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それでも舞台は終わらない。
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「はぁ…」
ため息をついて、手に持ったまま箸を置く。机の上に置かれた料理はどれも冷めていた。そしてどれも中途半端に手をつけた状態だ。
……と、いう設定で実際には皿には何も乗っていない。ご飯茶碗を手に持って、もう一度怠そうに箸を持ち上げる。疲れた表情を作って、ゆっくり箸でご飯をすくって口を開け、食べる演技をする。
そう、今は演技中。舞台の真っ最中。
私は主人公。人生に疲れた少女の役。役名はそのまま『私』。
今は1人暮しの自室で節約のために自炊したご飯を食べている、というシーンだ。
ただ、食べるだけ。しかし、食は進まない。そんなシーン。
「おい」
ふと下手の方――舞台の右側から声がした。次のシーンだ。鋭い目付きでこちらを睨んでくる。
「また、来たの……?」
そんな声を無視してズカズカとこちらに近づいてくる。あまりの迫力に演技する間もなく本能的に恐怖を感じ、自然と身を引いた。
「お願い、来ないで」
その願いは聞き入れられず、相手は私の肩を掴む。そして、あまりの衝撃に抵抗する間もなく『私』はその人物に床に押し倒される。
容赦ないなこの人、勢いよく倒されたせいで思いっきり頭を打った。思わず瞑ってしまった目を開ける。演技がかなり上手い、鋭い目付きでこちらを見下してきている。
ガッと何かが私の首の横に振り下ろされる。舞台用に作られたとはいえ、流石にあの勢いで首を掠められると痛い。本物だともっと痛いのだろうけど。
自分の上にまたがる人物、『A』が振り下ろしたのはカッター。『A』の目的は――
「なんでお前、まだ死なないんだよ」
『私』を殺すこと。
「なんでって……私、だってまだ生きたいから……。」
思いっきり押さえつけられている左肩が痛い。
「あいつを殺したら、お前も死ぬと思ったのに、諦めの悪いやつだな。」
『A』はため息混じりに言い放った。
あいつ、とは『B』のこと。『私』を『A』から守ってくれる存在。人生に疲れた『私』を励ましてくれる、そんな人物。
そしてこの2つ前のシーンで『A』に殺された。
『B』以外に頼れる人物もいなく、元々人生を悲観している『私』。そんな状態になってしまえば『A』からの悪口、脅迫、暴言に『私』は耐えられなくて死ぬ。そういう計画だった。
しかし、『A』の予想に反して『私』はそれでも、生きたい、そう願ってしまった。その願いは叶うことはない運命なのに。
そして今からのシーンはこの長い舞台のラストシーン。『私』が『A』に殺される。
救いのないバッドエンドをこの舞台は迎えるのだ。
しかも、もっとも後味の悪い終わりで。
「ねぇ、なんでそんなに私を殺そうとするの?」
「お前が1番よくわかってるだろ」
そういうと『私』の左肩を抑えていた手を退けて
「うっ…」
セリフでもあるが思わず声が出る。
『A』はその手で私の首を絞める。
「なんも才能もない、人を不幸にさせるだけのお前が生きる資格なんてどこにある!!」
首を絞める手が強くなる。流石に片手では力不足だが、それでも苦しい。
「わかってる。でも」
「でもお前は死のうとしない!!まだ希望があると、生きる価値があると!そう思い込んだ社会のゴミだ。」
「わたしは、ただ」
抵抗をし、『A』の左手を自分の首から外そうとする。しかし、演技だから抵抗するフリだけ。どんなに足掻いてもエンディングは変わらないのだ。本当は、確実に演技の締め方ではない、本気の圧から逃れたいところだが、役者として、この『私』としての舞台を終わらせることが第一だ。
藻掻く『私』に腹が立ち、『A』は大きく舌打ちをし、手を離し立ち上がった。
ようやく息が吸える。酸素不足で頭が痛く、少し視界がぼやけた。
それでも台本通り、上体を起こし喉に手を当てわざとらしく咳をし大きく呼吸をする。
「どうしても自分では死なないんだな。」
先程よりも一層鋭い目でこちらを見下している。
「まだ、死にたくない。」
『私』はその目を見つめ返すことはせず、目線を下に向ける。
「そうか、なら」
