ハルヲンテイムへようこそ

坂門

文字の大きさ
75 / 180
壁の向こう

不安と一緒に厚い壁の中へと

しおりを挟む
 ハルさんが【スミテマアルバレギオ】の冒険クエストに出発して行きました。大量の荷物を積んだ馬車で最北の拠点を今回は目指すとの事です。
 
 北に行けば行くほど過酷だと、この間教えて貰ったばかりです。冒険クエストの内容が過酷なものになっていくのは仕方の無い事とはいえ、不安は募るばかり。
 私に出来るのはいつもと同じ、みんなと協力してこのお店を守る事。いつもにも増して真剣な表情を見せて馬車に揺られて行く姿。その姿を見送り、いつものようにただただその背中に無事を祈るだけでした。

◇◇◇◇

 それはハルさんが出発した翌日の事でした————
 
 裏口の扉が乱暴に開き、飛び込んで来たのはギルド観察員のモーラさん。冷静なモーラさんには珍しく、少し慌てた様子を見せていました。いつもにも増して厳しい表情で睨みを利かせている姿に私は手を止め、急いで駆け寄ります。何か良くない事が起きているのは、モーラさんの焦燥ぶりから伝わって来ました。

「緊急事態だ。ハルは?」
「只今、ハルさんは不在です」
「チッ、アウロを呼べ。至急だ」
「は、はい」

 私はモーラさんの勢いに押され受付へと駆け出します。何事か起きているのは、やはり間違い無さそうでした。私でも分かるイヤな予感。鈍い私の勘も今回は当たってしまいそうです。

「アウロさん、ここ代わります。裏にモーラさんが緊急の用件でいらっしゃっています」
「緊急? 分かった。ここ頼むね」

 私の耳打ちにアウロさんは裏へと急ぎ、私は調教テイム動物モンスターの貸し出し業務を引き継ぎました。
 
 アウロさんはすぐに戻ってくると、モモさんに何か耳打ちしています。
 私は横目でその様子を眺めながら接客を続けました。気になるのは仕方の無い事ですよ。モモさんの表情は見る見るうちに険しくなって行き、席を立ちました。あんなに険しい表情を見せるモモさんは珍しいです。

「エレナ」

 接客の終わった私は裏へと呼ばれました。アウロさんの表情も優れません。その様子から良く無い事が起きているのがありありと伝わりました。

「詳しい事は馬車で説明するから、ちょっとメモしてちょうだい。大量の注射器シリンジ、大型用、小型用共に。点滴瓶と点滴台も出来るだけ。それに合わせた薬も大量に。あ、それに酒精アルコールとウエス、これも大量に。急いで」
「は、はい。ど、どうしたのですか?」
「説明はあとよ」
「はい」

 私は言われた通り、荷台に積んで行きます。モモさんもエプロンやゴーグル、手袋など素早い手つきで積んでいました。アウロさんは物品のチェックを急ぎます。ふたりからは冷静ながらも、やはり何か焦りを感じます。すでに姿の見えないモーラさんも、動き始めているという事でしょうか。落ち着きの無い空気が否が応でも漂い始めます。

「エレナ、化膿止めをもっと。モモ、手袋の在庫無い? あればもっと持ってきて」
「はい」

 理由わけは分かりませんが、切迫した空気が私に緊張を纏わせます。何をそこまで急いでいるのか分からないまま、焦燥感だけが襲います。無意識に足は忙しなく動き、呼吸は乱れて行きました。


「ふたりとも乗って」

 御者台から声を掛けられ、私達は荷台へと乗り込みました。モモさんの表情は相変わらず厳しいまま。手綱を握るアウロさんもそれは同じでした。

「これをつけておきなさい」

 差し出されたエプロンをつけていきます。モモさんも同じようにエプロンを身に付けると、緊張がひとつ上がるのが分かりました。

「あの⋯⋯どちらに向かっているのですか?」
「説明がまだだったね。モーラさんから【ハルヲンテイム】に緊急の招集がかかったんだよ。場所は【ライザテイム】の飼育区間のひとつ。端的に言うと【ライザテイム】が飛んでしまった」

