腕を痛いほどに掴まれて引っ張り戻される。
「は、離せよ……っ。やだっ触るな!」
「……何その態度。兄貴なら足開いて突っ込ませてやるけど、オレには触られるのもおぞましいって?」
 シオウはそのままソラを背中ごと抱え込んで、きつく羽交い締めにする。ぎりぎりと腕が食い込んできそうなくらい痛い。
「い、痛いっ」
「みんな兄貴兄貴って……あいつなんか単なる売女の子供だろ。ただ生まれて来るのが早かっただけなくせにっ」
 そう紫藤への讒言を重ねようとするシオウの声は、悲痛そのものだった。今は辛いことがあってそう言うだけで、多分、本心は別のところにあるんだとソラは思った。
 腕が僅かに緩んだ隙に、合間をすりぬけ、ソラはシオウの呪縛から逃れる。シオウは見放された子供のような顔をする。
「あ、あれ……」
 そのシオウの顔が三つにも四つにも見える。ふわふわっと頭の中にこもった空気が忍び込んでくる感じがした。体中がだるく、重くなっていく。
「え……なにこれ……」
 するすると意識が抜けていくのがわかった。ソラは、しっかりと床に立っていることも出来そうにない、と頭で思ったきり、底なし沼のような眠りに落ちていった。
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