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とある老騎士の追想
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同じ景色であっても、一度消えてしまったならば異なるものであろう。
おおいかこむ木々の緑の中、老騎士は一人想う。
すでに六十の齢を超え、深いしわを刻む顔。その目はぼんやりと中空を見つめていた。
大木に全身をあずけたまま、深い息を吐く。脇腹から流れる血はどうやら止まる様子もない。
老騎士の身体を受けとめる幹からただよう緑の香り。
それが老騎士の意識を幼い日へと誘っていった。
「かわいい迷い人ね」
はじめの言葉はそんなものだった。
幼いながらに息をのんだことを覚えている。
白銀の髪の下、見つめる碧い瞳。木々の隙間からさしこむ日の光をうっすらとうける肌は、すきとおるように白かった。
美しい。幼い日の老騎士は思った。まるでおとぎ話に語りきかされた美姫。
しかし異様でもあった。
なぜなら、美姫の身体は大木と一体となっていたのだ。
大木自体が彼女の身体——そう現すのが自然と思えた。腕もなく、あるのは胸から上の半身のみ。
「ここは魔女の森。立ち入ってはいけないと聞かされてはいなかった?」
語りかける声は優しかった。
思わず見惚れ——はっと我に返った少年は首を横にふった。
恐ろしい魔女のいる森。立ち入れば魔術の贄とされ、無残な姿とされてしまう。両親から聞かされて知っていた。
しかし、ほかの子供達が言いつけをまもる中、少年は好奇心を抑えることができなかった。
「あなたが魔女?」
不思議と恐ろしさはなかった。問いかける言葉もただ純粋な疑問からのもの。
「どうかしら? あなたにはどう見える?」
少年の問いに木の身体を持った美姫は答えない。逆に問いかえされた少年は答えにこまってしまう。
姿だけで言うならば、目の前の彼女はまさしく異形のもの。
しかし、警戒を知らぬ子供であったからか。少年には彼女が害あるものだとは思えなかった。
知らず近づこうとし、
「いけないわ」
その声に足を止めた。
「近づいてはいけない。あなたはまだ生きているのだから。こちらに来てはいけないわ」
その言葉の意味を少年は理解できなかった。
だが、そうしなければならないと素直に従っていた。
「ほらお帰りなさい。あなたがいるべきはこちらではないわ」
穏やかな声音に誘われるがまま、少年は気づけば村へと戻っていた。
どうやって帰ったのか——もしかすると、魔術であったのかもしれない。
この後、両親にはひどくしかられた。けして、森には立ちいってはならないと。
結果から言えば、その言いつけが守られることはなかった。
「いけないと言ったのに……悪い子ね」
再び現れた幼い姿にあきれながらも、森の美姫はけしてうとましさを見せはしなかった。
好奇心の塊であった幼い日の老騎士を、彼女は受けいれてくれた。
思い出す。彼女の語る言葉に夢中となったことを。
魔術の幻想。おとぎ話にはない神々の物語。
幼い子供の心をひきつけるには十二分にすぎるものであった。
そして、彼女の語り口もまるで目前にしてきたのかのよう。渡り歩く吟遊詩人も聞き惚れずにはいられなかっただろう。
何度も少年は彼女の元を訪れ、彼女も小さな客を前に喜んで物語を聞かせてくれた。
しかし、けして近づくことだけは許されない。演劇の舞台と客席をへだてる合間のように、彼女は自らのそばに近よらぬことを条件に少年が訪れるのを受け入れたのだ。
理由はわからない。何者であるか語らぬ彼女の口は自身の出自などを告げることはけしてなかった。
だが、少年は彼女の言いつけに素直に従った。好奇心はあったが、彼女との時間がなくなってしまうほうが嫌であったから。
そうしていくつもの物語を聞かせてくれた。
しかし、幻想のようなやさしい時間は唐突に終わりを迎える。
みずみずしい緑が紅く染め上げられていた。
ごうごうと燃えさかる炎が、故郷の村を、彼女の森を飲み込んでいく。
すでに遠い過去であるはずなのに、老騎士はその光景を鮮明に思いだせてしまう。
