フンペの海

滝川 魚影

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   二十二

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 シン、アシッは、血気盛んな少年に育った。
 そんな二人が、フンペ漁を習得するのには、一年かからなかった。
 タシが指導係だったが、教えたのは基本的なことだけで、手取り足取り教える必要はなかった。
 やって見せれば、すぐに真似る。
 それを他のことは何もせずに、一日中やっているのだから、すぐに身につく。
 やはり、川の漁を幼いころから経験していたことが大きかった。
 川舟も、遊びで乗り回していたらしく、既に櫂は操れる。
 あと、帆の操作だけだった。
 だが、それも時間の問題だ。
 基本ができているのと、持って生まれた才能だろう。
 それでも、時間がかかるだろうことが一つあった。
 海に慣れること。
 川、と海は、似ているようで、全く違う。
 その違いを一言でいうなれば、「力」の違いである。
 川の「力」は人間が見たとおりだ。
 要は想像の範囲を大きくは越えない。
 「危険」だと想えば、避ければいい。
 しかし、海は、一見穏やかに見えても、想像を絶する人知を越えた「力」を秘めている。
 潮の流れ。
 波。
 もちろん、広さと深さ。
 それは、天候が穏やかな日でも、刻一刻と変わっていく。
 その脈動は、簡単に人間と同期しない。
 ほんの少しだが、その脈動と同期できるようになるまでに、数年掛かる。
 川も決して安全ではないが、海の危険ほどではない。
 その海において、最も大きな生物、フンペを獲物とするのが、オペが産みだしたフンペ漁だ。
 海に慣れ、フンペに慣れる。
 実はそのことが最も難しかった。
 そして、それは一生掛けても、最後までたどり着くことはない。
 それに比べれば、技術的なことは容易い。
 それでも、日々鍛錬には変わりない。
 フンペ用の銛は長く、太く、重い。
 そして川の漁での使い方と根本的に違う。
 川の銛は、突く、投げる。
 フンペの銛は、体ごと打ち込む、のだ。
 空中での動作だ。
 アシッは、その名の通り、器用だった。
 天性の運動能力があるのだ。
 銛打ちにおいて、その能力が存分に発揮される。
 シンは、もちろん技術も弟と遜色ないが、こちらはどちらかといえば、知性の人だ。
 潮読み。
 帆さばき。
 監視。
 ゆくゆくは、舟造りにおいても、能力が活かされるだろう、とイソンは思っている。
 兄弟のフンペ漁の初陣となった夏は、運も味方をした。
 フンペの出現が多かったのだ。
 だから、何度も出漁し、銛を打つ回数も多かった。
 そういうことはすぐに村で噂になった。
 シンとアシッがフンペを呼ぶ、と。
 加えて、シンとアシッは、フンペが来ない海でも二人で舟を出し、小型の銛(川用の銛)を 持って、シリカップ(メカジキ)や、ホクシチェプ(マグロ)を追いかける。
 結果として、シンとアシッは、海が荒れていなければ、常に舟を出している。
 直に、二人のほうがイソンよりも朝早く海に行くのが、常となっていった。
 まずは、湾内で沐浴。
 そして物見の木へ上がる。
 彼らは、鳥山を探す。
 見つければ、遠くても舟を出す。
 鳥山の下には、イワシなどの小型の魚が群れている。
 それを捕食する少し大きめの魚が来る。
 シンとアシッは、それを川漁用の銛で仕留めるのだ。
 以前イソンが何度か試みて、上手くいかなかったことを兄弟はらくらくとやってのける。
 シリカップやホクシチェプは泳ぎが速く、命中しにくい。
 しかし、そこは川漁で育った二人だった。
 人並み外れた動体視力と、銛さばき。
 まずアシッ
 そしてシン。
 二人は難なく成功したのだ。
 もちろん、帆舟があっての話だった。
 新しいことを始めて、そして極める。
 その能力は、祖父や父譲りだろう。
 今また、新しい漁法を二人は考えていた。
 それは川漁で用いられる方法の応用だった。
 川漁では、竹竿に綿糸を繋ぎ、その糸の先に虫などの餌を付け、食らいついた魚を引き上げる、という方法があった。
 これを海でもやってみようと言うのだ。
 しかし、海の魚は、小型といえども川の魚よりも総じて大きい。
 何度試しても、餌に食らいついた魚は、舟の上まで上がってこなかった。
 そこで、魚を糸から外れないようにする方法がないか、と二人が考えた。
 そして、木を削り、一寸大の鉤型を作った。
 先は石鏃で鋭利に削った。
 柄の方に綿糸を縛って繋ぐ。
 そう、二人は、村で初めて、釣り針を作ったわけだ。
 イソンの記憶では、「河の熊」もそんなやり方をしていなかったから、おそらくこの界隈では初のことだろう。
 狙い通り、この釣り針で海の魚は舟まで上がるようになった。
 餌は、貝のむき身などだ。
 これを知ったイソンは、大変驚き、自分の息子ながら感心した。
