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第二章 フェルメール作品「眠る女」は、本当に眠っているか?※他の小説と重複
「眠る女」は、本当に眠っているのか?
しおりを挟む私は帰国してから、フェルメールのことを色々と調べていた。
美術雑誌などを買って、解説を読んだり、絵を観て楽しんだ。
私が印象に残った絵画である『眠る女』の解説も読んだ。
《17世紀のオランダ絵画で眠る女は、怠惰を現す》とあり、《頬杖をついて居眠りをする女性》と分析してあった。
メトロポリタンミュージアムで観た時、私には、眠っているように見えなかった絵ではあるが、単なる気のせいかな?と思ったりした。
後に、私はTVのない生活が始まり、全てを思い出すことになるのだが、その時はまだ、人生の展開が分かる術もない。
その頃、自分が鑑賞した時の様子を思い出していた。
私は絵画を鑑賞する際
心(魂)の目で観る。
特に人物画などは、絵の中の人物との対話を試み
歓びや悲しみ
あるいは
嬉しさや切なさを感じとる。
五感で、何かを感じ取ろうとする。
『眠る女』を観た時は、忍び寄る男性の靴音や、その気配を感じていた。
もうすぐ恋人が来るというのに…女性はうかうかと、居眠りをしていられるだろうか?理解出来ない。
そして、眠る女が、《眠っているという証拠はどこにあるのだろう》そう思った。
証拠は何もない。
テーブルは少し散らかっているが…
親しい、気心のしれた人ならば、入ることは、いくらでも許可されるであろう。
色々考えてはみたものの
この絵は
『眠る女』というタイトルなのだから
《眠っているに違いない》と無理やり納得するしかなかった。
よく似た心境を思い出す。
《モナ・リザのモデルは、本当にモナ・リザなのだろうか?》
世界中で、こんな疑問を持ちながら、生きているのは私だけではないはず。
悲しいかな世の人は、
過去の偉大な美術研究家に逆らうことが出来ない 。
しかし 、その研究がもしも間違っていたとしたら 我々は、画家の意としないタイトルを、鵜呑みにし、固定観念を植え付けられる。
絵画鑑賞の奥行きは狭められ
絵画芸術の広がった見方が出来ず
人は、タイトルの罠にかかる。
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