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十一
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「向こうの館は聟君(むこぎみ)のお国なれば、国境(くにざかい)よりは行儀正しく、いずれも粗相のなきように」
海老蔵演じる武士、高坂采女(こうさかうぬめ)は、馬上から家来たちに声を掛ける。
家来たちは、了承の答えを返して、その言葉と台詞が謡(うたい)に変わって行く。
謡が終わったところへ、編笠を目深に被った浪人役が登場し、馬の前にひれ伏す。
この浪人、かつては高坂采女の朋友、轟辯右衛門(とどろきべんえもん)。
演じるは、評判の野郎役者、藤浪求女。
役者評判記「剥野老(むきところ)」に、「蓮の玉の肌、いかなる人をや占めて寝るらん」と評されるほどの美男と言われた役者だ。
観客も、早くその顔が見たいが、勿体を付ける筋である。
不審者と思った家来たちは、笠を取れ、と迫る。
そこに主人の高坂が割って入る。
平伏しているところを見れば、ただの慮外者(りょがいもの。無礼者)とも言えないだろう。
高坂が子細を問いただすと、かつての朋輩であり勘気(怒り)に触れ役目を解かれ浪人となった、轟辯右衛門だと名乗る。
これは大変懐かしい、ということで。
「某は御用の道筋、馬上は御免。編笠は慮外と申すにあらず。顔が見たい。お断りのだん何かくるしかるべき。さあさあ、笠をとり給え」
満を持して、辯右が笠を取る。
観客はどよめく。美貌に酔いしれる。
このあと再会を祝って、扇を盃に見立てて、盃を交わす。
これは、「浪人盃」の一段。
当時、大当たりした狂言である。
このような、放れ狂言を、だいたい日に二つほど演じるというのが、駆け出しである海老蔵の当時の舞台の有り様だった。
演目としては、短く、凝ったものではなかった。
観客も観劇に来るというよりは、美男の容姿を見に来る。
それが大変にうけた時代であり、したがって海老蔵のような美男を売る役者がひしめき合っていた。
「色白く、きめ細やかに面躰うつくし」
寛文三年(一六六三年)、刊行された野郎評判記での、海老蔵評である。
誰にも引けをとらず、人気の野郎役者となっていた。
初舞台から、四年余り。数えの十五。
当然、贔屓も増えていく。
小屋に贈り物が届く。
その置く場所を作らなければならなくなり、楽屋裏に、海老蔵専用の小部屋が設けられた。
舞台以外でも引く手あまただった。
「籠が着いたぜ」
階下から、重蔵の声。
「はい」
今日は、目黒まで足を伸ばす。
客によって、会う場所を変えているのだ。
もう師走間近で、風が冷たい夕べであった。
寒い時分がやってくると、長一郎の気分は概して下がりがちだった。
時は経っても、記憶は完全には消えないらしかった。
特に風が強い日は。
「気をつけてな」
重蔵の送り出す笑顔が柔らかいのは、海老蔵の気持ちを察してか。
いつもと少し違う長一郎に、待っていた佐治市之丞も早々に気がついたらしかった。
部屋には、蝋燭が灯っていたが、伽羅の香が焚いてあるから、魚油の匂いは気にならない。
逆に、伽羅と魚油の匂いが相まって、独特の怪しげな香りが漂っている。
陽が落ちて、まだ間もない。
膳の用意はない。
佐治の場合は、それが習いである。
毎回、一時足らずの逢瀬だ。
「どうかなさったのか」
欝気味の長一郎を、気遣ったつもりだった。
「いえ」
「何でも、申してみよ」
「いえ、大事ありません」
こんな他愛もない押し問答をしているうちに、佐治はすぐにその気になっていった。
気のない長一郎、いや海老蔵も、佐治にとっては、また一興というところか。
藩名は明かさなかったが、佐治は武家だった。
年の頃は、三十前。
骨太で、肌は浅黒かった。
二月に一度の頻度で、重蔵に繋ぎを取ってきた。
