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第一章

稽古

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 今日はポレモニウ伯爵夫人のお茶会に来た。
 ポレモニウ伯爵の家は、色々な所有者の家が横にくっ付いて並んでいる長屋の様な形態のペントハウスだ。貴族でも我が家やヘリオストロープ公爵家の様に完全に独立した庭付き一戸建ての町屋敷を持っている家は少なく、こういった住宅の方が多いのだ。

 お母様の後に続いて馬車を降りたところで、参加者であるシャルトエリューズ伯爵夫人と娘のジェルメーヌちゃんに行き合った。

「ごきげんよう」

 お母様が2人に声を掛けると、夫人も笑顔で挨拶を返す。

「ごきげんようマルティーヌ様、カロリーヌ様」
「ごきげんよう」
 
 あたしも笑顔で返し、ジェルメーヌちゃんに手を振ると、可愛く振り返してくれた。

「カジミール君はご一緒ではないのね」
「ええ。人見知りする様になってしまって。知らない人に抱かれると大泣きするので置いてきました」

 アルマンが起こした騒動の後、シャルトエリューズ伯爵夫人のミラ様がご懐妊、そして男の子が産まれた。まだ赤ちゃんの末弟くんは今日はお留守番らしい。
 並んで歩く3人の後について行くと、後ろから声が掛かった。

「おい」

 見なくても分かるけど、振り向いたらやっぱりアルマンだ。

「稽古日と指導料を教えろ!」
「は?」
「剣の基礎を学んで来たら教えてくれるって言っただろ!」

 え、あの約束ってまだ有効だったの!? 確かに期限は設けてなかったけど、あれだけの騒動を起こしたら普通は無効になったと思うでしょ。

「ぷっ。あははははは!」

 あまりのしつこさに笑いが込み上げて吹き出してしまった。
 アルマンはあたしが何故笑っているのか分からないらしく、呆気に取られている。
 そしてあたしは笑ってしまったせいで謎の敗北感に襲われている。

「分かったわ」

 溜息と共に言葉を吐き出すと、アルマンの顔がパッと輝いた。

 来た道を引き返してアルマンに手招きし、馬車まで戻る。
 馬車の横で待機していたユーゴは、苦笑するあたしとご機嫌なアルマンの顔を交互に見て、説明するまでもなく状況を理解した様だ。

「ユーゴもう諦めな。ここまで愛されたら剣士冥利に尽きるでしょ」
「はぁ……」

 ユーゴは返事なのか溜息なのか分からない声を漏らした。

「今度こそ本物の念書を持って来なさいよ」

 あたしの言葉に、アルマンは頷く。


 翌日には念書が届き、さすがにもう偽造という事はないだろうけど念の為お父様に見てもらう事にした。

「お父様、これはシャルトエリューズ伯の字ですか?」
「ああ。伯爵本人から聞いているよ。骨の1本くらいなら折れても構わないから相手をしてやって欲しいと頼まれた」

 以前会った時の様子だと伯爵が簡単に許したとは思えない。どんだけ粘ったんだあいつ……

「シャルトエリューズ伯から教わっているならユーゴからの教えは必要ない様に思うのですが……」
「力試しでもしたいんじゃないか?」

 試す程の力があるのかしらね……


 斯くして、アルマンは週に1回ユーゴから剣の手解きを受ける事となった。
 約束の日となり、またしても予定の時間よりだいぶ早く到着したアルマンを庭へ通す。

「それで、伯爵にはどんな事を教わったの?」
「剣さばきと足さばきだ」

 あたしの問いに、アルマンは父親から貰ったらしい模擬刀を見せつつ自慢げに胸を張った。

「でしたらまずそれを見せてください」
「はい!」

 ユーゴの言葉に勢いよく返事したアルマンは、ユーゴの顔をちらちら見ながら素振りをして見せる。
 おい、集中しろ。

 アルマンがへばってきたのを見計らってユーゴが口を開く。

「はい、そこまで」
「どうだった!?」
「動きがとても良くなっていましたよ」

 期待通りに褒められたアルマンは得意げだ。
 なんだろう、絶妙にいらっとするわ。

「ではお好きな様に私にかかって来て下さい」
「よろしくお願いします!」

 模擬刀剣を持ったアルマンと木剣を持ったユーゴが向かい合い、あたしはガーデンチェアに腰掛けて見守る。

 父親から1年半指導を受けたアルマンの動きにはだいぶ無駄がなくなっていて、かなりみっちり扱かれたのだと感じた。
 まぁ最初が酷過ぎたんだけどね。

 ユーゴは持っている剣を構えること無くひょいひょいと避けている。
 でもしばらくそうした後、アルマンのお腹を前蹴りし、アルマンはよろけて尻もちをついた。

「なっ……ずるいぞ!」

 抗議するアルマンに、ユーゴは困った顔で言う。

「アルマン様は私が1番になったから教わりたいのだとお嬢様から聞きました。でも私が1番になった大会ではこんなのずるいうちに入りませんよ」
「えっ」
「ノーコギーでは蹴るのも殴るのも投げ飛ばすのも反則ではありません。砂を投げて目潰しされても文句は言えないんです。殺るか殺られるか、大事なのは結果だけです」

 アルマンは尻もちをついたままショックを受けている。

「お父様はそんなこと言ってなかった……」
「アムブロスジア長官は剣の使い手としてとても優れた方だと聞いていますが貴族です。貴族は騎士道を重んじた戦い方をするのであなたに教える必要はないと判断されたのでしょう。長官は騎士道を遵守させる立場におられる訳ですし……。それに貴族は前線に立つ事も平民と戦う事もないですから、そういった戦い方が必要ないのです」

