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坂門

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悲しみの淵

押し付けられる理不尽

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 老紳士の後を追う婦人は中心部から外れて行く事に不安を覚えた。
 街を行き交う人の舐る視線が、自分が場違いな所にいる事を告げる。
 足早に進む老紳士の足が唐突に止まった。
 小さな、お世辞にも綺麗とは言えない店の前。
 寂れた街並み。看板すら出ていない店構え。場違いと不安は婦人に胸騒ぎを覚えさせる。

「あの⋯⋯看板が⋯⋯」
「ああ! 心配なさらずに、開店したばかりでしてね。外装も内装も、まだ済んでいないのですよ。さぁ、中へ」

 外観と同じく雑然とした店内。簡易な板ばりの受付の奥で、背もたれに体を預けている犬人シアンスロープの男が、ジロリとふたりを覗いた。

「あんたか⋯⋯」

 投げやりな犬人シアンスロープの言葉から、老紳士の知り合いという言葉が嘘では無い事は分かった。

「ちっとも片付いておりませんね。いい加減、綺麗になさってはいかがかな」
「はいはい。綺麗に致しましょう、その内ね。で、何用だ?」
「お客様ですよ。この仔を診てあげて下さい。何でも脚を治して欲しいとの事。ご希望に沿う形で、治療をお願い致しますよ」

 犬人シアンスロープは一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに何度も頷いてみせた。

「んじゃ、サッサと診ようか。どれどれ⋯⋯。こいつは酷いな⋯⋯で、お客さんの希望ってのは何です?」

 老紳士は、婦人に向けて少しばかり大仰に両手を広げて見せた。婦人は困惑したまま、訥々と話し始める。

「こ、この仔の脚を切らずに治して頂きたいのです」
「えっ!? 切らずに? 残すって事か?」
「は、はい⋯⋯。お願いします」
「これ治療の途中だよな⋯⋯。診ていた所で切断って言われて、こっちに運び込んだって事か?」

 犬人シアンスロープが老紳士に顔を向けると、ゆっくりと頷いて見せた。犬人シアンスロープは一瞬天を仰いだが、すぐにニッコリと笑顔を返す。

「分かりました。では、さっそく術式に入るので、ちょっと待っていて下さい」
「お願いします」

 深々と頭を下げる婦人の頭上。犬人シアンスロープは面倒事を押し付けた老紳士をキっと睨みつけ、老紳士はニコリと微笑みを返す。犬人シアンスロープは、納得しないまま、奥へと消えて行った。

◇◇◇◇

「こちらでのぞんざいな処置が、あの仔の死を招いたのよ! どうして⋯⋯あの仔が⋯⋯こんな目に⋯⋯」

 我が仔の死を受け入る事の出来ないオランジュさんは、受付の向こうで泣き崩れてしまいました。大怪我を負っていましたが、死んでしまう程では無かったはずです。なのに⋯⋯どうして⋯⋯。

「オランジュさん。処置も何も、私共は何もさせて貰えませんでしたよ。治療初期の段階で、特段変わった事などしておりませんし、それに的確な治療を施せば、命を失う事は無かったはずです」

 アウロさんは珍しく、毅然と少し厳しい口調で諭して行きます。ポロが死んでしまった憤りは、アウロさんも感じているのでしょう。
 私達からすれば、なぜ【オルファステイム】がきちんと治療に当たってくれなかったのか、不思議でなりません。しかも、死の原因をこちらに押し付けてくるなんて、酷いですし、そんな事をする人達だと思いませんでしたよ。
 
 ⋯⋯でも、そんな治療を【オルファステイム】がするのでしょうか? 

 今まで接した中で感じるのはとても優秀で、ギルドからも一目置かれている存在。何だか違和感を覚えてしまいますが、大きい店ですし、いろいろな人がいるって事なのでしょうか?

「な、何を言っているの⋯⋯。義足を売りたいが為に⋯⋯ウチの仔の脚を⋯⋯」

 ワナワナと怒りに震えながら、オランジュさんが言葉を振り絞ります。目に涙を浮かべ恨みを晴らさんとばかりに絞り出した言葉。私達はその言葉に嫌悪を露わにし、誰もが険しい表情をオランジュさんに向けていました。

「私達は義足を売りたいから脚を切断するなんて事は、決してしない。言い掛かりにも程があります。あなたは怒りを向ける矛先を間違えていますよ」

 アウロさんが、こんな厳しい表情を見せるなんて初めて見ました。
 厳しい表情のアウロさんと、怒りの染まるオランジュさんの視線が受付越しで交錯しています。しばらく、睨み合っていましたが、フンと鼻を鳴らしオランジュさんは踵を返し、帰られました。

