上 下
260 / 357
その後の気付き

はじまりは、渡辺プロダクションに繋がっている。

しおりを挟む

※振り返り


「アメリカ」という武器

当初、ジャニーズは渡辺プロに預けられていたが、’65年には事務所が正式に構えられる。ジャニー喜多川はアメリカ大使館を辞して、姉のメリーと共にショウビジネスの世界に専念することになった。

「英語なんて話せる人があまりいないし、海外情報もほとんど入ってこない時代でしょう。こちらがFENとかを一生懸命聞いて『今、こういうのが流行っているんだ』と話しても、ジャニーさんに『アメリカでは流行っていないよ』と言われちゃうと、二の句が継げなかったからね」(当時を知るテレビプロデューサー)

この頃のジャニー喜多川の武器は、何といっても「アメリカ」であった。
しおりを挟む

処理中です...