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第23話 春の京都のすずめ事件
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「…ルくん!ハルくん!」
朝食のバームクーヘンの後、昨日の滋賀県郷土料理は本当に美味しかったなあと記憶の海に溺れていると、舞子がどうやら何度も話しかけていた。
「ねえ、鴨川デルタ行こうよ。今日も絶対にきれいで気持ちいいよ」
いいね。食後の散歩だ。
今日もたくさんの人が集まり、桜吹雪を楽しんでいることだろう。
「うん。行こう。」
しかし僕はその時はまだ知らなかった。
この後、あんな恐ろしい展開が待っていようとは…。
◇ ◇ ◇ ◇
僕と舞子はゆっくりと鴨川デルタに向かっていた。
日差しはやや強くなっていたが、春の風はまだ肌にやさしく、舞子のポニーテールが揺れるたびに、洗いたてのタオルみたいな、少し甘い匂いがふわりと流れてきた。
「ほら、あそこにいるの、あの子」
舞子が立ち止まり、小さな塀を指さす。
ブロック塀の上に、一匹の野良猫がいた。
ほとんど白猫なのだが、少しだけブチ状にサバトラ模様が入っている。
「久しぶり、ジェマちゃん」
え? この猫も名前ついてるのか。
ていうか、ジェマってなんだ?この前のゴローちゃんとシロさんはまだ分かるが。
舞子が声をかけると、猫は一瞬だけ目を細めて――にゃ、と返事をした。
驚いたように僕が見ていると、舞子は当たり前のように言う。
「ここら辺の猫は、だいたいもう顔見知りだから」
そして、猫と数秒間、アイコンタクトだけで交信していた。何か通じ合っているような雰囲気だった。
「ねえ、ジェマってなに?」
「ハルくんの民族学の教科書読んでたら出てきたんだよ。海の女神、ジェマヤのジェマちゃん」
まさかのカリビアン・ブードゥの神だった。
ふと、猫のいる塀のさらに上――電柱へと視線をやると、そこには電線にずらりと並ぶすずめの群れ。
ざっと十羽はいるだろうか。ちゅんちゅんとさえずりながら、まるで僕たちの歩調に合わせて移動しているように、電線の上をチョン、チョン、とサイドステップしている。
「…なあ、なんかあのすずめたち、ついてきてない?」
「うん。可愛いよね!本当についてきてるの?」
「うん、あれ見て。さっきから角を曲がるたびに電線も変わってるのに、同じ数だけ、同じ並びで…」
じっと見上げると、すずめの一羽がこちらに首を傾げ、目が合った気がした。
しかも、一斉にちょん、ちょん、と左へ二歩、また右に二歩。
僕たちとぴったりのペースで移動している。
何だこれは――。
けれど、信号で我に返り、「ま、いっか」と無理やり頭を切り替えて歩き出した。
舞子は、すずめなんて気にも留めず、鼻歌まじりに先を歩いている。
「そういや舞子、いつも背負ってるそのリュックの中、何が入ってるの?」
鴨川デルタの川べりに座って、ふと気になってたことを思い出して訊いてみた。
「ん?あ、見たい?」
嬉しそうに舞子は立ち上がり、リュックのファスナーをしゃっと開けた。中から出てきたのは――
・ほつれて柄が消えかかった、薄いガーゼ地の赤ちゃん用バスタオル
・手のひらサイズの裁縫セット。蓋を開けると、針と糸と、ちょっとだけ曲がったハサミ
・赤と白のギンガムチェックの紙カバーがついた文庫本が3冊。
・キャラもののバンドエイドが数枚
・カラフルな筒に入ったマーブルチョコ
・ビオレの青缶とオロナイン
・そして、いちご味の色付きリップクリーム
「……すごいな、これ。全然統一感ないけど、不思議に全部舞子っぽいわ」
「えへへ。京都に来たばっかの頃は、いつも一泊分のお泊まりセットと護身用のアイスピック入れてたけど――」
「アイスピック!?」
「いまはハルくんがいてくれるから、もう入れてないよ」
そう言って笑う舞子の笑顔に、思わず「そりゃ信頼されてるのか、警戒されてるのか」と呟きかけて――その時、もうひとつ、リュックの奥から出てきた。
――銀色の小袋。キャットフード。しかも、猫大好きフリスキー。
