うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち

プロローグ(2/2)

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「……変な人だったでしょう」

 所長との面会を終え、迎えに来てくれた大規おおき研究員と廊下を歩く。
 すらりとした背に、丁寧にアイロンがけされた清潔な白衣を纏い、口元を白いマスクで覆っている。濡れ羽色の髪と、夜を映したような瞳。外見の特徴だけを抜き出すならば、無機質で几帳面な印象なのだが、接していると、何処か愛嬌のある青年、という感じである。

「実際、変な人なんですよ。歳の割に子供というか、何と言うか。人間嫌いだし、社会不適合者だし、雑務は押し付けてくるし……」

 ……苦労人、なのだろうか。

「まぁ、意地と信念と理想は買ってるんですけどね」

 はぁ、と溜息をついて、彼はひとつのドアの前で立ち止まった。

「滞在中は、こちらの部屋を使って下さい。足りないものがあれば、僕に言って頂ければ、ご用意しますよ」

 ドアを開ける。中に入ると、そこには小さな机と椅子、ベッドが置いてあった。簡素だが、丁寧に整えられている。

「比較的静かな部屋を選んだつもりですが……静かすぎるようでしたら、クラシックで良ければお貸しできます。貴方はクラシックはお好きですか?」

 クラシック……有名なものしか分からないが、嫌いではない。その事を伝えると、彼は耳触りの良い声と涼やかな目元をほころばせて、そうですか、と答えた。

「有名なものだけでも、分かるのは素晴らしいですよ。ショパン、ドビュッシー、バッハ……美しいからこそ、現代でも残っているものと思うのですけどね。どうもクラシック、と聞いただけで、敬遠してしまう人が多い。嘆かわしいです」

 淋しそうに、大規研究員。

「こう見えて、結構好きなんです、芸術作品。何かを美しいと感じるのは、人間に与えられた特権だと思うのですけどね……それを自ら遠ざけてしまうというのは……なんて、あははは、すみません、ちょっと語ってしまいましたね」

 彼は照れくさそうに笑い、食事の時間や消灯の時間等、いくつかの説明をしてくれた。

「……以上が、この研究所の大体の生活リズムです。ここまでで、何か気になることや質問はありますか?無ければ、生活エリアをご案内します」

 彼の話はとても分かりやすく、これといった疑問も思いつかない。しかし、ふと気になったことを思い出して、大規研究員へ聞いてみる事にした。


 所長が、この研究施設を、〝はこにわ〟と呼ぶのは、どうしてなのか。


「そのままの意味ですよ」


 彼はにこりと微笑む。


「所長にとって、此処は〝箱庭〟なんです。彼女にとっての、小さな世界。所長は差し詰め、この小さな世界の創造主、と言った所でしょうか」


 ね、変な人でしょう?
 そう付け加えて、彼は部屋の外に出る。


「さあ、こっちですよ。……素敵な滞在になるよう、祈っていますね」
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