フンペの海

鈴木 了馬

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   二十

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 森へは、一番若いポンを伴った。
 イソンよりも身長が高い。
 顎がしゃくれている。
 足が長かった。
 漁仲間の中では、一番身体能力が高い、とイソンは思っていた。
 いろいろ見て回ったが、真っ直ぐな杉の若木に決めた。
 若木と言っても、帆柱に仕上がったら、二間くらいにはなりそうだ。
 イソン一人でも運べなくはなかったが、ポンのお陰で助かった。
 翌日、樹の皮を剥ぐのに、ポンだけでなく、タシもイヨも来てくれた。
 彼らはナタ使いに慣れている。
 頼りになった。
 杉は何日も乾かす必要があった。
 イソンは、ちょうどいい機会だったので、小舟を使って帆舟の考えを三人に伝えた。
 皆、興味津々だった。
 タシは、大きな帆のことを気にした。
 イソンもそのことを考えていた。
 綿布がいいが、イソンも娘も麻布以外織ったことがなかった。
 更に、大きな綿布となれば、どうすればいいか。
 タシはそれを見越して問いかけたのだ。
 妻は、綿布織りの名人なのだ。
 独特の織り道具があるという。
 後日、イソンはタシの家を訪れて、その道具を見せてもらった。
 ある程度は、イソンが想像していた形だった。
 原理は、麻布織り道具と同じだ。
 縦糸を張り、横糸を通していく。
 横糸は、二寸ほどの太さの孟宗竹を半分に割いた棒に、糸玉を転がして通す。
 特に違うのはその後の工程だ。
 横糸を竹棒でしっかり詰め込むようにするのだ。
 その工程のお陰で、しっかり目の詰まった綿布になる。
 一日見ていても飽きない作業だった。
 タシは、その道具を、帆用に横幅を広くすればいい、という。
 道具ごと作るのだ。
 綿糸は、タシとイヨの妻、そして何人かの協力者が総出で紡いだ。
 イソンとタシ、そしてイヨとポンは、また森に入り、織り機用の木を切り出し、製作に入った。
 イソンは、協力者にフンペの肉を振る舞った。
 産後間もない娘は、イタの指示で、誰かが付いているようにしてくれている。
 そうでなくとも、チラは喜んで娘と赤子を毎日のように見舞っていたのだが。
 そのことに関しては、イソンの心配は無用である。
 試行錯誤の上に、半月ほどで、大きな綿布織り機が完成した。
 専用の小屋も作った。イソンの仮住まいと同じ構造のやつだ。
 かつて、これほどの人間が、フンペ漁のことで一緒に働いたことがあっただろうか。
 村長のチラも、村人の結束の固さを喜んだ。
 綿布織り機が小屋に納まった夜、チラの計らいで、祝いの宴が開かれた。
 貴重な酒も出された。
 干した川魚の山椒焼き。
 イノシシの干し肉。
 イソンは自分の発案に賛同してくれる村人に感謝するとともに、別の想いも心に去来していた。
 それは、明らかに、オペの時代が終わった、という感慨だった。
 かつてオペという男が、フンペを一艘の丸木舟で獲ることに挑んだ。
 それまでの歴史の中で、誰も考え得ない偉業だった。
 フンペの神が人を受け入れたのだ。
 それゆえ、オペは孤高にならざるを得なかった。
 しかし、今は違う。
 フンペ漁は、しっかりと村に根づいた。
 これらは、紛れも無くオペが残したものだった。
 それをイソンはしっかりと引き継いでいる。
 いやそれだけではない。
 更に新しい領域に挑もうとしているのだ。
 帆舟。
 それも、村人総出でだ。
 オペがこの光景を見たら何と思うことだろうか。
 明らかに、新しい時代の到来だ。
 世代交代。
 いつしか、二人の息子も、同じように思う時が来るだろうか、とイソンは想像していた。
 それは、心躍ることだった。
 そうして続いて行けばいいのだ。
 海は変わることなく、人々に恵みを与え続けるだろう。
 人々は、海を敬い、恵みを祝福とともに受け入れる。
 恵みは、人の血となり肉となり、子孫繁栄の源となる。
 その脈々と続いていくだろう、力強さを、イソンは今、肌で感じていた。
 村人が歌い、踊る。
 それはあらゆる恵みへの感謝を体現することだ。
 山や森、河や海は、時に牙をむく。
 それは人智を遥かに超越した、偉大なる力なのだ。
 その強大な力を備えているからこそ、多くの恵みをもたらすのだ。
 人はその力に抱かれて続いてきたし、これからも変わることはない。
 それは、理屈ではない。
 当たり前のこととして受け入れなければならない宿命なのだ。
 その力を感じた時、人は歌い、踊る。
 まるで、その躍動と同期するように。
 恵みは求めるものではない。
 与えられるもの。
 人は、日の出とともに、動き出す。
 太陽が沈めば、活動をやめて眠る。
 それは、素晴らしいことなのだ。
 それ自体が祝福されるべきことなのだ。
 人は、太陽の喜びとともに踊るように生きていくのだ。
  
 イソンの帆舟は、その翌年、第一号が完成した。
 そして改良を重ね、漁仲間の三人も操船できるようになった。
 当初、風向きに寄っては、帆を畳み、櫂で漕いだ。
 しかし、向かい風でも舟が進むことを発見するのに長い年月は掛からなかった。
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