苛立ったように大股で『A』は『私』の後ろに回る。『私』は怯え、『A』の方を向こうとするがその前に『A』に首の後ろの服の部分を思いっきり引っ張られる。
「ぐっ……」
これも、演技にしては強すぎると思う。首が締まり声がまた思わず出た。
そんなことも気にせず『A』は『私』をズルズルと上手――舞台の左の方、設定ではベランダの方へと引きずっていく。
「離し、て」
『私』首の前の服を引っ張り、そして足を踏ん張るようにして抵抗する。本気を出したら逃れることは出来ると思う、が、やはり舞台なのでそのフリだけだ。
ベランダに着き、『A』はおもむろに『私』を立ち上がらせる。
「死ねねぇなら、死ぬ手伝いをしてやるよ。」
そう言って『私』を手すりの方へ押した。
背後には手すりの下はコンクリート、目の前には自分を殺そうとしている人物。もう『私』に逃げる場所はない。
「ほら、早く飛べよ!」
強制的に手すりの方へ向けさせられる。
よりによってこの物語は、ただ殺されるよりタチが悪く、『私』自身が飛び降りて死ぬ。そういったエンディングなのだ。
「どうせお前を好いて待っている人間もいない。死んだって誰も悲しまないんだ。」
「……わかってる。」
「それに、人を不幸にさせたお前が幸せになるなんて許されないんだよ。お前はここで惨めに死ぬ定めなんだよ。生きていても価値がない。」
「わかってるよ、でも」
「わかってるなら早く飛べよ!そうしねぇとまた苦しい目にあうぞ。」
さぁ、ここが最後の山場だ。
私は手すりに足をかけ座る。
そして。
「それでも、やっぱり、幸せになりたかったなぁ。」
これが自分の最後のセリフ。
「あぁ、そうかよ。」
吐き捨てるようなどこか悲しげな『A』の声をきっかけに私はそのまま前に落ちて
「危ない!!」
グイッと何かに引っ張られ予定と真逆の方に落ちた。こんなの台本にはなかったはず、そう思い振り向くとそこには私と同じように尻もちをついた『A』といるはずのない人物が息を切らして立っていた。
「え……」
「なんで、お前がここに……」
自分も『A』も理解が追いつかず呆気にとられた声を出した。
「お前は殺したはずじゃ……」
そこにいたのは確かに『A』に殺されたはずの『B』だった。
どうして、2つ前のシーンで死んでいるから舞台に出てはいけないのに。
「いや、まだ私は死んでないさ。」
そう『B』は台本にないセリフを吐く。私は混乱で頭が真っ白になりながらも立ち上がる。
「お前も相当しぶといやつだな。」
『A』も立ち上がり台本にないセリフを吐き、『B』を睨む。
「大体、なんで君も本気で抵抗しないのさ」
「えっ……だってそういう運命だから……」
演技中というのも忘れて思わず普通に答えてしまった。
「そうだよ!こいつは生きたいとか言いながら本気で抵抗してこねぇんだったら殺してもいいだろ!?」
気にせず『A』は『B』に食いかかる。
「君は1回大人しくしててくれ。」
「あ?なんで、だ……は?」
掴みかかろうとした『A』の手は『B』に届くことは無く、『A』自身の顔の前に戻った。
『B』が振り下ろしたカッターから身を守るために。
「いっ……」
「同じ目に合いたくないなら黙っていてくれ。」
『B』は冷たい眼差しを『A』に向ける。『A』の左の手首からは赤黒い液体が流れていた。
「なんで、血が」
「あぁ、大丈夫だよ。大人しくさせるために軽く切っただけだから。」
「そうじゃなくて!なんで傷が……。」
ハッとして自分の首筋を触る。するとハッキリと横一直線に切り傷が出来ていて、生暖かい液体が指先についた。
「なん、で……」
舞台用の安全なものだったはず。混乱がジワジワと恐怖に変わっていく。
「それで、なんで抵抗しなかったの?」
「それは……」
「そういう運命って誰が決めたの?」
優しく小さい子をたしなめるような声でBは言った。
訳がわからない。それでも舞台は終わらない。終わりを迎えるまでは私は演技を続けなくてはいけない。必死に応えをひねり出す。
「神様がそう、決めたから。」
「神様なんていないよ。」
頑張って返したセリフは即座に返されてしまった。
Bがこちらに近づいてくる。思わず後ずさったが、すぐ後ろは手すりで逃げ場はなかった。
このまま飛び降りてしまえばぐちゃぐちゃではあるが、台本通りの結末にはたどり着くのでは?
