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麻原の言葉に、冗談で返すたけし。1991年12月30日に放送された『TVタックル』(テレビ朝日系)
麻原彰晃のことをネットで調べていたら、こんな記事を見つけた。
しおりを挟む「私に代わって、オウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃないですかね」
「明日からピンクの服着て歩いて、怒られたりして」
麻原の言葉に、冗談で返すたけし。1991年12月30日に放送された『TVタックル』(テレビ朝日系)で、2人が対談した際の一場面だ。
麻原の言葉に、冗談で返すたけし。1991年12月30日に放送された『TVタックル』(テレビ朝日系)で、2人が対談した際の一場面だ。
麻原は当時の新興宗教ブームについて、序盤で以下のように語っている。
「来るべきものが来ているんじゃないでしょうか。人間の物質的豊かさがピークに達して、ここでは満足できないと人々が思い出している。そうなると次はどうなるか。内側の世界の探究に入っていく、ということだと思うんですね」
たけし「死は背中合わせ」
テーマは心の豊かさや幸福論、死生観に及び、たけしはこんな風に問題提起する。
「精神的なものになると、どういうものが価値がある考え方で、価値がないのか。何が心の問題で、どう考えることが一番幸せなのかとか、いろいろ考えるんですけどね」
「幸せ、幸福とか言うんだけども、僕としては生きることと同じように死ぬことがいつも背中合わせにあるもんで」
「常に死ぬことが50%の確率であるもんだとしたら、右手と左手を同時に鍛えるように、死ぬことと生きることを同じ分量で考えないと非常にバランスが悪いんじゃないか」
これを受けて麻原は言う。
「オウム真理教の修行の大前提に『死』というものが来ます。ビートたけしさんのこれまでの活躍を見て感じることは、大変思索力の優れた方だなと。絶えずものを考えていらっしゃる」
「私がビックリしたのは、ビートたけしさんがいきなり『死』の話をお出しになったので。さすがだなと思うと同時に、本当の意味での仏教観が根付いていらっしゃるなとちょっとビックリしましたね」
「たけしさんは前世で神の経験」
麻原はその後もたけしの主張を受け入れ、肯定し、持ち上げる。
「ビートたけしさんのおっしゃることは、北伝の仏教の最高峰と言われるチベット仏教のなかのマハームドラーという最高の悟りがあるわけですけど。その最高の悟りに到達する道の真髄なんですね」
「仏教のステージでも『普賢』と呼ばれる段階があるわけですけど。そういう段階を前世において経験していらっしゃる証拠だと思うんですね。普通の人はそういうことを考えません」
「人間からすると『神』と呼ばれる存在があるわけなんですけど。そういう世界を(前世で)少なくとも何回か経験していらっしゃる。つまり神の経験をされていることは間違いないでしょうね」
そして、冒頭の掛け合いへとつながるわけだ。
「面白いよなあ、麻原さんて」
終盤、話題はたけし個人の人生観へと移っていく。
「たけしさんの小さい時からの経験を聞いてますと、ある時ポッと仕事を放られるんじゃないかという気がしますけどね」
麻原の投げかけに、たけしはこう返す。
「僕はね、勘としては5年後に自殺するか辞めちゃうかどっちかだと思うんですよ。これで仕事をほっぽり投げるか、自分で死んじゃうか。意外に後で5年ぐらいしたらわかりますから」
「ただまあ、ビートたけしさんは5年じゃ死なないと思いますよ」
たけしが1994年に起こしたバイク事故のことを考えると、ドキッとさせられるようなやり取りだ。
「場所を改めて、違う機会に麻原さんと対談を申し込んで、20時間ぐらいじっくりとですね。2人だけで朝までトークってやらせてくれねえかな」
そんなたけしの言葉通り、2人は後日、雑誌『Bart』(1992年6月22日号)でも対談。
この記事で、たけしは「宗教からいちばん遠い人のような気もする。非常に科学的でもあるし。いちばん反宗教的なところから来た人のような」「面白いよなあ、麻原さんて……」と麻原を評している。
『生ダラ』にも出演