太玄を含めて、全部で五人。
舞台の給金を遥かに凌ぐ、稼ぎとなった。
給金意外の稼ぎは、すべて重蔵に入る。
しかし、長一郎に不満はない。
それが当たり前だと思っているからだった。
それに、何かに遣う宛てもない。
舞台に立って、一定の人気があり、住む家がある。
夜の勤めも、乱暴をされるわけでもなく、最初は抵抗があったが、とっくに慣れた。
長一郎にとって、性とはそういうものだった。
それ意外に知らないのだから。
そういう年月が明け暮れていった。
それで良かったものを。
そうは行かないのが世の常である。
当時、歌舞伎は常に大衆の流行の先端を行っていた。
後の世では、書物が牽引して流行を作っていく、ということもあろうが、当時は逆と言っていい。
実際に起こっていることが記されるために、書物が時代を追っていく。
先端にある者は、常に観客の反応を肌で感じ、そして自らを変えて行く必要がある。
役者評判記の記載、その切り口は「容姿評」から、徐々に「技芸評」に変わっていった。
すなわち、容姿だけでは、最早もたない時代へと移り変わっていくのである。
この流れに、早々と気がついたのは、重蔵であった。
重蔵は、海老蔵の芸の領域を広げることを考えた。
寛文六年(一六六六年)の霜月(十一月)、市村座の顔見世興行で、堀越海老蔵は、初めて女形を演じて見せた。
それは、翌年からは、女形の海老蔵もやります、という決意表明であった。
これが、大いに話題となった。
海老蔵の贔屓筋からも、期待の声が多く寄せられた。
しかし現実には、期待はずれといってよい年月が続くことになる。
役者評判記へ取り上げられることもなかった。
重蔵は、落胆した。
自分の目に狂いが。
一方、長一郎は相変わらずである。
評者の評価は上がらなくとも、海老蔵の容姿に惚れている贔屓は、変わること無く海老蔵に付いている。
当たり前と言えば、当たり前だった。
しかし、重蔵は先を見越していた。
これではいけない。
何か手を打たなければ。
ただ、手をこまねいて、年齢とともに落ちぶれていくのを見ているわけには行かなかった。
最初は、金になればいい、という思いだった。
しかし、重蔵にも徐々に欲が出てきたのだ。
もしかしたら、大した役者になるのでは、と。
重蔵は、こう見えても神仏を大切にする人間であった。
新しいことを始める時には、必ず本尊を詣でる。
重蔵は、店を三、四日閉め、一人成田山に参詣に行くことにした。
ちょうど、商いのことで市川にも行く必要があった。
寛文八年(一六六八年)、文月(七月)は末のことだった。
夏の盛りを過ぎた頃とはいえ、まだまだ暑い日が続いている。
それでも参道は、参詣客が多く見られた。
物味遊山ではない重蔵は、慣れた足取りで本堂を目指した。
本堂は、明暦の大火の二年前に新しくなっていた。
重蔵、新しい本堂への三回目の参詣である。
本堂の屋根が見えてくると、重蔵は歩みを緩める。
そうすることで、本堂に入り、お不動様も前に立つころには、呼吸がすっかり静まった。
具体的に何をお願いするわけでもない、御真言を唱えると、重蔵は目を開き、お不動様を見上げた。
心を落ち着ける。
長い間、重蔵は動かない。
それが、重蔵のいつものやり方だった。
それでいて、参詣の後は、重蔵は長居をしなかった。
参道に出ると、再び歩みを速めた。
しかし、その日は、いつもと違った行動を取った。
後から考えても、重蔵自身、どうしてそんなことをしたのかが思い出せなかった。
参道から一本外れた道に入ったのである。
参詣客が減った分、歩きやすくなった。
しばらく歩くと、芝居の掛け小屋が見えてきた。
小屋の前には、ちょっとした行列ができている。
開演を待っているらしかった。
重蔵は気まぐれに、列に並んだ。
聞けば、四つ(九時半頃)に開場になる、と言うので、間もなくだった。
重蔵は、ほんの気晴らしのつもりだった。
