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第12章 モナ・リザ新たなる出発
未来に向けて、モナ・リザ新たなる出発
しおりを挟む冥王星が太陽系の惑星から除外された時は、ショックだった。
だが、きちんとした太陽系惑星の定義に外れていると実態が解った場合は、いかに何百年の歴史があろうと、いかに多くの人々に愛されようと、無情にも排除されたり変更されたりしてしまう。
科学は常に、常に、進歩し、時代と共に様々な変革を常としている。
美術史はどうだろう?
コローの『真珠の女』は真珠を一粒も身に付けていないのに真珠の女と呼ばれているという。
後世の誰かが、女性が身に付けている髪飾り、特に額の中央の部分、それを真珠と見間違い、真珠の女と名付けられたそうだ。
長年の研究により、それが真珠ではないと解ったからといって美術の歴史は変わりはしない。
「間違いです。だから新しく絵に相応しいタイトルをつけましょう!」
なんて動きは、あるはずもない。
確かに、絵画にとってタイトルは重要である。
いきなり絵のタイトルが変わってしまったら、私達は、それ(新しいタイトル)が何を指し示しているか困惑し、定着している旧タイトルでないと、どうしてもいけないような、感覚となるだろう。
美術界の住人にとっても、長年積み上げられたものが一気に崩れ落とされたような気持ちになるに違いない。
変な言い方だが、仮に新しいタイトルになれば、振り出しに戻るような…そんな錯覚にさえなるだろう。
全てのことを承知の上で、私はやはりモナ・リザには、サブタイトルが必要だと訴えたい。
モナ・リザは、人物画ではなく、ダ・ヴィンチがイメージした聖母なのだから、特定の一個人名をつけるのは、やはり間違っている。
だから一旦サブタイトルをつけて、
タイトル『モナ・リザ』と同じくらい、サブタイトル『来世の母』が定着するまで時を待つ。
そのうちに、二つ目のタイトルが、とても絵画に馴染んでくるのを私達は感じるに違いない。
だって、微笑みのあの女性は、聖母マリア様であり、
実母カテリーナであり、
ダ・ヴィンチ自身でもあるのだから。
時代は流れ、人類は目覚めの時を経験する。
モナ・リザの要素が何一つ描かれていない絵がモナ・リザだなんておかしいじゃないかと、人々は、だんだんと目が覚めていく…。
一度真実を知った人類にとって、モナ・リザを恋しがるような逆戻りは、果たしてあるのだろうか?
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