戦であった。
隣国からの侵攻が故郷の地を飲み込んでいった。
あっけない。昨日までのどかな村であったはずの場所は、なだれこむ兵達によって 無惨に荒地へと変えられる。
隣人も、両親も、みな殺された。少年はただ必死に逃げていた。
逃げ、そして燃えさかる森の奥にいるはずの彼女の元へ。幼い心には彼女を助けなければという想いだけがあった。
しかし、噴きあがる炎は悪魔のように荒れくるい、少年の行手を阻む。
助けなければ。助けなければ。
「いけない。まだこちらに来ては」
気づいた時、少年は荒れはてた地面の上でねむっていた。
周囲には黒い灰となったかつての木々達の成れの果て。
攻め入っていた兵達の姿もなく、なぜ自分が眠り、無事であったのかも少年にはわからない。
しかし、なぜだか、彼女が助けてくれたという確信はあった。
同時に、己への無力感、後悔が少年の全身をおおいつつんだ。
それから、どこへ行けばいいかもわからず、さまよっていたところを運良く自国の軍にひろわれた。
侵略してきた隣国の軍勢はなんとか押し戻したと聞かされた。
しかし、少年の心に根づいた喪失感が晴れることはない。
この頃からであったろうか。いまだ忘れぬ彼女が自らに向けていた表情。それがどんなものだったか思い出すことができなくなっていた。
そこからは思えばあっという間であった。
少年の身の上を憐れんだ兵の一人が養子として迎えいれてくれた。
少年は養父に剣の教えを請うた。復讐のためではない。ただ、なにもできなかった己を許せなかったからだ。
そして、少年が青年となった頃、養父である兵と同じく軍に志願する。
養父の剣の教え、なにより森で語りきいた知識が青年を助けてくれた。
気づけば部隊の長となり、一軍の長ともなっていた。
育て鍛えてくれた養父の誇りであれるように努め、なにより失われた故郷への想いが青年の力となっていたのかもしれない。
平民の出でありながら、騎士の位をいただくまでにもなった。
青年はただ失ったものに恥じぬ生き方をしたかっただけなのだ。
自らを律し、みなを守る盾であり続ければ、思いだすことのできぬ彼女の顔を取りもどせるのではないか。
いくつもの年を重ねても、その想いはけして消えはしない。
しかし、ついぞ記憶の中の顔にかかったもやは晴れてはくれなかった。
だからこそか、老境を迎える年になっても妻をめとったことはない。関係は持てども生涯を誓うことはできなかった。
そのことに関して養父が攻めることはなかったが、申し訳なく思っている。
戦いぬいた。民の盾として。安寧を守るため。
しかし、けして彼女の表情を思いだすことはできなかった。
そうして六十の年月を重ねた時、老騎士はふと故郷であった場所に帰ることを決めた。
すでに老兵。次代をになう若者が育ったこともあり、自分の居場所はすでにないと悟ってもいた。
暇を願い、軍をしりぞく意思を伝えた時、かつての戦友である国王が止めることはなかった。
止めても無意味であることをわかってくれていたのだろう。
食料と水、馬を一頭。旅の邪魔とならないかるい革の鎧。それに剣を一振り。
それだけを持ち、長く暮らした土地を後にした。
幸い、質素な暮らしをしていたこともあり、処分するものに困ることもなかった。
暮らしていた家は世話役の夫婦にゆずりわたした。年老いた養父の世話もかいがいしくしてくれた彼らに老騎士は深く感謝をしている。思えば彼らが子供のようでもあったかもしれない。
いずれ生まれるであろう彼らの子とともに幸福であってくれればと願う。
彼らにはせめて子が生まれるまでは、と引き止められたが老騎士は首を縦にふることはなかった。
生まれた子を見てしまえば、決意がにぶってしまう。
それがわかっていたからこそ、それまでの礼を告げ、血はつながらぬ家族に別れを告げた。
遠い幼い日の道を巻きもどすように、老騎士は故郷であった土地を目指した。
隣国との長きにわたる争いがようやく終わりをつげてから数年。
復興はすすんでいるとはいえ、いまだ手の届かぬ土地もある。それは老騎士の故郷であった場所も例外ではない。