たまには旅芸人もいいだろう、と。
しかし、この後、重蔵には衝撃的な出会いが待っていた。
そして、すべてが動き出すのであった。
海老蔵演じる武士、高坂采女(こうさかうぬめ)は、馬上から家来たちに声を掛ける。
家来たちは、了承の答えを返して、その言葉と台詞が謡(うたい)に変わって行く。
謡が終わったところへ、編笠を目深に被った浪人役が登場し、馬の前にひれ伏す。
この浪人、かつては高坂采女の朋友、轟辯右衛門(とどろきべんえもん)。
演じるは、評判の野郎役者、藤浪求女。
役者評判記「剥野老(むきところ)」に、「蓮の玉の肌、いかなる人をや占めて寝るらん」と評されるほどの美男と言われた役者だ。
観客も、早くその顔が見たいが、勿体を付ける筋である。
不審者と思った家来たちは、笠を取れ、と迫る。
そこに主人の高坂が割って入る。
平伏しているところを見れば、ただの慮外者(りょがいもの。無礼者)とも言えないだろう。
高坂が子細を問いただすと、かつての朋輩であり勘気(怒り)に触れ役目を解かれ浪人となった、轟辯右衛門だと名乗る。
これは大変懐かしい、ということで。
「某は御用の道筋、馬上は御免。編笠は慮外と申すにあらず。顔が見たい。お断りのだん何かくるしかるべき。さあさあ、笠をとり給え」
満を持して、辯右が笠を取る。
観客はどよめく。美貌に酔いしれる。
このあと再会を祝って、扇を盃に見立てて、盃を交わす。
これは、「浪人盃」の一段。
当時、大当たりした狂言である。
このような、放れ狂言を、だいたい日に二つほど演じるというのが、駆け出しである海老蔵の当時の舞台の有り様だった。
演目としては、短く、凝ったものではなかった。
観客も観劇に来るというよりは、美男の容姿を見に来る。
それが大変にうけた時代であり、したがって海老蔵のような美男を売る役者がひしめき合っていた。
「色白く、きめ細やかに面躰うつくし」
寛文三年(一六六三年)、刊行された野郎評判記での、海老蔵評である。
誰にも引けをとらず、人気の野郎役者となっていた。
初舞台から、四年余り。数えの十五。
当然、贔屓も増えていく。
小屋に贈り物が届く。
その置く場所を作らなければならなくなり、楽屋裏に、海老蔵専用の小部屋が設けられた。
舞台以外でも引く手あまただった。
「籠が着いたぜ」
階下から、重蔵の声。
「はい」
今日は、目黒まで足を伸ばす。
客によって、会う場所を変えているのだ。
もう師走間近で、風が冷たい夕べであった。
寒い時分がやってくると、長一郎の気分は概して下がりがちだった。
時は経っても、記憶は完全には消えないらしかった。
特に風が強い日は。
「気をつけてな」
重蔵の送り出す笑顔が柔らかいのは、海老蔵の気持ちを察してか。
いつもと少し違う長一郎に、待っていた佐治市之丞も早々に気がついたらしかった。
部屋には、蝋燭が灯っていたが、伽羅の香が焚いてあるから、魚油の匂いは気にならない。
逆に、伽羅と魚油の匂いが相まって、独特の怪しげな香りが漂っている。
陽が落ちて、まだ間もない。
膳の用意はない。
佐治の場合は、それが習いである。
毎回、一時足らずの逢瀬だ。
「どうかなさったのか」
欝気味の長一郎を、気遣ったつもりだった。
「いえ」
「何でも、申してみよ」
「いえ、大事ありません」
こんな他愛もない押し問答をしているうちに、佐治はすぐにその気になっていった。
気のない長一郎、いや海老蔵も、佐治にとっては、また一興というところか。
藩名は明かさなかったが、佐治は武家だった。
年の頃は、三十前。
骨太で、肌は浅黒かった。
二月に一度の頻度で、重蔵に繋ぎを取ってきた。
太玄を含めて、全部で五人。
舞台の給金を遥かに凌ぐ、稼ぎとなった。
給金意外の稼ぎは、すべて重蔵に入る。
しかし、長一郎に不満はない。
それが当たり前だと思っているからだった。
それに、何かに遣う宛てもない。
