うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち3 空中楼閣

THE STAR(5/5)

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 真白ましろの想いとは裏腹に、眠兎みんとの胸には苛立ちがくすぶっていた。明らかな成果が見えないまま過ぎ行く時間。見通しが不明瞭な日々。続けざるを得ない仲良しごっこの毎日。いつまでこんなくだらないお遊戯は続くのだろう。自衛ばかりを優先する生活で蓄積されるストレス。衝動性のコントロールに費やされる労力。攻撃性は暴発寸前だった。暴力的な感情は飼い慣らすのが難しい程に肥大している。そこに舞い込んだ、カイの詩集。挟まれたしおり、その花の意味。

 ――〝私を忘れないで〟。

 最後の藁が、自分の心に落とされた気がした。

 部屋の中から眺める空は茜色に染まり、遠くでひぐらしが鳴いている。過ぎ行こうとする夏の空。
 もうずっと「遊んで」いない。
 スイカ割りの後白雪しらゆきを蹴ったのは遊んだ内に入らなかった。あんなものじゃ足りない。蹴り続けなかった自分を褒めたいくらいだ。そう思った時には、足が自然と白雪しらゆきの部屋へと向いていた。


「やっほー」
「…………んぅ?……みと、…………く……?」

 常夜灯のついた部屋、ぬいぐるみの山の中から声がする。眠っていたのだろうか。白雪しらゆきの声はいつもより眠たげにぼんやりとしていた。

白雪しらゆきぃ、起きてる?」
「んー……、おき、る……」

 近付くと、ぬいぐるみの山がもそもそと動き、白雪しらゆきが顔を出した。ゆらゆらと揺れる頭に合わせて彼女の緩い巻き毛も揺れる。

「最近さぁ、全然遊んでなかったじゃん。久々に遊ぼうよ、一緒に」

 眠兎みんとは彼女に近付き、すぐ近くにある大きなクマを押し退けた。片目がレンズになっているクマのぬいぐるみがぼすんと倒れる。それを横目に、白雪しらゆきの服の首元を強引に掴んだ。無抵抗のまま彼女は微笑む。殺してやりたいと思った。眠兎みんとは彼女のくちびるに自分のくちびるを乱暴に重ねる。

 殴る蹴るとは別の形の、新しい「遊び」。

「ん」

 白雪しらゆきの口内を舌でまさぐる。唾液が混じる音。彼女の外見や声に違わない甘ったるい味。砂糖菓子のように何もかもが甘ったるいもので構成された少女。
 細い肩。平たい胸。少女特有のやわらかさ。
 嫌いだなと眠兎みんとは思う。どれをとっても不快で仕方ない。彼女を構成する全てが憎くて羨ましくて頭がおかしくなる。
 くちびるを離す。白雪しらゆきはあどけない瞳を眠兎みんとに向ける。ほぼ視力のない瞳に眠兎みんとを映しながら、にっこりと微笑む。

「しぃ、みと、く、すきー」
「僕は嫌いだよ」
「すきー」

 殴っても触っても、同じ反応をする少女。誰もを平等に受け入れ、決して拒絶しない少女。

「君って本当に何しても変わんないんだね」

 いつか、白雪しらゆきに聞いた。「幸せなのか」と。
 僅かでもそう思った自分が馬鹿だった。一瞬でも同情した自分が馬鹿だった。世界がどう認識されているかなど、きっと白雪しらゆきには無意味な問いだったのだ。問いの意味すらこいつには理解できない。

「君と僕が同じこども? ……冗談じゃない」

 こんな出来損ないが僕と同じなんて。
 胸の中のざらざらとした感覚をなぞりながら、は、と蔑むように笑う。

「ただの人形じゃん」

 彼女の髪を掴んで押し倒す。ぬいぐるみのレンズがこちらを見ていた。もういい。どうでもいい。押し込めていた暴力性が膨れ上がる。傷付けてやりたい。滅茶苦茶に。この綺麗なだけの生き物をぐちゃぐちゃに汚してやりたい。
 ひとりだけ綺麗なままなんて許さない。
 服の上から彼女の胸を触る。ワンピース型の服をめくりあげ、薄い肌に触れる。それから彼女の首に手をかけた。僅かに力を込める。
 それでも――白雪しらゆきはただ、にこにこと無垢な微笑みを浮かべるだけだった。


 *


 ぬいぐるみのレンズを通し、その様子は大規おおきのパソコンへと届けられていた。三つあるモニターの一つにレンズ越しの映像が映し出されている。大規おおきは椅子に座り、モニターを注視する。口元のマスクのせいで表情の大半は窺い知れないが、冷めた瞳には処理し切れない苛立ちが浮かんでいた。整った眉が僅かに寄る。

「どうしようかな……」

 彼はマスクの端を触りながら深い溜息をつく。
 夕暮れの室内。彼はキーボードで長い文字列を打ち込み、残りのモニターにデータを表示させる。それらを瞳に映しながら、大規おおきはじっと思いを巡らす。

「…………ああ。本当に、許せないなあ…………」

 感情の欠落した声。モニターの向こうでは眠兎みんと白雪しらゆきの首に手をかけている。
 底冷えするような真夜中の闇を瞳にたたえ、彼の口元はマスクの内側でうっすらと弧を描いた。
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