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久しぶりに、自分のブログを読んでいた。
芸術が庶民にも解き放たれたことはおおいに歓迎すべきことですが、大衆化するということは同時に、より商業と密接に関わってくるということでもある。
しおりを挟む絵画や芸術はよく分からない。だけどラッセンの絵は好き。
2016/09/12 10:16
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お休み中色々考えていました。
絵画や芸術に対して、好きだと言う人もいるし、よく分からない人もいる。
世の中は、感性も、価値観も、育った環境も違う人たちがより集まっているのだから、何が良くて、何が良くないか?
自分の考えや主張を押し付けたりすることは、よくないことだと思いました。
何事に対しても、中庸でありたい、
そう頭のなかでは思ってはいるものの、ついつい
自己の意見が前面に出てしまい、反省中です。
ネットで色々な方のご意見を参考にしていたら、ある書き込みが結構目につきました。
「絵画はよく分からない。
だけど、ラッセンの絵は、好き。」
私も二十歳そこそこの時、ラッセンの絵をモチーフにしたジグソーパズルを部屋に飾っていた時期がありました。
だけど、綺麗過ぎるその世界観に、だんだん冷めてきて、気がつけば、押入れに入れっぱなしだったのを覚えています。
ラッセンを色々調べていたら、ある方のブログに目が止まりました。
これが真実なら、
とても残念で、かなしいです。
※ 以下転写
クリスチャン-ラッセンの展示会のCMが放送されているらしい。
まだまだ需要があるのでしょうか。
クリスチャンラッセンというと、日本ではマリンアートというジャンルの第一人者として扱われてきましたが、海外での知名度は全く無く、拠点にしているハワイでもラッセンなど誰も知らないという。
そもそもラッセンという画家を現代アートシーンの代表格であるかのように仕立て上げたのは、彼と専属契約を結んでいるアールビバンという会社です。
時々ラッセンやシムシメールの展示会のチラシが入ってたりしますが、あれがアールビバン。来場者にもれなくラッセンのポスタープレゼントと書かれていたりする。
この会社、知っている人は知っている、かなり悪質な悪徳絵画商法の会社です。
都心の方では、綺麗なお姉さんが気の弱そうな若者を捕まえて展示会場に連れていくという、あからさまに怪しい客引き行為が問題視されていたこともありました。
そして中にはいるとまずアンケートに答えさせられてからそれに応じてバッチをつけるよう渡される。
そのバッチによって係員達が、その客が学生なのか、社会人なのか、どの程度の役職なのか把握でき、セールストークに持ち込むかどうか判断するというシステム。
ひとたびつかまってしまうとなかなか帰してくれず、かなり強引な商談に持ち込まれます。
販売しているのは原画ではなく、リトグラフやジークリーと呼ばれる版画ということですが、これはインクジェットのプリンターで印刷したただのコピー。ただのコピーを何十万何百万で売ってるわけですが、各コピーにロットナンバーを記すことによって説得力を無理矢理付与し素人を騙します。
ロットナンバーというのは、この版画は○○○枚しか作ってない、世界に○○○枚しかないうちの一つですよ、という建前ですが、サイズを変えてまた違う作品として刷るので、レア感を演出するためだけの完全な詐欺。
騙された人達はありがたがって何年もかかるローンを組まされて購入するわけですが、当然後で考え直して解約を考える人もいる。クーリングオフでそれは可能ですが、解約の電話をしたら電話口でかなりバカにした感じで高笑いされる。そして商品が届くのは二週間後となってるので、商品が届いてから考え直してももう時既に遅し。セールストークで、いかに価値ある絵かさんざん語られますが、実際ただのコピーに資産的価値はなく、それは絵画ではなくポスターとして分類され、まともな画商はそんなもの取り扱わないので、売却しようにも、門前払い。ただ一つ、ラッセンの版画を買いとってくれる、アート広場という業者がありますが、もちろんこれはアールビバン系列。買い取るといっても何十、何百万で買ったものを数千円での買い取り。買い取ったあとはもちろん再び展示会場で高値で売られる。
明らかに怪しい会社ですが、被害者の数は数えきれないほどに及んでいます。
そんな危ないアールビバンの大看板作家ラッセンですが、彼もまたけしからんペテン師です。
彼の絵を讃える声として、まるで写真のようだ、とよく言われ(画家にとって写真のようというのは褒め言葉ではなく批判なんですが)技術的にかなりのレベルであるかのように思われていますが、実際あれは写真をまるまるトレースしてるだけで、絵画的な技術などは必要としません。もとになってる写真は素材屋さんなどで売っているもので、ラッセンが撮ったものですらありません。それらの写真を何枚か合成して、ラッセンの作品が出来上がる。素材はちゃんと購入して利用しているであろうから、法的には問題ないですが、画家としての品位には多いに関わる大問題です。むしろ画家とはもはや呼べない、ただの詐欺師。
ひどい時は一枚の写真をそのままトレースしただけのものもあります。
