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第十章
第五部 選ばれた未来、選ばれなかった命
しおりを挟む信号が、変わった。
青。
だが、
天川黎人の視界では、
それは死の合図だった。
トラックの速度。
ブレーキの反応。
歩行者の歩幅。
すべてが、
致死点へ向かって揃っていく。
――止められる。
だが同時に、
別の線が燃え上がる。
住宅街。
細い道。
自転車の少女。
運転席で、
スマートフォンに視線を落とす男。
そちらは、
今からでは間に合わない。
「……くそ……」
喉から、
声にならない音が漏れる。
イヤーピース越しに、
理沙の声が震える。
『黎人……
今なら、交差点は止められる』
玲奈の声が続く。
『でも、
住宅街は――』
言葉が、途切れる。
天川は、
自分の手を見た。
何人もの命を、
救ってきた手。
だが今は、
どちらかを切り捨てるための手だった。
「……違う」
歯を食いしばる。
「こんなの、
選択じゃない」
視線の先。
百メートル先。
スーツの男が、
微動だにせず立っている。
雑踏の中で、
彼だけが“静止”している。
まるで、
この世界の外側から
結果を確認しに来た観測者。
――選べ。
その無言の圧が、
胸を締め付ける。
天川は、
目を閉じた。
視界が、変わる。
未来ではない。
過去だ。
海。
暗い水。
必死に自分を押し出す、
両親の腕。
「生きろ」
声が、
今でも耳に残っている。
――選ばれたのは、
俺だった。
だから。
天川は、
目を開けた。
「……俺は」
声が、
低く、はっきりと出た。
「誰かを選ばない」
『黎人!?』
理沙の叫びが聞こえる。
だが、
天川は走り出していた。
交差点へ。
全力で。
トラックの前へ、
身を投げるように。
「止まれえええっ!!」
叫び。
周囲の視線。
トラックの運転手が、
驚愕に目を見開く。
急ブレーキ。
金属が、
悲鳴を上げる。
衝突は――
免れた。
歩行者が、
転びながらも助かる。
交差点は、
救われた。
だが。
その瞬間。
天川の視界に、
確定した一本の線が走る。
住宅街。
自転車。
少女。
避けられない。
「……っ!」
天川は、
その場に崩れ落ちた。
遠くで、
救急車のサイレンが鳴る。
交差点ではない。
別の場所。
イヤーピースから、
玲奈の声が、
嗚咽混じりに届く。
『……住宅街で……
事故……』
『中学生……
即死……』
言葉が、
耳に入らなかった。
世界が、
音を失う。
夜。
事務所。
誰も、
言葉を発しない。
理沙は、
拳を握りしめたまま、
机に伏している。
玲奈は、
モニターを見つめたまま動かない。
天川は、
椅子に座り、
虚空を見ていた。
「……俺が」
声が、
かすれる。
「俺が、
行かなければ」
千代子が、
ゆっくり首を振る。
「違う」
「行っても、
結果は変わらなかった」
天川は、
笑った。
自嘲。
「じゃあ、
何のための能力だ」
答えは、
誰も出せない。
そのとき。
一階の鈴が鳴った。
カラン。
静かな音。
スーツの男が、
そこにいた。
今度は、
隠れもしない。
「確認に来ました」
天川は、
ゆっくり立ち上がる。
「……何を」
「あなたの選択」
男は、
淡々と言う。
「交差点を救った。
住宅街は救えなかった」
「結果として、
死亡者は一名」
天川は、
睨みつける。
「……満足か」
男は、
少し考える仕草をした。
「いいえ」
「予想通りです」
その言葉が、
胸を刺す。
「あなたは、
我々と同じ選択をした」
「違う!」
天川が、
叫ぶ。
「俺は、
誰も選ばなかった!」
男は、
首をかしげる。
「それが、
一番残酷な選択です」
空気が、
凍る。
「選ばないという選択は、
最も多くを切り捨てる」
男は、
一歩、近づく。
「あなたは、
理想を選んだ」
「我々は、
結果を選ぶ」
そして。
「だから、
あなたは危険だ」
天川の目が、
揺れる。
「……次は」
男は、
背を向けた。
「あなたの近くで起きます」
鈴が鳴る。
男は、
消えた。
その夜。
天川は、
一人、屋上に立っていた。
街の灯りが、
遠く瞬く。
視界には、
無数の線。
だが、
一本も安心できない。
「……救えなかった」
それは、
事実だった。
能力があっても、
救えない命がある。
だが。
それでも。
天川は、
目を逸らさなかった。
「……それでも」
拳を、
強く握る。
「俺は、
見続ける」
選ばされるなら、
抗う。
均されるなら、
壊す。
天川黎人は、
この日、
完全に理解した。
敵は、
事故を作る組織ではない。
人が人を選別する思想そのものだ。
そして、
その思想は、
次に――
彼の仲間を狙っている。
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