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1. 出会う
しおりを挟む『依斗(いと)ってホント人運ないよな』
これは小学校からの幼なじみ兼親友である潜(ひそむ)に、俺が散々言われてきたセリフである。
確かに、人間関係のトラブルは何かと多かった。でもその度に潜が何とかしてくれていたから俺にとっては些細なことだった。それに高校にあがる頃には無駄に友達つくるのも止めて、常に潜と過ごしていた。俺には潜さえいればよかったから。
だから、潜に甘えていた俺は分からなかった。
潜と離れた俺がどうなるかということを。
「依斗く~ん、一緒にお家帰るよ」
大学校舎の廊下で、カツカツと鋭いヒールの音を響かせながら追いかけてくるのは同棲している彼女。
そんな彼女から俺は絶賛逃げている途中である。
大学2年生になってから、バイト先で知り合った2個上の彼女は、第一印象は大人しい人だった。お金に困っていたこともあって付き合った後に家賃折半の同棲をお願いしたら快諾してくれたのは2ヶ月ほど前。そこから彼女の様子はおかしくなっていった。
所謂、メンヘラ気質。スマホのチェックはもちろんスケジュールと位置の共有は絶対。それだけで済めばよかったのだが、ここ1ヶ月で少し攻撃的な言動が多くなってきていた。言うことを聞かないと暴言を吐かれるし、グーパンや足蹴りもされる。この間は本当に死ぬかと思った。
そんな訳で遂にお金よりも身の安全をとった俺はここ数日ネカフェで寝泊まりしていた。位置共有があるからとスマホの電源もずっと切っていたのだが、その苦労も虚しく、授業を受けに大学に来たところで見つかってしまった。
「連絡もなし、家にも帰らない、位置共有も切ってる。こんなことして許されると思ってんの?」
「……っ、」
そんな言葉を吐きながら追いかけてくる彼女の顔は至って普通であるが、その内実は怒り狂っているのだろう、語気が荒い。
いよいよ危ないと思った俺は、曲がり角でスピードをあげて適当な部屋に飛び込み鍵をかけた。
「はーっ、はー……、暗……」
慌てて入ったそこはカーテンが締め切られていて、昼間なのに光が一切ない部屋だった。暗い室内に目を凝らしながら、しばらくは大人しくしておこうと、息を潜めていたその時。
「…………っ、!」
ヒヤリとした感触が首に走ったと思えば、人の気配が真後ろにあることを認識した。人はいないと思っていたからビックリしたのと、異様に距離が近いことに心臓が大きく波打つ。首元にかかっているのはおそらく手であろうが、それはとても冷たくて、人でない何かのような雰囲気に振り向くこともできない。
すん、という鼻息がうなじにかかる。何故か匂いを嗅がれていることに恐怖し身を固めていた時、突然身体が半回転して無理やり向かい合わせになる。
暗くて顔はよく見えない。けれど、見上げた先に怪しい赤い光が2つ宙に浮いていて、それが瞳だとわかったときには怖くて声も出なかった。
「……、は、」
何故かその赤い光に目が離せないでいると、突然強烈な耳鳴りと頭痛に襲われ、息ができなくなる。
「……っぐ、……っ」
時間にすれば10秒も経っていなかったと思う。耐え難い気持ち悪さで、咄嗟に目の前の人の胸元あたりを力いっぱい押せば、目線は外れて先程までの奇妙な感覚は無くなった。
「はーっ、はーっ、……」
大きな呼吸で乱れた息を整えていると、突き飛ばした人物が近づいてくるのが分かった。緊張から肩に力が入り、身構える。
「どうして効かない?」
「……え?」
突如発せられた声は聞き心地のいい低音で、相手が男なのだとわかったが、その言葉の意味が分からない。
先程のように至近距離に来ることもなく、おそらく目の前で突っ立っているであろう人物。
とりあえず不審なことに変わりはないので、面倒事になる前にここから去ろうとドアノブに手をかけたその時。
ゴンゴンゴンゴン!
