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第九章
第一部 駄菓子屋の裏で回っているもの
しおりを挟む駄菓子屋は、今日も静かだった。
午後三時。
学校帰りの子どもたちが数人、店先で小銭を数えている。
ラムネ瓶の音。
床を引きずる椅子の脚。
それだけを見れば、
ここが“捜査拠点”だと気づく者はいない。
二階、探偵事務所。
天川黎人は、床に置かれた資料を前に、息を詰めていた。
写真。
防犯カメラの切り出し。
事故現場の見取り図。
「……ここ、ですね」
天川の指が止まる。
天音玲奈が、即座に反応した。
「やっぱり?」
「はい。
この映像の、三秒前」
天川は、画面を指差さない。
指差す必要がない。
――見えている。
事故が起きる直前。
横断歩道に足を踏み出す男。
青信号。
速度を落とさない車。
だが、“見える”のは、そこではなかった。
運転席の男の視界。
一瞬の躊躇。
踏み込まれなかったブレーキ。
「……考えてる」
天川は、低く言った。
「この人、迷ってる。
突っ込むか、止まるか」
後藤理沙が、眉をひそめる。
「事故、なんだよね?」
「事故です。
でも――」
天川は言葉を選ぶ。
「起こしていい事故かどうかを、誰かが判断してる」
室内が、静まり返る。
これが、探偵事務所の“仕事”だった。
警察が扱わない。
事件にならない。
だが、人が死ぬ可能性がある。
天川の能力は、ここで初めて、
予知ではなく“抑止”として使われていた。
「ちよばあちゃんに、伝える」
玲奈が立ち上がる。
一階。
畳の上で、ちよばあちゃんは相変わらず動かない。
「信号の事故だって?」
「ええ。
でも、起きる前に止められる」
ちよばあちゃんは、ふっと鼻で笑った。
「やっぱりね」
「……やっぱり?」
「最近、増えてるんだよ。
“ギリギリの事故”」
指を一本、立てる。
「起きても不自然じゃない。
起きなくても問題にならない」
それが、
誰かの判断で揺れている。
「昔と同じ匂いがする」
その言葉に、天川の胸がざわついた。
――昔。
ちよばあちゃんが、何をしていたのか。
天川は、すでに深くは聞かない。
ただ、知っている。
この人は、
事故を“作る側”にいた。
「止めな」
ちよばあちゃんは、迷いなく言った。
「まだ、間に合う」
天川は、現場に向かった。
警察ではない。
公的な権限もない。
ただの“元警察”。
今は、探偵。
信号が変わる。
男が歩き出す。
車が来る。
天川は、道路に踏み出した。
「すみません!」
肩を掴む。
強く、引く。
クラクション。
風圧。
車は、ぎりぎりで止まった。
事故は、起きなかった。
――防げた。
その瞬間、
天川は理解した。
自分は、
初めて“救った”のだ。
だが同時に、
視えてしまった。
遠く。
もっと遠く。
誰かが、
この“未遂”を見ている。
天川黎人という存在を。
駄菓子屋に戻ると、
ちよばあちゃんが言った。
「覚えられたよ」
「……誰に」
「闇にさ」
穏やかな声。
「でもね、黎人」
少しだけ、声が低くなる。
「今までは、
事故が人を消してた」
畳に影が落ちる。
「これからは――
あんたが邪魔になる」
駄菓子屋は、変わらず静かだった。
だがその裏で、
歯車は確実に回り始めていた。
天川黎人を、中心にして。
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