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第一章

嫉妬

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 夏になり、今年もヘリオストロープへやって来た。
 例年、ヴルガリス伯領に寄ってから来る伯父様と伯母様は、今年はエメリック兄様と共にあたし達より一足早く到着したそうだ。

 アメリーに荷物をほどいて貰ったあたしは、エメリック兄様に借りていた本を持って居間へ向かった。

「エメリック兄様、この本、とても面白かったです」
「でしょ? あ、チェスの本を持って来るね」
「ありがとうございます!」

 エメリック兄様はチェスの本を貸してくれると約束したのを覚えていてくれたらしい。こういうのって嬉しいよねぇ。エメリック兄様は絶対モテるわね。

「2人はラプソンで会ってるの?」

 エメリック兄様が居間を出て行った後、ジスラン兄様に聞かれてはっとした。
 仲間外れにされていると思わせてしまったかしら!?

「お母様と一緒に何回か町屋敷へお邪魔したんです」
「ああ、叔母様にとっては実家だもんね」
「ええ」

 気にしていない様子に、あたしはほっと安堵の胸を撫で下ろす。

「そういえば、今年は泥団子は作らなかったんですか?」
「1人だと張り合いがなくてね」

 やっぱりエメリック兄様がいないと寂しいよね……
 よし、兄弟水入らずで過ごせる様にしてあげよう。

 今年からユーゴに10日間の夏季休暇を与える事にしたものの、あたしには気になる事があるのだ。その為、ユーゴの帰省に付いて行こうと思っている。
 ……でも、許して貰えるかな。

 その日の夕食の席で、1番許してくれる可能性の高そうなお爺様に相談してみる事にした。

「お爺様、去年お爺様がユーゴにくれた農地がとても良い所だと聞いたので見に行って来てもいいですか?」
「キャロル1人でか?」
「もちろんユーゴも一緒です!」

 人数ではなく保護者の存在の有無について聞かれているのは分かっているけど、勢いで押しきるつもりのあたしは自信満々にそう答えた。

「ならばわしも行こう」
「え⁉ 大丈夫です! ユーゴは護衛だから安全ですし! 1人で行けます!」
「なに、遠慮するな」

 遠慮じゃないよ! むしろお爺様が遠慮して!

「お爺様が行ったりしたら周辺が大騒ぎになってしまいますよ」
「それは大丈夫だろう」
「え?」
「心配するな」

 お爺様はにっこりと笑って話を切り上げ、これ以上粘っても無駄だという空気を醸している。
 くそ~お爺様は流されてはくれなかった……
 内心、頭を抱えるあたしに、ジスラン兄様が不思議そうに尋ねてくる。

「ユーゴってキャロルの護衛なの?」
「そうですよ」
「使用人の家に行くの?」
「はい」
「どうして?」

 それはユーゴの家族が嫌な目に遭っていないか確認する為だ。でも土地をくれたお爺様の前では、そのせいで嫌な目に遭っているかも知れないだなんてちょっと言いにくい。

 あたしは、土地をタダで貰ったのを他の人に話してはいけないとユーゴに口止めし忘れていた事が気になっていた。
 転生前、あたしの実家は、町の人間が全員顔見知りで、悪い噂ほど一瞬で広まる様な田舎にあった。そして余所から来る人間に冷たい場所だった。
 田舎や農村が排他的なのは恐らくどこも同じだろう。その上、ユーゴの家族は親類も縁者もいない余所者だ。その土地に住んでいる人間からどうしてここへ来たのかと聞かれ、領主から土地を貰ったからなどと答えてしまったら、妬まれたり当てにされたりと困った事になるのは想像に難くない。
 でももしそういった事態になっていたとしても、ユーゴはあたしに言わないだろうから、自分の目で見て確かめて来ようと思ったのだ。

「ユーゴは私にとって家族みたいなものですから」
「そうなんだ……?」

 曖昧に笑って答えたあたしに、ジスラン兄様は釈然としない様子だ。確かに、使用人の実家へ一緒に行くなんて変な話だから無理もない。

 反対するかと思ったお母様は何か言いたげな顔をしているものの、黙認してくれる様だ。
 あ……もしかして、お爺様はお母様を安心させる為に一緒に行くと言ってくれたのかな。
 あたしは不安を感じながらもお爺様の好意を有難く受け取る事にした。


