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第九章
第六部 戦争だよ
しおりを挟む朝は、静かだった。
音も、人の動きも、
いつもと変わらない。
だからこそ、
天川黎人は、違和感を覚えた。
「……静かすぎる」
二階の事務所。
窓から見下ろす通学路。
子どもたちが歩き、
車が減速し、
横断歩道で止まる。
すべてが、正しい。
正しすぎた。
視える未来は、一本。
事故は起きない。
――ここでは。
天川は、目を閉じる。
意識を、街全体へ広げた。
以前なら、
見えすぎて壊れていた感覚。
今は、違う。
線だけを、追う。
正しい線。
歪んだ線。
一本、
不自然に細い線があった。
「……あっちだ」
事務所を飛び出す。
現場は、古い歩道橋だった。
工事中でもない。
老朽化も、記録上は問題なし。
だが。
天川の視界では、
崩れる未来だけが残っていた。
落下。
打撲。
即死。
被害者は、
五十代の男性。
名も知らない、
ただの通行人。
「間に合う……!」
天川は走る。
階段を駆け上がり、
男の腕を掴む。
「危ないです!
ここ、渡らないで!」
男は、驚いた顔で振り向いた。
「え?
でも、信号――」
その瞬間。
バキリと、音がした。
踏板ではない。
支柱。
見えない位置で、
ボルトが一本、抜けている。
男を突き飛ばす。
次の瞬間。
歩道橋の一部が、
崩れ落ちた。
――救えた。
男は、無事だった。
未来の線が、
書き換わった。
だが。
天川は、
膝をついた。
「……一つ、だけ?」
嫌な予感が、
背中を這い上がる。
事務所に戻ると、
空気が違った。
重い。
音が、ない。
「……理沙?」
返事がない。
奥の部屋。
玲奈が、
モニターの前で固まっていた。
「……遅かった」
画面には、
ニュース速報。
【住宅街で死亡事故】
【自転車の中学生、トラックと接触】
天川の視界が、
白くなる。
「……俺は、
止めたはずだ」
玲奈が、震える声で言う。
「だからよ」
画面を指す。
「場所が、違う」
事故現場は、
さっきの歩道橋から、
直線距離で二キロ。
時間は、
ほぼ同時刻。
「……分散させた」
天川は、理解した。
敵は、
同時に複数の事故線を走らせていた。
一つを止めれば、
別が起きる。
未然防止を、
試している。
玲奈が、歯を食いしばる。
「これは、
警告よ」
「……ああ」
天川は、画面を見つめる。
亡くなったのは、
名前も知らない少年。
偶然、そこにいただけの存在。
だが。
事故の構造は、
完全に設計されていた。
「俺に、
見せつけてる」
――救えない命も、ある。
そう言っている。
夜。
ちよばあちゃんの駄菓子屋。
いつもの畳。
いつもの湯飲み。
「……あんた、
顔が戦争だね」
天川は、
ゆっくり頭を下げた。
「……止められませんでした」
千代子は、黙っていた。
しばらくして、
ぽつりと言う。
「それで、
初めて“向こう”は確信した」
「……何を、ですか」
「あんたが、
敵だってこと」
湯飲みを置く。
「未然防止はね、
人を救う力じゃない」
天川は、顔を上げる。
「秩序を、壊す力さ」
千代子の目は、
遠い過去を見ていた。
「事故ってのは、
便利なんだよ」
「責任が、曖昧になる。
正義が、黙る」
そして。
「それを壊そうとする者は、
必ず“排除対象”になる」
天川は、
拳を握った。
「……それでも」
声が、低くなる。
「俺は、
やめません」
千代子は、
ふっと笑った。
「だろうね」
そして、
決定的な一言を放つ。
「これはもう、
事件じゃない」
間を置いて。
「戦争だよ」
その夜。
天川は、
新しい未来を見ていた。
一本の線。
だが、
その先に、
大きな闇が口を開けている。
守れる命。
守れない命。
その選別を、
自分が背負う未来。
天川黎人は、
それを、受け入れた。
正義のためではない。
罪を減らすためでもない。
ただ。
これ以上、
“誰かの都合で壊される日常”を
見過ごさないために。
戦争は、
静かに始まっていた。
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