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「……いてて」

 真一が、目をこすっていた。右目だ。……まさか。

「俺たち探します。美佳ちゃんを」

 真一は、はっきりとした口調でそう言った。いつもの真一の口調とは違う。真一ではない。きっと、翔だ。

「大丈夫、美佳ちゃんは絶対に見つけます」

 ともう一度、美貴さんと私を交互に見て言う。

「だって、どこにいるのかわからないじゃん。どうやって探すの」

 私が言うと、

「だったら、そこら中駆け回っても探すんだよ。美佳ちゃんは、俺たちの大切な友達なんだから。お姉さんが話してくれたこと、俺たちは何一つ知りませんでした。だけど、きっと話せなかったのは理由があると思うんです。いつでもいい、今すぐでなくてもいい、そうやって話してくれる日がいつか来るなら、それでいいと思うんです」

 真一はそう言って、笑っている。私は今にもこぼれそうな涙を堪えながら、大きく頷いた。

「お願いします。私もできる限り、美佳の知り合いを当たってみます。これ、私の連絡先です。何かわかったら、すぐ連絡ください」

 テーブルの脇にあるナプキンに、電話番号を書いてくれた。私は受け取って、すぐにスマホに登録する。
 真一は店を出ると行き先が決まっているかのように、歩き出す。

「真一、どこ探すの?」
「俺、ちょっと心当たりがあるんだよ。美佳ちゃんがいそうなところ」
「心当たり?」

 日が、少しずつ短くなっていた。太陽がビルの間に沈んでいき、そろそろ暗くなりそうだ。
 この時期は、無性に悲しい。
 夏が去るこの時期だけが何より、寂しかった。
 無言で真一のあとをついていった。駅に行き電車に乗る。四つ目で下車し、真一は住宅街の方へと歩いて行った。
 全く知らないアパートの前で立ち止まる。そして、白い車が駐車場にあるのを確認して、二〇三号室へ急ぐ。

「ねぇ、誰の家?」

 小声で真一に訊ねると「ここに、美佳ちゃんがいるはずだよ」と言う。

「どうして知ってるの? なんで早く教えてくれないの!」

 つい大声を出すと、唇に指を立てて「静かに」と言われた。

「実はきのう、偶然美佳ちゃんを見つけて尾行したんだ」

 真一ならそんな大事なこと、今の今まで黙っているはずがない。
 私は首を傾げつつ表札を見た。二〇三号室には表札はない。だけど、部屋の中から声が聞こえた。美佳と、男の声だ。何やら揉めているように聞こえる。ドア越しなので、話の内容はもちろんわからない。
 真一は躊躇わずにインターフォンを鳴らした。しかし、部屋がしんと静まり返っただけだった。誰も出て来ない。
 もう一度、インターフォンを鳴らしてみる。すると男が出てきた。

「はい、何でしょう」

 ドアを開けて顔を覗かせる男は、二十代後半か三十代くらいで、金髪に白い肌をしていた。手には煙草を握っている。

「西野美佳、いますか」

 男の異様な雰囲気にも動じず、真一はそう言った。私は怖くて真一の後ろに隠れるように立っていた。

「美佳? ここにはいませんけど。俺しか住んでないんで」

 そう言って男はドアを閉めようとした。真一はすかさず、ガッと足をドアの間にねじり込ませる。

「おい、何だてめぇ。警察呼ぶぞ」
「それはこっちのセリフだ。美佳を出さねぇと警察呼ぶぞ。呼ばれて困るのは、そっちだろ」

 絶対真一ではない。翔だとはっきりわかった。
 男が緩んだ瞬間に、真一はそのままずかずかと家に入って行って、美佳を引きずり出してきた。

「離して! あたし帰らないから!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ美佳の姿を見て、私はさらに驚いた。タンクトップに短パン姿で、身体が酷く震えている。露になった肌のあちこちに痣があった。

「美佳ちゃんの帰る場所は、ここじゃないんだ。俺たちのところだろ?」
「美佳! どうしたの? どうしてこんなに……!」

 駆け寄って、美佳を抱えた。
 男は面倒くさそうに「あー、さっさと連れてって帰ってくれる?」と言った。

「いつまでもここにいて、邪魔だし」

 警察呼ぶぞと言ったさっきの口調とは違い、怠そうに言った。

「え……どうして? あたしのこと好きでしょ? そう言ってたじゃん」

 美佳は男の腰にまとわりついた。泣きながら、必死にしがみつく。

「美佳、帰ろう。ここにいたらダメだよ」
「あたしはここにいる! ここにいたいの!」

 小さな子どもみたいに、駄々をこねるみたいに、そう言って離れない。

「邪魔だよ、さっさと帰れって。もうお前、金持ってないんだろ。もう用はねぇんだよ」

 吐き捨てるようにそう言って、美佳を足で蹴り飛ばした。私はそれを抱きとめて、真一も肩を貸した。ふたりで、力がなくなって自力では立てない美佳を抱え、部屋を出る。

「今後、ここに近づくんじゃねぇぞ」

 と男は言って、乱暴にドアが閉まった。
 美佳はねじが取れて壊れたおもちゃのように、ただただ、泣くだけだった。私も泣きそうだった。怖かった。あの金髪男の声が耳から離れない。まだ耳元で話しているみたいだった。
 足が震えて、一歩一歩が小さくふらつく。

「美佳ちゃん。お家、帰ろう。みんな心配してるよ」

 でも美佳は、泣いたまま何も言わない。
 私はさっきもらった美貴さんの電話番号に連絡をした。すぐに車で迎えに行くと言われた。
 辺りはもう、すっかり暗くなっていた。
 近くに公園があったので、そこのベンチに三人で腰掛ける。公園のど真ん中にある滑り台は、赤いペンキが剥げていて寂し気に見えた。美佳は、まだ泣いていた。
 私はなんて声をかけていいのか、わからなかった。心配していたという気持ち、こんな危ないことをしてどういうつもりなんだという怒り、どうして何も言ってくれなかったのかという寂しさ。全部がいっぺんに出てきてしまったものだから、ただただ、無言になってしまった。頭の中で、言葉をうまく並べられない。
 真一は「お茶でも買って来るよ」と自販機へ歩いて行った。
 美佳はちょっと見ない間にずいぶん小さくなって、痩せたような気がした。それに、こんなに傷だらけになって。
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