 数日後、あたしとお爺様はユーゴの御する馬車に乗り、ユーゴの実家へと向かう。
 お爺様と一緒に里帰りに付いて行くと言った時のユーゴは、それはもう恐縮して大慌てだった。でも決定事項だと告げると今度は青くなっていた。せめて家族に知らせたいと言われたものの、ユーゴの家族は読み書きができないので手紙を書く訳にいかず、ユーゴが直接行くしか方法がない。そうなるとユーゴを2往復させる事になってしまう為、却下した。
 おそらくユーゴは今頃、相当憂鬱な顔で馬車を走らせているだろうけど仕方ない。

「お爺様、一緒に来て下さってありがとうございます」
「キャロルの家族ならわしの家族でもあるからな」

 にやりと笑ったお爺様を見て、あたしが苦し紛れにジスラン兄様に言った言葉を差しているのだと感じた。
 あたしにとってユーゴは家族同然ではあるけれど、お爺様の家族というのは何か違う気がする……

 城下町を出た馬車は農村地帯に入り、ふと窓の外の広々とした麦畑を見て、あたしは思わず声を上げた。

「きれ~」

 収穫期を迎えた金色の穂が風に揺らいでいて、ふかふかの絨毯の様だ。
 そういえばユーゴの家族も小麦の栽培をするって言ってたっけ。

「今年は豊作だな」

 お爺様は満足そうに自身の口ひげを撫で、目を細める。

 しばらくすると、馬車が停まって扉が開いた。

「着きました」

 ユーゴに手を借りて外へ出ると、畑の脇に簡素な一軒家があり、後ろは山になっている。辺りに他の家はないので、そこがユーゴの家族の住む家なのだろう。
 すると、畑の方から大人2人と若者3人が走ってきた。

「ユーゴ!?」
「父のジョルジュと母のファビエンヌです。こちらは大きい方から弟のアモリ、妹のジョルジェット、弟のウードです」

 ユーゴはあたしとお爺様に家族を紹介した。
 ユーゴの弟や妹はみんなあたしより年上で、家族全員日に焼けている……というか薄汚れている。顔付きはみんなユーゴに似ていて、中でも妹のジョルジェットはユーゴにそっくりだ。

「こちらヘリオストロープ公爵閣下とカロリーヌお嬢様だ」
「ははっ」

 ユーゴの両親がその場で跪いて頭を下げ、慌てて子供達を大きく手招きする。

「お前達!」

 ユーゴの兄弟も両親の横に座らされてこちらを見上げた。
 土下座なんて居心地が悪いけど、これはお爺様に対する礼儀なので、あたしが口を出すべきではないだろう。

「この度はこの様な立派な土地を頂きまして、何とお礼を申し上げたら良いか……本当にありがとうございます!」
「礼ならキャロルに言うといい」

 お爺様の言葉にぎょっと驚く。
 え、あたし何もしてませんよ。

「お嬢様ありがとうございます!」
「いえいえ、全てお爺様のお力ですから。ここでの暮らしはどうですか?」
「至らぬ事ばかりですが、おかげ様で恙なく過ごさせて頂いております」

 すると畑を見たお爺様が呟いた。

「生育が良くないな」
「申し訳ありません!」

 確かに、来る途中に見た畑の麦に比べて丈が短く元気がない。
 お爺様は畑に歩み寄って屈み、麦を手に取る。

「穂に実が入っていない」
「え!」

 あたしもお爺様の横にしゃがんでいくつか麦の穂をつまんでみると、確かに実の入っていない穂が多い。

「申し訳ありません……」
「ここへ来る前も農業をやってたんですよね?」

 あたしが声を掛けると、ユーゴの両親はこちらへ近づいてまた跪いた。

「はい。ですが、自分達だけでやるのは初めてでして……どうしてその様な事になったのかも分からないんです……」

 なるほど。雇われて指示されてやるのと、自分で全てやるのじゃ勝手が違うよね。雑草は綺麗に除去されているし、頑張ってはいたんだろうけど……

「税はきちんとお支払い致しますので!」
「そうは言っても、どうやって払う気だ?」
「それは私が」

 びくびくと震える両親の後ろに控えていたユーゴが申し出た。
 場所を変えても結局ユーゴのお給料頼みなのは良くないわね……。それに理由も分からず手探りでやるんじゃ、次も同じ事になる。