もうひとつ、現在の感覚からすると信じられないような映像を紹介しよう。麻原が『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)に出演した際のものだ。
「本日はスペシャルゲストをお迎えしております。オウム真理教の麻原彰晃さんです」
石橋貴明が軽快な司会で麻原を紹介すると、スタジオから歓声があがる。「麻原彰晃の青春人生相談」と銘打って、若者の悩みに答える企画だ。
「麻原さんの好きな女優の人は誰ですか?」
観覧者からの質問に、石橋は「おい!」、木梨憲武は「ちょっとお前…」とツッコミを入れるが、麻原は「いまはいません」と淡々と答える。
「秋吉久美子が好き」
石橋「ということは、前はいたわけですか?」
麻原「ええ。いました」
石橋「教祖様の麻原さんが、好きな女優がいた! 誰ですか、それはちなみに」
麻原「私、秋吉久美子が好きだったんです」
拍手と歓声に沸くスタジオ。全編こんな調子で、「変なおじさん」をいじって物笑いの種にするような流れが続く。
参加女性「髪の毛を洗う時はリンスしますか?」
麻原「髪の毛にリンスはしません。シャンプーはベビーシャンプーを使ってます」
石橋「ベビーシャンプーを! もう、麻原さんたらお茶目なんだから」
参加男性「18歳になる宮沢りえさんがヌードになったんですけど、それについてはどう考えますか」
麻原「あのー、そうだねえ。脱ぎたい人は脱げばいいんじゃないかと思いますよ」
「青春は幻影」
ちなみに、最後の質問はこんな感じ。それまでと打って変わって、少々マジメなトーンに転じる。
参加男性「青春とはなんですか」
麻原「私にとって青春とは幻影ですね、幻影」
石橋「幻影?」
麻原「たとえば恋をする。恋というのは相手に対して幻影を抱くプロセスですよね。ただ、青春を経験しない限り、その後の悟り、解脱はないわけですから」
「みなさん大いに青春を経験なさって、で苦しまれて。苦しみというものを自分の内側に根付かせた状態で、次のステップに入られたらいいんじゃないでしょうかね」
「神々の世界に美しい人がいる」
当時36歳だという麻原に、石橋が「いまでも青春ですか?」と問う。
麻原「いや、修行者というのは青春を死滅する、完全に止めてしまうことが課題ですから。本質的な部分に到達した歓喜というのは、青春の喜びの1万倍とも10万倍とも言える喜びがありますので。ですから、外側の世界についてはまったく興味がないですね」
石橋「あ~そうですか。秋吉久美子さんをあきらめた時に、青春が終わったわけですね」
麻原「いや、それはちょっと違うんです」
スタジオが笑いに包まれる。
木梨「違うんだぞ、おい!」
麻原「つまり、秋吉久美子さんをあきらめても、瞑想すると神々の世界に入りまして、もっと美しい人がいるんですね」
石橋「あ~そうですか。すいません!」
麻原「それを通過した段階で、全部が終わるんです」
危うい共犯関係
『TVタックル』も『生ダラ』もYouTubeには当時の録画がアップされており、前者は69万回、後者は200万回以上も再生されている。
ふたつの映像を見返してわかるのは、当時のオウムがいかに広く浸透し、お茶の間に認知されていたか、ということだ。
知名度アップにマスコミの力を利用したい教団と、視聴率競争のために「時代の寵児」「笑える変人」を引っ張り出したいテレビ局。両者の思惑が合致した、危うい「共犯関係」の結果と言えそうだ。
当時のバラエティー番組はいまと比べれば何でもアリだったし、新興宗教ブームという時代性もあった。その後にオウムが引き起こした事件の数々は、多くの人々にとって予想外だっただろう。
「なぜ見抜けなかったのか」と後知恵で番組やタレントたちを批判して、溜飲を下げても仕方がない。メディアは宗教とどう付き合うべきか。考え続けるためのひとつの教訓としたい。
※ 引用元
オウム真理教の麻原彰晃がビートたけし、とんねるずに語ったこと
https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/shoko-tv
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