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捕獲 1
深い緑と澄んだ水に囲まれた、妖精たちが歌う国。尖晶(せんしょう)国。若き妖精帝がその身を置く清梟(せいきょう)城は、妖精たちしか使えない精霊魔法によって強固に守られていた。尖晶国にしかない、華岩という攻撃を弾く石で建てられた城はただでさえ堅牢だというのに、だ。
その身の美しさ故、ありとあらゆる種族から狙われてきた妖精たち。持てる力のすべてを、防御に回してしまうのも無理はなかった。
つつましやかに暮らす、羽を生やした煌めく種族。
平穏は突如として終わりを迎えた。
人間が攻め入ってきたのだ。
黄金の三日月が妖しく照らす――夜。
人間たちは妖精たちが使う魔法と相性の悪い魔鎧で武装していた。
邪悪な力を秘めた鉱石で、近くにあるだけで精霊魔法を弱体化させてしまうほど。
黒い鎧で身を固めた人間の兵は黒い洪水のようで、戦う力を持たない一般妖精たちを蹂躙していく。
これだけの魔鎧を揃えられる国はこの大陸に置いて二つとない。隣の強大国・薙渦(らせん)国の兵士たちだった。
人間の国だけでなく、悪魔の住まう渓谷や魔獣の潜む谷をも飲み込み、急速に拡大していった戦闘国家。強さを至上のものとし、その頂点に立つ皇帝は人間とは思えない異次元の力を振るう。
薙渦国が拡大し続けた結果、尖晶国は隣国になってしまったのだ。ここまで嬉しくないお隣さんもいないだろう。
蛮族共は予想通り、尖晶国に攻め入ってきた。
「おのれ、人間がッ!」
「市民たちを守れ!」
妖精兵たちは果敢に立ち向かうも、多勢に無勢。いや、ただの人間の兵士なら余りある魔法の力でいくらでも撃退できた。しかし魔鎧が妖精たちの攻撃から人間を守る。
トンボに似た羽を使って空を舞う妖精兵。だが人間たちに怯えの気配はなかった。
「ヒュウ。精鋭のお出ましだぜ」
「どいつもこいつも、美しいツラをしてやがる」
余裕の表情だ。それどころかのんきに鑑賞する暇さえあるのか。地上から見上げ、好みの妖精を指差していく。
鍛え上げられた妖精兵たちは屈辱に顔をしかめた。
「地を這うしか能の無い獣が!」
「我らに牙を剥くなど――ああっ」
人間が兵器による攻撃を雨霰と放つ。
ドス黒い閃光に撃ち抜かれた妖精たちは、ひとたまりもなく地に落ちた。
「くっ、くそ……」
「羽が……」
武器を抜いた人間たちが悠々と歩いて迫る。
「おうおう。お前たちも地に落ちたなぁ? なんだっけ? 『地を這うしか能の無い獣』だったか? ひひっ。めでたく俺たち人間様の仲間入りってわけだ」
「可愛がってやるよ」
「舐めるな!」
比較的軽傷だった妖精兵が手のひらから魔法を放つ。通常ならば人間三十人は纏めて吹き飛ばせるほどの威力。
しかし――
「フンッ‼」
大柄の男が、手にした長物で魔法を弾いた。弾かれた魔法弾は明後日の方角に飛び、花火となって咲いて散る。
「……あ、あ」
「そんな」
「なんだ? もう終いか?」
人間たちは嘲りの笑みを浮かべる。
青ざめる妖精たちを悪意の洪水が飲み込んだ。
「いやだ! 来るな」
「やめっ。な、何をする!」
各自好みや目を付けていた妖精に群がると押さえつけ、絹より薄い着物を力任せに剥ぎ取っていく。
「ひゃはは! これだけの上玉を好きに出来るとはな」
「でもやべぇぜ。妖精で目が肥えた奴が、人間を抱けなくなったって話もあるだろ?」
「ばーか。これからお楽しみって時に、つまらねぇことを言うんじゃねぇ」
違いねぇと高らかに笑い合う人間たち。民家を壊し、物資を奪い。挙句に火を放っていく。
黒い群れからは、妖精たちの透き通るような手足がバタつくのだけが、わずかに見えた。
「汚い手で――んぐ」
