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第十章
第二部 均されたはずの誤差
しおりを挟む最初に気づいたのは、
違和感のなさだった。
玲奈が画面を見つめたまま、
低く言う。
「……何も、起きてない」
それは、
この街では異常だった。
未然防止を始めてから、
必ずどこかで小さな歪みが生じる。
事故寸前の減速。
信号のズレ。
人の判断ミス。
それらが、
一切、ない。
「均されてる」
天川は、
そう口にした。
「事故が起きないように、
じゃない」
理沙が、視線を向ける。
「起きる前に、
“余計な未来”を消してる」
天川の視界には、
未来の線が見えなかった。
だが、
代わりに見えるものがある。
修正痕。
まるで、
下書きを消しゴムで消したような、
不自然な空白。
「……やりすぎだ」
天川は、
背筋に寒気を覚えた。
「これじゃ、
街そのものが実験場だ」
その日の午後。
一本の電話が入った。
ちよばあちゃんの駄菓子屋に、
直接。
「……生きてる?」
千代子が、
受話器を耳に当てたまま、
目を細める。
「ほう」
数秒、沈黙。
「名前を名乗らない電話ってのは、
大抵、面倒事だ」
通話を切る。
天川を見る。
「“事故を免れた男”がいる」
「……免れた?」
「三日前、
本来なら死んでた」
場所。
時間。
構造。
すべてが、
完璧な事故設計。
だが、
結果は――生存。
「向こうのミス?」
「いいや」
千代子は、
首を振った。
「誤差だ」
男は、
古い倉庫街の一角にいた。
四十代後半。
無精髭。
目が、落ち着かない。
「……あんたたち、
何者だ」
天川は、
答えなかった。
代わりに、
男の背後を見る。
事故の線が、
途中で折れている。
不自然に。
「本当は、
死ぬ予定だった」
天川が、
静かに言う。
男の顔色が、
一瞬で変わった。
「……誰に聞いた」
「聞いてない」
「視えた」
沈黙。
男は、
笑った。
乾いた笑い。
「はは……
やっぱり、
そういう人間もいるんだな」
理沙が、
一歩前に出る。
「あなたは、
何を知ってる」
男は、
視線を逸らした。
「……俺は、
下請けだ」
「事故の?」
「事後処理の」
その言葉に、
空気が凍る。
「書類を整える。
証言を揃える。
“偶然”を完成させる」
男の声は、
震えていた。
「でも今回は、
指示が来なかった」
「指示?」
「いつもなら、
事故の前に来る」
天川は、
理解した。
敵組織は、
事故を起こす前に、
後始末を先に用意している。
だが、今回は。
「……観測してたんだ」
男が、
顔を上げる。
「何を?」
「俺たちを」
帰り道。
天川は、
はっきりと感じていた。
視線。
街のどこかから、
測られている感覚。
能力が、
未来を映さない。
代わりに、
自分が映されている。
「……来るな」
思わず、
呟く。
だが、
それは願いだった。
事務所に戻ると、
玲奈が言った。
「ネットワークに、
小さな動きがある」
「どんな?」
「官でも民でもない。
でも、
両方のデータに触れてる」
天川は、
深く息を吸った。
「中枢だ」
ついに、
“事故を作る側”が、
人の形を取り始めた。
だが、
まだ名前はない。
ただ。
天川黎人という存在が、
均すべき誤差として、
正式に認識された。
その夜。
天川は、
初めて夢を見た。
事故のない街。
完璧に整えられた日常。
そこには――
自分が、存在していなかった。
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