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うらにわのこどもたち2 それから季節がひとつ、すぎる間のこと
間章 英雄譚にはまだ遠く(1/2)
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冬は日が落ちるのが早い。
放課後、人の居なくなった教室を、夕陽が柔らかなオレンジ色に染め上げている。そのオレンジも、少しずつ紫からコバルトへと変化しつつある。
そんな教室の中で、眠兎はひとり、友人を待っていた。自分の机に腰掛けて、暮れゆく空を見る。がらんどうの教室。遠くに聞こえる、運動部の声。放課後独特の、少しだけ淋しい空気は、嫌いではない。
廊下から近付く足音に、彼は教室のドアへと目線を移す。ガラガラと音を立ててドアが開き、彼が待っていた相手が、姿を現す。
「やっほー、うたくん」
「悪い、待たせた」
うたくん、と呼ばれた少年――十歌が、眠兎の隣の机に荷物を置く。
「めずらしー、いーくん一緒じゃないんだ」
十歌が頷く。
いーくん、と言うのは、十歌や眠兎の友人である少年のことだ。カイ、なので、眠兎はいーくん、と呼んでいる。眠兎の中で、十歌とこの少年は二人で一セット、というイメージがある。恐らく誰に聞いてもそう答えるだろう。てっきり二人で来るものだと思っていたので、意外だった。
「それでー? 僕に相談って、なに?」
眠たげな、ゆるゆるとした眠兎の声に、十歌はただでさえ硬い表情を更に硬くし、沈黙する。
それから、意を決したように眠兎の目を見て言った。
「……俺、に、……知恵を、貸してほしい」
*
十歌の口から語られた話は、眠兎にとってにわかに信じ難いものだった。
日毎に現実味を帯びる夢の世界。閉鎖的な研究施設。歪んだ思想を持つ研究員達と、性格は違えど後は眠兎や他の友人達そっくりな、実験体のこどもたち。
黒板に、白いチョークで相関図を書きながら、眠兎は唸る。
「うーん……」
所詮は夢、と切り捨てることは容易いが、十歌の様子を見ていると、そうもいかない。それに、最近十歌がずっと、この夢の事で悩んでいるようだということは伝え聞いていた。
友人に真剣に頼られているならば、こちらも真剣に返さなければならない。「友人」に対する、眠兎なりの礼儀だ。
「まずさー、うたくんは何が不安なの?」
「不、安?」
「そー。自分の現実がどっちなのかわかんなくなっちゃうこと? それとも、その、研究員だっけ? こいつらに何かされちゃうことが怖いとかなの? 思い煩うって、つまり、そーいう事でしょ?」
「…………そう、だな……」
眠兎の言葉に、十歌は自身の内面を探る。
「不安、とは、少し違う」
「じゃー、何に困ってるの?」
「……初めは、静観しようと、思った。ただの、夢……そう、思ったから」
「ふんふん。でもー、都合が変わってきちゃったわけだ」
「ああ。……夢は、次第に、現実味を増した。あの世界は、俺にとって、もうひとつの現実……に、なってる。ただの夢、じゃない。俺は、この夢に、意味があると、思っている」
「意味?」
「俺に、実験体としての、意識は、ない。俺にだけ、ない。……それには、夢以上の、意味がある。そんな、気がする。なすべきことが、ある。そうでなかったとしても……考える事。望む事。個人の意思。それを、誰かの都合よく利用され、改ざんされるのを知って、黙って見ているのは、……俺が、嫌だ。俺が、嫌なんだ」
「ふーん」
十歌の真剣な声に、眠兎は緩く頷き、ふふっと笑みを零す。
「僕さー、うたくんってもっと、クールなタイプだと思ってた。でも、そっかー。僕が考えてたよりずっと、うたくんって良い奴だね」
「……何だ、それ……?」
「単に怖いとか、不安とか、そーじゃなくて、夢の中のみんなをほっとけないからって言うの、かっこいーじゃん」
それは眠兎の本心だった。
十歌はもっと、他者に興味がない人間だと、眠兎は思っていた。更に言えば、十歌という少年は、自己防衛のためのエネルギーで手一杯で、意志決定や他者のためにエネルギーを割くまでの力はないものだと分析していた。
それは十歌の、壮絶な虐待を受けた過去を思えば致し方のないことだと感じていたし、特に悪い事だとも思っていなかった。ただそういうタイプなんだな、と納得していた。