隣国にちかい場所でもあったそこにかつての生まれ育った村の面影はない。
しかし、朽ち果てているわけでもなかった。長い時間は荒れた村をひとつの森へと変えていた。
みずみずしい緑が視界一面に広がり、どこが自分の家であったのかも老騎士にはわからない。
まるで思い出のあの森にすべて変わってしまったかのような。そんな錯覚をもおぼえる光景であった。
もしかすると荒れた土地を彼女が長い時をかけて癒してくれたのだろうか。
そんな感傷にもにた想いを老騎士はつい抱いてしまった。
その時であった。
突然、襲いくる一団があった。
手には剣を、ナイフを、思い思いの獲物を手にした数人の襲撃者。
服装から兵士ではない。野党の類であった。
森に迷いこんだ老人。馬をかる姿に金の匂いをかぎとりでもしたのか。
言葉をかわすつもりなど鼻からなく、老騎士を亡き者にし、その身ぐるみを剥がす算段である。
老騎士は即座に察し、どうしたものかと考えてしまった。
襲撃者はみな年若い少年や少女——子供達であった。
おそらくは戦火によって親や家を失った者達。それが生きるため野盗に身をやつしている。
老騎士は腰にさげていた剣を子供達の前に放りなげた。
突然の行動に子供達は驚きと不審を隠せない。
「ほしいのならばゆずろう。街で売れば、それなりの値で買い取ってくれるはずだ」
剣だけでなく馬も持っていけと告げる老騎士に視線をかわしあう子供達。おそらくは無抵抗で、しかも自らの持ち物を差しだす相手など初めてであったのだろう。
「私はこの森の奥に行きたいだけなのだ。故郷であった場所に。だから、どうか見逃してはくれないだろうか?」
老騎士の言葉に子供達は困惑する。
「だめだ。逃せば助けを呼ぶ。俺達をつかまえようと兵士を呼ぶつもりだろう」
声をあげたのは一団の中でも一番年長に見える少年であった。子供達のまとめ役なのであろう。
かまえた剣の切先を丸腰の老騎士に向け、するどい視線で警戒をとこうとはしない。
「そんなことはしない」
「うそをつけ。大人はみな嘘つきだ」
困った。どうやら彼らがこれまで出会った人々はけして善良な者達ではなかったらしい。
まとめ役らしき少年の言葉に困惑からたちなおった他の子供達も、けわしい表情で老騎士を威嚇する。
ふと、老騎士は思った。
これが——最後の役目なのかもしれない。
「ならば私の腹を刺せ。抵抗はしない。それで私の言葉が嘘でない証としよう」
その言葉に子供達が再び困惑する。
老騎士は自らに剣を向けつづける少年をじっとみすえていた。
少年は一瞬、困惑を浮かべはしたがすぐさま警戒をとりもどす。
変わらず剣を向けたまま、老騎士の言葉をおしはかるように眉をよせていた。
静寂だけが続く。
そして、
「うああぁああ!」
少年の叫びがあがり、老騎士の腹に熱い痛みがひろがった。
「……なぜ?」
驚きと困惑。呆然とした声に老騎士は、
「嘘でない証とすると言ったはずだ」
静かに答えた。
「うしろめたく思う必要はない。これは儀式のようなものだ。ほらはやく行け。馬と剣を売れば、しばらく困ることはないだろう。そして、野盗のマネは終わりとしろ」
しばしの静寂の後、子供達は去っていった。
一人残され、老騎士は深くため息をつきながら、森の奥へと歩みを進めていく。
しばらく進み、変わらぬ木々の景色の中、一際おおきな大木へとたどりついた。
老騎士はその幹へと身体をよりかからせる。
彼女のいた木はもっとおおきいものであった。やはり一度失われてしまったものを取り戻すことなどできない。
だが、鼻をくすぐる緑の香りはかつての幼い日を思い出させる。
流れる血は止まらない。
なぜあのようなことをしたのかわからない。
我ながら無責任な終わらせ方であった。
老騎士は自分に呆れながらも、これで良いと納得もしていた。
そして、思えば、悪くない人生でもあった、と。
——困った子。
それは幻聴だろうか。
しかし、かすみはじめる視界の中に、彼女の姿を見た気がした。
その顔はいつかの日のように美しく、そして優しい微笑みを浮かべていた。
「……あぁ、そのような顔であった」
照らす木漏れ日のようにやわらかな表情。