舞台に立って、一定の人気があり、住む家がある。
夜の勤めも、乱暴をされるわけでもなく、最初は抵抗があったが、とっくに慣れた。
長一郎にとって、性とはそういうものだった。
それ意外に知らないのだから。
そういう年月が明け暮れていった。
それで良かったものを。
そうは行かないのが世の常である。
当時、歌舞伎は常に大衆の流行の先端を行っていた。
後の世では、書物が牽引して流行を作っていく、ということもあろうが、当時は逆と言っていい。
実際に起こっていることが記されるために、書物が時代を追っていく。
先端にある者は、常に観客の反応を肌で感じ、そして自らを変えて行く必要がある。
役者評判記の記載、その切り口は「容姿評」から、徐々に「技芸評」に変わっていった。
すなわち、容姿だけでは、最早もたない時代へと移り変わっていくのである。
この流れに、早々と気がついたのは、重蔵であった。
重蔵は、海老蔵の芸の領域を広げることを考えた。
寛文六年(一六六六年)の霜月(十一月)、市村座の顔見世興行で、堀越海老蔵は、初めて女形を演じて見せた。
それは、翌年からは、女形の海老蔵もやります、という決意表明であった。
これが、大いに話題となった。
海老蔵の贔屓筋からも、期待の声が多く寄せられた。
しかし現実には、期待はずれといってよい年月が続くことになる。
役者評判記へ取り上げられることもなかった。
重蔵は、落胆した。
自分の目に狂いが。
一方、長一郎は相変わらずである。
評者の評価は上がらなくとも、海老蔵の容姿に惚れている贔屓は、変わること無く海老蔵に付いている。
当たり前と言えば、当たり前だった。
しかし、重蔵は先を見越していた。
これではいけない。
何か手を打たなければ。
ただ、手をこまねいて、年齢とともに落ちぶれていくのを見ているわけには行かなかった。
最初は、金になればいい、という思いだった。
しかし、重蔵にも徐々に欲が出てきたのだ。
もしかしたら、大した役者になるのでは、と。
重蔵は、こう見えても神仏を大切にする人間であった。
新しいことを始める時には、必ず本尊を詣でる。
重蔵は、店を三、四日閉め、一人成田山に参詣に行くことにした。
ちょうど、商いのことで市川にも行く必要があった。
寛文八年(一六六八年)、文月(七月)は末のことだった。
夏の盛りを過ぎた頃とはいえ、まだまだ暑い日が続いている。
それでも参道は、参詣客が多く見られた。
物味遊山ではない重蔵は、慣れた足取りで本堂を目指した。
本堂は、明暦の大火の二年前に新しくなっていた。
重蔵、新しい本堂への三回目の参詣である。
本堂の屋根が見えてくると、重蔵は歩みを緩める。
そうすることで、本堂に入り、お不動様も前に立つころには、呼吸がすっかり静まった。
具体的に何をお願いするわけでもない、御真言を唱えると、重蔵は目を開き、お不動様を見上げた。
心を落ち着ける。
長い間、重蔵は動かない。
それが、重蔵のいつものやり方だった。
それでいて、参詣の後は、重蔵は長居をしなかった。
参道に出ると、再び歩みを速めた。
しかし、その日は、いつもと違った行動を取った。
後から考えても、重蔵自身、どうしてそんなことをしたのかが思い出せなかった。
参道から一本外れた道に入ったのである。
参詣客が減った分、歩きやすくなった。
しばらく歩くと、芝居の掛け小屋が見えてきた。
小屋の前には、ちょっとした行列ができている。
開演を待っているらしかった。
重蔵は気まぐれに、列に並んだ。
聞けば、四つ(九時半頃)に開場になる、と言うので、間もなくだった。
重蔵は、ほんの気晴らしのつもりだった。
たまには旅芸人もいいだろう、と。
しかし、この後、重蔵には衝撃的な出会いが待っていた。
そして、すべてが動き出すのであった。
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