しかし、どうだろう。眠兎は自らの評価を改める。十歌の意志。それはまるで、自らを顧みないヒーローのようではないか。
「まー、とは言っても、僕に出来ることも限られてるけどねー。役に立つかどうか、分かんないよ?」
「構わ、ない。このやり取りは、向こうのお前も、聞いてるはず」
「可能性に賭けたいよねー。全く、柔軟性にもステ値振ってほしーぞー向こうの僕ー」
眠兎はぼやくと、改めて黒板に書いた関係図を見る。
「しかしさー、変な夢だよねー。正直、僕はこの……所長? って人が何したいのか全然分かんない」
「理想、の為の、研究。じゃないのか?」
「うん。それ。その理想ってやつ」
「それは、俺にも」
「あー、そーじゃなくてさ」
欠けたピンク色のチョークで、走り書きと線を引きながら、十歌に解説する。
「この世界の実験体には、どーも僕達……こっちの世界の記憶がある。それを、この所長は良く思ってない。で、こっちの世界の事を意識から消そうとしてるわけじゃん? そこは別にいいの。いや良くないけど。問題はそこじゃなくてさ。この人、最終的にどこを目指してるんだろう? どうなったら、この研究とか実験って、達成されるんだろう? 所長の抱いている理想像。目標とする幸福。それが見えてこない」
クエスト達成の目的と条件って大事だよ、と言いながら、「最終目標=?」と黒板に書いて丸をつける。
「うたくんの話を聞く限り、僕が初めに連想したのは、ネバーランドだよ。うたくん知ってる? ピーターパン」
十歌は首を振る。だよねー童話と縁なさそうだもんねーと眠兎が続ける。
「ネバーランドっていうのは、ピーターパンってお話の中に出てくる世界のこと。ネバーランドに行った子供達は、永遠に歳をとることなく、子供のままなんだよ。なんかその研究所っぽくない?」
「……ホラー、なのか……?」
「いやホラーじゃないんだけどね? どっちかっていうと夢のある話なんだけどね? 続けると、所長の最終目標が、仮に人工ネバーランド建設……つまり、永遠に子供のままの実験体に囲まれて暮らすことだとするじゃん? そーすると、やってる事がおかしーわけ。どこだか分かる?」
眠兎の問いに、十歌は腕組みをして思考を巡らせる。
研究所での生活。向こうの世界の、みんなのこと。研究員の、二人のこと。関係性。態度。
そして、ふと、気付く。
「……俺達に対する、管理が、いい加減……?」
「あったりー」
そう言って、眠兎は「所長」と書かれた文字を指す。
「もしネバーランド建設が最終目標なら、所長の実験体に対する態度が中途半端すぎなんだよ。徹底した記憶操作をせずに集団生活させたり、かと思えば小さなところだけは変えてみたり。そもそもうたくんっていう、最終目標の一番ネックになる存在に、記憶操作もせず、他の子に薬物投与をしている事実を特に隠そうともしない。いやいやそれ一番言っちゃマズいやつじゃん。下手すれば詰みだよ?現に向こうの僕は反抗する気満々じゃん。なにそれ? 何したいの? ザルすぎてクエスト達成する気ある? って思うよねー。てことはこの人が達成したいクエスト……研究の目的は別にある、って事になる。所長の理想を妨害することが、うたくんにとっての鍵になる」
「別の、目的……」
「夢だから、都合のいいようになってるだけかもしれないけど。その辺は、向こうの世界で探りを入れた方がいいかもねー。向こうの僕が何か知ってるかもしれないし。とまあ、それを踏まえて」
関係図の横に、眠兎は「日記」と書いて、にっと笑う。
「とりあえずの対抗手段。記憶の改ざんには記録、ってね」
「……成程、記録、か」
「これだけやってる事がザルなんだ。向こうの僕と協力して日々の記録を残しておけば、何かあっても後から記憶の矛盾点洗えるっしょー」
すらすらと、的確な指摘とアドバイスを提案する眠兎。
「お前、……凄いな」
十歌は静かに、しかし心から尊敬する。
「伊達にラノベとゲームで鍛えてないのさー」
ふふん、と胸を張る。
「上手くいくかどうか分かんないけどさ。……頑張りなよ、ヒーロー」
「……ヒーロー、なんて、柄じゃない」
「まあまあ」
ヒーロー、と喩えられ、居心地が悪そうな十歌に、拳を突き出す。