「依斗くーーん。ここにいるんでしょ?あーけーてー」
「あっ……」
彼女の声と力強く叩かれるドアに後ずさる。今度はどん、と後ろにいた男にぶつかってしまい、八方塞がりである。
「なに、誰?知り合い?」
頭を抱えていると、後方から問いかけられる。
思わず振り返れば先程までの赤い光は消えていて、その表情は暗くてよく見えない。俺はおずおずと口を開く。
「彼女、です」
「喧嘩?」
「いえ……。その、彼女の束縛と暴行が酷くて…」
「あー、そういうこと」
すぐに察したようだ。無機質で抑揚のない喋り方。
何だかひんやりとした空気感にたじろいでしまう。
「あんたを助けてやってもいい。その代わり、代償はもらう」
「え…どういう……」
「どうする?」
男からの突然の提案に動揺する。
そもそもこの人は誰なのか、何でこんな暗い部屋にいるのか。助けるって言ったってどうやって?代償って?
圧倒的な説明不足で返答に困るも、これ以上の説明はナシ、とでも言うように男は押し黙ってしまった。
冷静に考えれば怪しい話だが、この時の俺は冷静ではなかった。男の話を断れば、結局今までの生活に逆戻りか、なんなら悪化するかもしれない。
それなら、一か八かで。
「……助けてください」
弱弱しい俺の声は、それでも確かに男の耳に届いたらしい。特に何も返事はなく、男がドアの方へと向かう気配がした。
その直後、男が何の躊躇もなく部屋のドアを開けたことに驚き、俺は肩をはね上げた。
ドアの前には、見慣れた女が立っていて交わった視線は鋭い。
「やっぱ依斗くんいるじゃーん。……で、この人は?」
彼女の強い眼圧から逃がれようと男に目を向ける。
今まで暗くて見えなかったその顔は廊下から漏れ出た光に照らされていた。
黒髪に少しつり上がった眉、切れ長ではっきりとした目に筋の通った高い鼻と形の整った口。
はっきり言って超絶美形。芸能人でも中々見ないレベルのその顔は、これまたスタイルのいい身体と相まって男ではあるが一瞬見とれてしまう。
と、突然静かになった彼女を不思議に思って目を向けると、男を食い入るように見たままぼーっと立っていた。俺と同じで見蕩れているだけかと思っていたけど、途中で何かおかしいのに気づく。彼女の生気を失ったようにトロンと溶けた瞳の先を追うと、男の瞳が赤く光っているではないか。それは暗闇で俺が見たものと同じだった。
一体何が起こっているのかと戸惑いながら、2人を交互に見ていると、数十秒経ったあたりで突然彼女がこちらに向き合うと突然言うのだ。
「依斗くん、別れましょう。今までありがとう」
「えっ」
何の前触れもなく、告げられた別れの言葉に、何も答えられない。そうしてる間にも踵を返して颯爽と去っていく彼女、だった人。
呆気にとられてその後ろ姿を見ていると、肩に置かれた男の冷たい手によって意識がハッキリする。
「そういうこと。…じゃあ代償もらうから」
「ちょっ、せめて何か説明してください。一体何を……」
あんなに俺に執着していた人がこんな簡単に別れてくれるはずないだろう。怪訝な目で男を見つめれば何も気にしていないような顔で見つめ返される。
「洗脳」
「……はい?」
「俺は吸血鬼。能力として洗脳を持ってる」
「ちょっと、冗談は」
突然何を言い出したかと思えば、真面目な顔して何を言ってるんだ。グイグイと引っ張られ、真っ暗な部屋に押し戻される。
「だから、代償としてあんたの血を貰う」
「は、」
俺の肩を強く掴み壁に押付けたかと思えば、襟口をずらされる。
――――と、
ズキ、
「いっ――――!」
頸動脈付近に走る鋭い痛みに、顔を顰める。
か、噛まれた!?
