事故を起こさせない探偵 ―元刑事・天川の未来視事件録

立花 猛

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第七章

第五部 消された名前

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 翌朝。

 署内は、いつもと変わらない騒がしさを取り戻していた。

 電話の音。
 コピー機の駆動音。
 雑談交じりの報告。

 天音梨花の席だけが、
 最初から存在しなかったかのように整えられていた。

 斎藤健は、その前で立ち止まった。

 机。
 椅子。
 端末。

 すべて、別の部署の備品に差し替えられている。

 「……早すぎるだろ」

 呟きは、誰にも拾われない。

 後藤は、少し離れた場所からそれを見ていた。

 止めなかった。

 止められない。

 止めようとした瞬間、
 それは“問題行動”になる。

 彼は知っている。

 こういうとき、
 正義を語る人間から先に消える。



 斎藤は、データベースを開いた。

 天音梨花。
 名前を入力する。

 ――該当なし。

 一度、目を閉じる。
 もう一度、打ち直す。

 同じ。

 所属履歴。
 担当案件。

 抜け落ちている。

 「……冗談だろ」

 昨日まで、
 確かに存在していた。

 事件を解析し、
 数字を読み、
 現場を支えていた。

 それが、
 一晩で“なかった”ことになる。

 斎藤は、背筋が冷えるのを感じた。

 これは、
 誰にでも起こり得る。



 後藤は、内線を取った。

 総務。
 人事。

 形式的な確認。

 「天音梨花の件だが」

 返ってきた声は、
 淡々としている。

 「退職扱いです」

 「……事故死だろう」

 「ええ。
  ですので、
  個人情報保護の観点から――」

 後藤は、受話器を戻した。

 それ以上、聞かない。

 聞けば、
 自分も同じ“処理”をされる。

 拳を、ポケットの中で握る。

 爪が、掌に食い込む。

 痛みで、
 怒りを抑えた。



 一方、天川黎人は、部屋にいた。

 USBメモリを、
 自分のノートパソコンに挿す。

 画面が点灯する。

 フォルダは三つ。

 【解析】
 【未整理】
 【最終】

 最初に開いたのは、
 【解析】。

 数字。
 時間。
 署名。

 どれも、
 単体では意味を持たない情報。

 だが、
 重ねると、線になる。

 事故発生時刻の偏り。
 担当部署の循環。
 鑑識の判断速度。

 「……作業工程だ」

 天川は、呟いた。

 犯人の名前は、どこにもない。

 あるのは、
 事故を事故として終わらせるための工程表。

 【未整理】フォルダには、
 天音の走り書きがあった。

 文章になっていない。

 だが、
 彼女の思考の痕跡が、生々しい。

 ――二段階
 ――必ず“偶然”を挟む
 ――個人を疑わせない
 ――責任は拡散させる

 天川は、息を詰める。

 これは、
 殺人のマニュアルではない。

 消去の設計書だ。



 その頃、署では――
 天音の名前が、会話から消え始めていた。

 「あの解析、誰がやってたっけ」

 「さあ……前から、外注じゃなかったか?」

 誰も、
 悪意を持って言っていない。

 それが、
 何より恐ろしい。

 人は、
 公式に存在しないものを、
 思い出せない。



 天川は、最後のフォルダを開いた。

 【最終】

 そこには、
 短いテキストファイルが一つだけあった。

 日付は、
 事故の前日。

 ――――――――――
 私が消えたら、
  それは成功したということ。

 あなたが、
  これを読んでいるなら、
  私は“完全に負けた”。

 でも、
  あなたは違う。

 警察にいる限り、
  あなたは負け続ける。

 それでも、
  視ることをやめないで。
 ――――――――――

 天川は、画面を見つめたまま動けなかった。

 胸の奥で、
 何かが、はっきりと折れる。

 能力があっても、
 警察にいても、
 救えない。

 それが、
 現実だ。

 彼は、理解した。

 この闇は、
 “正規の場所”からは辿れない。



 その夜。

 後藤直次は、
 天川の部屋を訪れた。

 無言で、
 USBを受け取る。

 中身を、
 ざっと見る。

 「……ここまでか」

 声は、低い。

 諦めではない。

 覚悟だ。

 「天川」

 後藤は、初めて言った。

 「これから先、
  俺は
  お前に
  “警察として”は命令しない」

 天川は、顔を上げる。

 「だが――」

 後藤の目が、
 まっすぐに向く。

 「人として、
  頼むことはある」

 その意味を、
 天川は理解した。

 これは、
 規則違反ではない。

 離反だ。



 天音梨花は、
 事故で死んだ。

 そして――
 記録からも、消えた。

 だが、
 彼女が残したものは、
 まだ、消えていない。

 それを抱えた二人は、
 もう後戻りできない場所に立っていた。
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