そう思い、手すりに登ろうとその先を覗き込んだ。が、飛び降りようとする気は瞬く間になくなってしまった。
その下にあったのは木目調の舞台裏の床でも何でもなく、ただ真っ黒な底のない空間があるだけだった。きっと落ちたら助からない、本能的にそう思った。
Bに手を取られ、思わずビクリと体を震わせてしまった。
「自分の結末は自分で決めるんだよ。」
私の恐怖なんてお構い無しといったように優しい笑顔をこちらに向け、私の手をギュッと握った。
その手には先程の血のついたカッターも握られていた。
「さぁ、もう1度言うが、決めるのは君だよ。このまま言われるがまま飛ぶか、それで奴に抵抗するのか。」
そういってカッターを私の手の中に残し、そっと私から離れた。
飛び降りるか、Aに反抗するか。
それが私ができる唯一の選択だ。チラリと後ろを向く。やはりそこには真っ黒の恐ろしい空間が広がっていた。
運命に逆らってはいけない。けど、私はまだ、死にたくない。
でも、あぁ、私はどうしたらいいんだ。
思考を巡らせていると目の前にいたBが視界から外れ、いつの間にか立ち上がったAがそこにいた。どうやらBは押しやられたみたいだ。
「決めるなら早く決めろよ。」
グッと思いっきり胸ぐらを掴まれた。
「さもなくばこのままお前を落とす。」
Bの方に目を向ける。しかし、Bはただこちらを見つめるだけだった。
ひゅうっと背後から冷たい風が吹く。
どうしよう。このままだと落とされる。死んでしまう。いやだ。でも、これが台本通りなら。だけど、私は、
「嫌だ。まだ死にたくない。」
懇親の力でAを突き放す。そしてAに向かって思いっきりカッターを……。
舞台はそこで暗転した。
ふと目を開けると私は家のベランダに立っていた。
足が冷たい。靴は履いていないようだ。ふわりとカーテンがふくらはぎを撫でる。窓も閉めていないらしい。
自分の事なのに何ひとつ状況が掴めていない。私はご飯食べてる間に寝てしまってそれで、夢を、見ていたような――
1歩前に出てベランダの手すりに左手をかけた。なんだか違和感があった。痛い?
「ーっ!?」
思わず左手を手すりから離す。訳が分からなくて心臓がバクバクして一気に息が苦しくなった。
ふらっと後ろに倒れそうなほど、体の力が入らなかった。バランスを崩した拍子に何かが右手から落ちた。カランっと子気味のいい音が響いた。
何かは暗くてよく見えない。とりあえず落ちたからには拾わないと……
「…え」
拾った物の正体を知ってる、私はしばらく動けなかった。そして、浴室まで走った。
浴室の洗面台には右手に血のついたカッターを持ち、首に出来た一筋の傷から血を流す自分がいた。
2つの切り傷から血が流れている左手で首を触る。
嘘であってほしかった。夢であってほしかった。
願いは虚しく、生暖かい液体がベッタリ手についただけだった。
怖くなってカッターを床に投げ捨てる。
息が苦しい、胸が痛い。痛い、苦しい。
それなのに鏡の向こうの私は笑っている。
笑うところじゃないのに。なんで。
自分はどうにかなってしまったのだろうか。
あの夢は夢じゃなくて、きっと。
あの舞台の登場人物の『A』も「B」も2人とも、
私の顔していた。
怖い。怖くて、仕方ない。
「ふふっ」
口を抑える。怖いのに笑いが込み上げてくる。
同時に涙も込み上げてきて、視界がぼやける。
誰か、誰でもいいから、私を
「あはっ、あはははははははっ!」
その日私は人生で初めて泣きながら笑った。
狂ったような笑い声が、浴室に響いた。
誰にも届くことはなく。ただ、虚しさを増すかのように自分のおかしさを嫌でも知らしめさせるように自分の鼓膜に響いた。
それでも、舞台は。
この悲惨な独り舞台は。
おわらない。
以上。
精神疾患患者の、とある記録より抜粋、
「それでも舞台は終わらない。」
ため息をついて、手に持ったまま箸を置く。机の上に置かれた料理はどれも冷めていた。そしてどれも中途半端に手をつけた状態だ。