ようやく会えた。
ゆっくりと瞼を閉じた老騎士の顔は、満足げであった。
おおいかこむ木々の緑の中、老騎士は一人想う。
すでに六十の齢を超え、深いしわを刻む顔。その目はぼんやりと中空を見つめていた。
大木に全身をあずけたまま、深い息を吐く。脇腹から流れる血はどうやら止まる様子もない。
老騎士の身体を受けとめる幹からただよう緑の香り。
それが老騎士の意識を幼い日へと誘っていった。
「かわいい迷い人ね」
はじめの言葉はそんなものだった。
幼いながらに息をのんだことを覚えている。
白銀の髪の下、見つめる碧い瞳。木々の隙間からさしこむ日の光をうっすらとうける肌は、すきとおるように白かった。
美しい。幼い日の老騎士は思った。まるでおとぎ話に語りきかされた美姫。
しかし異様でもあった。
なぜなら、美姫の身体は大木と一体となっていたのだ。
大木自体が彼女の身体——そう現すのが自然と思えた。腕もなく、あるのは胸から上の半身のみ。
「ここは魔女の森。立ち入ってはいけないと聞かされてはいなかった?」
語りかける声は優しかった。
思わず見惚れ——はっと我に返った少年は首を横にふった。
恐ろしい魔女のいる森。立ち入れば魔術の贄とされ、無残な姿とされてしまう。両親から聞かされて知っていた。
しかし、ほかの子供達が言いつけをまもる中、少年は好奇心を抑えることができなかった。
「あなたが魔女?」
不思議と恐ろしさはなかった。問いかける言葉もただ純粋な疑問からのもの。
「どうかしら? あなたにはどう見える?」
少年の問いに木の身体を持った美姫は答えない。逆に問いかえされた少年は答えにこまってしまう。
姿だけで言うならば、目の前の彼女はまさしく異形のもの。
しかし、警戒を知らぬ子供であったからか。少年には彼女が害あるものだとは思えなかった。
知らず近づこうとし、
「いけないわ」
その声に足を止めた。
「近づいてはいけない。あなたはまだ生きているのだから。こちらに来てはいけないわ」
その言葉の意味を少年は理解できなかった。
だが、そうしなければならないと素直に従っていた。
「ほらお帰りなさい。あなたがいるべきはこちらではないわ」
穏やかな声音に誘われるがまま、少年は気づけば村へと戻っていた。
どうやって帰ったのか——もしかすると、魔術であったのかもしれない。
この後、両親にはひどくしかられた。けして、森には立ちいってはならないと。
結果から言えば、その言いつけが守られることはなかった。
「いけないと言ったのに……悪い子ね」
再び現れた幼い姿にあきれながらも、森の美姫はけしてうとましさを見せはしなかった。
好奇心の塊であった幼い日の老騎士を、彼女は受けいれてくれた。
思い出す。彼女の語る言葉に夢中となったことを。
魔術の幻想。おとぎ話にはない神々の物語。
幼い子供の心をひきつけるには十二分にすぎるものであった。
そして、彼女の語り口もまるで目前にしてきたのかのよう。渡り歩く吟遊詩人も聞き惚れずにはいられなかっただろう。
何度も少年は彼女の元を訪れ、彼女も小さな客を前に喜んで物語を聞かせてくれた。
しかし、けして近づくことだけは許されない。演劇の舞台と客席をへだてる合間のように、彼女は自らのそばに近よらぬことを条件に少年が訪れるのを受け入れたのだ。
理由はわからない。何者であるか語らぬ彼女の口は自身の出自などを告げることはけしてなかった。
だが、少年は彼女の言いつけに素直に従った。好奇心はあったが、彼女との時間がなくなってしまうほうが嫌であったから。
そうしていくつもの物語を聞かせてくれた。
しかし、幻想のようなやさしい時間は唐突に終わりを迎える。
みずみずしい緑が紅く染め上げられていた。
ごうごうと燃えさかる炎が、故郷の村を、彼女の森を飲み込んでいく。
すでに遠い過去であるはずなのに、老騎士はその光景を鮮明に思いだせてしまう。
戦であった。
隣国からの侵攻が故郷の地を飲み込んでいった。
あっけない。昨日までのどかな村であったはずの場所は、なだれこむ兵達によって 無惨に荒地へと変えられる。
隣人も、両親も、みな殺された。少年はただ必死に逃げていた。