「え、それって…うちの押し入れにあったやつ?」
「あ、知ってた?町の猫たちと仲良くなるため。いっぱい友だちできたよー」
そうか、だからあちこちの猫に話しかけてたのか。しかも、たぶん本当に会話してる。
そう思った瞬間、なんだか笑いが込み上げてきた。
舞子だって、猫みたいなもんじゃないか。
突然ふらっと現れて居着いて、気まぐれで、つかみどころがなくて、でも餌をあげたら懐いた。
そしてふと見上げれば、さっきのすずめたちが、まだそこにいた。やっぱり、ついてきている――。
(これは……気のせいじゃないかも)
不穏な予感が、春の風に混じって、少しずつ漂いはじめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
次の日。
講義は午後から。
僕は、のんびりと朝食を取り、洗い物を済ませ、そろそろ出かけるかと鞄にノートを詰めていた。舞子はバイトだ。
そろそろ帰ってくる時間なのだが、僕は何となく少し早めに部屋を出た。
玄関のドアを開けて靴を履いていると、不意に頭上から「カン、カン、カン」と軽い足音が響いた。
見上げると、舞子が二階から降りてくるところだった。
トレーナー姿に、いつものデニムの短パン。
「あれ?? 舞子?」
「あ、ハルくん、学校?」
「そうやけど、上で何してたの?」
「お友達にご飯あげてた」
「猫?二階にいるの?」
「ううん。すずめさん」
「え……?」
その言葉に、僕は一瞬時が止まったような顔をしていたらしい。
舞子はちょっと笑ってから、あっけらかんと説明しはじめた。
ホテルのバイト先では、モーニングで余ったパンを希望者が持ち帰れることになっている。
「でもね、一人だと食べ切れなくって。それに、すずめさんとも友達になりたいなーって思ったの」
だから細かくちぎって、二階から撒いてあげているのだという。
「二階から?どこに?」
「ほら、廊下の端の窓、開けたらさ。隣の家の屋根、見えるでしょ?あそこ。ちょうど集まってくれるの」
さらっと言う舞子の口調に、僕の中の警報が小さく鳴った。いや、それって――。
「ちょっと上、見せて」
舞子と一緒に、急いで階段を駆け上がる。
狭い廊下の突き当たりにある小さな出窓を、舞子が器用に開ける。
風がすっと吹き込み、春の気配と、どこか薄らとした粉のような匂いが鼻をかすめた。
「見ててね」
ポケットからパンくずを出して投げた。
隣の家の瓦屋根。その中央にパンくずが散らばった。
それを見て僕が口を開くより早く――
バサバサバサッ!!
どこからともなく、四方八方から、すずめたちが舞子めがけて集まってきた。
電線の上、街路樹の枝、屋根の縁、さらにはどこかのアンテナまで――まるで号令を受けたかのように、あっという間に隣家の屋根を埋め尽くす。
数にして――数十、いや下手したら百…。瓦の隙間すら見えないほどの密度で、すずめたちはピョンピョンと跳ね、ちゅんちゅんと鳴き交わしていた。
「……うそやろ」
僕は思わず、呆然と声を漏らした。
舞子はそれを見て、にこにこしながら「ほら、ね、みんな仲良しなんだよ」と言った。
確かに、すずめたちは舞子に敵意を見せているわけではない。けれど、その数と密度と動きが――
完全にホラーだ。
小学生の頃、テレビで深夜に観たヒッチコックの『鳥』が、脳裏によみがえった。
白黒の画面の中、どこからともなく集まってきた鳥たちが、人間を襲いはじめるあの不気味さ。
まさか、あの映像のリメイクを、今、自宅で目の当たりにすることになろうとは。
「……こいつだったのか」
僕は、舞子の後ろ姿を見つめながら、ようやく全ての点がつながったことに気づいていた。
大家さんから投函されたあのチラシ。
家賃を払いに行ったときの大家さんの困り顔。
舞子についてくる電線のすずめたち。
すべての原因が、いま目の前にいる。
とはいえ、舞子には全く悪気はない。ただ、余ったパンを無駄にしたくなかった。鳥たちと仲良くなりたかった。――それだけだ。
けれど、現実問題として。
「……舞子、あのさ」