 イソンは、釣り針をジロジロ見ながら、つくづく良く出来ている、と讃える。
 しかし、イソンはそれだけでは終わらない。
 一つの提案をした。
 釣り針を、フンペの骨で作ったらどうか、というものだった。
 シンとアシッは、すぐに試してみよう、と思った。
 しかし、フンペの骨は、岬のフンペ塚の中だ。
 海の神であるフンペ、その骨は、捨てられずにしっかり埋葬される。
 岬のフンペ塚は、石造り。
 取り出すには、村長タシの許しが必要だし、イタの祈りを要する。
 早速タシに相談すると、フンペの骨は必要だ、と判断してくれた。
 高齢のイタは、近頃は寝たきりだった。
 そのイタを、皆で担いで岬に運んだ。
 イタは、自分が取り上げたシンとアシッを自分の孫のように思っている。
 だから無理をおして祈りを捧げてくれた。
 そうして作られたフンペの骨の釣り針は、最良のものだった。
 この発明は伝説になることは間違いなかった。
 シンとアシッは、フンペが現れなくても、海に舟を出す。
 当然のこと、鳥山の下でシリカップなどを仕留めている時に、直ぐ近くにフンペが現れるなんていうことがある。
 二人はすぐに、漁を切り替える。
 シンとアシッによって、海の漁での獲物の種類が増えた。
 村は、シンとアシッの噂で持ちきりだった。
 「海の恵みを呼ぶ兄弟」と。
 一方、イソンは漁には出ず、新しい舟を造っていた。
 オペが造った舟がだいぶ古くなったのだ。
 帆舟に適した丸木舟の形を模索していた。
 舟造りは、イヨが手伝っている。
 イヨは、川舟を作る名人だから、そのまま戦力になった。
 イソンからイヨに、フンペの丸木舟の作り方が引き継がれる。
 そうして継承していけば繋がっていくのだ。
 そんなある日の午後。
 川の漁の季節には少し早かった。
 ポンが洞窟に走ってやってきた。
 ヤキ(マッコウクジラ)を仕留めた、ということだった。
 四間を超える、と言う。
 イソンとイヨは、すぐに湾に駆けつけた。
 実にそれは、巨大な頭を持つヤキフンペだった。
 かつて、オペもイソンも、それほどのヤキを仕留めたことはなかった。
 村人が続々と集まってきた。
 皆で、海に浸かって押し、ヤキを出来るだけ岸に近づける。
 解体作業の段取りは、タシとイソンの役目だ。
 それぞれが石鏃で解体を始める。
 それは男たちの仕事だ。
 まず、シンとアシッ、タシ、イヨが、心臓など臓物を一通り食する。
 その後に、解体作業にあたる男たちが続いて食し、皆に行き渡る。
 精をつけたところで、本格的に解体作業が始まる。
 解体された肉は、海水でさっと洗われ、麻布に包まれて村に運ばれる。
 大体は薄く切って、干される。
 ヤキフンペ(マッコウクジラ)には大量の脳油がある。
 この脳油があるから、ヤキは深く、しかも長時間潜水できるのだ。
 人々にとっては、その脳油が、薬となり、燃料となった。
 脳油は、土器の壺に入れられ、運びだされる。
 解体されては、運ばれ、が繰り返された。
 夜も更けてくると、焚き火が灯り代わりだ。
 村では、女たちが宴の準備を始めていた。
 これほどの獲物には宴だ、と村長のタシが言い渡したのだ。
 ありったけの、芋の酒が用意される。
 解体を終えた男たちが村に戻ってくると、それが宴の始まりの合図である。
 酒が回ってくると、誰とも知れず、踊りが始まり、歌をうたう。
 女たちも踊る。
 恵みの神に感謝するのに、区別はない。
 そのうち、高齢のものと子供は住処に帰る。
 独身者たちが残って、夜通し宴は続いた。
 イソンは満足だった。
 自分の息子が今までにない巨大なヤキを仕留めた。
 フンペの大きさは、村の安定の証だ。
 小さいノコルフンペ(ミンククジラ)などでも、立派な保存食になる。
 それが、大きなヤキフンペとなれば、何年にも渡って、村人に恩恵をもたらす。
 自分が教えられることは少なくなった。
 イソンはそう思いながら家路を歩いていた。
 嬉しさも、悲しさも混じった複雑な笑みを月明かりが青白く照らしている。
 住処に戻ると、娘は既に寝床で寝息を立てていた。
 イソンは、水瓶の水をすくって何杯か飲み。
 娘の横に寝転んだ。
 娘がそれに気がついて、目を開けた。
 イソンを待っているうちに眠ってしまったらしい。
 娘の半身を起こして、イソンの顔伺う。
 そして、イソンの上に重なった。
 一方、村では、宴がそろそろお開きになろうとしていた。
 タシが、二人の女を呼んできた。
 シンとアシッよりのかなり歳上だ。
 最初にシンに選ばせる。
 シンとアシッは何のことかあまり分かっていない。
 イヨとポンは、それぞれの女に付いていけ、と言うだけだった。
 シンとアシッは、言われたとおり、別々の方向に女たちに付いて行った。 
 二人がいなくなると、タシは焚き火に灰をかぶせた。
 宴が終わった。
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