「誰か教えてくれる人を雇うか、どこかへ修行に行った方が良くないですか?」
「そうだな」

 あたしの言葉にお爺様が同意する。
 とはいえ、ユーゴの家族にそんな当てがないのは分かっている。案の定、ユーゴの両親は困った顔をして言葉に詰まっていた。かといってこれ以上お爺様に頼ってばかりなのもね……

「ちょっと人を探してみますね」
「ありがとうございます……!」
「そうだ、この土地をお爺様から貰ったという事をもう誰かに話してしまいましたか?」
「いえ。1番近くの家でもだいぶ距離がありますし、聞かれていないので言っていません」
「良かった。知られて良い事はないと思うので、今後も言わないでくださいね」
「分かりました。あ、あの、大したおもてなしはできませんが、よろしければ家の中でお茶でも……」

 う~ん……恐縮を通り越して怯えているジョルジュとファビエンヌにこれ以上の心労を与えるのは酷だわ。

「いえ、様子を見に来ただけなのでもう帰ります。ユーゴは休暇でこのまま残るので収穫頑張ってくださいね」
「ありがとうございます」

 2人は深々と土下座した。


「もう昼過ぎだな。ゲウムまで行って何か食べて行くか」
「はい!」

 やったー! 外食だ!
 復路の為に連れてきた御者がドアを開け、あたしとお爺様は馬車に乗り込んだ。
 ユーゴ達に手を振り、馬車は来た道の先へと進む。

「それで、キャロルはどうしてここへ来たいと思ったんだ?」
「ユーゴの家族が近所の人達にいじめられていたりしたら嫌だなって思ったんです。でもお爺様は、分かっていてこの土地を選んでくれたんですね」
「嫉妬という感情は、向ける方にとっても向けられる方にとっても度を過ぎれば毒にしかならないからな」

 お爺様の言い方には実感がこもっていた。
 お爺様も誰かに嫉妬した事があるのか、それともされたのか……
 けど、あたしも他人事じゃないわね。キスどきゅのカロリーヌは恵まれた環境にいるというのに、ヒロインに嫉妬して身を滅ぼすんだもん……。うっかりフィルを好きになったりしない様に気を付けなくちゃ。

「でもこんな事になっているのは想定外でした……」
「人を探すと言っていたが、あてはあるのか?」
「いいえ……」

 あたしは素直に首を振る。

「この辺りの地主の所へ行かせるか?」
「でもせっかくこの土地を選んで下さったのが無駄になってしまいますね……」
「ならば指導できる者を呼ぶしかないな。手配させよう」
「ありがとうございます……」

 結局お爺様頼りなのよねぇ。

 ゲウムという最寄りの町に近付いて外を見ると、道行く人たちが興味深そうにこちらを見ている。ここは大きな街道ではない為、貴族の馬車が珍しいのだろう。
 馬車が停まって御者がドアを開けた。

「この辺りでよろしいでしょうか」
「そうだな。少し歩いてみよう」

 馬車を降りると、やはりものすごく注目を浴びている。町は木と土壁でできた建物が並び、質素な田舎町といった風情だ。人も町も城下町とは全然違う。
 お爺様と手を繋ぎ、馬で付いて来ていた護衛を2人連れて目抜き通りと思われる土道を歩く。

「お爺様はここに来た事はありますか?」
「あるぞ」
「何か名物はありますか?」
 
 あたしの胃袋はすっかりB級グルメへの期待に持って行かれている。

「この辺りはソーセージ作りが盛んだな」
「いいですね!」

 そう言われてみれば、ここへ来る途中にもソーセージの看板の店があった気がする。

「ソーセージが食べられるお店はあるでしょうか」
「聞いてみるか」

 少し歩くと精肉店があり、お爺様が店内に入っていく。

「いらっしゃいませ」
「この辺でソーセージの美味いレストランはあるか?」
「え、あ、はい。ペトロニーユさんの店……ですかね。や、でも貴族様が行かれる様な所では……」
「構わん。場所を教えてくれ」

