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口づけ文化圏

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 その日、寮に帰ると琉来が尋ねてきた。デュアル部屋で何が行われたのかが気になったらしい。
 ドアを開けるや否や、琉来の痛いほどの視線が刺さる。

「あなたはどちら様ですか?葉はどこに?」
 と言った問いから始まり、あちこちに視線が飛んでくるのを感じた。
 オレとの関係性を聞いてくる。オレが花菱葉本人だと、説明してもなかなか理解してもらえない。

「葉がこんなナイスバディな女の子なわけない!女の子連れ込むなんてズルい、最低だ!」
 と罵りはじめるのだった。
 騒ぎを聞きつけた他の寮生も部屋にやってきて、オレの姿を見て息を飲む。
 どうやら、今のオレは柳が言う通り、他の寮生が色めき立つだけの容姿を持っているようだった。

「魔法でこうなったんだって!」
 そう話しても、誰一人聞き入れてくれない。
 なんでオレの部屋に女の子がいるのか?
 と大騒ぎしているのだった。

 学園に入学する学生は、近隣の国から来ている者が多い。
 男女を分けた教育や暮らしを経験した者が多いせいか、男性は女性に、男性は女性に幻想を抱いていると聞く。オレは辺境の土地から来たこともあって、女性に対して幻想は少ない。
 文化の面でも色々な違いがあるようなので、オレはここに来る前に文化面を重点的に勉強をしたのだ。

 友達の女性幻想に心底困ってしまったところで、ドアの方からよく通る声が聞こえた。
「花菱葉はいるか」
 そう言って入ってきたのは、蓮見麗史様その人だ。そして傍らには柳がいる。
 麗史様の声に、部屋の入口を塞いでいた連中は、さっと左右に避けて道を作った。麗史様はオレの姿を正面から見据え、目を見開く。

「なぜ、こんな……」
「花菱葉の魔法です。変換魔法なのかもしれません」
「それにしても……」

 麗史様の視線が突き刺さる。
 麗史様がこんな風にオレを見るのは初めてじゃないだろうか。麗史様の様子をみて柳がくすくすと笑うのだが、オレにはどこか面白いのか理解が出来なかった。

「魔法による変化だとしても、このように騒ぎ立てていては、学園生活に支障があると思いませんか?風紀が乱れる可能性も否定できません。花菱には一時的に別室に行ってもらってはどうでしょうか」
「風紀の乱れって。別にオレは変なことするつもりないけど」

 麗史様の視線がオレの部屋着に向けられる。いつものように、制服から部屋着に着替えただけのラフな格好だ。シャツに短めのズボンをはいている。
 シャツに向けられていた視線はすぐに逸らされた。
「なるほど部屋の用意も必要だが、衣類も必要だな。女性寮の協力を仰がねば」
「何か、問題があるんですか?」
 オレが尋ねると、麗史様は向きなおってくる。

「そのように無造作も行き過ぎれば、心が乱れる者も多いだろう。女人と触れ合い経験のない者も多い」
 麗史様は撫でるように、オレの全身に視線を滑らせる。
「蓮見様もお心当たりがおありなようで」
 と柳が言い、麗史様が柳ににらみを利かせた。
 さすがチームプレーか、とオレは思う。

「とにかく、花菱には急遽部屋を用意する。ついてこい」
 そう言って、麗史様はオレの手を引いた。
 え?嘘だろ、と思う。
 麗史様がオレに触れようとすることがあるなんて信じられない。


 手を引かれるままに案内されたのは特別棟だった。特別棟には帝王や党首が住んでいる。
 つまり、麗史様や柳が住んでいる場所ということなんだけど。

「え、ここはさすがにヤバくないですか?オレは一般生徒だし」
「今のところ、ここしか用意できそうにない。ここであれば、最低限の安全性を担保できるだろう」
「ま、内部の奴らが善良なら、ですけどね」
 柳は言う。
 その後柳は、一度一般棟の様子を見に戻る、と言って去っていった。


 特別棟の内部は、他の部屋との間に間隔があいている。
 理由はそれぞれの部屋に、シャワー室や応接室があるため、空間を広くとっているからだという。
 一番端の空き部屋を部屋として使っていい、と麗史様は言った。

「後から壮也が荷物を運び入れてくれるだろう」
 と言うのだけれど、荷物くらい自分で取って来られると思う。

 そのまま口にすると、
「お前が思う以上に、文化の違いは大きい。女性と見れば、即座に婚姻を意識する者、よからぬ想像をする者も少なくない。危険は避けておくのに越したことはないだろう」
 と言うのだった。

「え、本当ですか?性別幻想がそこまでとは思いませんでした」
「幻想、か。そこまで言い切れるのも中々だと思うが」
「学園の近隣地域では男女が共寝をしたくらいで、子を成す幻想をする。たしかに、そんな風に学びました」
 オレが何気なく口にした言葉に、麗史様はむせてしまう。何かおかしなことを言っただろうか?