逃げ、そして燃えさかる森の奥にいるはずの彼女の元へ。幼い心には彼女を助けなければという想いだけがあった。
しかし、噴きあがる炎は悪魔のように荒れくるい、少年の行手を阻む。
助けなければ。助けなければ。
「いけない。まだこちらに来ては」
気づいた時、少年は荒れはてた地面の上でねむっていた。
周囲には黒い灰となったかつての木々達の成れの果て。
攻め入っていた兵達の姿もなく、なぜ自分が眠り、無事であったのかも少年にはわからない。
しかし、なぜだか、彼女が助けてくれたという確信はあった。
同時に、己への無力感、後悔が少年の全身をおおいつつんだ。
それから、どこへ行けばいいかもわからず、さまよっていたところを運良く自国の軍にひろわれた。
侵略してきた隣国の軍勢はなんとか押し戻したと聞かされた。
しかし、少年の心に根づいた喪失感が晴れることはない。
この頃からであったろうか。いまだ忘れぬ彼女が自らに向けていた表情。それがどんなものだったか思い出すことができなくなっていた。
そこからは思えばあっという間であった。
少年の身の上を憐れんだ兵の一人が養子として迎えいれてくれた。
少年は養父に剣の教えを請うた。復讐のためではない。ただ、なにもできなかった己を許せなかったからだ。
そして、少年が青年となった頃、養父である兵と同じく軍に志願する。
養父の剣の教え、なにより森で語りきいた知識が青年を助けてくれた。
気づけば部隊の長となり、一軍の長ともなっていた。
育て鍛えてくれた養父の誇りであれるように努め、なにより失われた故郷への想いが青年の力となっていたのかもしれない。
平民の出でありながら、騎士の位をいただくまでにもなった。
青年はただ失ったものに恥じぬ生き方をしたかっただけなのだ。
自らを律し、みなを守る盾であり続ければ、思いだすことのできぬ彼女の顔を取りもどせるのではないか。
いくつもの年を重ねても、その想いはけして消えはしない。
しかし、ついぞ記憶の中の顔にかかったもやは晴れてはくれなかった。
だからこそか、老境を迎える年になっても妻をめとったことはない。関係は持てども生涯を誓うことはできなかった。
そのことに関して養父が攻めることはなかったが、申し訳なく思っている。
戦いぬいた。民の盾として。安寧を守るため。
しかし、けして彼女の表情を思いだすことはできなかった。
そうして六十の年月を重ねた時、老騎士はふと故郷であった場所に帰ることを決めた。
すでに老兵。次代をになう若者が育ったこともあり、自分の居場所はすでにないと悟ってもいた。
暇を願い、軍をしりぞく意思を伝えた時、かつての戦友である国王が止めることはなかった。
止めても無意味であることをわかってくれていたのだろう。
食料と水、馬を一頭。旅の邪魔とならないかるい革の鎧。それに剣を一振り。
それだけを持ち、長く暮らした土地を後にした。
幸い、質素な暮らしをしていたこともあり、処分するものに困ることもなかった。
暮らしていた家は世話役の夫婦にゆずりわたした。年老いた養父の世話もかいがいしくしてくれた彼らに老騎士は深く感謝をしている。思えば彼らが子供のようでもあったかもしれない。
いずれ生まれるであろう彼らの子とともに幸福であってくれればと願う。
彼らにはせめて子が生まれるまでは、と引き止められたが老騎士は首を縦にふることはなかった。
生まれた子を見てしまえば、決意がにぶってしまう。
それがわかっていたからこそ、それまでの礼を告げ、血はつながらぬ家族に別れを告げた。
遠い幼い日の道を巻きもどすように、老騎士は故郷であった土地を目指した。
隣国との長きにわたる争いがようやく終わりをつげてから数年。
復興はすすんでいるとはいえ、いまだ手の届かぬ土地もある。それは老騎士の故郷であった場所も例外ではない。
隣国にちかい場所でもあったそこにかつての生まれ育った村の面影はない。
しかし、朽ち果てているわけでもなかった。長い時間は荒れた村をひとつの森へと変えていた。
みずみずしい緑が視界一面に広がり、どこが自分の家であったのかも老騎士にはわからない。
