事故を起こさせない探偵 ―元刑事・天川の未来視事件録

立花 猛

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第八章

第三部 選ばれる側

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 逃げ切ったはずだった。

 湾岸の建物を離れ、
 後藤と斎藤の合流地点へ向かう車内。

 サイレンは鳴らない。
 追跡もない。

 ――それが、異常だった。



 「……静かすぎるな」

 斎藤が、
 フロントガラス越しに呟く。

 後藤は答えない。

 ただ、
 強くハンドルを握っていた。



 天川の頭の中には、
 処理役の言葉が残っている。

 ――事故に、年齢はない。

 違う。

 事故には、
 選ばれる順番がある。



 イヤーピースが、
 短く鳴った。

 後藤の私用回線。

 「……来た」

 声が、
 わずかに震えている。

 「何ですか」

 「……天音が、
  最後に守ってた人物だ」



 名前が告げられる。

 一般人。
 警察とは、直接の関係はない。

 だが――
 天音の解析に
 “素材”として使われていた。

 事故処理データの、
 統計上の歪み。

 「この人が、
  証明してしまう」

 後藤は、
 そう言った。



 天川は、
 瞬時に理解した。

 次に選ばれるのは、その人だ。



 場所は、
 郊外の古いマンション。

 夜。

 街灯はある。
 人通りも、わずかにある。

 ――事故に、
 最適な条件。



 天川は、
 車を降りた瞬間、
 視えた。

 まだ、生きている。

 だが、
 “事故の完成形”が
 重なって見える。

 ベランダ。
 手すり。
 踏み外す足。

 転落事故。



 「……間に合わない」

 天川が、
 絞り出すように言う。

 「まだだ」

 後藤は、
 自分に言い聞かせるように
 否定する。

 「まだ、生きてる」



 マンションの階段を、
 三人は駆け上がった。

 息が切れる。

 だが、
 音が大きすぎる。

 ――聞こえる。

 別の足音。

 上階。

 処理役だ。



 天川は、
 歯を食いしばった。

 見える。

 ドアが開く。
 驚く住人。
 「大丈夫ですよ」という声。

 事故は、
 暴力的ではない。

 親切な顔で始まる。



 「待て!」

 後藤が叫ぶ。

 だが、
 その声は、
 間に合わない。



 ――落ちた。

 鈍い音。

 骨が、
 コンクリートに叩きつけられる音。

 天川は、
 目を逸らさなかった。

 逸らしてはいけない。

 これは、
 選ばれた結果だ。



 遅れて、
 悲鳴。

 人が集まる。

 誰かが言う。

 「事故だ……」

 「手すり、
  古かったらしい」

 「最近、
  修理の話もあったとか」

 ――完璧だ。



 処理役の姿は、
 もうない。

 彼らは、
 仕事を終えた。



 天川は、
 立ち尽くしたまま、
 動けなかった。

 能力が、
 残酷なほど働く。

 事故処理書類。
 鑑定結果。
 結論。

 すべて、整う。



 後藤が、
 遺体の前に立つ。

 拳が、
 わずかに震えている。

 「……すまない」

 誰に向けた言葉か、
 分からない。



 斎藤が、
 声を絞る。

 「……俺たち、
  何もできなかったのか」

 天川は、
 答えられなかった。

 答えは、
 分かっている。

 できなかった。



 その夜。

 天川は、
 一人、部屋に戻った。

 灯りをつけない。

 天音の解析メモが、
 机の上に置かれている。

 彼女は、
 ここまで見ていた。

 それでも、
 救えなかった。



 天川は、
 初めて、
 能力を呪った。

 見えるだけでは、
 意味がない。

 警察でいるだけでは、
 足りない。



 携帯が鳴る。

 後藤だ。

 「……天川」

 「はい」

 「もう一度、
  聞く」

 間。

 「お前は、
  どこまで行ける」



 天川は、
 答えた。

 即答だった。

 「……選ばれない側に、
  回ります」

 後藤は、
 小さく息を吐いた。

 「……それが、
  地獄だぞ」

 「もう、
  地獄は見ました」



 電話が切れる。

 静寂。

 だが、
 何かが、
 確実に変わった。



 事故は、
 防げなかった。

 命も、
 救えなかった。

 だが――
 仕組みは、見えた。



 天川黎人は、
 この夜を境に、
 “刑事”ではなくなる。

 警察でも、
 民間でもない。

 選ばれる側を、
 外から壊す存在になる。



 事故は、
 人を殺す。

 だが、
 人が、
 事故を選んでいる限り――

 それは、
 殺人だ。
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