ひなたぼっこ──京都・鴨川デルタ現譚

宮滝吾朗

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第3話 京の水と日常のごっつぉ

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「わ!おっきい油揚げ!」

舞子が思わず声を上げた。
うなぎ屋さんで教えてもらった通り、お豆腐屋さんはすぐそこにあった。
年季の入った木の看板、「京豆腐」の白い文字。

木綿豆腐、絹豆腐、青紫蘇豆腐、ひろうす、油揚げ、店先のショーウィンドウにはところ狭しと商品が並び、中でも油揚げの大きさが一際目を引く。
店の奥から漂ってくる香ばしい匂いに中を覗くと、大きな木綿豆腐を一枚一枚包丁で切り分け、巨大なフライヤーで丁寧にひっくり返しながら揚げている様子が見えた。
こんがりときつね色になっていく大きな薄揚げ。
さっきのうなぎに負けず劣らず、またもや匂いだけでクラクラするほど美味しそうだ。

「お揚げさん、一枚下さい」

「はい。おおきに」

白いビニール袋に入れて渡されたお揚げさんは、まだほんのりと温かかった。
これだけ大きければ、半分をお味噌汁の具にして、あと半分はこれもトースターで炙って醤油をかけて食べられそうだ。
となれば、後で商店街で九条ネギを買う時に生姜も買わなければならない。
僕と舞子は同時にゴクリと唾を飲み込んで、自転車にまたがった。

「次はこの中立売をずーっと行って、御所の中、突っ切って水汲みに行くで」

「おっけー」

ペダルを踏み込む度、前カゴの中のうなぎが堪らない芳香を放つ。
なんならもうこの場で自転車を停めてかぶりつきたい衝動と戦いながら東へ向かった。

「そこ右曲がったら、こないだ学校の帰りに味噌買ったお店やわ」

堀川の手前で右を指してそう言うと、舞子が

「でっかい木の桶で作ってるって言ってたよね。私も行って見てみたかったー」

と目を輝かせて言った。

「うん、また今度一緒に行こう。お味噌の匂いが店中に溢れててそこも堪らんかったで」

「絶対だよ!」


やがて烏丸通にたどり着き、少し下って蛤御門から御所の中に入る。
舞子に、蛤御門の変で尊王攘夷派の長州が負けて"朝敵"になった話をしながら、砂利道を漕いでいった。
門の柱には今も弾痕が残っている。

御所を突っ切って反対側に出ると、左手に梨木神社の鳥居が見える。
僕達は寺町をちょっと上って自転車を停め、ペットボトルを持って境内に入った。
何人か同じ様な人が集まっている方に行くと、すぐに竹を束ねた蓋がされた井戸が目に入った。
それを横目に、まずは拝殿でお賽銭を入れて鈴を鳴らした。
二礼二拍手一礼。

それから井戸の方に向かう。
手水の水を柄杓でペットボトルに注ぐ人、横にでている蛇口から注ぐ人、皆思い思いに水を汲んでいる。

「わ!私、柄杓で注ぐのやってみたい!」

舞子はそう言って、何度も水を注いでペットボトルをいっぱいにした。
あとは寺町通りを上って商店街の鰹節屋さんで昆布と鰹節を買い、八百屋さんで九条ネギと生姜を買えば今日の買い物ミッションはコンプリートだ。
腕時計は12時を回ったところだった。

◇    ◇    ◇    ◇

「あー!楽しかった!」

舞子は部屋に入るなりそう言って、ソファに"ぼふっ"と飛び込んだ。

「おーい。休憩は食後にしよう。もうずっといい匂い嗅がされて、お腹空いて死にそうや」

「私もー。じゃ、手分けしてお昼作ろう!何したらいい?」

「ほな、舞子はまずご飯炊いて。僕はお味噌汁作るわ」

「おっけー」

舞子はお米を洗って土釜に入れ、手の甲で測りながら染井の水を注ぎ、中蓋と外蓋をして火にかけた。
土釜炊飯はすっかり慣れて、舞子に任せておけば間違いはない。

その様子を横目で見ながら僕はさっき買ってきた利尻の昆布をキッチンバサミで切って流水で洗い、手鍋の水に浸けた。
水はもちろんこちらも染井の水だ。
10分ほど置いたらコンロの火を点け、沸騰する直前で昆布を取り出す。
そこに、鰹節を親の敵のように放り込む。
枕崎の雄節の削り節は、さっきまでのうなぎやお揚げさんに負けじと香りを惜しげもなく放った。
お腹がぐぅと鳴った。
鰹節も、お湯がグラグラと沸騰する前に上げなければならない。
もう一つの手鍋の上に布巾を張ったザルを置き、そこに注いで濾す。
お揚げさんの半分を短冊に切ってお出汁に入れ、再び火を付ける。
しばらくしたらまた火を止め、お玉で味噌をすくって鍋に差し入れ、菜箸で溶いていく。
最初は少なめに、味見をしながら少しずつ味噌を足していく。
これだけ良い出汁で作るのだから、塩辛くなっては台無しだ。

舞子の土釜は蓋の端から上ってくる水分が少しずつ粘り気を増していた。
僕は残り半分のお揚げさんを更に半分に切り、オーブントースターに入れた。
その間に生姜を擦り、ネギを刻む。

土釜の飯は火を止めて蒸らしに入っていた。

トースターのお揚げさんの表面が軽く焼色が付いてカリッとしたら取り出し、次はいよいようなぎを投入。
と思ったが、うなぎが大きすぎてトースターに入らない。

仕方がないので去年の秋にサンマを焼くのに買った石綿付きの魚焼き網に乗っけて、コンロで炙った。
こちらは既にいい塩梅に焼いてくれているから、焼き過ぎは禁物だ。
うなぎの表面に塗られたタレが軽くプツプツと泡立つ程度でいい。