 確かに、実際に戦争が起きた時、前線に立たされるのはユーゴみたいな平民の兵士で、貴族は後ろから指示をするだけなんだろうな。

「アルマン様が目指しているのは騎士ですよね?」
「そうだ」
「貴族のあなたならずるい事をしなくても騎士になれます。剣だけで綺麗に闘いたいのならお父様からのお教えだけで充分だと思いますよ。貴族同士の戦いでは砂を投げたりすれば姑息だと言われます。ずるい事をしたくない、されたくないと思うあなたがそれを受け入れる必要はないんです」

 アルマンは気色ばんで立ち上がった。

「でもそれを受け入れなきゃノーコギーで勝てないじゃないか」
「え、アルマン、ノーコギーに出るつもりなの?」
「当たり前だろ」
「それあなたのお父様に言った?」
「うん」
「何て言われたの?」
「別に何も」

 なるほど。それでシャルトエリューズ伯はユーゴに指導を頼んできたのか……。格好良くない戦い方をしなければ勝てないと経験者の口から語らせて、自分には無理だとアルマン自身に気付かせる為に。ただ駄目だって言ってもこの子聞かないもんね……
 ユーゴはシャルトエリューズ伯の意図を分かっていたのかな。

「長官はアルマン様をノーコギーに出場させるおつもりはないでしょう」
「そんな!」

 愕然とするアルマンをユーゴが諭す。

「相手は殺す気で来るんですよ。平民に騎士道なんて通用しませんから、卑怯でも何でも殺す気でやらなければ殺されます。でも家柄の良いあなたが命をかける必要なんてそれこそないですよ」

 アルマンは歯噛みしながらも諦める様子は全くない。

「俺は1番強くなりたいんだ……今の話だと貴族の戦い方は実戦的じゃないって言ってるようなものじゃないか。平民の強い奴と戦ったら負けるって事だろ」
「単純に生き残った方が勝ちの殺し合いとなればそうでしょうね。ただ、平時であれば平民が貴族に勝ったりすればその後大変な事になりますから、貴族が負ける事はないですよ」
「じゃあユーゴは普段、貴族と手合わせする時は本気を出さないのか?」
「……ええ」

 つまりユーゴはノーコギーの後、手加減なしで貴族に勝っちゃって大変な事になったんだな。お城の兵士として相当忖度してきたのね……

「どうしますか? それでもまだやりますか?」
「やる」

 アルマンは再び剣を構えた。
 その後のユーゴは攻撃を一切せず、アルマンの剣を避けるだけで終わらせた。

「今日はこれくらいにしましょう」
「ありがとうございました!」

 アルマンは肩で息をしながらもきちんと挨拶をして、清々しい顔で帰って行った。

 あたしはユーゴを部屋に招いて聞いてみる。

「ユーゴはシャルトエリューズ伯の思惑を分かっていたの?」
「アルマン様がノーコギーに出たいと考えていらっしゃるのだろうとは思っていましたが、長官のお考えは分からないです。アルマン様を諦めさせたいのか、ノーコギーで戦えるように鍛えたいのか……」
「そうだねぇ。でも今日の感じだと全く戦えない様なら諦めさせるって事になりそうね。けど貴族で優勝できた人っているの?」
「優勝どころか、8位以内に入る事もないですね」
「それさ、貴族に勝っちゃった平民の人って後から文句を言われたりしないの?」
「ノーコギーは腕の立つ兵士を招集するのに利用されていますからね。それをしてしまうと平民が参加したがらなくなるので、試合中に何があってもお咎めなしという事になっています」
「でも王城では違ったんだ?」
「……はい」

 ユーゴは苦々しい表情を覗かせた。

「ユーゴに勝てなかった貴族に何をされたの?」
「嫌味と、特訓という名の体罰ですね……」
「何で負けた奴が勝った相手に特訓するのよ」
「騎士の戦い方を教えてやると言っていました……」

 可愛がりってやつか。ここでは剣以外の攻撃はするなって口で言えば済む話じゃない。実力では勝てないからって戦い方に難癖をつけて、立場の弱い人間に暴力を振るうなんて、完全に騎士道を履き違えている。
 それに王城で警護をする人間が剣での攻撃にしか対応できないっていうのはどうかと思うわ。
 う~ん腹が立つ。

「オッケーその人の名前は?」
「え、いえ、それは……」
「大丈夫、面と向かって抗議なんてしないわ。お茶会でちょっと噂を流してやるだけよ。だって負けた腹いせに嫌がらせする様な外道な騎士と結婚する女の子がいたら可哀想でしょ?」

 騎士だからって偉ぶるなら、騎士にとって1番不名誉な評判を婦女子の間で広めてやるわ。

「そうですね……まだ独身ですし家が相当金持ちらしいので貴族のお嬢さんをもらう事もあるかも知れないですね。中心になっていたのはリアトリス伯爵家の3男です」

 リアトリス伯爵? どこかで聞いた名前ね。
 ……あ、従妹のアベラと婚約話があった家か。
 という事はアベラはユーゴに体罰を加えた人の甥と婚約するところだったのね。あら、あたし凄く良い事したんじゃない?

「ねぇ、もしかして貴族ってお金さえあれば騎士になれるの?」
「一応試験があるのですが、どうして合格できたのか……という人間はいますね」

 やっぱり。

「よし、じゃあ今日はちょっと早いけどもう飲みに行っていいよ!」
「はい。ありがとうございます」
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