「文化の違いはあまり口にしないほうが利口だ。自身の身を守るためにも」
 麗史様がそう言うのであれば、そうなんだろう。
 麗史様自身も、血縁も地縁もなく、この地域で自らの力だけで帝王に上りつめた身の上だと聞いている。

「分かりました、教えてくださってありがとうございます。さすが麗史様ですね」
 とオレが口にすると、麗史様は心底驚いたような顔で、オレの方を見た。

「学びを極めていると聞いている。しかしこの頃は、私の元には来ないな」
 たしかに、今までのオレは麗史様の元を訪れては、アピールをしていたように思う。
 麗史様の名前を連呼してみたり、学科試験の結果を報告してみたり、自己アピール過多の自覚はあった。
 数いるうちのパートナー候補の一人にすぎない自覚があったので、まずは存在を認識してもらおう、と思っていたからだ。

「結局のところ、麗史様は中身が伴わない人間が、お好きではないと思いました。きっと、今のままのオレは麗史様には選ばれないと思っています。それに、オレ自身もせっかく学園にいながら、狭い視野で物事を見ていたな、と反省していて。ですから、この頃は色々な視野から学んでいます」

「お前はたしかにパートナーとしては、不十分な面も多い。だが」
 麗史様は言葉を飲み込んだ。

 その時、
「とりあえずの着替えや、身の回り品、学用品は持ってきてみた」と柳がトランクケースを転がしながらやって来た。
 トランクケースを部屋の前に置き、着替えの入った手提げを渡してくれる。中を見ると、女性ものの下着や服が入っていた。

「ありがとう」
「他に必要なものがあれば言ってくれ。残っている私物も後で運んでくる」
「悪いな、柳。助かる」
「いや。こちらも好奇心で動いている部分もあったからな。特に魔法に関しては。魔法の発動に居合わせてしまったのも何かの縁だ」と言う。

 柳は悪い奴じゃない。
 一度最悪な結末を経験しているからこそ、今までよりは少しは広くものを見れるようになったかもしれない。

 オレは少しだけ背伸びをすると、柳の首に手をまわし、柳の唇に自分の唇をつけた。
 オレの故郷の親愛の合図だ。
 性別や年齢は関係なく、信頼できる相手に送る合図の一つでそれ自体に大きな意味はない。

「ありがとう、助かった」
 そういったときをはじめとして幅広く使える合図だ。
 もちろん、挨拶にも使える。

 軽く触れていたつもりが、一度つけた唇は離されることなく少し角度が変わる。
 さらに腰に手が回る気配がした。
 なんだ?と思ったとたんに、
「何をしている!」
 といった麗史様の声ですべてが霧散する。

 オレは柳から離れた。
「麗史様?どうかされましたか?」
 オレは麗史様に聞くけれど、頬を少しだけ赤く染めた麗史様がこちらを睨んでいた。

「お前たちは、どんな関係なんだ?」
「どんな関係?知り合いですけど。どうかされましたか?顔が赤い気がします」

「では壮也。花菱とは、どんな関係だ?」
 柳は柳で、
「花菱の言う通り、知り合いかと。でもすみません、つい、条件反射で」
 と言った。

「今の行為は、知り合いで行うものなのか?」
 わなわなと震える声でいう麗史様だったが、オレにはその動揺の理由が分からない。

「オレの育った地域での親愛の口付けです。これ自体には何の意味もありません」
「では、壮也にとっての今のものは、なんだ?」

「突然やって来た幸運ですかね。オレの育った地域での口付けは、とりわけ親密な者同士の愛情確認で行うものです」
「え!?」

「場合によっては、より親密な行為への入り口でもある」
「同じ見解だ」
 と麗史様は言う。
 二人にじっと見つめられ、オレはやるせなくなってきた。

「危険だな」
 と麗史様は言う。柳も頷いた。
「そんなつもりはなかったんです。ありがとうの意味で、しただけで」
 オレは柳の方を見る。

「ありがとう、の流れのまま、より親密なことに進む可能性もあるけどな」
「別に仲良くなるのは問題ないんじゃ?」
 オレがそう言うと、麗史様は美しい顔を歪めるのだった。

「親愛の合図であるならば、私にもできるのか?」
 と言ってくる。
「できます。恐れ多いですが。してもかまいませんか?」
「あれめずらしい、嫉妬ですか?」
 と柳が言い、麗史様はにらみを利かせる。
 オレは背伸びをして、麗史様の唇に触れようとするのだけれど、
「今はいい」
 と顔を背けられてしまった。
 やっぱりオレは麗史様のお眼鏡にはかなわないらしい。

「文化の違いについては、先ほども話したな。お前の育った地域での常識が、ここでは通じない場合もある」
「口付けや共寝のことですね?」
「そうだ」
「お前の意識を悪用する人物もいるかもしれない。学園にいる以上は、共通認識で行われないそういった行為を認めるわけにはいかない」

「つまり、出来れば口付けはしないほうがいいってことですか?少なくとも麗史様はイヤだということですよね?」
「いや、それは。イヤだと言えば語弊があるように思う」
 麗史様は口ごもり、一方で柳が軽快に言うのだった。

「イヤじゃないけど。された場合、蓮見様をもってしても、制御できないことがあるってのを暗に言っているんだよ」
「もってしても、制御できない?ちょっとオレには難しいな。口付けでそんな風になったことがないし」
 オレの言葉に柳がいともおかしそうに笑う。中々手ごわい奴だな、と言って。
 麗史様は頭を抱えてしまった。

 文化の違いは難しい。
 その日の教訓はオレの頭の中にしっかりと刻まれたのだった。
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