まるで思い出のあの森にすべて変わってしまったかのような。そんな錯覚をもおぼえる光景であった。
もしかすると荒れた土地を彼女が長い時をかけて癒してくれたのだろうか。
そんな感傷にもにた想いを老騎士はつい抱いてしまった。
その時であった。
突然、襲いくる一団があった。
手には剣を、ナイフを、思い思いの獲物を手にした数人の襲撃者。
服装から兵士ではない。野党の類であった。
森に迷いこんだ老人。馬をかる姿に金の匂いをかぎとりでもしたのか。
言葉をかわすつもりなど鼻からなく、老騎士を亡き者にし、その身ぐるみを剥がす算段である。
老騎士は即座に察し、どうしたものかと考えてしまった。
襲撃者はみな年若い少年や少女——子供達であった。
おそらくは戦火によって親や家を失った者達。それが生きるため野盗に身をやつしている。
老騎士は腰にさげていた剣を子供達の前に放りなげた。
突然の行動に子供達は驚きと不審を隠せない。
「ほしいのならばゆずろう。街で売れば、それなりの値で買い取ってくれるはずだ」
剣だけでなく馬も持っていけと告げる老騎士に視線をかわしあう子供達。おそらくは無抵抗で、しかも自らの持ち物を差しだす相手など初めてであったのだろう。
「私はこの森の奥に行きたいだけなのだ。故郷であった場所に。だから、どうか見逃してはくれないだろうか?」
老騎士の言葉に子供達は困惑する。
「だめだ。逃せば助けを呼ぶ。俺達をつかまえようと兵士を呼ぶつもりだろう」
声をあげたのは一団の中でも一番年長に見える少年であった。子供達のまとめ役なのであろう。
かまえた剣の切先を丸腰の老騎士に向け、するどい視線で警戒をとこうとはしない。
「そんなことはしない」
「うそをつけ。大人はみな嘘つきだ」
困った。どうやら彼らがこれまで出会った人々はけして善良な者達ではなかったらしい。
まとめ役らしき少年の言葉に困惑からたちなおった他の子供達も、けわしい表情で老騎士を威嚇する。
ふと、老騎士は思った。
これが——最後の役目なのかもしれない。
「ならば私の腹を刺せ。抵抗はしない。それで私の言葉が嘘でない証としよう」
その言葉に子供達が再び困惑する。
老騎士は自らに剣を向けつづける少年をじっとみすえていた。
少年は一瞬、困惑を浮かべはしたがすぐさま警戒をとりもどす。
変わらず剣を向けたまま、老騎士の言葉をおしはかるように眉をよせていた。
静寂だけが続く。
そして、
「うああぁああ!」
少年の叫びがあがり、老騎士の腹に熱い痛みがひろがった。
「……なぜ?」
驚きと困惑。呆然とした声に老騎士は、
「嘘でない証とすると言ったはずだ」
静かに答えた。
「うしろめたく思う必要はない。これは儀式のようなものだ。ほらはやく行け。馬と剣を売れば、しばらく困ることはないだろう。そして、野盗のマネは終わりとしろ」
しばしの静寂の後、子供達は去っていった。
一人残され、老騎士は深くため息をつきながら、森の奥へと歩みを進めていく。
しばらく進み、変わらぬ木々の景色の中、一際おおきな大木へとたどりついた。
老騎士はその幹へと身体をよりかからせる。
彼女のいた木はもっとおおきいものであった。やはり一度失われてしまったものを取り戻すことなどできない。
だが、鼻をくすぐる緑の香りはかつての幼い日を思い出させる。
流れる血は止まらない。
なぜあのようなことをしたのかわからない。
我ながら無責任な終わらせ方であった。
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そして、思えば、悪くない人生でもあった、と。
——困った子。
それは幻聴だろうか。
しかし、かすみはじめる視界の中に、彼女の姿を見た気がした。
その顔はいつかの日のように美しく、そして優しい微笑みを浮かべていた。
「……あぁ、そのような顔であった」
照らす木漏れ日のようにやわらかな表情。
ようやく会えた。
ゆっくりと瞼を閉じた老騎士の顔は、満足げであった。
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