うらにわのこどもたち

深川夜

文字の大きさ
上 下
27 / 69
うらにわのこどもたち2 それから季節がひとつ、すぎる間のこと

case4.蒼一郎(2/2)

しおりを挟む
 真白ましろちゃんが遊びに来たのは、その日の午後の事だった。なんでも、眠兎みんとくんから、「神様」について教えてもらったらしい。

 神様。この世界を創った、なんでも知っている存在。

「おれ、ぜってーそーいちろうが好きそーな話だと思ったからさー!」

 真白ましろちゃんは得意げだ。僕も、真白ましろちゃんの話を聞いていると、どんどん興味がわいて、わくわくしてくる。

「うん、すごいね! 世界には、そんな存在がいるんだ……僕、なにも知らなかった」
「だろー!?」

 二人で盛り上がっている隣で、十歌とうたくんは僕達の話に、静かに耳をかたむけている。

「いいなあ。僕も先生達から色んなことを教えてもらったけど、神様はもっともっと、たくさんの事を知っているんだろうなぁ。もし神様に会えたら、もっと色んな事を教えてもらうのに」
「おれもー! もし、もっと色んなことが分かったら、……そしたら、みんととも、もっとなかよくできるかもしれねーし……」

 おれ、ばかだからさ。あいつのこと、おこらせてばっかだからさ。と、少しだけ悲しそうに、真白ましろちゃんは笑う。

真白ましろちゃん……」

真白ましろちゃんは、眠兎みんとくんともっと仲良くなりたいんだな……)

 僕から見れば、真白ましろちゃんはとってもいい子のように思う。元気で、明るくて、色んな遊びを知っていて、いつもにこにこしているから、一緒にいるととっても楽しい気分になる。眠兎みんとくんだって、頭が良くて、僕よりもっと色んなことを知っている。部屋には本がずらっと並んでいて、そのほとんどを読んで理解しているのだから、尊敬している。
 ただ、眠兎みんとくんは、誰かに優しくする方法を、知らないんじゃないかと思う。皆それぞれにたくさんいいところがあって、ほんの少し変わっていくだけで、もっと仲良くなれる気がするのに。……それだけはすごく、もったいないことのように思う。

「そうだ。十歌とうたくんは、どう思う? 神様っていると思う?」

 聞き役になっていた十歌とうたくんに話を振ってみる。十歌とうたくんは「ん……」と言って目を閉じ、考える素振そぶりを見せてから、「難しいな」と答えた。僕や真白ましろちゃんの顔に疑問符が浮かんでいることに気付いたのか、やや間を置いて続ける。

「……神という存在もまた、誰も見た事がない以上は、仮説のいきを出ない、と俺は考える。個人的な願望だけなら、俺はこの世界に、神という絶対者がいなければいい、と考える」
「なんで? ヒーローよりつえーんだぜ?」

 かっこいいじゃん、と真白ましろちゃんが口をはさむ。僕も同じ意見だ。何でも知ってるなんて、すごいし、かっこいいと思う。
 だけど、十歌とうたくんはあまり表情のない顔を軽くかしげて、


「お前達は、その〝この世界を創った、何でも知っている存在〟が、〝俺達の味方ではない可能性〟を考えないのか?」


 と言った。

「え……っ……」

 真白ましろちゃんが、声をひきつらせる。

「もしも絶対者である神にとって、俺達がどうしようもなく間違った存在だったら? 俺達が正しいと信じて選んだものが、神にとっては間違いだったら? そう考えると、俺は神という存在が存在しない方が有難ありがたい」

 十歌とうたくんの言葉に、僕はどきっとした。万能の存在が、大きな波のように押し寄せて、僕を飲み込んでしまうイメージが頭に浮かぶ。怖い、と思った。

 考えたこともなかった。
 もしも、僕達が間違えていたら。

「で、でも、僕達、悪いことなんて何も……」

 口をついて出た言葉の、その先が出てこない。真白ましろちゃんも、僕の腕にぎゅっとしがみついている。おびえる僕達を十歌とうたくんはじっと見つめて、それから表情と口調を和らげた。

「……ああ、悪かった。可能性の話だからそうおびえないでくれ。性格が悪いのかな、俺はそう思ってしまう、というだけなんだ」
「も、もう……なんだよー……。おどかすなよなぁー……」

 真白ましろちゃんが涙声なみだごえになっている。僕もほっとして胸をろす。

「そうだよ。本当に怖かったんだから」
おどかすつもりはなかったんだ。興味深い話だと思って聞いていた。……二人のそういう知的好奇心や素直さは、とてもいいところだと思う。だから、大切にして欲しい」
「……うん」
「……おー」

 すまなかった、と、十歌とうたくんは僕や真白ましろちゃんの頭をそっとでる。少し照れくさいな、と思ったけれど、コミュニケーションが苦手な十歌とうたくんなりの優しさだと分かっているから、素直に受け入れる。

 初めて会った時から、そんなに時間はっていないはずなのに、十歌とうたくんは本当に変わったと思う。初めのうちは、もっとずっと、反応がなかった。僕が一方的に話しかけて、十歌とうたくんはそれを黙って聞いているだけだった。それが、今はこんな風に、一緒にお喋りしたり、触れ合ったりできるようになった。きっと、十歌とうたくんの中で、少しずつ、何かが変わったからなんだと思う。僕も、自分では気付かないだけで、少しずつ変わっているのだろうか。こういう小さな変化やきっかけが、僕達それぞれに積み重なっていったら、いつか大きな変化が、僕達に訪れるのだろうか。