裸にされてももがいていた妖精兵の口に、人間が汚い布を押し込む。
「んんっ」
「舌噛まないようにしないとな」
「さーて。妖精ってのはどんな風に喘ぐのかねぇ」
ガタガタと震え、宝石をはめ込んだような瞳に涙が滲む。人間の手が晒された肌に触れた――時だった。
キラッと星が瞬いたかと思うと、地表を爆音と爆風が撫でた。
知覚することも悲鳴を上げることもなく、人間たちは吹き飛ばされる。上空から見下ろせば黒い蟻の洪水に、ぽっかりと穴が空いて見えるだろう。
散らせられたのは薙渦国の歩兵ばかり。馬に跨った精鋭たちは油断なく上空を睨んだ。
「きやがった」
誰かが忌々しげに呟く。
満天の星空を背に――それは浮かんでいた。
頼りない細い身体に、少年のような背丈。鮮やかな水色の髪は精緻なガラス細工のようで、星の色を映しながら上空の風に遊ばれている。知性を称えた梟を思わせる瞳は、冷徹に地上の蟻たちを見つめていた。
なびくたびに覗く、輪郭と葉脈のような筋だけが金色に光る羽で、夜空に立っている。
妖精たちの頂点・妖精帝リーチェスジアであった。
相手国の帝が出てきたというのに、人間たちは誰もが馬鹿のように固まっている。無駄口を叩く者は一人たりともなく。ざわめきが消え、脆弱が場を包む。
あまりに、美しかった。
どれほど使い古されていようと、その言葉以外出てこない。
長く洞窟を彷徨い、ふと月を見上げたように。
目を奪われる。
「……」
妖精帝は裁きを下すように、ツイっと地面を指差す。
背後の星が大きく輝くと、流星が落ちた。
「――っ」
魔鎧で守られた人間たちを悉く吹き飛ばしていく。それも負傷した妖精たちを一切傷つけることなく、だ。魔鎧が威力を弱めていなければ、大きなクレーターが空いていただろう。
流星群が降りそそいだような有様だ。儚い種族代表のような顔をしながら、破壊の魔法を操る。人間たちの胸中に「詐欺だ」と罵倒が並んだことだろう。
個人が使う魔法として、精度共にあり得ない威力である。
舞い上がった砂煙を、夜風が薄めていく。
妖精兵たちは歓喜の声を上げた。
「リーチェスジア様」
「妖精帝だ! 妖精帝が来てくださった」
活力が絶望を塗り潰す。妖精たちの瞳が星のように輝いた。氷のようだった妖精帝の表情に、わずかに笑みが灯る。
「お前たちは民の避難を手伝え。ここは私に任せるがよい」
傷ついた妖精たちはすぐさまその声に従う。動けない仲間に手を貸し、帝を置いて下がってゆく。だが誰も、それを咎めはしない。
自分たちが残っても邪魔になるだけと理解しているから。
撤退する妖精たちの表情に後ろめたさはなく、希望に満ちていた。
「見事だ」
戦場と化した美しい森の国に、凛とした声が静かに響く。
人間たちが道を開ける。
一人の男が馬にも乗らず、だが堂々とした足取りで歩いてきた。
人間にしては珍しいほどの偉丈夫だ。可憐な花を思わせるのが妖精なら、その対極にいるような。生命力が炎となって可視化されるほどにギラついている男。
「……ふん」
妖精帝は長いまつ毛に縁どられた目を隙なく細めた。
短い黒髪に、甲(かぶと)は身に着けておらず顔がはっきりと見える。不敵な表情。竜を思わせる黒い鎧。裏地が紫のマントを翻し、すでに勝ち誇ったような雰囲気で戦場を闊歩してくる。
闘志に燃える眼を、夜空へ向けた。
「あれが妖精帝か。お前たちが呆けてしまうのも無理はない。俺が見てきた芸術品のすべてを、塵同然にしてしまいそうだ」
皮肉めいた言葉に、人間の兵士は気まずそうに頭を垂れた。
宙を舞う妖精と、地に立つ人間の視線が交差する。
口を開いたのは妖精帝・リーチェスジアだった。
「名乗ることを許そう」