僕は少し口調をやわらげながら言った。
「うん?」
「住民の人たちが、すずめの糞で困ってるんだ。特に、洗濯物が干せないって」
「……あ」
舞子の笑顔が、すこし曇った。
「だから、もう屋根にパンをまくのはやめよう。ほんまに、みんな大迷惑してるから」
「……うん、ごめん」
「パンをあげたいなら、さ。鴨川デルタとか、広くて人の迷惑にならない場所でやろう? あそこやったらいっぱい来るし」
舞子はしばらく黙ってから、うん、と小さくうなずいた。
「分かった。もうここではあげない」
「うん。それでいい」
「……大家さんにも謝りに行ったほうがいいかな?」
「うん、それは……黙っとこうか」
二人して顔を見合わせ、くすりと笑った。
その日以来、二階の窓からパンくずが撒かれることはなくなった。
しばらくは屋根に数羽のすずめが名残惜しそうに集まっていたが。
掲示板の苦情も消え、住人たちの表情も穏やかになり、糞害騒動は静かに幕を下ろした。
けれど――
その後のある日、僕と舞子が鴨川デルタに立ち寄ったときのこと。
舞子がパンの入った小袋を取り出して、ほんのひとかけらを投げると――
バサバサバサッ!!
あの時とまったく同じ音を立てて、どこからともなく、数十羽のすずめが空を裂くように舞い降りてきた。
まるで遠くからも舞子の匂いを覚えていて、集まってきたようだった。
パンに群がる。
「……やっぱり来ちゃった」
舞子が少し申し訳なさそうに笑う。
僕は溜息まじりに言った。
「もうこれは、運命だと思うしかないかもな」
そのとき、背後で小さな男の子が母親に向かって叫んでいた。
「ママー、あのひとのまわり、鳥がいっぱい!魔法使いなのー!?」
……いや、ほんとにそうかもしれない。
舞子の行く先には、鳥が集まる。
そんな新たな伝説のはじまりを、僕は確かに、見た。
朝食のバームクーヘンの後、昨日の滋賀県郷土料理は本当に美味しかったなあと記憶の海に溺れていると、舞子がどうやら何度も話しかけていた。
「ねえ、鴨川デルタ行こうよ。今日も絶対にきれいで気持ちいいよ」
いいね。食後の散歩だ。
今日もたくさんの人が集まり、桜吹雪を楽しんでいることだろう。
「うん。行こう。」
しかし僕はその時はまだ知らなかった。
この後、あんな恐ろしい展開が待っていようとは…。
◇ ◇ ◇ ◇
僕と舞子はゆっくりと鴨川デルタに向かっていた。
日差しはやや強くなっていたが、春の風はまだ肌にやさしく、舞子のポニーテールが揺れるたびに、洗いたてのタオルみたいな、少し甘い匂いがふわりと流れてきた。
「ほら、あそこにいるの、あの子」
舞子が立ち止まり、小さな塀を指さす。
ブロック塀の上に、一匹の野良猫がいた。
ほとんど白猫なのだが、少しだけブチ状にサバトラ模様が入っている。
「久しぶり、ジェマちゃん」
え? この猫も名前ついてるのか。
ていうか、ジェマってなんだ?この前のゴローちゃんとシロさんはまだ分かるが。
舞子が声をかけると、猫は一瞬だけ目を細めて――にゃ、と返事をした。
驚いたように僕が見ていると、舞子は当たり前のように言う。
「ここら辺の猫は、だいたいもう顔見知りだから」
そして、猫と数秒間、アイコンタクトだけで交信していた。何か通じ合っているような雰囲気だった。
「ねえ、ジェマってなに?」
「ハルくんの民族学の教科書読んでたら出てきたんだよ。海の女神、ジェマヤのジェマちゃん」
まさかのカリビアン・ブードゥの神だった。
ふと、猫のいる塀のさらに上――電柱へと視線をやると、そこには電線にずらりと並ぶすずめの群れ。
ざっと十羽はいるだろうか。ちゅんちゅんとさえずりながら、まるで僕たちの歩調に合わせて移動しているように、電線の上をチョン、チョン、とサイドステップしている。
「…なあ、なんかあのすずめたち、ついてきてない?」
「うん。可愛いよね!本当についてきてるの?」
「うん、あれ見て。さっきから角を曲がるたびに電線も変わってるのに、同じ数だけ、同じ並びで…」
じっと見上げると、すずめの一羽がこちらに首を傾げ、目が合った気がした。