「向こうの僕に言っといてよ。ステ値配分考えろーって」
「……ああ」
眠兎の拳に、こつん、と拳を合わせる。
「やれるだけ、やってみる」
放課後、人の居なくなった教室を、夕陽が柔らかなオレンジ色に染め上げている。そのオレンジも、少しずつ紫からコバルトへと変化しつつある。
そんな教室の中で、眠兎はひとり、友人を待っていた。自分の机に腰掛けて、暮れゆく空を見る。がらんどうの教室。遠くに聞こえる、運動部の声。放課後独特の、少しだけ淋しい空気は、嫌いではない。
廊下から近付く足音に、彼は教室のドアへと目線を移す。ガラガラと音を立ててドアが開き、彼が待っていた相手が、姿を現す。
「やっほー、うたくん」
「悪い、待たせた」
うたくん、と呼ばれた少年――十歌が、眠兎の隣の机に荷物を置く。
「めずらしー、いーくん一緒じゃないんだ」
十歌が頷く。
いーくん、と言うのは、十歌や眠兎の友人である少年のことだ。カイ、なので、眠兎はいーくん、と呼んでいる。眠兎の中で、十歌とこの少年は二人で一セット、というイメージがある。恐らく誰に聞いてもそう答えるだろう。てっきり二人で来るものだと思っていたので、意外だった。
「それでー? 僕に相談って、なに?」
眠たげな、ゆるゆるとした眠兎の声に、十歌はただでさえ硬い表情を更に硬くし、沈黙する。
それから、意を決したように眠兎の目を見て言った。
「……俺、に、……知恵を、貸してほしい」
*
十歌の口から語られた話は、眠兎にとってにわかに信じ難いものだった。
日毎に現実味を帯びる夢の世界。閉鎖的な研究施設。歪んだ思想を持つ研究員達と、性格は違えど後は眠兎や他の友人達そっくりな、実験体のこどもたち。
黒板に、白いチョークで相関図を書きながら、眠兎は唸る。
「うーん……」
所詮は夢、と切り捨てることは容易いが、十歌の様子を見ていると、そうもいかない。それに、最近十歌がずっと、この夢の事で悩んでいるようだということは伝え聞いていた。
友人に真剣に頼られているならば、こちらも真剣に返さなければならない。「友人」に対する、眠兎なりの礼儀だ。
「まずさー、うたくんは何が不安なの?」
「不、安?」
「そー。自分の現実がどっちなのかわかんなくなっちゃうこと? それとも、その、研究員だっけ? こいつらに何かされちゃうことが怖いとかなの? 思い煩うって、つまり、そーいう事でしょ?」
「…………そう、だな……」
眠兎の言葉に、十歌は自身の内面を探る。
「不安、とは、少し違う」
「じゃー、何に困ってるの?」
「……初めは、静観しようと、思った。ただの、夢……そう、思ったから」
「ふんふん。でもー、都合が変わってきちゃったわけだ」
「ああ。……夢は、次第に、現実味を増した。あの世界は、俺にとって、もうひとつの現実……に、なってる。ただの夢、じゃない。俺は、この夢に、意味があると、思っている」
「意味?」
「俺に、実験体としての、意識は、ない。俺にだけ、ない。……それには、夢以上の、意味がある。そんな、気がする。なすべきことが、ある。そうでなかったとしても……考える事。望む事。個人の意思。それを、誰かの都合よく利用され、改ざんされるのを知って、黙って見ているのは、……俺が、嫌だ。俺が、嫌なんだ」
「ふーん」
十歌の真剣な声に、眠兎は緩く頷き、ふふっと笑みを零す。
「僕さー、うたくんってもっと、クールなタイプだと思ってた。でも、そっかー。僕が考えてたよりずっと、うたくんって良い奴だね」
「……何だ、それ……?」
「単に怖いとか、不安とか、そーじゃなくて、夢の中のみんなをほっとけないからって言うの、かっこいーじゃん」
それは眠兎の本心だった。
十歌はもっと、他者に興味がない人間だと、眠兎は思っていた。更に言えば、十歌という少年は、自己防衛のためのエネルギーで手一杯で、意志決定や他者のためにエネルギーを割くまでの力はないものだと分析していた。
それは十歌の、壮絶な虐待を受けた過去を思えば致し方のないことだと感じていたし、特に悪い事だとも思っていなかった。ただそういうタイプなんだな、と納得していた。
しかし、どうだろう。眠兎は自らの評価を改める。十歌の意志。それはまるで、自らを顧みないヒーローのようではないか。
「まー、とは言っても、僕に出来ることも限られてるけどねー。役に立つかどうか、分かんないよ?」
