事故を起こさせない探偵 ―元刑事・天川の未来視事件録

立花 猛

文字の大きさ
1 / 49
プロローグ

沈む光

しおりを挟む


 雨は、いつ降り始めたのか分からなかった。

 フロントガラスに当たる水滴が、ヘッドライトの光を歪ませる。夜の山道は、ガードレールの外側が闇に溶け込み、どこまでが道で、どこからが空なのか、判然としない。

 後部座席で、天川黎人は眠っていた。

 窓の外を流れていく光が、夢の中にまで入り込んでくる。遠くで、波の音のようなものが聞こえた気がした。

 その音が、急に近づいた。

 衝撃は、音よりも先に来た。

 身体が前に投げ出され、次の瞬間、世界が裏返る。金属が悲鳴を上げ、ガラスが砕ける音が、耳の奥を突き刺した。

 暗転。

 浮遊感。

 そして——冷たさ。

 水が、車内になだれ込んでくる。
 重力の向きが分からない。
 どちらが上で、どちらが下なのか。

 誰かが叫んでいる。
 声は、すぐに泡に変わった。

 「黎人——!」

 母の声だった。

 父の手が、腕を掴む。強く、離さない。
 シートベルトが引きちぎられる音がした。

 水の中で、光が揺れている。
 ヘッドライトだ。

 その光が、海中の闇を切り裂き、ありえない景色を照らし出す。

 沈んでいく車。
 開いたドア。
 泡の軌跡。

 そして、見えるはずのないものが、見えた。

 車の外側。
 崖の岩肌。
 夜の海に広がる、黒い空間。

 ——広い。

 幼い黎人の意識に、そう浮かんだ。

 世界は、思っていたよりも、ずっと広かった。

 父と母が、必死に彼を押し出す。
 水流が、身体を引き離そうとする。

 「行け」

 父の口が、そう動いた。

 声は届かなかったが、意味だけは、はっきりと分かった。

 黎人の身体が、外へと放り出される。
 視界が回転する。

 その瞬間、また見えた。

 自分の背後。
 沈み続ける車。
 その中で、両親がこちらを見ている位置。

 ——違う。

 本来、そんなものは見えない。

 だが、確かに見えた。

 手を伸ばせば届きそうな距離で、
 届かないことも、同時に理解していた。

 水面が近づく。
 肺が焼けるように痛む。

 誰かに引き上げられた感覚があった。

 空気。

 光。

 波の音。

 岸に打ち上げられた身体が、砂を噛む。

 吐き出した水の中に、夜が混じっていた。

 振り返る。

 海は、何事もなかったかのように静まり返っている。

 そこに、車はない。
 人も、いない。

 ただ、広がる闇だけがあった。

 ——見えない。

 その事実が、ひどく恐ろしかった。

 黎人は、泣かなかった。
 声も、出なかった。

 ただ、見えてしまったものだけが、頭の中に残っていた。

 後に、病院の天井を見上げながら、目を覚ましたとき。
 彼は、自分が生きている理由を、まだ知らなかった。

 だが一つだけ、確信していた。

 あの夜、
 何かが終わり、
 同時に、何かが残った。

 それは、
 忘れられるものではなく、
 手放せるものでもなく、
 そして——
 隠しきれるものでもなかった。

 世界は、あのときから、
 少しだけ、裏側を向いている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)

MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。 しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。 ​母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。  その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。 ​純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。 交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

**俺、東大院生の実験対象にされてた。**同居している美人家庭教師のやばい秘密

まさき
青春
 俺は今、東大院生の実験対象になっている。  ある雨の夜、アパートの前にずぶ濡れの美女が立っていた。  「家庭教師です。住まわせてください」  突然すぎる申し出に困惑しながらも、なぜか断れなかった。  桐島咲楽、東大大学院生。成績は天才、料理は壊滅的、距離感はおかしい。毎日転ぶ、焦がす、なぜか距離が近い。そのくせ授業は鬼のように丁寧で、俺のことを誰よりもよく見ていた。  偏差値42だった俺の成績は、気づけば上がっていた。でも、それより気になることがある。  咲楽さんが、研究ノートに何かを書いている。「被験者」という文字が、見えた気がした。  距離が近いのは、データのためか。褒めてくれるのは、実験のためか。でも、あの顔は。あの声は。  「データじゃなくて、私がそう思っています」  嘘をついているような顔じゃなかった。  偏差値42の俺に、東大院生の美女が押しかけてきた。ドタバタな毎日の中で、俺の心臓が休まる暇がない。これはドキドキなのか、心配なのか。それとも、もう恋なのか。  不器用な天才と、鈍感な高校生の、やばい同居生活。

うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや

静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。 朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。 「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。 この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか? 甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...