うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち

case2.十歌

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 研究区画の一室――……。

 薬品の臭いが漂う室内に、無表情の少年が転がっている。実験体用の白い簡素な服を着た少年は、血にまみれ、赤黒く汚れている。
 少年だけではない。少年の周りの床も、少年の傍らに立つ研究員の青年――大規おおきの白衣も、赤黒く汚れている。周囲を汚している血液の主は、言うまでもなく、この無表情の少年である。

 少年は何も言わない。

「ちゃんと殴ったの?」

 ドアの近くに立つ日野尾ひのおの声は、明らかな苛立ちを含んでいる。彼女の白衣は大規よりさらに汚れて、中の衣服にも及んでいたが、気にする様子はない。

「殴りましたよ。懇切丁寧に蹴りも……蹴りの方が多かったですね」

 淡々と、大規が答える。
 少年は何も言わない。日野尾がつかつかと近付き、少年の胸ぐらを掴んで持ち上げ、床に叩きつける。

 少年は何も言わない。抵抗も、しない。

「折角上手くいったと思ったんだけどなぁ……くそっ、意思も意志も無けりゃ表情も感情も無い! 声を上げるどころか歌ひとつ歌わない! 労力返せっつーの! 期待させやがって!」

 少年の腹に蹴りを入れる日野尾を見ながら、この人本当に子供だなぁと大規は思う。
 とはいえ、彼女の気持ちも分からなくはないのだ。数多の実験体から、彼女の基準をクリアして〝こども〟に昇格する個体は、余りにも少ない。理想と期待が高い分、失望や落胆も大きいのだろう。怒りもまたしかり。そこを加味しても、いささか感情的になり過ぎだとは思うが。

「あーぁ、また廃棄……」
「……いえ、所長。少し様子を見てからにしませんか」

 蹴り飽きた日野尾が呟くのを、大規は制す。

「何で? 意味無いと思うけど」

 怪訝けげんそうに日野尾が尋ねる。

「そうでしょうか……」

 大規は、じっと少年を観察する。此方が優しくしている時のみならず、殴られても、蹴られても、一言も口にしない少年。何をされても、表情ひとつ変えない少年。

「器は、上手く出来たじゃないですか」
「中身が無ければ、意味が無いでしょ」
「これから、美しい中身を宿すかもしれない。宿さないかもしれませんが、一例として今後の研究に活用できます。……美しい器に、どんな中身が宿るのか、一研究者として興味があります」
「……あっそ。君は本当にロマンチストだねぇ」
「駄目でしょうか」
「そんな捨て犬を拾って来た子供みたいなこと言われてもねぇ……」

 腕組みをして、日野尾はしばし考えを巡らせる。

 足元の少年は、何も言わない。

「まぁいいや。じゃ、要観察対象にして。隔離しておくよりは、他の子と一緒に生活させてみようか。そもそも生活が営めるのか分からないけど、その時はその時だ。適当に処理しよう」
「ありがとうございます」

 大規は嬉しそうに一礼するが、日野尾はどこまでも乾いた視線を送るだけだ。

「大規くんさぁ、さっき言ったことだけが真意じゃないでしょ」
「……さて?」

 これだよ、と、日野尾は心の中だけで呟く。部下であるこの男は、どうにも底知れぬ闇を抱えているように思えてならない時がある。だからこそ、この、世に言う〝倫理〟や〝道徳〟から外れた場所で、〝普通〟に仕事も生活も出来るのかもしれないが。

 日野尾はその場にしゃがむと、尚も無表情な少年に語り掛ける。

「〝はこにわのこども〟である君に、名前を贈ろう。そうだなぁ……十の歌と書いて、十歌とうた。せめて十は歌を覚えるまで、生き残れるようにね」

 少年は何も言わない。

 手元の資料に要観察対象、と書き込んで、日野尾が退室する。
 
 *
 
 二人きりになった部屋の中、大規は少年の髪を鷲掴みにし、じっと顔を見つめた。少年の黒曜石のように黒い瞳が、大規の顔を映す。彼の夜を映したような瞳もまた、少年同様に感情の起伏が見えない。

「……何処が無表情なんだろう」

 心から理解出来ないというように、彼は不思議そうに呟いて、手を離す。少年の頭が再び、床と接触して鈍い音を立てる。

「何処が無感情なんだろう」

 少年の頭を、靴の裏で、ぐりぐりと踏みにじる。

「本当、所長は分かってないな。君はこんなにも、君なのにね」

 少年は何も言わない。

 大規はしばらく、無言のまま、少年を観察する。その瞳に、うっすらと笑みを浮かべて。
 そして、はっと我に返ったように少年の頭から足を退けると、少年を無理矢理座らせて、髪の汚れを払った。

「いけないな、僕としたことが。ごめんね?痛かったよね?」

 ついでに白衣の袖で少年の顔も拭う。

「大丈夫。所長はあんな感じだけど、名前を贈った以上、君も大事な〝こども〟の一人の筈だから。これからよろしくね? 仲良くしようね?」

 にこにこと、大規は優しく少年に話しかける。

 少年は何も言わない。

「……本当に、よろしくね。十歌くん」

 大規の声に、少年は僅かに――ほんの僅かに、顔をこわばらせた。
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