「構わ、ない。このやり取りは、向こうのお前も、聞いてるはず」
「可能性に賭けたいよねー。全く、柔軟性にもステ値振ってほしーぞー向こうの僕ー」
眠兎はぼやくと、改めて黒板に書いた関係図を見る。
「しかしさー、変な夢だよねー。正直、僕はこの……所長? って人が何したいのか全然分かんない」
「理想、の為の、研究。じゃないのか?」
「うん。それ。その理想ってやつ」
「それは、俺にも」
「あー、そーじゃなくてさ」
欠けたピンク色のチョークで、走り書きと線を引きながら、十歌に解説する。
「この世界の実験体には、どーも僕達……こっちの世界の記憶がある。それを、この所長は良く思ってない。で、こっちの世界の事を意識から消そうとしてるわけじゃん? そこは別にいいの。いや良くないけど。問題はそこじゃなくてさ。この人、最終的にどこを目指してるんだろう? どうなったら、この研究とか実験って、達成されるんだろう? 所長の抱いている理想像。目標とする幸福。それが見えてこない」
クエスト達成の目的と条件って大事だよ、と言いながら、「最終目標=?」と黒板に書いて丸をつける。
「うたくんの話を聞く限り、僕が初めに連想したのは、ネバーランドだよ。うたくん知ってる? ピーターパン」
十歌は首を振る。だよねー童話と縁なさそうだもんねーと眠兎が続ける。
「ネバーランドっていうのは、ピーターパンってお話の中に出てくる世界のこと。ネバーランドに行った子供達は、永遠に歳をとることなく、子供のままなんだよ。なんかその研究所っぽくない?」
「……ホラー、なのか……?」
「いやホラーじゃないんだけどね? どっちかっていうと夢のある話なんだけどね? 続けると、所長の最終目標が、仮に人工ネバーランド建設……つまり、永遠に子供のままの実験体に囲まれて暮らすことだとするじゃん? そーすると、やってる事がおかしーわけ。どこだか分かる?」
眠兎の問いに、十歌は腕組みをして思考を巡らせる。
研究所での生活。向こうの世界の、みんなのこと。研究員の、二人のこと。関係性。態度。
そして、ふと、気付く。
「……俺達に対する、管理が、いい加減……?」
「あったりー」
そう言って、眠兎は「所長」と書かれた文字を指す。
「もしネバーランド建設が最終目標なら、所長の実験体に対する態度が中途半端すぎなんだよ。徹底した記憶操作をせずに集団生活させたり、かと思えば小さなところだけは変えてみたり。そもそもうたくんっていう、最終目標の一番ネックになる存在に、記憶操作もせず、他の子に薬物投与をしている事実を特に隠そうともしない。いやいやそれ一番言っちゃマズいやつじゃん。下手すれば詰みだよ?現に向こうの僕は反抗する気満々じゃん。なにそれ? 何したいの? ザルすぎてクエスト達成する気ある? って思うよねー。てことはこの人が達成したいクエスト……研究の目的は別にある、って事になる。所長の理想を妨害することが、うたくんにとっての鍵になる」
「別の、目的……」
「夢だから、都合のいいようになってるだけかもしれないけど。その辺は、向こうの世界で探りを入れた方がいいかもねー。向こうの僕が何か知ってるかもしれないし。とまあ、それを踏まえて」
関係図の横に、眠兎は「日記」と書いて、にっと笑う。
「とりあえずの対抗手段。記憶の改ざんには記録、ってね」
「……成程、記録、か」
「これだけやってる事がザルなんだ。向こうの僕と協力して日々の記録を残しておけば、何かあっても後から記憶の矛盾点洗えるっしょー」
すらすらと、的確な指摘とアドバイスを提案する眠兎。
「お前、……凄いな」
十歌は静かに、しかし心から尊敬する。
「伊達にラノベとゲームで鍛えてないのさー」
ふふん、と胸を張る。
「上手くいくかどうか分かんないけどさ。……頑張りなよ、ヒーロー」
「……ヒーロー、なんて、柄じゃない」
「まあまあ」
ヒーロー、と喩えられ、居心地が悪そうな十歌に、拳を突き出す。
「向こうの僕に言っといてよ。ステ値配分考えろーって」
「……ああ」
眠兎の拳に、こつん、と拳を合わせる。
「やれるだけ、やってみる」
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