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 どうしようもない不安が、身体に重くのしかかる。どうして美佳は私に何にも言わないんだろう。翔も、どこへ行ってしまったんだろう。私たちは、友達なんじゃないのか。
 こんなふうにみんな、ある日突然いなくなってしまうのか。真一も、消えちゃうんじゃないか。だから、誰かと親しくなんてなりたくなかった。大切な人ができればできるだけ、寂しくなる。自分が寂しがり屋だって気づいてしまう。
 すがる思いで、二日続けて美佳の自宅へ行った。
 インターフォンを押すとやっぱり美佳の母が出て「美佳はいません」と言うだけだった。
 真一は、ものすごく不安そうな顔をしていて、それを見ていると私は泣きそうになった。私だって、心配だ。どうしたらいいのかわからない。

「きのう、俺もまたLINEしたんだよ。電話も何十回もかけた。もう、ストーカーと思われてもいい、着信拒否されてもいいから、とにかく出るまでかけ続けようと思って。だけど、全然出ないんだ」
「私も電話した。LINEが一通だけ返ってきたんだけど、好きな人ができたってだけの連絡で、それ以上は、何も……」

 仕方ない。私たちはまた帰るしかない。
 すると、家から誰か出てきた。美佳の母ではない。

「あの、きのうも来てくれましたよね? 私、美佳の姉の美貴です」

 姉がいるなんて、知らなかった。
 美貴さんはとても綺麗な人だった。美佳は姉にも似ていて、姉妹、いや母も併せて、美人家族だ。美貴さんと美佳は特に、目元がよく似ている。

「母があんな態度で、ごめんなさい。もしよかったら、ちょっとそこの喫茶店で話できないかな?」

 私たちは、言われるまま美貴さんについていった。
 美佳の家から歩いて五分もかからないところに、小さな喫茶店があった。そこに入ると、三人ともアイスティを頼んだ。

「美佳は、もう一週間も帰って来ないの」

 美貴さんは唐突に、そう言った。

「突然、なんですか? それとも何か言ってましたか?」
「突然よ。私たち、家族仲が悪くて。美佳は家族の誰とも口を利かないの。いつも夜遅くまで出歩いてるし、美佳が友達を連れてきたのは小学生以来、多分あなたが初めてだと思う」

 確かに、友達は少ないと言っていた。だけど、いつもそんな夜遅くまで何をしているのだろうか。

「えっと、お名前は」
「すみません、私谷口夏芽です。こっちは、小林真一くん。大学では美佳といつも一緒にいます。この前も、一緒にグアムへ行ったばかりで」
「ああ、ふたりと一緒に行ったのね。何にも知らなかった。グアムに行くってことしか、知らなかったから」

 アイスティが運ばれてきて、美貴さんはそれにすぐ口をつけた。喉が渇いていたようだった。
 半分くらい一気に飲んで、また話し始めた。

「美佳は、私や家族を嫌ってる。それだけは、よくわかってるの。両親は、昔から教育熱心なところがあって。美佳は頭はいいんだけど、すごく反抗的で。私は言われた通りのことしかできないような人間だから、美佳は次第に誰とも口を利かなくなって、中学のときは少しだけ登校拒否にもなった」

 美貴さんは大学卒業後、大学院へ進学。両親は素直で出来のいい姉ばかりを可愛がるようになった。もちろん、美佳に対して暴力を振るったりとか、育児放棄したりとか、そんなことはない。でも家族の仲はどんどん悪くなっていったと言う。
 最初は、美佳も姉のようになろうと必死に勉強したり、部活を励んだりしていたのだそうだ。何度か表彰された経歴もあるという。中学では成績は上位だったし、バスケ部ではエースだった。優勝経歴をたくさん持つ有名校だったとか。でもある日突然「もう全部が嫌になった」と言って、学校へ行かなくなってしまった。
 美貴さんはただひたすら、美佳について話した。
 滅多に話さないという割に、美佳をよく知っている。それはたぶん、美佳がずっと心配だったのだろう。

「高校のときにも似たような出来事があって。突然いなくなって、警察沙汰になって。結局、発見されたときは彼氏の家に転がり込んでいて、同棲みたいになってた。相手は社会人だった。今回も、また同じじゃないかって、心配なの。両親ももちろん心配はしてる。だけど、誰の連絡にも反応してくれない。警察にも一応届けてあるんだけど」

 美佳のことを、私はこれっぽっちも知らなかった。愕然とした。驚くくらい、何にも知らなかった。美佳がどんな思いでこれまで生きて来たのかも、家族のことも。話してくれないならそれでいいと思って、何も聞かなかったけれどそれで本当によかったのだろうか。美佳はいつか、今美貴さんがしてくれた話を、美佳の言葉でしてくれたんだろうか。
 いや、私も同じだ。
 美佳にも真一にも、自分のことは何一つ話していない。家族のことだって、桃香のことだって、友達なんていらないと思っていたことだって。私が、ただ大学時代を過ごすためだけの友達だと思っていたばっかりに、こんな騒ぎになってしまった。

「……美佳は、本当に好きな人ができたんだって、きのうの夜に連絡をくれました。でもそれだけで、他には何も言ってくれなくて」

 美佳がどこにいるのかわからない。無事なのか、好きな人がどんな人なのか、わからない。
 急に、美佳がすごく遠い人になってしまった。全く知らない人と言っても過言ではない。
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