自分と同じ立場のものとしか思えないが、妖精帝は人間如きの王が自分と同等などと、微塵も思っていなかった。相変わらず上空を陣取ったまま、ぴたりと動かない。
人間兵は怒りをあらわにしたが、竜の鎧の男は高らかに笑った。
「薙渦国の皇帝・紫狂(しきょう)だ」
髭を剃ったばかりの顎を撫でながら、キザったらしく片目を閉じて見せる。
「お会いできて光栄だ。宝石妖精リーチェスジアよ」
「気安く呼ぶな。死ぬがいい」
皇帝自ら乗り込んできたことも、何故攻め入ってきたのかも訊くことはなく。リーチェスジアは風の魔法を叩きつけた。
黒雲が立ち込め、四本の竜巻が踊り狂い、人間たちをおもちゃのように巻き上げては雨のように降らせていく。
悲鳴は轟音にかき消される。鎧に守られていようと、高いところから落ちれば人は死ぬ。
だが荒れ狂う戦場で、紫狂皇帝は鼻歌を奏でていた。
「――いい、風だ」
そう。彼にとってはベランダでそよ風を浴びているに過ぎない。
なぜなら――この程度の魔法の使い手など、悪魔にも人間にもいたからだ。その全てを粉砕してきた戦大好き紫狂皇帝の強さは、もはや人知を超えていた。
「お前の悲鳴を聞かせてくれ。リーチェスジア。さぞやいい音なのだろう?」
竜鎧が変形する。尾のような物が伸び、背中には身体より大きな翼が出現した。
紫狂皇帝は屈みこむ。負けを認めた敗者の姿では決して無い。今から大きく跳ばんと、しゃがみ込んだ姿勢だ。
妖精帝は目を見開く。
「まさか、空を飛ぶというのか?」
その通りだった。
どのような魔法がかけられているのか。鎧で飛ぶ人間など見たことがない。尻尾で大地を叩くと、紫狂皇帝の長身は大空へ舞い上がった。
リーチェスジアの視界を通り過ぎ、空を舞う妖精の、更に上空へ。
竜人を思わせるその見た目に、リーチェスジアは冷や汗を流した。
……嫌な、予感がする。
「はあっ‼」
嫌な予感を振り払うように、妖精帝は竜巻四つを同時に人間へぶつけようとした。あのふざけた笑みを消してやるつもりで。
「俺は魔法を使えん。だが殴り合いには自信がある」
指の骨をバキボキ鳴らすと、紫狂皇帝の姿が巨大化した。
「何ッ」
一瞬驚いてからすぐに違うと悟る。視認できないほどの速度で懐に入られた為、巨大化したように見えたのだ。
戦場で、一瞬とは大きな隙になる。
紫狂皇帝の拳はリーチェスジアの顔面に――
「――ッ……⁉」
「ふむ」
恐る恐る目を開ける。
黒い拳がぶち込まれることはなかった。
紫狂の拳はリーチェスジアの鼻先すれすれで止まっていたのだ。遅れて、拳によって発生した強風が吹き、妖精帝の細身を揺らす。
(速いッ! 見えなかった)
「やはり無理だな」
「は?」
死を覚悟したリーチェスジアだが、紫狂は拳を引っ込めた。あのまま振り抜いていれば、リーチェスジアの身体などひとたまりもなく地面のシミと化していたはずだ。
「どういう、つもりだ」
妖精帝も強者だ。相手の強さが今の動きで分かってしまった。
紫狂皇帝は自分如き、ハエのように踏み潰せる化け物だと。
だから、攻撃を止めたこの男の心境が読めな
ドンッ‼
鈍い音が夜空を震わせた。
「……」
紫狂皇帝の拳が、リーチェスジアの腹に突き刺さっていたのだ。貫通こそしていないが、意識を刈り取るには十分だった。
「――……ぁあ」
食道を焦がすような胃液を吐き、開かれていた瞳が、静かに下りていく。
二枚の羽から、黄金の光が消えた。
力を無くした妖精帝の身体が落ちていく。真っ逆さまに。
下では、彼を待ち構えるようにして人間兵が、ピラニアのように集まっていた。
だが彼らの手に届く前に、リーチェスジアを逞しい腕が受け止める。
「駄目だなぁ。この顔は殴れん」
紫狂皇帝だった。他国を次々と侵略している鬼悪魔のような男だが、流石にリーチェスジアの美貌は壊せなかったらしい。本人は殴るつもりだったが、心がブレーキをかけたのだ。
