事故を起こさせない探偵 ―元刑事・天川の未来視事件録

立花 猛

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第八章

第一部 境界線の外側

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 天川黎人は、
 警察手帳を持っていなかった。

 失ったわけではない。
 剥奪されたわけでもない。

 ただ――
 使えない場所に来ただけだった。



 場所は、湾岸部の再開発区域。

 表向きは、
 IT企業のデータセンター建設予定地。

 だが、
 天音梨花の最後の解析メモには、
 こう書かれていた。

 ――《事故処理サーバー/外部バックアップ》

 正式名称は、存在しない。

 予算上は、
 「民間委託・統合処理」。

 だが実態は、
 警察・行政・保険会社を跨ぐ
 “事故の最終判断装置”。

 人が死んだとき、
 それが事故かどうかを
 最終的に“整える”場所。



 天川は、
 フェンスの外から建物を見上げた。

 警備は、薄い。

 なぜなら――
 誰も、ここを疑わないからだ。

 警察でさえ、
 ここを“現場”として扱わない。

 事故は、
 すでに事故として完成している。



 イヤーピースが、
 小さく音を立てた。

 「聞こえるか」

 後藤の声。

 天川は、
 小さく返す。

 「はい」

 「内部回線には繋ぐな。
  記録が残る」

 「分かってます」

 後藤は、
 もう“指示”はしない。

 天川を、
 一個の駒として扱っていない。

 これは、
 対等な協力だ。



 フェンスを越えるとき、
 天川は一瞬、
 躊躇した。

 越えた瞬間、
 警察ではなくなる。

 だが、
 思い出す。

 天音の遺体。
 杉原の落下点。

 越えなければ、
 何も変わらない。

 天川は、
 フェンスに手をかけた。



 内部は、
 静まり返っていた。

 夜間無人。

 だが、
 完全無人ではない。

 センサー。
 ログ。
 監視の“目”。

 天川の能力が、
 淡く輪郭を描く。

 ここで、
 何が消されてきたのか。

 転落事故。
 交通事故。
 階段事故。
 浴室事故。

 似ている。

 どれも、
 「よくある」もの。

 よくあるから、
 疑われない。



 天川は、
 端末室に辿り着いた。

 天音のメモにあった
 “影の管理ID”。

 それは、
 すでに無効化されていた。

 だが――
 天音は、
 それを予測していた。

 《非常用ログ:
  事故再分類履歴》

 隠し階層。

 天川は、
 USBを差し込む。

 その瞬間、
 背筋が凍った。

 視えた。

 過去の事故。

 映像ではない。
 記録でもない。

 「選択」の痕跡。

 この事故は、
 “事故にする”。

 この死は、
 “事件にしない”。

 誰かが、
 判断している。



 後藤の声が、
 低く割り込む。

 「……どうだ」

 天川は、
 一拍置いて答えた。

 「ありました」

 「何が」

 「……
  事故を、
  選んでる」

 通信の向こうで、
 後藤が息を吸う。

 「……やっぱりか」



 そのとき。

 建物の奥で、
 微かな音がした。

 足音。

 ――警備員?

 いや、違う。

 歩き方が、
 揃いすぎている。

 天川は、
 瞬時に理解した。

 “処理役”だ。

 事故のあとに現れる人間。

 記録を消すための存在。



 天川は、
 端末から離れた。

 逃げ道を、
 頭の中で組み立てる。

 だが、
 視えてしまった。

 この場所で、
 すでに
 何人も死んでいる。

 そして、
 今夜。

 次は、
 自分かもしれない。



 イヤーピースに、
 後藤の声。

 「天川」

 「来てます」

 短く答える。

 「……戻れ」

 「戻れません」

 それだけで、
 通じた。

 ここからは、
 引き返せない。



 足音が、
 近づく。

 静かに。

 確実に。

 事故が、
 もう一つ
 生まれようとしていた。
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