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古い歴史をしっている人達にとっては、裏切り者だと思われるかも?
ジャニーズ事務所と、アメリカは、深い絆で結ばれていたはず。
しおりを挟む私は、ウィキペディアで、この記載を読むまで、ジャニーズ事務所が、渡辺プロダクションと繋がっていたことを知らなかった。
※ 再投稿
「アメリカ」という武器
当初、ジャニーズは渡辺プロに預けられていたが、’65年には事務所が正式に構えられる。ジャニー喜多川はアメリカ大使館を辞して、姉のメリーと共にショウビジネスの世界に専念することになった。
「英語なんて話せる人があまりいないし、海外情報もほとんど入ってこない時代でしょう。こちらがFENとかを一生懸命聞いて『今、こういうのが流行っているんだ』と話しても、ジャニーさんに『アメリカでは流行っていないよ』と言われちゃうと、二の句が継げなかったからね」(当時を知るテレビプロデューサー)
この頃のジャニー喜多川の武器は、何といっても「アメリカ」であった。
アメリカ生まれ、アメリカ大使館勤務という彼のキャリアはショウビジネスの世界でも十分に活かされた。’66年には彼はジャニーズを連れてアメリカでのデビューを計っている。最近でこそ、強い円の力を借りて海外デビューする日本人タレントは出ている。
しかし、当時、海外進出に憧れる人はいても、それを実行できたのはジャニー以外にはいなかった。
日本人の多くが国内のことで精一杯であった時代に、ジャニー喜多川の瞳の向こうには、いつもアメリカが広がっていた。
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