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第3章 モナ・リザに拘る私

レオナルドが、あの微笑みの婦人を描くまでの経緯 ①

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モナ・リザについて、
最近の研究内容


モナリザは誰か。著者はザッペリの説を支持する。レオナルドはフランス軍にミラノが占領されるとフィレンツェに戻り、メディチ家のロレンツォの3男、ジュリアーノに仕えた。ジュリアーノはウルビーノの宮廷で恋をして庶子イッポーリト(後の枢機卿)が生まれたが母、パチフィカ・ブランダーニは死んだ。
不在の母を恋しがる幼子のために、ジュリアーノはレオナルドに亡くなった母親の肖像画の制作を依頼した。レオナルドは、ジュリアーノの願いを受け入れ、母性愛という大きな主題を持つ空想の肖像画を描いた。だからモナリザは喪服姿なのだ。微笑む相手はわが子のイッポーリトだったのだ。モナリザには、生まれてすぐ実の母親と離れ離れになったレオナルドの心象も投影されているのだろう。  

転載元

『ダ・ヴィンチ絵画の謎』 - HONZ
http://honz.jp/articles/-/44069





上記の説は、ジョコンダ婦人説より、説得力がある。


レオナルドは、現に、フランスに渡った際に
「ジュリアーノの死と共に、フィレンツェの婦人の役目は終わった」という台詞を残していたし、何よりあのタイトルは、美術史家ヴァザーリ(バックにはコジモ1世がつく)が、つけたようなタイトルである。


元々、あの微笑みの婦人は、
『モナ・リザ』ではなく、『ヴェールを被ったフィレンツェの婦人』だった。


まるでメルツィの死を待つように、突然のタイトル変更である。














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