意識の無い妖精帝を、姫のように抱きかかえる。
「女――いや、男か。華奢なことだ。妖精共は性別が分かりにくい」
足元では、兵士が「紫狂皇帝万歳!」をしていた。可愛い駒たちの元へ、紫狂皇帝は舞い下りてやる。
わっとむさ苦しい集団が寄ってきた。
「勝つと信じていましたよ! 素敵ぃ! 抱いて」
「素晴らしいご活躍。まさか単騎で妖精帝を打ち取られるとは」
「で、その妖精は俺たちにも回してくれるんですよね?」
ふざけたことを口にした奴がいたので、尾で横っ面をはたいてやった。やさしくね。
殴られた兵士は等速直線運動で地面すれすれを滑っていく。
静まり返る兵士たちに、紫狂皇帝は遠くを指差す。
「人の戦利品を欲しがるんじゃない。お前たちは一般妖精で我慢しなさい。あ、女子供は殺すなよ? これ以上、妖精の数が減ると世界がむさ苦しくなってしまうからな」
冗談めかして言うと、ホッとした空気が浮上した。
「いやいや。妖精の性別なんてぱっと見で分かりませんって! 妖精帝ですら、男か女かわっかんないじゃないですか!」
「そうですよ。ひよこ鑑定士の俺ですら難しい」
兵士の中にレア職業が紛れていたが、紫狂皇帝は馬車にリーチェスジアを乗せた。捕虜を閉じ込めておく特別製の馬車だ。中でいくら魔法を使おうとしても不発に終わる。
兵士たちは羨ましそうに眺めていたが、やがてオスの妖精を探して散らばっていく。
戦いの後の御褒美こそが、薙渦国兵士の士気の高さだった。
尖晶国は黒い洪水に呑み込まれ、皇帝の手に沈む。
その身の美しさ故、ありとあらゆる種族から狙われてきた妖精たち。持てる力のすべてを、防御に回してしまうのも無理はなかった。
つつましやかに暮らす、羽を生やした煌めく種族。
平穏は突如として終わりを迎えた。
人間が攻め入ってきたのだ。
黄金の三日月が妖しく照らす――夜。
人間たちは妖精たちが使う魔法と相性の悪い魔鎧で武装していた。
邪悪な力を秘めた鉱石で、近くにあるだけで精霊魔法を弱体化させてしまうほど。
黒い鎧で身を固めた人間の兵は黒い洪水のようで、戦う力を持たない一般妖精たちを蹂躙していく。
これだけの魔鎧を揃えられる国はこの大陸に置いて二つとない。隣の強大国・薙渦(らせん)国の兵士たちだった。
人間の国だけでなく、悪魔の住まう渓谷や魔獣の潜む谷をも飲み込み、急速に拡大していった戦闘国家。強さを至上のものとし、その頂点に立つ皇帝は人間とは思えない異次元の力を振るう。
薙渦国が拡大し続けた結果、尖晶国は隣国になってしまったのだ。ここまで嬉しくないお隣さんもいないだろう。
蛮族共は予想通り、尖晶国に攻め入ってきた。
「おのれ、人間がッ!」
「市民たちを守れ!」
妖精兵たちは果敢に立ち向かうも、多勢に無勢。いや、ただの人間の兵士なら余りある魔法の力でいくらでも撃退できた。しかし魔鎧が妖精たちの攻撃から人間を守る。
トンボに似た羽を使って空を舞う妖精兵。だが人間たちに怯えの気配はなかった。
「ヒュウ。精鋭のお出ましだぜ」
「どいつもこいつも、美しいツラをしてやがる」
余裕の表情だ。それどころかのんきに鑑賞する暇さえあるのか。地上から見上げ、好みの妖精を指差していく。
鍛え上げられた妖精兵たちは屈辱に顔をしかめた。
「地を這うしか能の無い獣が!」
「我らに牙を剥くなど――ああっ」
人間が兵器による攻撃を雨霰と放つ。
ドス黒い閃光に撃ち抜かれた妖精たちは、ひとたまりもなく地に落ちた。
「くっ、くそ……」
「羽が……」
武器を抜いた人間たちが悠々と歩いて迫る。
「おうおう。お前たちも地に落ちたなぁ? なんだっけ? 『地を這うしか能の無い獣』だったか? ひひっ。めでたく俺たち人間様の仲間入りってわけだ」