にも関わらず、「僕の頭の中にある架空の風景。でも必ず地球上のどこかに存在していて欲しい風景」「見たまま描くのではなく自分が感じたままに描く」などと戯言を述べているので、明らかに客を騙しておりかなり悪質です。
この事実を知ると、あのラッセンの絵から感じる並々ならぬ違和感、気持ち悪さ、心の中まで毒されてゆくような、嫌悪感の正体がはっきりと解り納得です。
このように、悪徳企業によって作り上げられたハリボテの巨匠ラッセンですが、日本においてひとつのブームを作ったことは事実です。購入した人達も、その多くは騙されたと未だに自覚しておらず、いい買い物をしたと信じ切っている。それに単なる詐欺ではここまでの規模のビジネスにはなり得なかったはずです。
ラッセンの絵は如何にして大衆に受け入れられたのか。
それを探るためにはまず美術史を遡って考えてみる必要があります。
絵画美術という概念が生じた早い段階でそれは政治と密接に結びついていたので、長い間絵画美術とは上流の人達だけのもので、高尚なものとされてきました。美術が庶民にも広がりをみせたのは19世紀末から20世紀にかけてで、だいぶ近年になってからです。
今では当たり前のように庶民も絵画や芸術を楽しんでいるわけですが、過去の名残というものはそう簡単には払拭されない。未だに、芸術、美術、絵画というと高尚なものであるとうイメージが根強く残っています。それに加えて、20世紀以降の美術はどんどん複雑化してゆき、もはや素人ではなにをどう鑑賞すればよいのかも分からないようなものが非常に多くなってきているため、芸術は高尚すぎて自分にはよくわからないものだと多くの人は考えるようになっています。
この、自分には芸術は分からないという軽いコンプレックスのようなものにうまくつけいったのがラッセンとアールビバンではないでしょうか。日本人は基本的にオールマイティーを理想としていて、どこか特出しつつどこか欠落しているよりは、何でも平均並でいたいという傾向が強いように思えるので、芸術が分からないということに関してコンプレックスを無意識に持つのは日本人が多いのかもしれない。それに加え日本人の鑑賞眼は世界的に見て平均的に低いとも言われているので、かっこうのカモだったのでしょう。
ラッセンの絵は、芸術とはほど遠い、薄っぺらいイラストレーションなんですが、あの色鮮やかな空と海と愛らしいキャラクターのようなイルカたちは、確かに人目を引くものであり、そういうのが好きな人にとっては綺麗だと感じる画面でしょう。その感動というのは、作者と鑑賞者の心のやりとりのような、そういう芸術体験とは違い、単純にイルミネーションなどを見て綺麗だと感じるのと同じレベルでの話です。
しかし、展示会場というハコの中で、立派に額装され、世界的なアーティストの作品と銘打たれ、証明書付きで高額で販売されている絵を見て綺麗だと感じることで、これはたいそうな芸術作品であって、自分もこの芸術作品の良さが解る、と思ってしまう。そうしてその人の芸術的コンプレックスはある意味癒され、「この作品に目つけられるとはお客様はお目が高いですねー」という言葉から始まるセールストークにまんまと誘導されてゆきます。それまで高尚とされるものとは無縁だったが、ラッセンによって、芸術愛好者の仲間入りを果たした、というような錯覚を覚えるわけです。その人にとって重要なのは、「好きな画家」と呼べる人ができたことにあります。これが、美術品としてではなく、ただのイラストとして発見していたならば、同じだけの高揚感は決して得ていないはず。
これこそ、全盛期ほどではないにしろ、未だにラッセンが人を引きつけ根強いファンを抱える理由ではないでしょうか。 時期的に、ラッセンが登場したのはちょうどバブル後期で、大衆の目が美術品に向かっていた時代です。生活が豊かになると次に人は解らなくても芸術に手を出そうとすると言われています。芸術を解さない層の人達のニーズにピッタリとフィットしたんだと思います。バブルの間に多くの客を得て、日本においてラッセン=巨匠のイメージが確立されたので、バブル崩壊後もアールビバンの展示会はそれなりの集客率をキープしていました。 最近、以前ほどの勢いがなくなってきているように感じていましたが、ライトな創作物がサブカルチャーとして市民権を得て、高尚とされるものが解らなくてもコンプレックスを感じる必要がなくなってきたことがその原因かもしれません。
ラッセンは確かに美術界の癌細胞の一つですが、規模はそこまでではないにしろ、相手が解らないのをいいことにハッタリだけで商売をしている画家は他にもたくさん存在しています。
芸術が庶民にも解き放たれたことはおおいに歓迎すべきことですが、大衆化するということは同時に、より商業と密接に関わってくるということでもある。芸術と商業は本来遠く距離を保っていなくてはならないものだと思います。
近年芸術の衰退が危惧されています。醜い衆愚によって芸術が侵されてゆくのは実に残念なことです(´・_・`)
●芸術が庶民にも解き放たれたことはおおいに歓迎すべきことですが、大衆化するということは同時に、より商業と密接に関わってくるということでもある。
なるほど。
この見解は理解できる。
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