「うわ~!この匂い、堪らないねー!」

「にゃー!!!」

部屋中に溢れかえるうなぎの蒲焼の香りに、舞子とゴローちゃんが同時に声を上げた。
焼き網の上の蒲焼に加えて、トースターには八幡巻きが炙られているものだから、もう狂おしいほどの香りが満ちている。
もし今この部屋の窓の外を腹をすかした旅人が通ったら、この匂いと自分の境遇を比べて泣き出してしまうかも知れない。

ゴローちゃんが足元に絡みついて離れようとしなくなったので、僕はさっき出汁を取った後の鰹節をまな板で包丁で叩いて細かくして、ボウルに入れて床に置いてあげた。
にゃふにゃふと声を出しながらゴローちゃんが一気に食べ始める。
本当は後で昆布と一緒に刻んで酒と醤油でカラカラになるまで炒めてふりかけにしようと思っていたのだが、まあ仕方ない。

「ハルくん、ご飯バッチリだよ!」

舞子が土釜の蓋を開けておしゃもでご飯を返しながら言った。

「こっちも全部できたで」

2つのお椀にお揚げさんの味噌汁を注ぎ、刻んだネギを入れる。
炙ったお揚げさんは皿に乗せ、残りのネギとおろし生姜を乗せる。
小皿にはトースターから出てきた八幡巻きの太めのスライス。
うなぎは網からおろしてこの部屋で一番大きなお皿に乗っけたが、盛大にはみ出していた。

今日のメニューにはいささか不似合いなガラストップのローテーブルにせめてもの抵抗でランチョンマットを敷き、料理を並べた。

「「いただきます!」」

2人でソファに座って手を合わせてそう言った。
何から行こう?

やはりここは汁物から。
味噌汁の椀を口に近づけると、今まで嗅いだことのない豊かな味噌の香りが立ち上った。
一口すする。

「わ!なにこれ!?」

僕よりも先に舞子が叫んだ。
塩っ気と甘みと僅かな渋みが、旨味と一体になって口の中を満たす。
飲み込むと、えも言われぬ出汁の香りが鼻に抜ける。
たっぷりと汁を吸ったお揚げさんは、この強いみそ汁の味をまとった上に、自分の香ばしさと豆の旨味を押し出してくる。
今までスーパーで買ってた味噌とお揚げさんで作った味噌汁とは、全くと言ってもいいほどの別物だ。

一気に全部飲んでしまいたい衝動を押さえて椀を置き、次に炙ったお揚げさんに醤油をひと垂らししてかぶりつく。

「うわ」

表面はカリッと香ばしく、歯を立てるとネギと生姜の香りと一緒にフワフワの中身が飛び込んでくる。
これだけで、メインディッシュになれる風格と実力だ。

「ハルくん!この八幡巻きっていうの、食べてみて!」

舞子の言葉に八幡巻きに箸を伸ばす。

「!!!」

言葉が出ない。
甘じょっぱいタレをまとったアナゴは香ばしくも柔らかく、それが中心のごぼうの野性味ある土の香りとせめぎ合いながら暴力的とも言えるハーモニーを奏でていた。

この時点で、舞子も僕も既にご飯は一杯目が無くなっていた。

さて、いよいよメインのうなぎだ。
二杯目のご飯を盛り、その上にうなぎを一切れ。
お店が付けてくれたタレをたら~りと垂らし、そこに石臼挽きの山椒を一振り。
舞子もそれに倣う。

「ああ…」

匂いだけで倒れそうだ。

「舞子、用意はいいか!?」

「はい!大佐!」

「よし!かかれ!」

うなぎの乗ったご飯に縦に箸を入れ、口に運ぶ。

「ふあ~!!!!」

「なんやこれ!!!!」

関西風だから蒸してないうなぎは、表面はカリッと香ばしく、身はしっかりと歯ごたえがあるのにホロホロとほどけるように柔らかいという矛盾を抱えつつ上品な香りを湛え、甘いタレと鮮烈な山椒の香りがそこに花を添える。

パリ。ふわ。じゅわ。タレ!山椒!飯!

もう僕も舞子も止まらない。
舞子のほっぺたはパンパンに膨らみ、もはや一言も発しなかった。
僕も同じ状態だ。

うなぎ!タレ!山椒!飯!


───気がつけば、3合炊いたはずの土釜のご飯はすっからかんになっていた。
お味噌汁の鍋も空。
お揚げさんも、八幡巻きも、蒲焼も、もはや皿に僅かに醤油の痕跡を残すだけになっていた。
戦後の焼け跡かくやあらん。
お腹が裂けそうなくらい食べた。

「ふわ~!ごちそうさま!」

「美味かった~!大満足!」

2人で大きな声を出して、顔を見合わせて笑った。
こんなに大満足の家ご飯は初めてだ。

まさに、大家さんいうとこの「日常の中のごっつぉ」だった。

ありがとう、お祖母ちゃん。
ありがとう、大家さん。
ありがとう、うなぎ。
ありがとう、アナゴ。
ありがとう、ごぼう。
ありがとう、お揚げさん。
ありがとう、お味噌。
ありがとう、山椒。

今なら世界中のありとあらゆるものに感謝できる気がする。

「ハルくん、もう動けない…」

そう言って見上げる舞子に、僕はとびっきりの煎茶を入れてあげようと、力を振り絞って台所に立ち上がった。
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