「可愛がってやるよ」
「舐めるな!」
比較的軽傷だった妖精兵が手のひらから魔法を放つ。通常ならば人間三十人は纏めて吹き飛ばせるほどの威力。
しかし――
「フンッ‼」
大柄の男が、手にした長物で魔法を弾いた。弾かれた魔法弾は明後日の方角に飛び、花火となって咲いて散る。
「……あ、あ」
「そんな」
「なんだ? もう終いか?」
人間たちは嘲りの笑みを浮かべる。
青ざめる妖精たちを悪意の洪水が飲み込んだ。
「いやだ! 来るな」
「やめっ。な、何をする!」
各自好みや目を付けていた妖精に群がると押さえつけ、絹より薄い着物を力任せに剥ぎ取っていく。
「ひゃはは! これだけの上玉を好きに出来るとはな」
「でもやべぇぜ。妖精で目が肥えた奴が、人間を抱けなくなったって話もあるだろ?」
「ばーか。これからお楽しみって時に、つまらねぇことを言うんじゃねぇ」
違いねぇと高らかに笑い合う人間たち。民家を壊し、物資を奪い。挙句に火を放っていく。
黒い群れからは、妖精たちの透き通るような手足がバタつくのだけが、わずかに見えた。
「汚い手で――んぐ」
裸にされてももがいていた妖精兵の口に、人間が汚い布を押し込む。
「んんっ」
「舌噛まないようにしないとな」
「さーて。妖精ってのはどんな風に喘ぐのかねぇ」
ガタガタと震え、宝石をはめ込んだような瞳に涙が滲む。人間の手が晒された肌に触れた――時だった。
キラッと星が瞬いたかと思うと、地表を爆音と爆風が撫でた。
知覚することも悲鳴を上げることもなく、人間たちは吹き飛ばされる。上空から見下ろせば黒い蟻の洪水に、ぽっかりと穴が空いて見えるだろう。
散らせられたのは薙渦国の歩兵ばかり。馬に跨った精鋭たちは油断なく上空を睨んだ。
「きやがった」
誰かが忌々しげに呟く。
満天の星空を背に――それは浮かんでいた。
頼りない細い身体に、少年のような背丈。鮮やかな水色の髪は精緻なガラス細工のようで、星の色を映しながら上空の風に遊ばれている。知性を称えた梟を思わせる瞳は、冷徹に地上の蟻たちを見つめていた。
なびくたびに覗く、輪郭と葉脈のような筋だけが金色に光る羽で、夜空に立っている。
妖精たちの頂点・妖精帝リーチェスジアであった。
相手国の帝が出てきたというのに、人間たちは誰もが馬鹿のように固まっている。無駄口を叩く者は一人たりともなく。ざわめきが消え、脆弱が場を包む。
あまりに、美しかった。
どれほど使い古されていようと、その言葉以外出てこない。
長く洞窟を彷徨い、ふと月を見上げたように。
目を奪われる。
「……」
妖精帝は裁きを下すように、ツイっと地面を指差す。
背後の星が大きく輝くと、流星が落ちた。
「――っ」
魔鎧で守られた人間たちを悉く吹き飛ばしていく。それも負傷した妖精たちを一切傷つけることなく、だ。魔鎧が威力を弱めていなければ、大きなクレーターが空いていただろう。
流星群が降りそそいだような有様だ。儚い種族代表のような顔をしながら、破壊の魔法を操る。人間たちの胸中に「詐欺だ」と罵倒が並んだことだろう。
個人が使う魔法として、精度共にあり得ない威力である。
舞い上がった砂煙を、夜風が薄めていく。
妖精兵たちは歓喜の声を上げた。
「リーチェスジア様」
「妖精帝だ! 妖精帝が来てくださった」
活力が絶望を塗り潰す。妖精たちの瞳が星のように輝いた。氷のようだった妖精帝の表情に、わずかに笑みが灯る。
「お前たちは民の避難を手伝え。ここは私に任せるがよい」
傷ついた妖精たちはすぐさまその声に従う。動けない仲間に手を貸し、帝を置いて下がってゆく。だが誰も、それを咎めはしない。
自分たちが残っても邪魔になるだけと理解しているから。