……と、いう設定で実際には皿には何も乗っていない。ご飯茶碗を手に持って、もう一度怠そうに箸を持ち上げる。疲れた表情を作って、ゆっくり箸でご飯をすくって口を開け、食べる演技をする。
そう、今は演技中。舞台の真っ最中。
私は主人公。人生に疲れた少女の役。役名はそのまま『私』。
今は1人暮しの自室で節約のために自炊したご飯を食べている、というシーンだ。
ただ、食べるだけ。しかし、食は進まない。そんなシーン。
「おい」
ふと下手の方――舞台の右側から声がした。次のシーンだ。鋭い目付きでこちらを睨んでくる。
「また、来たの……?」
そんな声を無視してズカズカとこちらに近づいてくる。あまりの迫力に演技する間もなく本能的に恐怖を感じ、自然と身を引いた。
「お願い、来ないで」
その願いは聞き入れられず、相手は私の肩を掴む。そして、あまりの衝撃に抵抗する間もなく『私』はその人物に床に押し倒される。
容赦ないなこの人、勢いよく倒されたせいで思いっきり頭を打った。思わず瞑ってしまった目を開ける。演技がかなり上手い、鋭い目付きでこちらを見下してきている。
ガッと何かが私の首の横に振り下ろされる。舞台用に作られたとはいえ、流石にあの勢いで首を掠められると痛い。本物だともっと痛いのだろうけど。
自分の上にまたがる人物、『A』が振り下ろしたのはカッター。『A』の目的は――
「なんでお前、まだ死なないんだよ」
『私』を殺すこと。
「なんでって……私、だってまだ生きたいから……。」
思いっきり押さえつけられている左肩が痛い。
「あいつを殺したら、お前も死ぬと思ったのに、諦めの悪いやつだな。」
『A』はため息混じりに言い放った。
あいつ、とは『B』のこと。『私』を『A』から守ってくれる存在。人生に疲れた『私』を励ましてくれる、そんな人物。
そしてこの2つ前のシーンで『A』に殺された。
『B』以外に頼れる人物もいなく、元々人生を悲観している『私』。そんな状態になってしまえば『A』からの悪口、脅迫、暴言に『私』は耐えられなくて死ぬ。そういう計画だった。
しかし、『A』の予想に反して『私』はそれでも、生きたい、そう願ってしまった。その願いは叶うことはない運命なのに。
そして今からのシーンはこの長い舞台のラストシーン。『私』が『A』に殺される。
救いのないバッドエンドをこの舞台は迎えるのだ。
しかも、もっとも後味の悪い終わりで。
「ねぇ、なんでそんなに私を殺そうとするの?」
「お前が1番よくわかってるだろ」
そういうと『私』の左肩を抑えていた手を退けて
「うっ…」
セリフでもあるが思わず声が出る。
『A』はその手で私の首を絞める。
「なんも才能もない、人を不幸にさせるだけのお前が生きる資格なんてどこにある!!」
首を絞める手が強くなる。流石に片手では力不足だが、それでも苦しい。
「わかってる。でも」
「でもお前は死のうとしない!!まだ希望があると、生きる価値があると!そう思い込んだ社会のゴミだ。」
「わたしは、ただ」
抵抗をし、『A』の左手を自分の首から外そうとする。しかし、演技だから抵抗するフリだけ。どんなに足掻いてもエンディングは変わらないのだ。本当は、確実に演技の締め方ではない、本気の圧から逃れたいところだが、役者として、この『私』としての舞台を終わらせることが第一だ。
藻掻く『私』に腹が立ち、『A』は大きく舌打ちをし、手を離し立ち上がった。
ようやく息が吸える。酸素不足で頭が痛く、少し視界がぼやけた。
それでも台本通り、上体を起こし喉に手を当てわざとらしく咳をし大きく呼吸をする。
「どうしても自分では死なないんだな。」
先程よりも一層鋭い目でこちらを見下している。
「まだ、死にたくない。」
『私』はその目を見つめ返すことはせず、目線を下に向ける。
「そうか、なら」
苛立ったように大股で『A』は『私』の後ろに回る。『私』は怯え、『A』の方を向こうとするがその前に『A』に首の後ろの服の部分を思いっきり引っ張られる。
「ぐっ……」
これも、演技にしては強すぎると思う。首が締まり声がまた思わず出た。