 店員の青年はうっかり答えてしまった様で、本当にいいのだろうかと逡巡していたものの、お爺様の圧に負けて場所を教えてくれた。

 路地裏を進んで到着したのは、人に聞いて来なければレストランだとは分からない様相の民家みたいな建物だ。
 お爺様がお構いなしにドアを開けると、中にはテーブルと椅子が並んでいて食堂である事が窺えた。

「いらっしゃーい」
「やってるか?」
「!?」

 ふくよかな中年のご婦人がお爺様を見て驚いている。

「は、はい。ご案内致します」

 昼食の時間帯を過ぎているからか、店内には他のお客さんはいない。
 4人用の席に通され、お爺様と向かい合って座った。

「ご注文は……」

 店内にメニューはなく、口頭でやり取りをするのみらしい。

「おすすめのソーセージ料理を適当に持って来てくれ」
「お嫌いな食材はございますでしょうか」

 お爺様に目線で確認され、あたしは頭を横に振って返事をする。

「ない」

 お爺様は簡潔にそう答えた。

「では、パンとスプレッド、スープ、フライでいかがでしょうか」
「ああ、それでいい」
「かしこまりました」

 料理はすぐに出て来た。まずはキャベツの漬物の様なもの。そしてパンとスプレッドだ。

「こちらはひき肉状のソーセージです。パンに乗せてお召し上がりください」

 言われた通りパンに乗せて食べると燻製の香りがして、半生の様な柔らかい食感に驚いた。生の玉ねぎと黒胡椒が入っていてピリッと効くのが癖になる。

「わぁおいしい」
「酒が飲みたくなるな」
「あ、いいですよ。どうぞ飲んでください」

 気持ち分かるし。
 そしてお爺様はスープの代わりにビールと焼いたソーセージを注文した。

 次に出て来たのは、豆と一緒に皮なしソーセージを煮込んだ料理だ。見た目は地味で素朴だけど、スープのおいしさに目を見張る。お爺様の所の料理長ガハリエやうちの料理長ヴァレリアンには悪いけど、この世界に来て飲んだスープで1番おいしい。

「お爺様これすっごくおいしい!」
「そうか」

 お爺様は満足気に頷いた。
 ちょうど良い塩加減に、出汁の旨味が奥深い味を出していて、手が止まらなくなる。
 そしてお爺様の頼んだ焼きソーセージも出て来た。

「これも食え」
「いただきます」

 お爺様に勧められ、フォークでソーセージをぶすっと差した。
 パリッとした食感で、噛んだ瞬間に口の中に肉汁が広がる。
 ん~、王道だよね~。

「もっと食え」

 食いつきが良過ぎたのか、再び勧められて2本目に手を伸ばした。

 最後に、ソーセージに衣を付けて揚げたものが出て来た。外はサクッと中はジューシーで、ハーブが入っている為とても風味が良い。ハーブのおかげか見た目よりもあっさりした食べ応えだ。

「他にも何かお持ち致しましょうか?」

 店員の女性にそう聞かれ、お爺様があたしの方を見たのであたしはお腹をさする。

「お腹いっぱいです」

 身体の大きさが全然違うというのに、お爺様と同じ量を食べたあたしの胃はパンパンだ。

「お口に合いましたでしょうか……?」
「とってもおいしかったです!」
「ああ」

 お爺様もにっこりと笑う。

「みんなにも買って行ってあげたいですね」

 お出掛けしたらお土産を買いたくなるのは日本人の性だ。

「今日出たソーセージはこの店で作っているのか?」
「はい。私と主人で作っております」
「持って帰れるか?」
「はい。おいくつでしょう」
「50もあれば足りるか?」

 なんかそれ、お土産っていうより仕入れじゃない?

