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1 うさぎのお兄さん
しおりを挟む十一月の声を聞いたばかりだというのに、街並みはすっかりクリスマス仕様だ。
デパートなどの飾りにはベルや星が散りばめられ、コーヒーショップでは店員さんがサンタ帽子を被っている。クリスマスには人を浮足立たせる力を持つようだ。
僕も、この時期が近づくと無性に胸が弾んだ。
――すべてが塗り替わったあの日、までは。
周囲は炎と黒煙に包まれる。
「……な、なに?」
目の前の出来事が受け入れられず、ただただ呟く。
巨大な化け物が、おじさんの家を踏み潰している。化け物の叫び声は僕を吹き飛ばし、周囲のガラスを粉砕した。
「わっ」
「おっと。なんだ、ガキか」
バスケットボールのように飛んだ僕を、誰かがキャッチしてくれる。
「ゴホッゴホッ……え?」
「下がれ。ガキんちょ。ここは危険だ」
僕を地面に下ろすと、その人はあろうことか化け物に向かっていく。
何しているの? 危ない! 逃げなきゃ。
手を伸ばすだけで声にならなかった。声の出し方を忘れるほど、僕は怯えていたんだ。
その人は拳同士を打ち鳴らした。ガギィン! と人体からあり得ない音が響く。彼が身に着けている銀のガントレットだった。荒々しいそれは、僕を受け止めた時にはなかったものだ。
「え、う……」
逃げろと言われたことも忘れて、僕は彼の背を見続ける。
高校生か大学生くらいか。フードの二つの切れ目からは、白い髪が垂れたうさぎの耳のように垂れ下がっている。ジャケットにしては丈の長い上着には、うさぎの尾のような白いぼんぼんのキーホルダー。背中に英語が書かれてあったが、僕には読めなかった。
『バァアアアアアッッ‼』
化け物が凄まじい咆哮を轟かせる。煙が霧散し、家々を燃やす火がローソクの火のように揺らめいたほどだ。僕は蹲って必死に耳を塞いだ。
「うるせーな。おっと」
耳の穴に指を突っ込もうとして、ガントレットの鋭い爪の存在を思い出したようだ。
それが恥ずかしかったのか、わずかに頬を染めた。
「ま、まーいーや。誰も見てねぇし」
(ごめんなさい。見てました)
僕が気絶しなかったのは、彼が恐怖を和らげてくれたおかげだろう。
彼は信じられない跳躍力を見せると、民家とほぼ同サイズの化け物を殴りつけた。
「ッラァ‼」
その衝撃はタンカーの爆破に近かった。顔を殴打された化け物は悲鳴を上げることもなく、一度地面にバウンドすると大回転しながら多幸川へ突っ込んでいく。
ぼおおおぉぉ……ん
極太の水柱が立ち上り、川水の雨が火を弱める。晴れ下に降りだした局地的な雨は、僕をずぶ濡れにした。
「うわ」
着地した彼はフードを目深に引っ張る。濡れるのが嫌なのか雨が収まるまで微動だにせず立ち尽くす。
「……」
僕は瞬きもできずに見つめていることしかできなかった。
火が弱まり、やがて消防車のサイレンが遠くで鳴り出す。いや、ずっと鳴っていたのかもしれない。
硬直していた彼は長く長く息を吐いた。
「俺の仕事はここまでか。あとは各自のプロに任せよう」
サイレンの音を聞きながら、彼はガントレットに触れる。銀のそれはシンプルなデザインの腕輪に姿を変えた。もう、何が何やら。
「お兄さん。……大丈夫、ですか?」
僕はよろよろとその人に近づいた。ポッケの中にあった、濡れていないハンカチ。雨雫を嫌そうに払っている兄さんの顔を……顔……を
「ううっ」
届かない。ぷるぷる震えるほど背伸びしてるのに。
「何してんだオメー」
お兄さんが怪訝そうに見てくる。不機嫌そうな三白眼はうさぎさんのように赤く、歯はギザギザだった。
「ハンカチ。どうじょ」
届かないので背伸びしたまま差し出す。
せめてお礼がしたかった。訳が分からないままだけど、助けられたことは理解している。でも背伸びに慣れていない僕の身体は大きく傾いた。
「わう!」
「おおう」
倒れかけた僕を、お兄さんの両腕が受け止めてくれる。薄い手袋に包まれた大きな手。僕を簡単に抱き上げた。
「お前親は? 救急車も到着してるだろうし、ひとまずそっちに……」
僕はお兄さんの服にしがみついた。
親はいない。僕が何の力も持たない無能力者だと知ると、僕を捨てた。それまでは笑顔の絶えない、優しい家庭だったのに。毎年、俺のためにクリスマスパーティを開いてくれた大好きな両親。
僕が悪いんだ。何の能力も持っていなかったから。僕のせいで周囲から差別されることを、両親は恐れた。
おじさんに引き取られたけど、毎日殴られた。「いいオモチャGET」「お前など人間ではない」と言って、少しでも気に入らないことがあると壁に叩きつけられる。
ご飯も毎日はもらえず、楽しそうに登校する同級生たちより一回り小柄な身体。目立つところにあざがあっても、誰も助けてくれない。
当然だ。僕は皆が持っている能力を持っていない。人とは違うのだ。
おじさんの家は、化け物が踏み潰しちゃったから、
もう僕に、居場所なんてないんだ。
「……」
押さえ込んでいた感情を、僕は吐き出してしまっていた。何も関係ないはずのお兄さんは顔をしかめながらも、黙って聞いてくれていた。いきなり身の上話をし出した僕を鬱陶しく感じたのだろう。
「……あっそ」
でもお兄さんは僕を叩かなかった。赤子をあやすように身体を揺らし、抱きしめてくれる。
僕には信じられなかった。無能力者に暴力を働かないお兄さんを。無能力者だと知ったのに僕を突き放さなかった彼を。例えそこにどんな理由があったにしても。
僕は、生涯忘れない。
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