撤退する妖精たちの表情に後ろめたさはなく、希望に満ちていた。
「見事だ」
戦場と化した美しい森の国に、凛とした声が静かに響く。
人間たちが道を開ける。
一人の男が馬にも乗らず、だが堂々とした足取りで歩いてきた。
人間にしては珍しいほどの偉丈夫だ。可憐な花を思わせるのが妖精なら、その対極にいるような。生命力が炎となって可視化されるほどにギラついている男。
「……ふん」
妖精帝は長いまつ毛に縁どられた目を隙なく細めた。
短い黒髪に、甲(かぶと)は身に着けておらず顔がはっきりと見える。不敵な表情。竜を思わせる黒い鎧。裏地が紫のマントを翻し、すでに勝ち誇ったような雰囲気で戦場を闊歩してくる。
闘志に燃える眼を、夜空へ向けた。
「あれが妖精帝か。お前たちが呆けてしまうのも無理はない。俺が見てきた芸術品のすべてを、塵同然にしてしまいそうだ」
皮肉めいた言葉に、人間の兵士は気まずそうに頭を垂れた。
宙を舞う妖精と、地に立つ人間の視線が交差する。
口を開いたのは妖精帝・リーチェスジアだった。
「名乗ることを許そう」
自分と同じ立場のものとしか思えないが、妖精帝は人間如きの王が自分と同等などと、微塵も思っていなかった。相変わらず上空を陣取ったまま、ぴたりと動かない。
人間兵は怒りをあらわにしたが、竜の鎧の男は高らかに笑った。
「薙渦国の皇帝・紫狂(しきょう)だ」
髭を剃ったばかりの顎を撫でながら、キザったらしく片目を閉じて見せる。
「お会いできて光栄だ。宝石妖精リーチェスジアよ」
「気安く呼ぶな。死ぬがいい」
皇帝自ら乗り込んできたことも、何故攻め入ってきたのかも訊くことはなく。リーチェスジアは風の魔法を叩きつけた。
黒雲が立ち込め、四本の竜巻が踊り狂い、人間たちをおもちゃのように巻き上げては雨のように降らせていく。
悲鳴は轟音にかき消される。鎧に守られていようと、高いところから落ちれば人は死ぬ。
だが荒れ狂う戦場で、紫狂皇帝は鼻歌を奏でていた。
「――いい、風だ」
そう。彼にとってはベランダでそよ風を浴びているに過ぎない。
なぜなら――この程度の魔法の使い手など、悪魔にも人間にもいたからだ。その全てを粉砕してきた戦大好き紫狂皇帝の強さは、もはや人知を超えていた。
「お前の悲鳴を聞かせてくれ。リーチェスジア。さぞやいい音なのだろう?」
竜鎧が変形する。尾のような物が伸び、背中には身体より大きな翼が出現した。
紫狂皇帝は屈みこむ。負けを認めた敗者の姿では決して無い。今から大きく跳ばんと、しゃがみ込んだ姿勢だ。
妖精帝は目を見開く。
「まさか、空を飛ぶというのか?」
その通りだった。
どのような魔法がかけられているのか。鎧で飛ぶ人間など見たことがない。尻尾で大地を叩くと、紫狂皇帝の長身は大空へ舞い上がった。
リーチェスジアの視界を通り過ぎ、空を舞う妖精の、更に上空へ。
竜人を思わせるその見た目に、リーチェスジアは冷や汗を流した。
……嫌な、予感がする。
「はあっ‼」
嫌な予感を振り払うように、妖精帝は竜巻四つを同時に人間へぶつけようとした。あのふざけた笑みを消してやるつもりで。
「俺は魔法を使えん。だが殴り合いには自信がある」
指の骨をバキボキ鳴らすと、紫狂皇帝の姿が巨大化した。
「何ッ」
一瞬驚いてからすぐに違うと悟る。視認できないほどの速度で懐に入られた為、巨大化したように見えたのだ。
戦場で、一瞬とは大きな隙になる。
紫狂皇帝の拳はリーチェスジアの顔面に――
「――ッ……⁉」
「ふむ」
恐る恐る目を開ける。
黒い拳がぶち込まれることはなかった。
紫狂の拳はリーチェスジアの鼻先すれすれで止まっていたのだ。遅れて、拳によって発生した強風が吹き、妖精帝の細身を揺らす。
