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その後の気付き
はじまりは、渡辺プロダクションに繋がっている。
しおりを挟む※振り返り
「アメリカ」という武器
当初、ジャニーズは渡辺プロに預けられていたが、’65年には事務所が正式に構えられる。ジャニー喜多川はアメリカ大使館を辞して、姉のメリーと共にショウビジネスの世界に専念することになった。
「英語なんて話せる人があまりいないし、海外情報もほとんど入ってこない時代でしょう。こちらがFENとかを一生懸命聞いて『今、こういうのが流行っているんだ』と話しても、ジャニーさんに『アメリカでは流行っていないよ』と言われちゃうと、二の句が継げなかったからね」(当時を知るテレビプロデューサー)
この頃のジャニー喜多川の武器は、何といっても「アメリカ」であった。
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