「あ、そーいちろう、おーきせんせーのとこ、行ったほーがいーんじゃねー?」

 真白ましろちゃんが、点滴パックを指して教えてくれる。点滴棒の先でゆらゆら揺れる液体は、あと四分の一くらい。

「本当だ。真白ましろちゃん、教えてくれてありがとう」

 立ち上がる。一瞬、ぐにゃりと視界がゆがんだ。前にもこんなことがあった気がする。一度だけじゃない。何度も、何度も。だけど、それ以上は思い出せない。
 よろめいた僕を、慌てて真白ましろちゃんが支えてくれる。

「だいじょーぶか?」
「……うん」

 …………あれ?

 どうして、僕は今、こんなに不安な気持ちなんだろう。何かが怖い。すごく怖い。何が怖いんだろう。怖いことなんて何も無いはずなのに。十歌とうたくんが、変なことを言ったから?
 心臓がはねる。心の奥で、誰かが「思い出せ」と言っているような。そう、とても、大切なことを、忘れている気がするのに。

「そーいちろうが行くなら、おれも行くよ。とーたは?」
「俺は残る」
「そっか。じゃー、行ってくるなー」

 真白ましろちゃんが僕の腕を引っ張る。点滴棒を引きずりながら、部屋を出ようとして、十歌とうたくんに呼び止められた。

「なあ、蒼一郎そういちろう。ずっと気になっていたんだが、聞いてもいいか?」
「え、何?」
「もし気に触ったらすまない。お前、ずっと点滴をしているだろう?それが気になっていて」
「ああ、これかぁ」

 言われて、今更ながら、十歌とうたくんにきちんと説明していなかったことを思い出す。

「えっと、僕は、他の「こども」よりも身体が弱いみたいで。この点滴がないと倒れちゃうんだよ。ほら、十歌とうたくんと初めて会った日。あの日も、倒れて心配かけちゃったでしょ?これが何の薬なのかはよく分からないけど……この点滴は、僕にとって、とっても大切なものなんだ」
「そうだったのか」

 僕はうなずく。

「てっきり、先生達から聞いてると思ってた」
「いや。何も聞かされていないし、俺から……先生達、に聞くのも気が引けてな」
「そうだったんだね。気を使ってくれてありがとう」

 点滴パックを見上げる。チューブを通って僕の中に流れる、不思議な色の液体。

「そうだ。僕、大規おおき先生に聞いてみるよ。自分の身体のことも、薬のことも、ちゃんと聞いたことなかった気がするし」
「いいのか?」
「うん。ちゃんと分かっていた方が、きっと自分のためにもなるから」

 そう言って、僕は十歌とうたくんに手を振る。

「それじゃあ、また後で」
「……ああ」

 ドアを閉める。ぱたん、という音とともに、十歌とうたくんの顔が視界から消える。だけど、その顔が少し、思い詰めているように見えたのは、僕の気のせいだろうか。

 *

「点滴の中身?」
「はい。僕の点滴って、何の薬なんですか?」

 医務室のベッドに横になり、点滴を交換して貰いながらたずねると、白いマスクの下で大規おおき先生が不思議そうに笑った。

「どうしたの? なにか気になるようなことでもあったのかな?」
「その……さっき、真白ましろちゃんや十歌とうたくんと話してて、そういえば僕、自分の身体のことも、この薬のことも、ちゃんと分かっていなかったな、って思って……。自分の身体のこと、もっと知っておいた方が、自分の為になる気がして」
「どうなの? せんせー」

 パイプ椅子に座って、ぱたぱたと足を動かしていた真白ましろちゃんも、先生の顔をのぞく。

「うん、少なくとも、何かの病気という訳じゃないから、それは安心して欲しいな。でも……そうだね。その薬は、蒼一郎そういちろうくんが此処ここで暮らして行くために、今はまだ、必要なものなんだ」

 先生は、僕達と近い目線になるよう、別のパイプ椅子に座る。

「君の身体は、確かに他の子よりも弱い。その点滴があって、やっと皆と同じ生活ができるくらいには。それでも、所長……日野尾ひのお先生は、君を「こども」として選んで、とても大切にしている。本当は僕も、蒼一郎そういちろうくんが点滴無しで生活出来るようにしてあげたいんだけど……不安にさせてごめんね。少しでも早く、その日が来るように、頑張るから」

 申し訳なさそうに話す先生の目は優しい。聞いた僕の方が、申し訳なくなってしまう。きっと、先生達は僕のために、色んな事をたくさん考えて、僕が少しでも元気でいられるように頑張ってくれているんだ。
 髪にとめたヘアピンを触る。そうだ、身体が弱くても、心は強くいなくちゃ。僕を大切にしてくれる、先生達のためにも。

「先生、あの、……僕が出来ることなんて限られているけど……、もし、ほんの少しでも手伝えることがあったら教えてください。僕も、頑張れることがあったら、先生達と一緒に頑張ります」
「おれもー!」

 真白ましろちゃんも手を挙げる。
 先生は、僕達を交互こうごに見つめた後に、


「……二人とも、本当にいい子だね」


 嬉しそうに、そう言った。
しおりを挟む

処理中です...