 ざわつく待合にモモさんの明るい声が響き渡ります。

「お騒がせして申し訳ありませんでした。さぁ、再開致しますよー! 順にお並び下さいね~」

 モモさんは両手を大きく広げ、受付へと誘います。そのわざとらしいくらいの明るい声色は、停滞していた空気を撹拌して、元の空気へと戻して行きます。私も努めていつも通りを心掛け業務に当たりますが、心の片隅は、ずっーとモヤモヤとしていました。

「やっぱり、ダメだ。ちょっと行って来る。後を頼むぞ」
「ちょ、ちょっとラーサ!」

 それだけ言い残して、ラーサさんは受付を後にして、行ってしまいました。
 追いかけようにも、波のごとく訪れるお客さんの対応に追われて、それ所ではありません。
 裏口へと消えて行くラーサさんを背中越しに感じ、また悶々とした心持ちが膨らんで行きます。
 ラーサさんはどこに行ったのでしょう? ゆっくり考えている暇は無く、仕事の波に飲まれて行きました。

◇◇◇◇

 その高さは圧倒的な存在感を示していた。ラーサはその存在感を示す【オルファステイム】を、下から見上げる。冷めない熱に店を飛び出してしまったが、街路を進んでいるとその熱も少し冷め、頭の中が冷静になっていた。
 
 オランジュさんの仔に何が起こったのか? 
 あの仔はどうして死んでしまったのか? 
 どうして【ハルヲンテイム】へ、責任転嫁したのか⋯⋯。
 見上げる店の高さと、混乱に近い困惑が比例して行く。そして、なぜ? と言う問い掛けがずっと頭の中をぐるぐると巡っていた。


「いらっしゃいませ。【オルファステイム】です。本日はいかがなさいましたか?」

 店の中へ足を踏み入れると、判で押した笑顔の受付嬢が出迎える。ラーサはその貼り付いた笑顔の前へと真っ直ぐに進んで行った。
 天井の高い待合。【ハルヲンテイム】の何倍もの人が行き交い、受付の左右にある押し扉へと割り振られて行く。豪奢な造りの店内は綺麗に磨かれ、隙の無い雰囲気が高級感を醸し出す。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」

 受付台に腕を置き、グイっと受付嬢へと身を寄せて行った。さすがに慣れたもので、ラーサの圧程度では、表情ひとつ変えない。

「いかがなさいましたか?」
「【ハルヲンテイム】のラーサって言うんだけど、二日前に【ハルヲンテイム】から紹介状を持った女性がこっちに来たろう。その人の事で、話が聞きたいんだけど」
「二日前ですか? ⋯⋯少々、お待ちを」

 一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに貼り付いた笑顔を見せ、受付台帳を捲り始めた。
 ラーサは身を乗り出したまま、トントンと受付台を指で叩く。慣れた手つきで捲られる台帳。パラパラと凄い速さで捲られて行った。
 パタンと台帳を閉じると申し訳なさそうに首を横に振る。その姿で答えはすぐに分かる、今度はラーサが怪訝な表情を見せて行く。

「⋯⋯台帳に無いのか?」
「はい。申し訳ありませんが、記録はありません。念の為、三日前から今日までの記録を確認しましたが、その様な方はいらっしゃいませんでした」
「記録し忘れたって事は?」

 受付嬢はゆっくりと首を横に振る。そこに絶対の自信が伺えた。

「二日前でしたら、私がここに座っておりました。その様なお客様は来店されておりません。仮に【ハルヲンテイム】様からのご紹介でしたら、稀なケースですので記録を忘れたとしても、記憶に残っているかと思います」

 だよな。
 受付嬢の言っている事に嘘は感じられない。逆にここに来ていないと考えた方が、話の辻褄は合う気がする。
 
 じゃ、オランジュさんはどこに行った?

「ごめん。時間取らせちゃった。ありがとう」
「お役に立て無かった様で申し訳ありません」

 ラーサは受付から身を起こし、逡巡する。
 紹介状も持たずに、治療途中の患畜をどこか適当な調教店テイムショップに運び込んだ?
 知識の無い人間がそんな事するか? 紹介状を用意させたのはオランジュさん本人だよな⋯⋯。紹介していない調教店テイムショップに行く理由が分からない。
 私らが確認をしに伺った所で、あの様子では門前払い喰らって終わりだ。
 ただ、どこかに連れて行き、正しい治療をされなかった。それは間違いない。そして、それを【ハルヲンテイム】へ押し付けた。

「う~ん」

 店の外に出ると髪をバリバリと掻く。スッキリしたいと思って足を運んだ【オルファステイム】で、さらに困惑を深める事となってしまった。
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