「その……ご用意できる数が……」
 
 そりゃそうだ。お店で出す分がなくなっちゃうよね。

「では次に作ったら城へ持って来てくれ。輸送費込みで倍の値段を出そう」
「どちらのお城へお持ちすれば……」
「あぁ、ヘリオストロープのカンパヌラス城だ」
「領主様でございましたか。大変失礼致しました」

 女将さんは慌てて頭を下げた。
 いや、テレビとか写真がないから顔を知らないのも無理はない。

「光栄にごさいます。お届けに上がらせて頂きます」

 お爺様は頷くと、あたしに目を向ける。

「では行くか」
「はい」

 店を出ると、人だかりができていた。その中にはこの店を教えてくれたソーセージ屋の店員もいる。
 外で待機していた護衛にお爺様が支払いを指示している隙に、男性の所へ駆け寄る。

「とってもおいしかったよ。ありがとう」
「そうですか……良かったです」

 男性は心の底からほっとしている様だ。自分が紹介したせいで何かあったらと気が気ではなかったのかも知れない。

「ペトロニーユさんは俺の師匠で、町1番の作り手なんですよ」
「へぇ!」

 自分の事の様にペトロニーユさんを自慢する様子が可愛い。たぶん彼はペトロニーユさんの事が大好きなのだろう。

「キャロル」
「はーい」

 お爺様に呼ばれて走り寄り、男性に手を振って来た道を戻った。

 お腹がいっぱいになったおかげで、帰りの馬車ではすっかり寝こけてしまった。

「キャロル、もう着くぞ」
「はっ!」

 気付けば馬車はもう、お城の前の跳ね橋を渡っている。何だか損した気分だ。

「せっかくのお出掛けだったのに……」
「はは。また出掛ければいい」

 帰ったらもう夕飯の時間になっていて、食べて寝ただけなのにまたご飯になってしまった。
 ダイニングルームで食卓を囲み、みんなに報告をする。

「今日お昼にゲウムでお爺様とデートしたんですよ」

 ソーセージを食べたと言おうとしたものの、平民の食堂へ行ったなんて知れたらお母様に何か言われそうで、少し言い換えた。
 以前、お爺様と一緒に露店の料理を食べたとうっかり話してしまったら、平民のやっている露店なんて蛙や鼠の肉が入っていてもおかしくないのだから駄目だと怒られたのだ。まあ確かにそういう所もあるかも知れないとは思う。

 すると、ジスラン兄様がぽつりと呟いた。

「いいなぁ」

 あら、せっかくエメリック兄様と2人きりにしてあげたのに、お爺様とデートの方が良かったのかしら。

「お爺様がお土産を買ってくださったので、そのうちペトロニーユさんという町一番の作り手のソーセージが届きますよ。そうしたらみんなで食べましょう」
「ほう、楽しみだな」

 ソーセージの嫌いな子供はいないだろうから、ジスラン兄様が喜ぶだろうと思ったら、伯父様が嬉しそうにそう言った。
 酒飲みにもたまらんよね。

 ちなみに、夕食は食べられないと思っていたら、しっかり食べられて胃もたれもしない事に我ながら驚いた。子供の代謝の良さよ……
 でもさすがに太りそうで、夕食の後、居間には行かず庭を歩く事にした。

「ちょっとお散歩してきます」
「ひとりで行くのか? ジスラン、一緒に行ってやれ」
「はい」

 ひとりと言ってもアメリーか誰かは付いて来るのに、お爺様の指示でなぜかジスラン兄様も一緒に来てくれる事となった。
 高緯度のこの国では外はまだ明るく、昼間と変わらない景色の中あてもなく歩く。

「どこに行くの?」
「いえ特に……実はランチにソーセージを沢山食べてしまって、運動がしたいだけなんです」
「そっか」
「ジスラン兄様は今日何をしていたんですか?」
「お兄様に勉強を教わってたよ」
「え!」

 久しぶりの兄弟水入らずでやる事が勉強!? あたしの記憶する12歳男児ってこんなにしっかりしてないわよ……。ゲームのジスランが優等生だったのは、子供の頃からちゃんとやっていたからなのね。
 でもそれって情操教育によくないんじゃないかしら……