そんなことも気にせず『A』は『私』をズルズルと上手――舞台の左の方、設定ではベランダの方へと引きずっていく。
「離し、て」
『私』首の前の服を引っ張り、そして足を踏ん張るようにして抵抗する。本気を出したら逃れることは出来ると思う、が、やはり舞台なのでそのフリだけだ。
ベランダに着き、『A』はおもむろに『私』を立ち上がらせる。
「死ねねぇなら、死ぬ手伝いをしてやるよ。」
そう言って『私』を手すりの方へ押した。
背後には手すりの下はコンクリート、目の前には自分を殺そうとしている人物。もう『私』に逃げる場所はない。
「ほら、早く飛べよ!」
強制的に手すりの方へ向けさせられる。
よりによってこの物語は、ただ殺されるよりタチが悪く、『私』自身が飛び降りて死ぬ。そういったエンディングなのだ。
「どうせお前を好いて待っている人間もいない。死んだって誰も悲しまないんだ。」
「……わかってる。」
「それに、人を不幸にさせたお前が幸せになるなんて許されないんだよ。お前はここで惨めに死ぬ定めなんだよ。生きていても価値がない。」
「わかってるよ、でも」
「わかってるなら早く飛べよ!そうしねぇとまた苦しい目にあうぞ。」
さぁ、ここが最後の山場だ。
私は手すりに足をかけ座る。
そして。
「それでも、やっぱり、幸せになりたかったなぁ。」
これが自分の最後のセリフ。
「あぁ、そうかよ。」
吐き捨てるようなどこか悲しげな『A』の声をきっかけに私はそのまま前に落ちて
「危ない!!」
グイッと何かに引っ張られ予定と真逆の方に落ちた。こんなの台本にはなかったはず、そう思い振り向くとそこには私と同じように尻もちをついた『A』といるはずのない人物が息を切らして立っていた。
「え……」
「なんで、お前がここに……」
自分も『A』も理解が追いつかず呆気にとられた声を出した。
「お前は殺したはずじゃ……」
そこにいたのは確かに『A』に殺されたはずの『B』だった。
どうして、2つ前のシーンで死んでいるから舞台に出てはいけないのに。
「いや、まだ私は死んでないさ。」
そう『B』は台本にないセリフを吐く。私は混乱で頭が真っ白になりながらも立ち上がる。
「お前も相当しぶといやつだな。」
『A』も立ち上がり台本にないセリフを吐き、『B』を睨む。
「大体、なんで君も本気で抵抗しないのさ」
「えっ……だってそういう運命だから……」
演技中というのも忘れて思わず普通に答えてしまった。
「そうだよ!こいつは生きたいとか言いながら本気で抵抗してこねぇんだったら殺してもいいだろ!?」
気にせず『A』は『B』に食いかかる。
「君は1回大人しくしててくれ。」
「あ?なんで、だ……は?」
掴みかかろうとした『A』の手は『B』に届くことは無く、『A』自身の顔の前に戻った。
『B』が振り下ろしたカッターから身を守るために。
「いっ……」
「同じ目に合いたくないなら黙っていてくれ。」
『B』は冷たい眼差しを『A』に向ける。『A』の左の手首からは赤黒い液体が流れていた。
「なんで、血が」
「あぁ、大丈夫だよ。大人しくさせるために軽く切っただけだから。」
「そうじゃなくて!なんで傷が……。」
ハッとして自分の首筋を触る。するとハッキリと横一直線に切り傷が出来ていて、生暖かい液体が指先についた。
「なん、で……」
舞台用の安全なものだったはず。混乱がジワジワと恐怖に変わっていく。
「それで、なんで抵抗しなかったの?」
「それは……」
「そういう運命って誰が決めたの?」
優しく小さい子をたしなめるような声でBは言った。
訳がわからない。それでも舞台は終わらない。終わりを迎えるまでは私は演技を続けなくてはいけない。必死に応えをひねり出す。
「神様がそう、決めたから。」
「神様なんていないよ。」
頑張って返したセリフは即座に返されてしまった。
Bがこちらに近づいてくる。思わず後ずさったが、すぐ後ろは手すりで逃げ場はなかった。
このまま飛び降りてしまえばぐちゃぐちゃではあるが、台本通りの結末にはたどり着くのでは?
