バケモノ貴公子は傷を負った令嬢を寵愛する

冬野 海

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73話 鏡に写す

73話 鏡に写す


レガート伯爵の言葉を、ずっと頭の中で反芻していた。

『他人が決めた価値観』

『本質を見る目を持て』

僕にあそこまで言う人はいなかった。
まぁ、第一騎士団長、大公子息の僕に言える人はそういないだろう。

レガート伯爵の言葉は、僕が最も目を背けていた内面に突き刺さった。

周りからのバケモノと蔑まれて、“何をしても僕はバケモノなんだ”と安全な場所に心を置いてきた。

その一方で懸命に学び、鍛錬に勤しんで、第一騎士団長を任されるようになった。
頭では、バケモノから遠いところばかり追いかけていた。

レガート伯爵に僕の内面の葛藤を見透かされたと動揺したが、不快感はなかった。
ただ上辺だけの慰めではなく静かに問いかける…

『本質を見る目を持て』

その一言に要約されているレガート伯爵の哲学が、今の僕には腑に落ちた。

それにしても、

“安息のブレッド・ベリーの涙コンポート”

とはどういう意味だろうか。

安息のブレッド…貴族が食べるような白く柔らかなパン。
いや、貧しい平民の硬いパンかもしれない。

ではベリーはどうだ?
ルビーのような色の形の良いイチゴ?
いや、戦場の食料源となる木苺か…
平時のイチゴ、戦時のイチゴ。

涙はレガート伯爵との会話“女神の涙”“安心の涙”からきているのか、それとも感情と人間性を表しているのか。

それらはつまり……

”血の通う者は、いついかなる時も涙を流す“

そういう意味なのだろうか…

深く考えてしまったが、人の顔を料理名に例えるなんて、意味はないのかも知れない。

側にいた侍従に、
「明日の朝食にパンとベリージャムをご希望ですか?」と聞かれた。

どうやら声に出ていたらしい。

「いつでも良いから朝食に“安息のブレッド・ベリーの涙コンポート”を頼みたい」
と伝えると、
「……はい。料理長に伝えてみます」

侍従が一瞬、言い淀んだか。
それもそうだろう。今までそのような名前の料理は出てきていないからな。
頼んだ僕でさえ何を言っているんだろうと思っている。
「あと、鏡を用意してくれないか?」
これには言い淀むことなく「今すぐに」と早々に出て行ってしまった。

五年前に“最後の魔女の毒薬”を浴びた時、次々と使用人がレアソル城から去って行った。
バケモノに仕えているとは醜聞が悪いのだろう。
僕に付いていた当時の専属侍従も『妹の婚約を控えておりまして…』と去って行った。
世話になった侍従だが、他人事のように受け止めていた。

もう誰もそばにいて欲しくないと思ったが、僕の側使いとなったのが、下男だった今の侍従、シェルツだった。

淡々と僕の世話をし、見返りを求めるそぶりもない。
「なぜバケモノの側使いをしている?」と聞くと「バケモノの側使いなんてそうなれない」
と言ってのけた。

どうせ父上に給金を積まれたか、自分で給金を強請ったのだろうと思っていた。
実際、他の使用人からも「給金のために良くやるよ」と言われていた。
彼は表情を変えることなく「代わろうか?」と言っていた。

忠誠と保護の関係ではなく、給金という明確な線引き、彼のあっけらかんとした物言いが気楽だった。

この部屋の鏡や顔が写るガラスを素手で叩き割った時は「次からは私の手をお使いください」と泣きながら傷の手当てをしてくれた。

ある日、「父からいくら積まれたんだ」と聞いたら、「リソルート様ではお支払いできない給金でございます」
と言っていた。

事件から一年経っても僕の側使いのままだった。
父に「いくら給金を渡しているのですか?」と聞くと、「下男の給金のままだ。お前が立ち直るまで給金はいらないと言っていた」そう聞かされた。

愚かにも僕は何も分かっていなかった。

その場ですぐ、専属侍従にしてもらい適正な給金を父にお願いした。
母からは「気づくのが遅い!」としこたま叱られた。

やがて戻ってきた侍従から「どうぞ」と裏返しに手鏡を受けとり、出ていこうとするところを呼び止めた。

「今日は、色々あったんだ。
五年ぶりに自分の顔を見てみようと思う。だが少し覚悟が足りない」

侍従は「私がお供いたします」と覚悟の後押しをしてくれた。

仮面をゆっくり外し、手鏡を持つ手に力が入る。
顔の左は…まだバケモノのままか?
手鏡の向こうで侍従と目が合う。
「大丈夫ですよ」と言わんばかりの微笑みが返ってくる。

彼のことは信頼できる。
あとは僕が行動を起こすだけだ。
軽く目を瞑り、息を整える。
ゆっくりと顔の左側を写す。

手鏡に写ったのは——

五年前のバケモノではなかった。

酷く垂れ下がった左目は、下り目と言ったところか。
左頬の痛々しいケロイドも右頬と肌質が似ているような…
口元も意識せずとも真一文に引かれていた。
そういえばここ最近は顔面の痙攣や痛みを感じるのも少ない。

ヴィヴァーチェ王女殿下との婚約解消などで、気が逸れていたせいだと思っていたが、明らかに治ってきている…

「シェルツの感想を聞きたい。正直に話してほしい。今の僕の顔は五年前から変わったか?」

「はい。私の印象としましては、ずいぶん魅力的なお顔立ちに変わったように思います」

「いつからだ?」

「五年の間に少しずつケロイドの赤みが引いてきたように感じていました。

お口元はしっかりとお食事をお召し上がるようになってからは幾分良くなったのかと。

しかし目に見えて良くなってきたのは…三ヶ月前あたりでしょうか?

リソルート様が頂いた保湿薬を塗るようになってからだと思います…」

侍従の声が涙声になる。

この顔を見せたくて…だから手鏡には躊躇することなく用意をしてくれた。

でも彼は自分からは言わなかった。

僕自身がこの顔に向き合うことを、ずっと待っていた。

「保湿薬の効果もあるかもしれないが、君のおかげでもある。ありがとう」

侍従は「いいえ」と首を振り、

「安息のブレッド・ベリーの涙コンポート…伝えて参ります」と言って部屋を後にした。

浴びたのは魔女の毒薬だ。

明日の朝にはまた元のバケモノに戻っているかもしれない。

それでも今はこの顔に、喜びを噛み締めてもいいだろう。
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