「エメリック兄様も勉強ができそうですよね」

 しまった、つい『も』って言っちゃった。

「うん。首席で入学したんだって」
「すごい!」

 良かった。スルーして貰えた。

「けどキャロルも歴史とか政治の本を読んでるんでしょ?」

 おふ……聞いてしまわれましたか。

「子供向けの簡単なものですよ。あ、でもエメリック兄様から借りた本は難しいけど面白かったです」
「そうなんだ、僕も借りようかな。……負けてられないな」

 最後にぼそっと呟いた言葉、聞き逃していないわよ。難聴系ヒロインだったら「え?」ってなる所だけど、あたし悪役令嬢だからね。しかも恋のフラグとかじゃなくてエメリック兄様を取られまいとする対抗心よね!? 大丈夫だから! 取ったりしないから!!

「そういえば使用人の家はどうだったの?」
「ユーゴの家族が近所の人達にいじめられていたりしたら嫌だなって思って行ったんですけど、それは大丈夫でした。でも今まで雇われてやっていたので、ゼロから始めたら麦が上手く育たなかったみたいで。結局またお爺様の力を借りる事になってしまったんです……」
「へぇ……」

 それから鴨が優雅に泳ぐ池を1周して、食後の運動は終了した。


 午前中はお母様とレッスンや勉強、午後はエメリック兄様、ジスラン兄様と3人で遊んで、夏が終わった。
 そして今年もミスルト学園の新学期に合わせて、エメリック兄様が一足早くラプソンに戻ってしまう。

「寂しいです……」
「僕もだよ。また町屋敷に遊びにおいで」
「はい」

 とはいえ、ジスラン兄様の手前、そんなにしょっちゅうは行けないよね。
 みんなでエメリック兄様の馬車を見送り、お城の中へ戻るとジスラン兄様に言われた。

「キャロル、何して遊ぶ?」
 
 あら、あたし慰められているのかしら。やだわ、中身大人なのに。ここはむしろ、あたしがエメリック兄様の代わりをしてあげなきゃ駄目よね。

「……折り紙を飛ばしましょう」
「紙?」

 勉強も大事だけど、やっぱり男の子は子供のうちしかできない遊びをしないとね。でも、かけっことか木登りじゃ体力や身体能力的に差があってあたしとじゃつまらないだろうから、紙飛行機飛ばし位がちょうど良いわ。飛行機が存在しないから『折り紙』だけど。

 執事のレジスに頼んでいらない紙をもらい、折って飛ばして見せる。
 ふわっと飛んだ紙飛行機はよろっとした後、落下した。

「これです」
「へぇすごいね」
「遠くに飛ばせた方の勝ちです」
「いいよ」

 こうして居間で2人で紙飛行機を作っていると、お爺様が珍しそうに覗き込んできた。

「何をしているんだ?」
「お爺様もやりましょう」

 いつの間にか全員参加していて、より遠くへ飛ぶ折り方の研究会となった。
 お母様と伯母様はすぐに飽きてしまったけど、男性陣は真剣だ。飛行機という物体は存在せずとも、男心をくすぐる何かがあるらしい。 

「伯父様、切るのは反則ですよ」
「そうなのか?」
「折るだけで競うのがいいんです」
「そうか、軽い方が有利になってしまうな」

 そんな中、途中まで鶴の折り方をする本格的なやつがあるんだけど、どうやるんだったかな……と思っていたら鶴を作ってしまった。

「あ」
「キャロルこれすごいよ!?」

 こっそり処分する間もなく、ジスラン兄様に見つかってしもうた。

「……鳥です」
「キャロルは天才じゃないか?」

 お爺様はとんでもない事を言い出した。まずい。

「偶然できました。お爺様にあげますね」
「おお」
「もう1回作って!」

 これは……どうしたらいいんだ。でもジスラン兄様の目がキラキラしていて、とてもじゃないけど断れない。

「できるか分かりませんがやってみます……」

 わざともたもたしながら、もう1つ作る。

「できました! どうぞ」
「すごいねキャロル」

 そうなると、期待に満ちた伯父様の目が無視できない……
 結局もう1つ作って伯父様にもあげた。

「できた!」

 見れば、ジスラン兄様が鶴を作り上げていた。
 え⁉ すごくない!? 2回見ただけで作れちゃってるよ? 天才はこの人だよ?
 でも偶然作った事になっている上に3回も作ったあたしが言っても嫌味になりそう……
 あたしのチートのせいでジスラン兄様のすごさは誰にも理解されなかった。