(速いッ! 見えなかった)
「やはり無理だな」
「は?」
死を覚悟したリーチェスジアだが、紫狂は拳を引っ込めた。あのまま振り抜いていれば、リーチェスジアの身体などひとたまりもなく地面のシミと化していたはずだ。
「どういう、つもりだ」
妖精帝も強者だ。相手の強さが今の動きで分かってしまった。
紫狂皇帝は自分如き、ハエのように踏み潰せる化け物だと。
だから、攻撃を止めたこの男の心境が読めな
ドンッ‼
鈍い音が夜空を震わせた。
「……」
紫狂皇帝の拳が、リーチェスジアの腹に突き刺さっていたのだ。貫通こそしていないが、意識を刈り取るには十分だった。
「――……ぁあ」
食道を焦がすような胃液を吐き、開かれていた瞳が、静かに下りていく。
二枚の羽から、黄金の光が消えた。
力を無くした妖精帝の身体が落ちていく。真っ逆さまに。
下では、彼を待ち構えるようにして人間兵が、ピラニアのように集まっていた。
だが彼らの手に届く前に、リーチェスジアを逞しい腕が受け止める。
「駄目だなぁ。この顔は殴れん」
紫狂皇帝だった。他国を次々と侵略している鬼悪魔のような男だが、流石にリーチェスジアの美貌は壊せなかったらしい。本人は殴るつもりだったが、心がブレーキをかけたのだ。
意識の無い妖精帝を、姫のように抱きかかえる。
「女――いや、男か。華奢なことだ。妖精共は性別が分かりにくい」
足元では、兵士が「紫狂皇帝万歳!」をしていた。可愛い駒たちの元へ、紫狂皇帝は舞い下りてやる。
わっとむさ苦しい集団が寄ってきた。
「勝つと信じていましたよ! 素敵ぃ! 抱いて」
「素晴らしいご活躍。まさか単騎で妖精帝を打ち取られるとは」
「で、その妖精は俺たちにも回してくれるんですよね?」
ふざけたことを口にした奴がいたので、尾で横っ面をはたいてやった。やさしくね。
殴られた兵士は等速直線運動で地面すれすれを滑っていく。
静まり返る兵士たちに、紫狂皇帝は遠くを指差す。
「人の戦利品を欲しがるんじゃない。お前たちは一般妖精で我慢しなさい。あ、女子供は殺すなよ? これ以上、妖精の数が減ると世界がむさ苦しくなってしまうからな」
冗談めかして言うと、ホッとした空気が浮上した。
「いやいや。妖精の性別なんてぱっと見で分かりませんって! 妖精帝ですら、男か女かわっかんないじゃないですか!」
「そうですよ。ひよこ鑑定士の俺ですら難しい」
兵士の中にレア職業が紛れていたが、紫狂皇帝は馬車にリーチェスジアを乗せた。捕虜を閉じ込めておく特別製の馬車だ。中でいくら魔法を使おうとしても不発に終わる。
兵士たちは羨ましそうに眺めていたが、やがてオスの妖精を探して散らばっていく。
戦いの後の御褒美こそが、薙渦国兵士の士気の高さだった。
尖晶国は黒い洪水に呑み込まれ、皇帝の手に沈む。
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最近、さえない同性の先輩に好意を持たれている。いつものことだろう。いい人だから、傷つけたくはないな。
そう、思っていた。
姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王
ミクリ21
BL
姫が拐われた!
……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。
しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。
誰が拐われたのかを調べる皆。
一方魔王は?
「姫じゃなくて勇者なんだが」
「え?」
姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?