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夫の強敵、それは

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 自宅に戻り融に報告する。佐鶴夫婦の記憶が破壊されていたことや、紫の男性のこと、そして禁書の気配のことを話す。以前垣根州の大学に現れ出た、落日が佐鶴夫婦の記憶を集めていることまで、報告した。

 万理が形容する「橙の女」「青い少年」のことを、甲子童子は「楽月」と「亡海」と呼んだ。そして紫の番傘男性のことは「悲雨」と言った。

 私は、
「悲雨に自分の記憶を見られたかもしれません」と融に告げる。
「何の記憶だか、分かりますか?」
 と融に聞かれるけれど、私は関係性の含まれる呼び方で「彼女」と呼ぶことが苦手だ。

「私を産んだ人の記憶です」と告げたら、
「他人行儀な呼び方だ」と甲子童子が言う。
「仕方ないの、呼べないから」
 と私は言った。迷いなく「お母さん」や「ママ」と呼べるのは、受け入れてもらえる自信がある証拠だと思う。呼んだとたんに、叩かれるか怒鳴られるかならば、そうしているうちに、呼べなくなっていく。
 話したかった言葉は、その場で朽ちていくのだ。

「そっか。美景がメロメロだったのは、お母さんなんだね」
 と万理が屈託なく言うので、私は息が止まりそうになる。
 けれど、言いえて妙だ。私がずっと、求めて、求めてやまないのは、「彼女」なのだろうから。恋愛がしたかったわけじゃない。温もりが欲しいだけなのだろうから。

 表の仕事として養護教諭を選んだのも、子ども達の心や健康を護りたかったからだ。それは「子ども達」のという隠れ蓑をまといつつも、かつての自分を救いたいだけなのだと思う。
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