 アウロさんの厳しい口調。何か良くない事が起きている事は伝わってきました。

「飛んだ??」

 私が首を傾げて見せると、モモさんが厳しい表情のまま答えてくれました。

「飼育放棄して逃げ出しちゃったって事」
「え?? どうしてですか? 残された仔達は??」

 モモさんの言葉に私は驚いて矢継ぎ早に問いただしますが、ふたりが答えを持っているはずはありません。モモさんは黙ったまま、静かに首を横に振って見せました。
 アウロさんは前を向いたまま続けます。

「その残された仔達を助けに行くんだ。時間がどれだけ経ってしまっているのか分からない、早ければ救えるし、もし相当な時間が経ってしまっていたら⋯⋯」
「⋯⋯いたら?」
「全滅もあり得る」
「そんな⋯⋯人の都合で⋯⋯何でそうなる前に何とかしなかったのですか?!」
「まだ、そうだと決まったわけじゃないよ。普通は潰れる前に、近隣の調教店テイムショップに助けを求めるのだけど⋯⋯それが出来ない何かがあったのかな」

 私は押し黙ってしまいました。やり切れない思いが拭えません。

「でも、飛んでしまったというギルドからの要請でしょう。時間は結構経ってしまっていると考えた方が無難よね。現場はかなりマズイ事になっていそう。それなりに覚悟をしておいた方がいいわ」
「うん、そうだね。【ライザテイム】といえば大手のひとつ。個体数もかなりのもの。気乗りは正直しないけど、何とかしてあげないと」

 溜め息まじりのふたりの言葉が、楽観出来ない事を示唆していました。


 街中から外れ、林道を奥へ奥へと進みます。沈黙が続く車内の空気は重く、覚悟をしなくてはならないというモモさんの言葉が重くのしかかります。

「エレナ。現場では僕が色のついた札を置いて行く。青と黒はとりあえずスルーして。赤はモモが診る。緑の札を置いた仔達に片っ端から痛み止めと栄養剤を打っていくんだ。量はだいたいでいい。時間勝負、いいね」
「はい。青と黒は何が違うのですか?」 
「青はとりあえず後回しで大丈夫、黒はもう死んでしまっているという事だよ」

 死という単語にゴクリと生唾を飲み込みます。今までも死に直面した場面はありました。ただ、今回はそれとは違う何かがふたりの雰囲気から感じ取れました。


「あそこだね」

 森の中に忽然と現れた灰色の高い壁。堅牢を誇る壁が中を隠していました。【ハルヲンテイム】と同じかやや小さいとはいえ、広い敷地を誇っています。
 すでに到着している馬車が散見出来ました。先行する調教店テイムショップの方々が準備に勤しんでいらっしゃいます。多くの人が忙しそうに手を動かしていました。

「【ハルヲンテイム】の皆さん、宜しく頼みます」

 こちらが到着するとすぐに挨拶してくれたのは息子のデルクスさん。先行していたのは【オルファステイム】の皆さんでした。いつもの柔和な笑顔は無く、厳しい顔で準備を急いでいます。

「宜しくお願いします。僕達ハルヲンテイムはとりあえず西側からでいいですか?」
「うん。それでお願いします。よし! ウチは東からだ! 急いで!」

 ふたりは頷き合い、準備へと戻ります。言葉数は少なく、手だけを動かして行きました。誰もがこの状況に対して、厳しい思いを募らせます。

 私達は荷車にありったけの資材を積んで、壁の中へ。
 鳴き声どころか、呻きすら聞こえて来ません。後ろでガラガラと準備を急ぐ、【オルファステイム】の音だけが届きます。
 不気味な静寂にじわりと手の平からイヤな汗を感じました。緊張する中、私達は壁の向こうへと踏み込んで行きます。

 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...