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第一部 脱出編
第14話 記録の夢層
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深層の底を抜けた瞬間、世界が裏返った。
音も、温度も、重力も。
足を踏み出したはずの地面は、液体のように波打ち、
俺の身体は空と床の区別を失った。
「これが……街の夢?」
声が泡のように弾け、空気の中へ消える。
リタが少し先に立っていた。
周囲を漂う光の粒子が彼女の輪郭をかたどっている。
彼女の影は床ではなく、宙に映っていた。
「夢層は構造が反転している。ここでは記録が上から降るの。」
リタの声が二重に響く。まるで誰かが同時に口を動かしているようだった。
俺の胸元では、ポケットの歯車が微かに震えている。
街の呼吸が止まり、代わりに“夢の息”が始まった。
遠くで鐘の音がする。いや、金属の共鳴だ。
数百の配管が空洞の中で鳴り、ゆっくりと和音を組み上げていく。
その響きが、どこか懐かしい旋律を形づくっていた。
――兄貴。
振り向いた。
そこに、タケルがいた。
正確には、“タケルの記録”。
彼の姿は光の粒子で構成され、細部が常に崩れ続けている。
近づくと、温度のない風が頬を撫でた。
「タケル……!」
「兄貴……なのか?」
声は確かに彼のものだった。だが響き方が違う。
まるで、どこかの端末越しに届く遅延音のように、わずかなノイズを孕んでいる。
リタが歩み寄り、慎重に距離を取る。
「ここにあるのは“記録の残響”よ。弟本人じゃない。
でも彼の意識がまだ街と繋がっているなら、呼応はできる。」
タケルの影が微かに笑った。
「兄貴、覚えてる? あの夜さ……雨の配管の下で、俺、走れなかったろ?」
「……ああ。」
幼い日の記憶。
滑る鉄板の上で転んで泣いていたタケルに、
俺は古い軍靴を貸してやった。
「走り続けろ。止まったら街に呑まれる。」
そう言った自分の声が、今になって胸に刺さる。
記録のタケルは、霧のように薄れていく。
「まだ、道は続いてる。リタが……案内してくれたんだ。」
「案内?」
リタが一瞬だけ目を伏せた。
「私は、街に刻まれた“指令”の一部。
本来は、脱出者を監視し、処理するための機構だった。
でも、彼が最後に私のコアへ触れた。
“兄貴を助けて”って。」
「タケルが……?」
リタの声は震えていた。
「私は命令を上書きされたの。だから今も“走り”を導いてる。」
沈黙。
周囲の霧が、静かに波打った。
夢層全体が呼吸している。
霧の中に、無数の影が現れた。
男、女、子ども、兵士、整備士――
街に吸い込まれ、記録となった人々。
彼らは皆、口を閉じ、祈るように立っている。
リタが警告する。
「記録が干渉を始めてる。ここでは、思い出すことさえ危険。」
だが、俺は目を離せなかった。
影たちは次第に一つの形を取り始める。
歯車のような巨大な目。
塔の主機が夢の中で再構築されつつある。
「来るぞ!」
リタが叫ぶ。
影の中心から金属の脚が現れ、鉄の祈祷機が這い出してきた。
その頭部には“秩序”の刻印。
第十制御層の巡閲機――本来なら上層を守るはずの個体が、
今は夢の守衛として立ちはだかる。
俺たちは走った。
夢の地面は柔らかく、足跡が光になって残る。
振り返ると、巡閲機が這い寄り、祈りの詩を機械音で唱えている。
『幸福ハ従順ナ呼吸ナリ――』
光の鎖が背後から伸び、足首に絡みつく。
「リタ!」
彼女は振り向きざま、腕のインジェクターを放った。
赤い火線が走り、鎖が弾ける。
「ここでは“意思”が武器になる。思い出せ、アキト!」
何を――?
問いを発するより先に、胸の歯車が強く震えた。
その震えが波紋のように広がり、周囲の光景が変化する。
配管が螺旋を描き、橋が回転し、塔の影が反転する。
夢の構造そのものが、俺の心拍に反応していた。
リタが呟く。
「あなたの呼吸、街のリズムと一致した……!