ジュルジュルと液体を啜る音が部屋に響いている。
痛くて怖くて息が乱れる。生理的な涙がじわりと滲む。
肩口に頭を埋めて、こくこく、と小さく喉を鳴らしながら俺の血液を飲む男。肩にジワジワと集まる熱が恐ろしくて頭がクラクラしてくる。
「……っは、美味……。おい、あんた……」
「……、」
恐怖と緊張で意識を手放す前視界に入ったのは、やはり赤く光る2つの瞳だった。
『いいか、絶対1日1回連絡しろ。その日何があったかまでだ』
『流石にそれはやりすぎじゃない?』
『いいや、依斗はこうでもしないとすぐに面倒事に巻き込まれるんだ。何かあったらすぐ行くから』
『え!?それはダメだよ。潜は仕事があるんだから……』
『お前より優先することなんてないよ』
『な、なんだそれ……』
『いいな、絶対だぞ。依斗は本当に人運がないんだから、気をつけろよ』
…何で。
そんなに俺が心配なら、潜はなんで俺に黙って……
「……ん、」
しばらく会っていない親友の声が頭の中に響き渡りながら、目を覚ます。
あれ……、俺何してたんだっけ……?
「やっと起きた」
「……っ」
聞こえた声の方を向けば電気がついてすっかり明るくなった室内で、こちらを見つめる黒髪の美丈夫と目が合う。
その顔から思い出される非現実的な記憶に頭がズキリと痛くなる。
「えっと…」
「あんた、その様子だとやっぱ覚えてんだ」
「何を、ですか」
「俺に何をされたか」
そりゃ、あんなことをされれば忘れたくても忘れられないだろう。考えるだけで噛まれた首元がジン、と痛くなった感じがして手を当てるが、あるはずの傷跡はない。
ペタペタと首元を触っていると、その様子を見た男が小さく息を吐く。
「いくら探したってもう消えてる。吸血鬼の唾液には傷を早く治す効果があるから」
「そ、それ!……吸血鬼って、本当なんですか」
「本当も何も、覚えてるだろ?あの女が大人しく去ったことと、俺に噛まれたこと」
「だからってすぐ信じられる訳じゃ……」
「じゃあこれ見て」
そう言った男の身体は目の前で確実に変化した。耳は先がとんがって長くなり、口から覗く鋭い牙。そして赤く光る瞳。
「この姿は吸血鬼性が高くなったときの本来の俺。
吸血鬼は普段は普通の人間に擬態していながら生活してる。数は多くはないけど、案外身の回りにいたりする」
「……」
未だ信じ難い話ではあるものの、見るからに人間でないその身体的特徴は無視できるものではなかった。
「で、俺の得意な能力は洗脳だけど、あんたには何故か効かない。こんなことは今までなかった」
「洗脳が効かない……?」
『どうして効かない?』『やっぱ覚えてんだ』
何度か男が口にしていた意図の分からない言葉を思い出す。しかし、俺にだって洗脳が効かない理由なんて分からない。
「それと、あんたはおそらくハイブラッドと呼ばれる血を持つ人間だろう」
「ハイ……?」
「質が良くてエグ味がない……簡単に言えば吸血鬼が好む美味い血ってこと」
「俺の血が美味しい……」
急な情報過多に圧倒され、狼狽えている俺に、男はさらに追い討ちをかけにくる。
「そこでなんだが、あんた俺と契約しないか」
「け、契約?」
「これからも俺にその血を飲ませてくれるのであれば、あんたが望む報酬をやる。金でも女でも大抵のものは用意できる。どう?」
「どう?って、そんな急な……」
感情の起伏も見られず、淡々と話す目の前の男。
怪訝な目で見つめると、男は変わらぬ口調で話し続ける。
「ちなみに、俺の手にかかれば先程の女の記憶を戻すこともできるが、それを踏まえると、どうする?」
「は、ちょっ、それ卑怯ですよね!?脅すんですか!?」
「脅してはない。ただそういうことも可能だという事実を言っただけだ」
「…け、警察にあなたを突き出しますよ」
「警察を洗脳すれば済む話」
「……」
喋り方は無機質だが横暴な言いように、改めて自分が置かれた状況を理解した。
潜、ごめん。
俺は自分の人運のなさを今実感したよ。
きっと潜が知ったら激怒するんだろうな。
「どうすんの」
「…………とりあえず、住むところが欲しいです」
「了解」
遠回しに言うが、すぐ理解したのだろう。
その日、何とも怪しい吸血鬼と契約を交わしてしまった。
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