しかも、一斉にちょん、ちょん、と左へ二歩、また右に二歩。
僕たちとぴったりのペースで移動している。
何だこれは――。
けれど、信号で我に返り、「ま、いっか」と無理やり頭を切り替えて歩き出した。
舞子は、すずめなんて気にも留めず、鼻歌まじりに先を歩いている。
「そういや舞子、いつも背負ってるそのリュックの中、何が入ってるの?」
鴨川デルタの川べりに座って、ふと気になってたことを思い出して訊いてみた。
「ん?あ、見たい?」
嬉しそうに舞子は立ち上がり、リュックのファスナーをしゃっと開けた。中から出てきたのは――
・ほつれて柄が消えかかった、薄いガーゼ地の赤ちゃん用バスタオル
・手のひらサイズの裁縫セット。蓋を開けると、針と糸と、ちょっとだけ曲がったハサミ
・赤と白のギンガムチェックの紙カバーがついた文庫本が3冊。
・キャラもののバンドエイドが数枚
・カラフルな筒に入ったマーブルチョコ
・ビオレの青缶とオロナイン
・そして、いちご味の色付きリップクリーム
「……すごいな、これ。全然統一感ないけど、不思議に全部舞子っぽいわ」
「えへへ。京都に来たばっかの頃は、いつも一泊分のお泊まりセットと護身用のアイスピック入れてたけど――」
「アイスピック!?」
「いまはハルくんがいてくれるから、もう入れてないよ」
そう言って笑う舞子の笑顔に、思わず「そりゃ信頼されてるのか、警戒されてるのか」と呟きかけて――その時、もうひとつ、リュックの奥から出てきた。
――銀色の小袋。キャットフード。しかも、猫大好きフリスキー。
「え、それって…うちの押し入れにあったやつ?」
「あ、知ってた?町の猫たちと仲良くなるため。いっぱい友だちできたよー」
そうか、だからあちこちの猫に話しかけてたのか。しかも、たぶん本当に会話してる。
そう思った瞬間、なんだか笑いが込み上げてきた。
舞子だって、猫みたいなもんじゃないか。
突然ふらっと現れて居着いて、気まぐれで、つかみどころがなくて、でも餌をあげたら懐いた。
そしてふと見上げれば、さっきのすずめたちが、まだそこにいた。やっぱり、ついてきている――。
(これは……気のせいじゃないかも)
不穏な予感が、春の風に混じって、少しずつ漂いはじめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
次の日。
講義は午後から。
僕は、のんびりと朝食を取り、洗い物を済ませ、そろそろ出かけるかと鞄にノートを詰めていた。舞子はバイトだ。
そろそろ帰ってくる時間なのだが、僕は何となく少し早めに部屋を出た。
玄関のドアを開けて靴を履いていると、不意に頭上から「カン、カン、カン」と軽い足音が響いた。
見上げると、舞子が二階から降りてくるところだった。
トレーナー姿に、いつものデニムの短パン。
「あれ?? 舞子?」
「あ、ハルくん、学校?」
「そうやけど、上で何してたの?」
「お友達にご飯あげてた」
「猫?二階にいるの?」
「ううん。すずめさん」
「え……?」
その言葉に、僕は一瞬時が止まったような顔をしていたらしい。
舞子はちょっと笑ってから、あっけらかんと説明しはじめた。
ホテルのバイト先では、モーニングで余ったパンを希望者が持ち帰れることになっている。
「でもね、一人だと食べ切れなくって。それに、すずめさんとも友達になりたいなーって思ったの」
だから細かくちぎって、二階から撒いてあげているのだという。
「二階から?どこに?」
「ほら、廊下の端の窓、開けたらさ。隣の家の屋根、見えるでしょ?あそこ。ちょうど集まってくれるの」
さらっと言う舞子の口調に、僕の中の警報が小さく鳴った。いや、それって――。
「ちょっと上、見せて」
舞子と一緒に、急いで階段を駆け上がる。
狭い廊下の突き当たりにある小さな出窓を、舞子が器用に開ける。
風がすっと吹き込み、春の気配と、どこか薄らとした粉のような匂いが鼻をかすめた。
「見ててね」
ポケットからパンくずを出して投げた。
隣の家の瓦屋根。その中央にパンくずが散らばった。
それを見て僕が口を開くより早く――
バサバサバサッ!!
