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何だろう?渡辺美里韓国という見出しが目に入り、検索した途端、不思議な例文を目にした。

渡辺 勝也は、日本のテレビディレクター

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渡辺勝也
日本のテレビディレクター


渡辺 勝也(わたなべ かつや、1965年(昭和40年)9月20日[1][2] - )は、主に特撮テレビドラマ作品の監督・演出家。神奈川県出身[2]。愛称はナベカツ。独身。

来歴・人物
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専門学校を卒業した後、1986年放送の『超新星フラッシュマン』第10話・第11話(東條昭平組)にて、サード助監督として初めて映像作品の現場に携わる[2][3]。当時、同番組に参加していたセカンド助監督が入院で2か月外れることになり、専門学校の紹介で当初はその2か月だけ参加する予定だったが[注釈 1]、セカンド助監督が長期療養のため戻ってこなかったため、そのままシリーズに携わることになった[3]。

それ以降もスーパー戦隊シリーズの助監督を務め[4][3][注釈 2]、『光戦隊マスクマン』第4話から『高速戦隊ターボレンジャー』までチーフに昇進した諸田敏のもとでセカンド助監督、『地球戦隊ファイブマン』より諸田と各話交代でチーフ助監督、『鳥人戦隊ジェットマン』より単独でチーフ助監督とキャリアを重ねた[3]。中学生当時の夢が「脚本家になる」だったことから、初チーフ助監督を務めた『ジェットマン』では脚本も執筆してプロデューサーの鈴木武幸にアピールするなど、助監督の業務以外でも精力的に活動していた[3]。この脚本は採用こそされなかったものの、そういった動きは監督の雨宮慶太も認めており、鈴木に対して「若手を監督に抜擢してはどうか」と進言したという。また、同番組の第49話「マリア…その愛と死」後半部の撮影中、担当監督の蓑輪雅夫がロケ現場の海岸で転倒して骨折し、急遽入院することになった際には、その時点で撮りきれていなかったカットを蓑輪が病院のベッドで書き上げた絵コンテをもとに演出した[5]。

こうした経験を経て、翌1992年放送の『恐竜戦隊ジュウレンジャー』第11話「ご主人さま!」で、26歳にして監督デビューを果たす[1][2][3]。翌年には『五星戦隊ダイレンジャー』で早くも重要エピソードを多数任され、続く『忍者戦隊カクレンジャー』では同作品の最多演出を果たした。それ以降、同シリーズ以外でも『重甲ビーファイター』や初のパイロット担当作である『テツワン探偵ロボタック』、それに『仮面ライダークウガ』や『仮面ライダーゴースト』などにも監督として携わるなど、20年以上にわたり、東映制作の特撮テレビドラマにおいて中心的な役割を果たした。2010年代後半は以前ほどの頻度でないものの東映特撮にも関わりつつ、演劇ワークショップで講師も務めるなど[6]、監督業以外での活動も行っている。

作風・モチーフ

エピソード

作品

脚注

参考文献

外部リンク

最終編集: 2 か月前、58.189.233.63
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