そう思い、手すりに登ろうとその先を覗き込んだ。が、飛び降りようとする気は瞬く間になくなってしまった。
その下にあったのは木目調の舞台裏の床でも何でもなく、ただ真っ黒な底のない空間があるだけだった。きっと落ちたら助からない、本能的にそう思った。
Bに手を取られ、思わずビクリと体を震わせてしまった。
「自分の結末は自分で決めるんだよ。」
私の恐怖なんてお構い無しといったように優しい笑顔をこちらに向け、私の手をギュッと握った。
その手には先程の血のついたカッターも握られていた。
「さぁ、もう1度言うが、決めるのは君だよ。このまま言われるがまま飛ぶか、それで奴に抵抗するのか。」
そういってカッターを私の手の中に残し、そっと私から離れた。
飛び降りるか、Aに反抗するか。
それが私ができる唯一の選択だ。チラリと後ろを向く。やはりそこには真っ黒の恐ろしい空間が広がっていた。
運命に逆らってはいけない。けど、私はまだ、死にたくない。
でも、あぁ、私はどうしたらいいんだ。
思考を巡らせていると目の前にいたBが視界から外れ、いつの間にか立ち上がったAがそこにいた。どうやらBは押しやられたみたいだ。
「決めるなら早く決めろよ。」
グッと思いっきり胸ぐらを掴まれた。
「さもなくばこのままお前を落とす。」
Bの方に目を向ける。しかし、Bはただこちらを見つめるだけだった。
ひゅうっと背後から冷たい風が吹く。
どうしよう。このままだと落とされる。死んでしまう。いやだ。でも、これが台本通りなら。だけど、私は、
「嫌だ。まだ死にたくない。」
懇親の力でAを突き放す。そしてAに向かって思いっきりカッターを……。
舞台はそこで暗転した。
ふと目を開けると私は家のベランダに立っていた。
足が冷たい。靴は履いていないようだ。ふわりとカーテンがふくらはぎを撫でる。窓も閉めていないらしい。
自分の事なのに何ひとつ状況が掴めていない。私はご飯食べてる間に寝てしまってそれで、夢を、見ていたような――
1歩前に出てベランダの手すりに左手をかけた。なんだか違和感があった。痛い?
「ーっ!?」
思わず左手を手すりから離す。訳が分からなくて心臓がバクバクして一気に息が苦しくなった。
ふらっと後ろに倒れそうなほど、体の力が入らなかった。バランスを崩した拍子に何かが右手から落ちた。カランっと子気味のいい音が響いた。
何かは暗くてよく見えない。とりあえず落ちたからには拾わないと……
「…え」
拾った物の正体を知ってる、私はしばらく動けなかった。そして、浴室まで走った。
浴室の洗面台には右手に血のついたカッターを持ち、首に出来た一筋の傷から血を流す自分がいた。
2つの切り傷から血が流れている左手で首を触る。
嘘であってほしかった。夢であってほしかった。
願いは虚しく、生暖かい液体がベッタリ手についただけだった。
怖くなってカッターを床に投げ捨てる。
息が苦しい、胸が痛い。痛い、苦しい。
それなのに鏡の向こうの私は笑っている。
笑うところじゃないのに。なんで。
自分はどうにかなってしまったのだろうか。
あの夢は夢じゃなくて、きっと。
あの舞台の登場人物の『A』も「B」も2人とも、
私の顔していた。
怖い。怖くて、仕方ない。
「ふふっ」
口を抑える。怖いのに笑いが込み上げてくる。
同時に涙も込み上げてきて、視界がぼやける。
誰か、誰でもいいから、私を
「あはっ、あはははははははっ!」
その日私は人生で初めて泣きながら笑った。
狂ったような笑い声が、浴室に響いた。
誰にも届くことはなく。ただ、虚しさを増すかのように自分のおかしさを嫌でも知らしめさせるように自分の鼓膜に響いた。
それでも、舞台は。
この悲惨な独り舞台は。
おわらない。
以上。
精神疾患患者の、とある記録より抜粋、
「それでも舞台は終わらない。」
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ラストシーンはゾクッとした。