どこからともなく、四方八方から、すずめたちが舞子めがけて集まってきた。
電線の上、街路樹の枝、屋根の縁、さらにはどこかのアンテナまで――まるで号令を受けたかのように、あっという間に隣家の屋根を埋め尽くす。
数にして――数十、いや下手したら百…。瓦の隙間すら見えないほどの密度で、すずめたちはピョンピョンと跳ね、ちゅんちゅんと鳴き交わしていた。
「……うそやろ」
僕は思わず、呆然と声を漏らした。
舞子はそれを見て、にこにこしながら「ほら、ね、みんな仲良しなんだよ」と言った。
確かに、すずめたちは舞子に敵意を見せているわけではない。けれど、その数と密度と動きが――
完全にホラーだ。
小学生の頃、テレビで深夜に観たヒッチコックの『鳥』が、脳裏によみがえった。
白黒の画面の中、どこからともなく集まってきた鳥たちが、人間を襲いはじめるあの不気味さ。
まさか、あの映像のリメイクを、今、自宅で目の当たりにすることになろうとは。
「……こいつだったのか」
僕は、舞子の後ろ姿を見つめながら、ようやく全ての点がつながったことに気づいていた。
大家さんから投函されたあのチラシ。
家賃を払いに行ったときの大家さんの困り顔。
舞子についてくる電線のすずめたち。
すべての原因が、いま目の前にいる。
とはいえ、舞子には全く悪気はない。ただ、余ったパンを無駄にしたくなかった。鳥たちと仲良くなりたかった。――それだけだ。
けれど、現実問題として。
「……舞子、あのさ」
僕は少し口調をやわらげながら言った。
「うん?」
「住民の人たちが、すずめの糞で困ってるんだ。特に、洗濯物が干せないって」
「……あ」
舞子の笑顔が、すこし曇った。
「だから、もう屋根にパンをまくのはやめよう。ほんまに、みんな大迷惑してるから」
「……うん、ごめん」
「パンをあげたいなら、さ。鴨川デルタとか、広くて人の迷惑にならない場所でやろう? あそこやったらいっぱい来るし」
舞子はしばらく黙ってから、うん、と小さくうなずいた。
「分かった。もうここではあげない」
「うん。それでいい」
「……大家さんにも謝りに行ったほうがいいかな?」
「うん、それは……黙っとこうか」
二人して顔を見合わせ、くすりと笑った。
その日以来、二階の窓からパンくずが撒かれることはなくなった。
しばらくは屋根に数羽のすずめが名残惜しそうに集まっていたが。
掲示板の苦情も消え、住人たちの表情も穏やかになり、糞害騒動は静かに幕を下ろした。
けれど――
その後のある日、僕と舞子が鴨川デルタに立ち寄ったときのこと。
舞子がパンの入った小袋を取り出して、ほんのひとかけらを投げると――
バサバサバサッ!!
あの時とまったく同じ音を立てて、どこからともなく、数十羽のすずめが空を裂くように舞い降りてきた。
まるで遠くからも舞子の匂いを覚えていて、集まってきたようだった。
パンに群がる。
「……やっぱり来ちゃった」
舞子が少し申し訳なさそうに笑う。
僕は溜息まじりに言った。
「もうこれは、運命だと思うしかないかもな」
そのとき、背後で小さな男の子が母親に向かって叫んでいた。
「ママー、あのひとのまわり、鳥がいっぱい!魔法使いなのー!?」
……いや、ほんとにそうかもしれない。
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