 戦闘機形の紙飛行機を思い出したいあたしと遠くに飛ばしたいジスラン兄様は、その後も暇さえあれば作り続けた。
 そして……終ぞ戦闘機形の紙飛行機は作れないまま晩秋を迎えた。
 非常に悔しいけど、飛行機のない世界で戦闘機なんて作れなくて良かったのかも知れない。……そう思わないとやってられない。


 秋といえば紅葉狩りだ。例によってみんなで馬に乗り、山を登る。
 するといつもの場所はさらにグレードアップしていた。
 石畳が歩道どころかほぼ全面に敷かれ、2階建ての展望台ができているではないか!

「お爺様!?」
「紅葉の素晴らしさを理解していないと嘆いていたそうじゃないか。高い所から見られる様にしたぞ」

 晴れ晴れとした顔でそう言うお爺様の発言が差しているのは、うっかりジスラン兄様に零してしまった愚痴だ。

「ジスラン兄様!?」
「また作っちゃうとは思わなかったよ」

 ジスラン兄様は苦笑している。

 階段を上って2階へ行くと、腰高の柵に囲まれただけのそこは確かにとても見晴らしが良い。
 振り向くとお爺様が褒められ待ちだ。

「ありがとうございます……」

 これはもう下手な事は言えない。2階の真ん中には大きなテーブルがあって椅子も設置されているけど、結局宴会をするんだろうけど、もう何も言うまい。
 ちなみに、展望台の1階は炊事スペースになっていて、そこで調理が始まった。いわゆるBBQだ。
 あの後無事に届けられたペトロニーユおばさんのソーセージは皆が気に入って定期購入する事となり、今も料理長のガハリエが焼いている。

 焼き立てのソーセージや魚介類が下から届けられ、涼しい場所で食べる温かい料理を堪能する。
 でもお腹がいっぱいになってしまうと、やっぱり退屈なのだ。目が合ったジスラン兄様も同様の様で、酒盛りをしている大人達を尻目に一緒に階段を降りる。
 主役の座を奪われ、若干寂し気なガゼボに入って座った。

「早く大人になりたいです」

 そしてお酒が飲みたいです。

「どうして?」

 お酒の為って言うのもどうかしらね。

「こういう綺麗な景色を恋人と一緒に見たいです」

 それも嘘ではない。去年ユーゴが言っていたやつだけどね。

「恋人?」

 あ、婚約者がいる人間の台詞じゃなかったわ。聞こえなかったふりで誤魔化そう。

「ジスラン兄様は大人になりたくないんですか?」
「大人って面倒でしょ」

 なぬ!? それが分かるの? 大抵の人が、子供の頃は大人になりたくて、大人になったら子供の頃は良かったって思うのよ。

「大人ですね」
「子供だよ」

 ジスラン兄様はそう言って笑った。


 あたしとお母様がラプソンへ帰る日が来て、ジスラン兄様は心なしか元気がない。エメリック兄様だけでなく伯父様と伯母様ももう戻ってしまい、あたし達がいなくなるとお爺様しかいなくなってしまう為、無理もないだろう。

「キャロルはここに残ったら?」

 あたしとしては別に構わない。お茶会に行けなくはなるけど、お母様の厳しい指導から離れられてラッキーだ。親が一緒じゃないと寂しいという子供心は残念ながら持ち合わせていないし。
 お母様の顔を見上げて様子を窺うと、お母様はあたしの返事を聞くまでもなく申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさいね、ジスランさん……」

 駄目らしい。子供のあたしに決定権はない……
 自分が寂しいというのもあるけど、それ以上にジスラン兄様が可哀想で、ぎゅっと抱き締めた。……傍目には抱き付いている様にしか見えないだろうけど。

「また来年いっぱい遊びましょうね」
「うん」

 そうして、あたし達はラプソンへ帰った。
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