夢を動かせる!」
俺は息を吸い、思いきり踏み出した。
地面が軋み、巡閲機の影が崩れる。
その下から、赤錆の床が現れた。
無数の歯車が重なり、波打っている。
その中心に、光の裂け目。
タケルの声が再び響く。
『兄貴、ここだ。夢の出口は、走った先にある。』
胸の奥で、何かが解けた。
俺は走り出した。
リタが後ろを追い、祈りの光を蹴って進む。
追ってくる巡閲機の足音が遠のいていく。
一歩ごとに、夢が形を変え、過去の景色が立ち上がる。
――雨の路地。
――錆びた鉄橋。
――タケルの笑顔。
夢が過去を再生している。
記録の粒子が俺たちの周りを回り、
それぞれの記憶を一枚のフィルムのように投影していく。
リタが息を切らしながら笑った。
「これが街の夢。過去を繋ぎ合わせて、自分を確かめてるの。」
だが、その夢は歪んでいた。
笑顔のタケルの背後に、機械の腕が伸びる。
次の瞬間、映像がノイズに崩れる。
リタが叫ぶ。
「街が夢を見すぎてる! 制御が壊れてる!」
周囲の光が暴走し、床が割れた。
底のない裂け目。
落ちれば戻れない。
それでもタケルの声が聞こえた。
『兄貴、こっちだ!』
俺はためらわず跳んだ。
リタが手を伸ばし、俺の腕を掴む。
二人で宙を飛び、光の裂け目を抜けた。
◇
落下のあと、俺たちは金属の床に叩きつけられた。
痛みはない。ここはまだ夢の中だ。
周囲には白い花のような歯車が咲いていた。
音もなく回転し、淡い光を放っている。
リタが膝をつき、手で一輪を拾う。
「これは……“記憶の種”。」
花弁の中心には、小さな青いコア。
タケルの信号と同じ波形が脈動していた。
「彼の記録が、街の夢から芽吹いたのよ。」
「つまり……彼はまだ、街のどこかにいる。」
リタは頷いた。
「夢が彼を忘れていない。だから、私たちもまだ間に合う。」
上方で、霧が再び動き出す。
夢層が崩壊を始めた。
リタは立ち上がり、手の中のコアを握り締める。
「行きましょう。夢が閉じる前に、次の層へ。」
「次?」
「街の記憶は三層構造。肺、夢、そして――“心臓”。」
俺は息を整え、もう一度走り出した。
背後で夢の壁が割れ、光の雨が降る。
リタのゴーグルが輝き、赤い反射が空に弧を描いた。
霧の向こう、塔の影が再び現れる。
そこには、まだ見ぬ“心臓層”への扉があった。
そしてタケルの声が微かに囁く。
『兄貴、風が……動きはじめた。』
街の夢が、再び呼吸を始めた
音も、温度も、重力も。
足を踏み出したはずの地面は、液体のように波打ち、
俺の身体は空と床の区別を失った。
「これが……街の夢?」
声が泡のように弾け、空気の中へ消える。
リタが少し先に立っていた。
周囲を漂う光の粒子が彼女の輪郭をかたどっている。
彼女の影は床ではなく、宙に映っていた。
「夢層は構造が反転している。ここでは記録が上から降るの。」
リタの声が二重に響く。まるで誰かが同時に口を動かしているようだった。
俺の胸元では、ポケットの歯車が微かに震えている。
街の呼吸が止まり、代わりに“夢の息”が始まった。
遠くで鐘の音がする。いや、金属の共鳴だ。
数百の配管が空洞の中で鳴り、ゆっくりと和音を組み上げていく。
その響きが、どこか懐かしい旋律を形づくっていた。
――兄貴。
振り向いた。
そこに、タケルがいた。
正確には、“タケルの記録”。
彼の姿は光の粒子で構成され、細部が常に崩れ続けている。
近づくと、温度のない風が頬を撫でた。
「タケル……!」
「兄貴……なのか?」
声は確かに彼のものだった。だが響き方が違う。
まるで、どこかの端末越しに届く遅延音のように、わずかなノイズを孕んでいる。
リタが歩み寄り、慎重に距離を取る。
「ここにあるのは“記録の残響”よ。弟本人じゃない。
でも彼の意識がまだ街と繋がっているなら、呼応はできる。」
タケルの影が微かに笑った。
「兄貴、覚えてる? あの夜さ……雨の配管の下で、俺、走れなかったろ?」
「……ああ。」
幼い日の記憶。
滑る鉄板の上で転んで泣いていたタケルに、
俺は古い軍靴を貸してやった。
「走り続けろ。止まったら街に呑まれる。」
そう言った自分の声が、今になって胸に刺さる。
記録のタケルは、霧のように薄れていく。
「まだ、道は続いてる。リタが……案内してくれたんだ。」
「案内?」
リタが一瞬だけ目を伏せた。
「私は、街に刻まれた“指令”の一部。
本来は、脱出者を監視し、処理するための機構だった。
でも、彼が最後に私のコアへ触れた。
“兄貴を助けて”って。」
「タケルが……?」
リタの声は震えていた。
「私は命令を上書きされたの。だから今も“走り”を導いてる。」
沈黙。
周囲の霧が、静かに波打った。
夢層全体が呼吸している。
霧の中に、無数の影が現れた。
男、女、子ども、兵士、整備士――
街に吸い込まれ、記録となった人々。
彼らは皆、口を閉じ、祈るように立っている。
リタが警告する。
「記録が干渉を始めてる。ここでは、思い出すことさえ危険。」
だが、俺は目を離せなかった。
影たちは次第に一つの形を取り始める。
歯車のような巨大な目。
塔の主機が夢の中で再構築されつつある。
「来るぞ!」
リタが叫ぶ。
影の中心から金属の脚が現れ、鉄の祈祷機が這い出してきた。
その頭部には“秩序”の刻印。
第十制御層の巡閲機――本来なら上層を守るはずの個体が、
今は夢の守衛として立ちはだかる。
俺たちは走った。
夢の地面は柔らかく、足跡が光になって残る。
振り返ると、巡閲機が這い寄り、祈りの詩を機械音で唱えている。
『幸福ハ従順ナ呼吸ナリ――』
光の鎖が背後から伸び、足首に絡みつく。
「リタ!」
彼女は振り向きざま、腕のインジェクターを放った。
赤い火線が走り、鎖が弾ける。
「ここでは“意思”が武器になる。思い出せ、アキト!」
何を――?
問いを発するより先に、胸の歯車が強く震えた。
その震えが波紋のように広がり、周囲の光景が変化する。
配管が螺旋を描き、橋が回転し、塔の影が反転する。
夢の構造そのものが、俺の心拍に反応していた。
リタが呟く。
「あなたの呼吸、街のリズムと一致した……!
夢を動かせる!」
俺は息を吸い、思いきり踏み出した。
地面が軋み、巡閲機の影が崩れる。
その下から、赤錆の床が現れた。
無数の歯車が重なり、波打っている。
その中心に、光の裂け目。
タケルの声が再び響く。
『兄貴、ここだ。夢の出口は、走った先にある。』
胸の奥で、何かが解けた。
俺は走り出した。
リタが後ろを追い、祈りの光を蹴って進む。
追ってくる巡閲機の足音が遠のいていく。
一歩ごとに、夢が形を変え、過去の景色が立ち上がる。
――雨の路地。
――錆びた鉄橋。
――タケルの笑顔。
夢が過去を再生している。
記録の粒子が俺たちの周りを回り、
それぞれの記憶を一枚のフィルムのように投影していく。
リタが息を切らしながら笑った。
「これが街の夢。過去を繋ぎ合わせて、自分を確かめてるの。」
だが、その夢は歪んでいた。
笑顔のタケルの背後に、機械の腕が伸びる。
次の瞬間、映像がノイズに崩れる。
リタが叫ぶ。
「街が夢を見すぎてる! 制御が壊れてる!」
周囲の光が暴走し、床が割れた。
底のない裂け目。
落ちれば戻れない。
それでもタケルの声が聞こえた。
『兄貴、こっちだ!』
俺はためらわず跳んだ。
リタが手を伸ばし、俺の腕を掴む。
二人で宙を飛び、光の裂け目を抜けた。
◇
落下のあと、俺たちは金属の床に叩きつけられた。
痛みはない。ここはまだ夢の中だ。
周囲には白い花のような歯車が咲いていた。
音もなく回転し、淡い光を放っている。
リタが膝をつき、手で一輪を拾う。
「これは……“記憶の種”。」
花弁の中心には、小さな青いコア。
タケルの信号と同じ波形が脈動していた。
「彼の記録が、街の夢から芽吹いたのよ。」
「つまり……彼はまだ、街のどこかにいる。」
リタは頷いた。
「夢が彼を忘れていない。だから、私たちもまだ間に合う。」
上方で、霧が再び動き出す。
夢層が崩壊を始めた。
リタは立ち上がり、手の中のコアを握り締める。
「行きましょう。夢が閉じる前に、次の層へ。」
「次?」
「街の記憶は三層構造。肺、夢、そして――“心臓”。」
俺は息を整え、もう一度走り出した。
背後で夢の壁が割れ、光の雨が降る。
リタのゴーグルが輝き、赤い反射が空に弧を描いた。
霧の向こう、塔の影が再び現れる。
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